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3-16




(つまり、彼女は俺のために腹を立てて……?)


 一瞬、自分の耳が都合よく聞き間違えた幻聴かと思った。だが、現実に彼女は頬を膨らませ、明後日の方向を睨んでいる。


 本当だとしたらすごく嬉しい。正直、勘違いしそうになる。


 けれども、それはそれとして。


「…………君が、それを言う?」


 しばし、二人の間に沈黙が流れる。


 だって、そうだろう。藍玉こそ、飄々とつかみどころのない言動で紅焔を惑わせ、時にからかい、時にあしらい、散々翻弄してきた張本人だ。失礼かどうかは別にして、舐めてる、舐めてないという意味では、確実に彼女も皇帝を舐めてる。


 紅焔がじっと見つめることしばらく、やがて藍玉は照れ隠しのように顔をしかめた。


「それも、別枠でお願いします」


「うん?」


「だって、嫌なんです。私はこれからも旦那さまをからかって遊びたいですが、他のひとが旦那さまを軽んじるのは違うんです」


「…………うん??」


 とんでもないことを堂々と言い切った藍玉に、紅焔は唖然とした。――ある意味、藍玉らしいといえば藍玉らしい。しかし、二枚舌をこうも臆面なく言えるものだろうか。これではまるで暴君だ。


 すっかり呆れてしまった紅焔は、「ぷ、はは!」とたまらずに声をあげて笑った。そのまま笑い続ける紅焔に、藍玉が心外そうに身を乗り出す。


「私、冗談を言ったのではないですよ。本気ですよ」


「わかってる、もちろんわかっているさ」


「でしたら、なぜそんなに大笑いされて」


「こんな愉快なこと、笑わないでいられるか」


 ひとしきり笑い、滲んだ涙を拭いながら、紅焔は目を細めて藍玉を見た。


「まったく。本当に君は、飽きない妃だ」


 ――初めて彼女に会った時にはひどく冷たい印象を与えた真紅の瞳が、午後の温かな日差しの下で柔らかく、愛おしげに藍玉に向けられる。


 それを受けとめる藍玉は、ややあって慌てて俯いた。紅焔は気づかなかったが、彼女の小ぶりの耳はほのかに赤く染まっている。


何かを誤魔化すようにぎゅっと手を握ってから、藍玉はいまだ楽しそうな紅焔を睨んだ。


「いいかげん、おまんじゅうを食べましょう。せっかく出来立てを買ってきてくださったのに、冷えてしまってはもったいないですよ」


「ああ、そうだったな。ここのまんじゅうは美味いぞ。永倫と、都で1番の店だとよく褒めていた」


「本当ですか? ……っ、むぐ! 本当だ。肉汁がたっぷりで、すごく美味しいです!」


「だろ? 育ちのいい君の舌にあうか不安だったが、口にあったならよかった」


「育ちがいいのはお互い様でしょうに。旦那さまも、意外と庶民的な舌をお持ちなのですね」


 そんなふうに談笑していたら、昼下がりの穏やかな時間はあっという間に過ぎていった。



 


 日が傾きだした頃から、都の雰囲気は一変した。来る夜を恐れるように、誰も彼もがどこかソワソワと、慌ただしく通りを駆けていく。


 客はそうそうに家路を急ぎ、店主は軒先の商品をごそごそと片付ける。空に橙色と深い藍色が入り混じる頃には、表を歩いている者は誰もいなくなってしまった。


「都のこんな姿は初めて見た……」


 閑散とする大通りを眺めて、紅焔は呟いた。


安陽は交易が盛んな巨大都市であり、交易で訪れる商人も含めていつも大勢の民で賑わっている。たとえ新月の夜であっても、通常はもう少し人通りがあるものだ。


「ふた月連続で犠牲者がでたことで、ひとつ目の狐が現れたことが広く都に伝わったのでしょう。怨霊祓いにはもってこいの環境ですね」


 答えつつ、藍玉は袖の中からなにやら小さな袋を取り出した。紐を解いてひっくり返すと、薄紅色の花びらのようなものが彼女の手に落ちてくる。


「それは?」


「簡易式神の札です。式神といっても、鬼通院が使う死者の魂を隷従させるような邪法ではなく、行きずりの精霊さんの力をお借りするだけのホワイト呪術ですよ」


 桜色の唇をすぼめて、藍玉がふうと息を吹きかける。すると花びらたちは蝶のように羽ばたき、通りの四方へ散っていった。都のどこかでひとつ目の狐が現れれば、藍玉に教えてくれるのだという。


「それと、旦那さまにはこちらをお渡しします」


「なんだこれ、腕輪?」


 問答無用で腕にまかれたそれを、紅焔はしげしげと見下ろす。紐を編んだものに、藍玉の指輪と同じ、明るい緑色の石(おそらく緑玉髄であろう)が通されている。


「お守りですよ。身に着けている間、その石が旦那さまを守ってくれるでしょう」


「しかし、これは大事なものなんじゃないか? この石は、いつも君が身に着けている指輪と同じものに見えるが……」


「言っている場合ですか。旦那さまを守る代わりに外出許可を出してやる。そう条件を出したのは旦那さまですからね」


 きゅっと紐を結び、藍玉は薄水色の強い眼差しで紅焔をまっすぐに見上げた。


「決して私から離れないでくださいね。あなたのことは、全力で私がお守りします」


「っ!」


 藍玉の凛とした美しさに、紅焔はしばし言葉を失った。――なるほど。自分は、彼女のまっすぐな強さに惚れたのだ。そう、今更のように気づく。


(……ひとつ目の狐のことが終わったら、彼女に気持ちを伝えてみようか)


 ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。


 藍玉は驚くかもしれない。呆れるかもしれない。いつものような飄々とした態度で、「急におかしなことを言われても困ります」などと煙に撒くかもしれない。


 それでも、紅焔は言葉にしてみたかった。かつて心無い言葉で遠ざけた娘に、精一杯の謝罪と感謝を。そして、改めて彼女と関係を構築したいのだと、心から乞うてみたかった。


 ――沈黙する紅焔を藍玉は不思議そうに眺めていたが、はっとしたように後ろを振り返った。


「さっそく、何者かがひとつ目の狐と接触したようです。行きましょう、旦那さま!」


「ああ!」


 道の先を見据える藍玉に頷いて、紅焔は彼女と共に走り出したのだった。




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