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2-3


 香藍玉が後宮に入ったのは、もうひと月も前だ。その間、紅焔が春陽宮に泊まったのは最初の一夜だけ。そのあと、紅焔が奇病に倒れた中で何度か顔を合わせる機会もあったようだが、それだけだ。


(焔翔様の供養塚に二人で行ってきたって聞いたときは、もしかするかもと思ったんだけどな)


 春陽妃を迎えてからの紅焔は、少し変わった。


 以前の彼は、正直、見ていられなかった。兄・焔翔との間に起きたことに誰よりも傷ついて、そのくせその傷に無自覚で。心を削るように非情に徹する姿は、近いうちに彼自身が壊れてしまうような危うさを感じさせた。


 だけど、あの日。春陽妃に言われて連れてきた前帝・焔尚が、紅焔と再開した日。


 永倫は春陽宮に入らず外に控えていたし、紅焔も、あの場に居合わせた者たちの誰も、あの日に春陽宮の中で起きたことを語ろうとしない。


 だけど、紅焔を変える決定的な何か(・・)があったのだろう。その証拠に、春陽宮から出てきた紅焔からは、皇帝になってからはいつも纏っていた、抜き身の刃のような鋭い雰囲気が随分と和らいだ。

 

 紅焔の芯となる大事なものは変わっていない。彼が目指すのは瑞国の太平であるし、背負った業の分も皇帝としての責を果たそうとしている。


 でも、その目指し方が変わった。すがるのではなく、そっと手を伸ばすように。美しい真紅の双眼は、昔も今も追い求めた理想を、純粋に見据えている。

 

 その変化をもたらしたのが、おそらくあの美しくも謎めいた妃であると、永倫は確信している。


 だから、紅焔が春陽妃に関心を寄せるのはいいことだと、永倫は思っていた。


 どういうカラクリかわからないが、あの妃は、永倫すらも触れることができなかった紅焔の頑なな心を解きほぐすことができた。そういう女が妃として彼を支えてくれるなら、従者の自分も安心できる。


 だいたい、紅焔は真面目すぎるのだ。彼だって若い男だし、本人は気づいていないが、あの近寄りがたくも美しい相貌に頬を染める女はいくらでもいる。


 贖罪だが何か知らないが、あの美貌で禁欲を貫くなんてもったいなさすぎる!


(……なーんて、ぬか喜びしちゃったけど。やっぱり、コウ様はまだ、誰かを愛する気にはなれないのかな)


 ちぇーと内心で唇を尖らせつつ、永倫は胡伯にひらひらと手を振る。


「せっかくの品ですが、生憎です。我が王は妃様への贈り物を求めてなく。今後、必要となる日があれば、こちらからお声がけしますので……って、ええええええ!? めっちゃ見てる!?」


 同意を求めるために振り返った永倫は、これまでになく熱心に、贈り物候補の品々を検分する紅焔を目の当たりにし、度肝を抜かれた。


 驚くことに、紅焔はいつの間にか玉座を抜け出し、装飾具たちを乗せる台座の近くに移動している。近衛武官としてひとの気配には敏い永倫ですら、紅焔の素早い移動には気づかなかった。


 ぽかんと呆ける永倫を放置したまま、紅焔はトルコ石の首飾りを手に、真剣な目で胡伯に尋ねる。


「私はこの手の流行に疎いが、近頃の女官は、おおぶりの石の飾りよりも、こういう繊細な飾りを付けているものが多い。巷の流行は、こういうものなのか?」


「え、ええ。華美に見せびらかせるより、控えめにさりげなく。そういう美が、上品で好ましいとされているのでございますよ」


「なるほど。たしかに、彼女の趣味にもあいそうだな……。だが、この青はすこし強くないか? 彼女の瞳なら、もっと澄んだ柔らかな色合いのほうが……」


「いやいやいや、すごく見るじゃん!? 自分の買い物より、全然興味津々じゃん!!」


 我慢できなくなった永倫が、うっかり素に戻って叫ぶ。その永倫に、侍従長が嬉しそうに囁く。


「それは、まあ。お妃様へのお贈り物ですから」


「あの二人って、最後に会ってから二十日以上たってるよね。いつのまに進んだ仲になってんの?」


「顔を合わせる時間だけが、愛を育むのではございませんよ。ここ最近の陛下は朝夜とお寛ぎの時間に物思いにふけられることが増えまして。そういう時の陛下の瞼の裏には、お妃様のお姿がきっと……」


