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藍玉が紅焔を責める、『浮気』の意味。それを理解して言葉に詰まる紅焔に、藍玉は拗ねたように唇を尖らせた。
「旦那さまはひどいです。私というものがありながら
、鬼通院の方々にあんな依頼をしてしまうなんて」
じわじわと追い詰められていく心地を味わいながら、紅焔は必死に考えた。
藍玉はどこまで知っているのだろう。
今日、春明と会っていたことか。鬼通院に、都で異形を退治する依頼をしたことか。その異形が、この地で最も有名な怨霊絡みだということか。異形のせいで、すでに死人が大勢出ていることか……。
(……おそらく、そのすべてか)
天を仰ぎ、腹をくくる。先ほどの発言からして、藍玉はすべてを把握していると考えていい。どこで聞きつけたか知らないが、彼女の前でかくしごとは意味がないということだ。
観念した紅焔は、身を乗り出して藍玉の説得にうつることにした。
「今回の件は、悪意があって隠していたわけじゃない。王都で起きている怨霊騒ぎは、すでに多くの者の耳に入っている。民の不安をおさめるには、鬼通院に任せるより他なかったんだ」
「それ、浮気の常套文句ですね。仕方なく受け入れただけで、自分は乗り気じゃなかったとか、なんとか」
「そうじゃなくて! っ、あー! 浮気に例えるからややこしくなるんだ!」
ガシガシと頭をかきむしってから、紅焔は手を広げて訴えた。
「鬼通院は代々、ひとつ目の狐が都に出るたびにそれを退治してきたんだ。餅は餅屋にともいうし、皇帝の俺が彼らに命じるのは当たり前だろう?」
「私だって、狐の妖怪くらい祓えます」
「今回は死人が出ているんだ。君ひとりで対処するのは、さすがに危険すぎる」
「私の能力に不足があると言うんですか?」
「そうは言っていない。俺はただ心配で……」
「心配? 心配だから、私にはひとつ目の狐のことを教えなかったと? そんなの勝手です。迷惑です」
「め……っ」
睨んできた藍玉に、紅焔もさすがにカチンとした。だから、思わずムキになって言い返してしまう。
「迷惑とはなんだ。人がせっかく!」
「勝手に限界を決めて。勝手に無理だと決めつけて。あげく、大切なことも教えてもらえない。そんなの、迷惑以外の何ものでもありません」
「それは……そうかもしれないが」
「だいたい、旦那さまが私の何をご存知だというのですか。あなたと私の間には、契約しかないというのに」
「!」
思いのほか藍玉のひとことが胸に刺さり、紅焔は息を呑んで表情を歪めた。
彼女のいう通りだ。
自分は彼女のことを何も知らない。
名前を知っている。嫁ぐまでの評判を知っている。だけど、そんなものは彼女のほんの上辺に過ぎず、大切なことを知る手掛かりにすらなりやしない。
最初は、自分もそれでいいと思っていたはずだ。契約結婚とは単なる利害関係であり、それ以上の踏み込みはお互いに必要ない。踏み込む権利も、踏み込むのを許す義理も、存在しない。
--なのに、なぜか今は、この関係が無性に腹立たしい。
「……たしかに俺は、君のことはご存知じゃないさ。けどそれは、君のせいじゃないか」
「……何を仰りたいんです?」
「最初に君を突き放したのは俺だった。だが、最近じゃ君のほうこそ、俺を遠ざけている。大事なところでは近づかさせないくせに、こういう時だけ俺を責めるなんて、少し都合がよすぎやしないか」
「はあ」
ポカンと、呆気に取られたように藍玉が口を開ける。つづいて、羞恥か、怒りのためか。藍玉の頬に、さっと赤みがさした。
「旦那さまは、そんなふうに私のことを思っていたのですね」
「だったら、なんだ」
「わかりました。私たちの関係に不満がおありというなら、私たち、離婚するしかありませんね」
「君こそ、俺に不満があるなら出て行けばいい。勝手にしろ」
紅焔が吐き捨てて横を向くと、藍玉は何か言いたげに紅焔を睨んだ。やがて、律儀に茶を飲み干した彼女は、音もなく立ち上がって部屋を出ていってしまう。
襖が開き、すぐに閉まる音がかすかに響く。それを聞きながら、紅焔は組んだ腕を掴む指に力を込めた。
腕を組んだまま、数分が経つ。
――もうしばらく経つ。
――さらにしばらく経つ。
ようやく頭の冷えた頃、紅焔はがたりと机に肘をついて、思い切り頭を抱えていた。
「くそ………、言い過ぎた……………!」




