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狐姫の弔い婚〜皇帝には愛されませんが呪いは祓わせていただきます  作者: 枢 呂紅
7章 誰が為の涙

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7-26



 残っていた二つの人形(ひとがた)は割れた。


 宮中に戻った紅焔らに、鬼通院の淵方士が真っ二つに割れた人形を見せてくれた。これによって、皇帝と春陽妃にかけられた呪いが消失したことが証明された。


 園遊会で現れた幽鬼は消えた。淵方士が皇帝に襲いかかる幽鬼を退けた時に、その霊力を大幅に削いでいたためだ。だから蘇凛風を憑代としていることを見破られたことで、幽鬼は力を失って消失した……


 と、いうことになっている。


(あの場にいたのは、私と旦那さま、そして商人の彼だけでしたから。それくらいの隠ぺいは、皇帝である旦那さまならばお手の物でしょうね)


 早朝の眩い日差しを手で遮り、藍玉は空を見上げて息を吐く。


 南宮殿で華劉生を見送ってから、早七日が過ぎた。


 宮中に出入りしていた術師たちは鬼通院に引き上げ、天宮城には日常が戻りつつある。日頃から狐の影に怯える王都の者たちは、じきに皇帝を呪った幽鬼のことを忘れるだろう。


 だが、記憶から消えないものもある。幽鬼に憑りつかれた娘、蘇凛風のことだ。


 蘇家の使用人から話が漏れたに違いない。行方不明となった蘇家の下男が、蘇凛風と想いあっていたこと。幽鬼に憑りつかれた蘇凛風が、下男と自分を引き離した父親を呪い殺したこと。……その直後に蘇凛風が、幽鬼が消えると同時に命を落としたこと。


 ひとびとは物語を求める。加えて、蘇凛風は皇帝の妃候補ともされた高名な姫君だ。


 想い人を奪われた悲劇の姫君の愛憎譚は、口伝いに民の間にまで広く知られた。


 ——そうやって、蘇凛風の死は『真実』となった。


「——このまま安陽を発つのですよね」


 通行証を手に周光門を抜けて、大通りを少し外れた小径の影。その場所に、胡伯は隠れて待っていた。


 南宮殿から戻ってからは、胡伯とは宗と玉を通じてやり取りをした。だから、彼が安陽を離れて長い商いの旅に出ることも聞いていた。


 その旅の真の目的が、砂漠を超えた先の小国に蘇凛風を(・・・・)送り届けるため(・・・・・・・)のものだということも。


 いつもの通り男装をして見送りにでた藍玉に、すっかり傷の癒えた美しい姿で、胡伯は恭しく首を垂れた。


「春陽妃様に置かれましては、当商会をご愛顧いただき誠にありがとうございました」


「私は何も……。旦那さまのほうがずっと、あなたのことを気にかけていらっしゃると思います」


「なに、しばしのお別れにございます。胡伯は戻って参りますよ。砂漠の向こうの、珍しくも素晴らしい品々を山ほど携えて……。それが、私にできる一番の恩返しですから」


 ふっと笑った胡伯の顔には、いつものような芝居臭さはない。そういう顔で笑うと、人心掌握の巧みな妖艶な商人ではなく、ただの親しみやすい美男に見える。

 

 同じように笑みを返してから、藍玉は声を潜めた。


「彼女は——凛風様の様子は、いかがですか?」


 胡伯は一瞬、言葉を探すように視線を泳がせた。けれども結局、少しだけ困ったような笑みで正直に答えた。


「お身体に問題はありません。が、塞いでおられますね。よく外を眺めて物思いにふけっておられます」


 蘇凛風は生きている。それを知るのは、ごく限られた人間だけだ。


 幽鬼に憑りつかれた結果とはいえ、蘇凛風は皇帝とその唯一の妃を呪った。この瑞国で、凛風が生きながらえる道はない。本来なら、有無を言わさず処刑されるのが妥当だ。


 だから紅焔はささやかな嘘を混ぜ込んだ。彼女が幽鬼に憑りつかれたことや、皇帝を含む三人の人間を呪ったことは隠さない。そこに「幽鬼が消えてすぐに、蘇凛風は命を落とした」という結末を付け足した。


 もちろんこの処分には、紅焔による温情が多分に含まれている。けれども身分剥奪のうえ国外追放という刑は、決して甘すぎるということはない。


 これから蘇凛風は、名前を捨て、過去を捨て、彼女を知る者が誰もいない異国で生きていかなければならない。何より、彼女が愛した俊宇の眠るこの地を踏むことは二度とない。それこそが凛風にとって最も厳しい罰となるだろう。

 

(……あなたの人生はあなただけのもの、だなんて。いま振り返れば、随分と無神経な言葉を吐いてしまったものですね)


 かつて凛風に何気なく告げた言葉が、今更のように重くのしかかってくる。


 やはり自分は、人間(ひと)の世というものをわかっていなかった。凛風はまさに、自分で己の道を選んだのだ。けれどもその結果、俊宇を喪ってしまった。


 蘇凛風を生かすのは自分への戒めでもあると、紅焔は話していた。彼はきっと、彼女らを襲った悲劇の根幹にあるもの――国家や一族の利益のためにひとひとりの命を簡単に切り捨てる、この国の意識そのものを変えたいのだろう。


 何事も背負いがちなのは紅焔の悪いところだ。だけど今回ばかりは藍玉も、夫の思い描く理想の世が実現することを切に願ってしまう——


 袖の中から小さな巾着を取り出すと、藍玉はそれを胡伯に預けた。


「これを凛風様に。印を刻んだ黒琥珀で念珠を作りました。黒琥珀には、死者に祈りを届ける力があるとされています。ですから……」


「承りました」


 皆まで聞かず、胡伯は巾着を受け取った。


「凛風様の心をお慰めする助けに、きっとなりましょう」


 そう微笑んで、胡伯は旅立っていった。


 



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