「へえええー!」


 これは本当に、ひょっとして。ひょっとするかも。突如降ってきた光明に、永倫は目を輝かせる。


 --そんなふうに、ひそひそと盛り上がる永倫と侍従長に、さすがに無視できなくなった紅焔は顔を上げて抗議をした。


「待て待て。勝手に盛り上がるな。これは、お前たちが考えるような理由じゃない」


「じゃあ、どんなわけ?」


「は?」


「コウ様……陛下はわけもなく物思いにふけることはございませんよね? 侍従長が気にされるくらい、陛下はどなたのことを考えていたのです?」


「そ、それは……」


 堂々と永倫に問われて、真面目な紅焔はつい視線を泳がせてしまった。


 実のところ、このところ藍玉のことを考えていたというのは図星だ。だが、その理由は、永倫や侍従長が期待するようなものではない……はずだ。


 笑みを含ませて答えを待つ永倫は、納得する返答を得るまで許してくれなそうだ。紅焔はそろりと首の後ろを撫でながら、仕方なく口を開いた。


「……訳あって、藍玉に何を贈るか悩んでいた」


「へええええ?」


「陛下が、お妃様に、贈り物を?」


「訳あってだ、訳あって! 何度もいうが、お前たちが想像するような理由じゃない!」


 途端に色めき立つ永倫と侍従長に、紅焔はしかめ面をする。


 藍玉が不思議な術を用いて自分を救ってくれたことを、紅焔は誰にも話していない。自分が倒れたのは病いのためということになっているし、藍玉が永倫に父を呼ばせたのも、あくまで紅焔の状態が良くなかったからと説明してある。


(藍玉がなぜあんな術を使えるか、わからないままだし……。あの術は、実際に目にしてみないと信じがたいものだしな)


 占術と無縁なはずの香家の娘に、なぜ悪霊を祓う力があるのか。なぜ彼女は、その力を一族にも隠してきたのか。――彼女は何を目的に、後宮に入ったのか。


 死にかけた紅焔を見捨てなかったということは、彼女の目的が皇帝に害を為すことである可能性は低い。だが、秘密は疑念を呼びやすい。恩人を守るため、紅焔はあの日のことは広めるべきではないと判断した。


(だから、いま話せる範囲で説明するなら……)


 短く嘆息をしてから、紅焔は深く艶のある紅色の瞳をふたりの家臣に向けた。


「詳細は省くが、私は彼女に恩義がある。その恩に報いる対価を探しているのであって……って、おい。話を聞け。その生暖かい目をやめろ!」


「微笑ましいですよねえ、侍従長さん。陛下ってば、恥ずかしがっちゃって」


「ええ、ええ。あの陛下がひとりの女性に心を向ける日がくるなんて……。あ、目頭が熱く」


「だから違うと言っている!」


 紅焔がどんなに否定しても、二人は生まれたての雛に向けるような目をするばかりだ。大国の皇帝相手に、あまりに不敬すぎる。


 げんなりする紅焔だが、ここで、それまで成り行きを見守っていたやり手の商人(胡伯)が動いた。


 トルコ石の飾りをそっと台座に戻す紅焔にぐいと距離を詰めると、満面の笑みで顔を覗き込んでくる。


「私、感動をいたしました。愛であれ、恩義であれ。重要なのは、お相手様を喜ばせたいという心意気にございます」


「あ、ああ。まあ、そうだな」


「というわけで! この胡伯、あなた様のためならば火の中、水の中、たとえ地の果てまでだって駆けずり回り、お妃様にふさわしき品を探してまいりましょう。此度お持ちしました品がお気に召さねば、ぜひお聞かせください。一体、お妃様様は、どのようなモノを好まれるのでしょう!」


「藍玉が好むもの……?」


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