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狐姫の弔い婚〜皇帝には愛されませんが呪いは祓わせていただきます  作者: 枢 呂紅
7章 誰が為の涙

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7-28



 一礼をして、華劉生は母のいる檻を離れ、もと来た道を戻り始めた。


 藍玉は後ろ髪を引かれる思いだったが、華劉生の後を追いかけた。最後に振り返った時、祈るように目を閉じる母の姿があった。それで十分だ。


 ——しかし、この幻はいつまで続くのだろう。


 想像するにこの記憶は、華劉生が都に乗り込んでから安陽が焼け落ちる日までの空白の期間のものだ。麓姫としての自分は、この頃すでに城の外に逃がされて乳母と一緒に都の外れの寺院に匿われていた。


 今のやり取りのあとに、なにか決定的な何かが起こるのだろう。そのせいで華劉生は母を逃がすこと叶わず、母は死んで呪いの怪物となった……


 その時、前を行く華劉生が足を止めた。


“ここで何をしている”


 荒げてはいないが、叔父の声は厳しい。


 華劉生の肩越しに相手の人物を探して、どくりと心臓が嫌な跳ね方をした。


 これといって特徴のない、どこにでもいそうな顔立ち。背は高くはなく、低くもない。宮中を探したら、そっくりな人間を三人は見つけられそうな男……


 顔を見るまで、姿かたちをすっかり失念していた。


 鄧慧云(トウスイウン)。母のために皇帝が呼び寄せた医官だ。


(鄧慧云が母さまの命を奪った。旦那さまは、劉生兄さまの幽鬼がそう叫んでいたと、仰っていましたが……)


 藍玉はその言葉を信じた。だけど鄧慧云を前にしたら、自信が無くなってくる。


 皇帝自ら呼び寄せて、寵愛する妃の専属医官として重宝したのだ。たしかに、彼は腕の立つ男だったのだろう。しかし、言うなればそれだけだ。そんな鄧慧云が、なにをどうしたら母の処刑に関わることができるというのだろう。


 考え込む藍玉の前で、華劉生はなおも厳しい声で鄧慧云に問いかけた。


“地下牢の入り口の兵はどうした。ここには誰も近づけるなと、彼に命じたはずだ”


“…………わかっていたとも”


 乾いた唇が開き、ぼそりと鄧慧云が呟いた。


 華劉生の問いかけへの返答でないのは明らかだ。薄闇の向こうで俯いている鄧慧云を、華劉生も不快げに睨んだ。


“何?”


“わかりきっていたとも。()に阿美妃は殺せない。自分でいくら否定しても、君はあの狐を好いている。兄に奪われ抱けもしない女を、哀れにも思い続けている”


“っ、貴様! 一体何を!”


“それでも!”


 激昂しかけた華劉生の顔を、鄧慧云がぐいと身を乗り出して覗き込んだ。


 藍玉は、口の中がカラカラに乾くのを感じた。観察するように華劉生を見上げる鄧慧云の目は、まるで違う生き物のようだ。彼がこんな目をするのを、見たことはない。


 言葉を呑み込む華劉生を間近で凝視しながら、鄧慧云は呟くように続ける。


“だとしても、よかったのさ。信頼する君が皇帝(あの男)の命を奪えば、女狐の中に呪いの芽が生まれる。けど、読みが不十分だった。まさか女狐が、勝手に達観して、勝手に満足してしまうなんて”


“さっきから何を言って……”


 華劉生の声が途切れた。戸惑いのためではない。鄧慧云が腕を突き出し、彼の胸に(・・・・)深々と刺さった(・・・・・・・)ためだ。


「兄さま!」


 華劉生が咳き込み、その口の端から赤い血が零れる。思わず藍玉は叫んだが、奇妙でもあった。鄧慧云の腕が突き刺さった胸から、血が零れ落ちる様子がない。かわりに鄧慧云の腕が黒く変色して、まるで生き物のように波打ちながら華劉生の体内に流れ込んだ。


 苦痛に顔を歪めながら、華劉生は鄧慧云を睨んだ。


“貴様、何が望みだ……!”


“軌道修正だよ。梃入れともいうかな”


 答える声は、鄧慧云のものから変わっている。もっとずっと若い、青年のような声だ。それどころか鄧慧云の全身はいまや黒く変色し、人の形をした影のような姿になっている。


 目だけが黄金色に輝く奇妙な姿で、影は言い放った。





“このままじゃ、『混沌』が足りない”





 眩暈がした。


意識が飛んだ(・・・・・・)。瞬時に、そう感じた。


 視界が明るい。ここは先ほどまでの地下道ではないようだ。慌てて目の前に意識を集中させた藍玉は、一瞬、何が起きたのかわからず瞬きをした。


「母、さま?」


 本能が、それ(・・)を凝視することを拒否した。けれども一瞬で理解してしまった。


ここは前世で皇帝が政務を行っていた本殿前の広けた場所だ。そこはかとなく見覚えがある。そこに、急拵えの処刑場がこしらえられている。


その中央に、真っ赤な装束を着た母が倒れている。……否。装束が赤いのではない。純白の装束が、血を吸って赤く染まっているのだ。


“あ、ああ………、ああああ…………!”


 無理やり飲み込んだ藍玉の悲鳴の代わりに、誰かの絶望に染まった声が響く。華劉生だ。


 華劉生の瞳は、混乱に見開かれている。母の骸の前に膝をつく彼は、目の前の光景を理解できてない。驚愕に打ちのめされた表情はそう物語っていた。


 なのに、彼を取り巻く状況のすべてが、華劉生こそが阿美妃の首をはねたのだと伝えてくる。彼の顔は返り血に汚れ、足元に落とされた長槍の刃は赤く染まっている。


それでも華劉生は、呆然と頭を横に振った。


“う、うそだ………。なにがあった……どうして…………! 俺じゃない、俺は、地下道にいたはずだ…………!”


 地下道。その言葉に、藍玉は眉を顰めた。


 ふいに意識が飛んだような、先ほどの感覚。もしかしたらあれは、華劉生のものだったのだろうか。だとしたら彼の意識を奪って、長槍で母の首を刎ねさせたのは……


 華劉生がなにかに気づいたように顔をあげる。その視線の先——伸びた影から姿を現した人の形をした黒いナニカが、動かなくなった母をじっと見下ろしている。


 黄金色の目だけが浮かび上がるその影に、華劉生の端正な顔が憤怒に染まった。


“貴様ァ……! 俺に何をした、鄧慧云!!”


 金色の目がにやりと笑うように歪むのと、母の骸に急速に霊力が高まるのが同時だった。


 次の瞬間、爆発が起きた。


 華劉生も、遠巻きに控えていた兵も、急拵えの処刑場も、何もかもが一瞬で吹き飛ばされる。すさまじい爆風の中、一瞬であたりを母の霊力が満たし、青白い炎が噴き出す。


 あらゆるものを灰に帰す炎の中心で、青白い炎に覆われた巨大な九尾が、まるで美しい蓮の花が花びらを開くようにして広場いっぱいに咲き誇った。


“阿美の、君……?”


 本殿の入り口まで吹き飛ばされた華劉生が、頭から血を流しながらその光景を眺めている。彼が伸ばした震える指の先で、黒い影があざ笑うように目を細めてから、巨大な九尾に振り返った。


“待て……、その方に手を出すな。その方は、俺が……!”


 黒い影が、ゆっくりと九尾の花に近づく。黒い手が、青白い炎に伸びる。


“鄧慧云―――――――――!”


 咆哮する華劉生の視線の先で、黒い影が炎の九尾の中に消える。


 炎が血のように赤黒く変色し、二度目の爆発が視界を覆い隠した——







「…………さま、姫さま!」


「しっかりしてください、姫さま!」


「っ!」


 両側から小さな手に揺さぶられて、藍玉はハッと息を呑んで我に返った。慌てて見れば、玉と宗が心配そうに藍玉を見上げている。


(……戻ってきたのですか?)


 目の前には祭壇があり、両側には玉と宗がいる。間違いない、ここは春陽宮の一室だ。


 今まで見ていたのはあくまで幻だ。自分自身は、祭壇の前から一歩も動いていないのだろう。だというのに、まるで全力疾走をした後のように心臓が早鐘を鳴らして胸が痛い。全身から嫌な汗が噴き出すのを認識しながら、藍玉は震える手で自分の体を抱きしめた。


 にやりと笑って阿美妃の炎の中に消えていった、あの黒い影。地下道で初めて現れた時、アレは鄧慧云の形をしていた。


 だが、あんなものが人間であるわけがない。といって、自分たち妖狐の一族とも違う。


 わかっているのは、あの黒い影こそが、母の人間としての命を終わらせた仇であるということだけだ。


「あれは、一体……」


 薄水色の瞳を揺らして、藍玉は呆然と呟く。


 華劉生の幽鬼が残した長槍は、いつの間にか真っ二つに折れていた。





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