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狐姫の弔い婚〜皇帝には愛されませんが呪いは祓わせていただきます  作者: 枢 呂紅
7章 誰が為の涙

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7-25



「……生きているのか?」


 紅焔はそろりと藍玉に近づいた。彼女の腕の中では、青白い顔をした蘇凛風がぐったりと目を閉じて倒れている。その頬が涙で濡れていることに、紅焔は胸を痛めた。


 慎重な手つきで蘇凛風の首筋に触れてから、藍玉は肩の力を抜いた。


「気を失っているだけです。凛風様の中に満ちている邪気は、すべて祓いました。彼女が生き霊として彷徨うことも、もうないでしょう」


「華劉生の幽鬼は、いなくなったのか?」


「それはこれからです」


 藍玉につられて、紅焔は部屋の隅に顔を向ける。暴れた凛風によってぼろぼろになった壁の近くに、黒い影がうずくまっている。襲ってくる様子はないが、確かに存在するソレに、紅焔は顔を顰めた。


「――胡伯」


「は、はい!」


「蘇凛風を任せる。麗鈴に言って、医師に看させろ」


 胡伯は驚いて目を丸くしたが、すぐに弾かれたように動いた。藍玉から凛風を預かると、易々と抱き上げて退出する。玉と宗も、そのあとを追いかけた。


 そういえば、騒ぎの間、麗鈴や翔龍はどうしていたのだろう。蘇家の屋敷が襲われた時は、屋敷中の術師たちがひどい霊圧により動けなくなったと聞いたが。


 そんなことをチラリと考えたが、藍玉が黒い影に呼びかけたことで、すぐに紅焔は目の前の幽鬼に意識を集中させた。


「劉生兄さま、ですよね」


 黒い影がかすかに揺らいだ。もやがはれるようにして、中から華劉生が現れる。


 すらりと細身の鍛え上げられた体躯に、生前に愛用していたと思われる長槍。長い黒髪の合間に覗く、恐れを感じるほどに美麗な細面。


 園遊会に現れた時や、紅焔の夢に現れた時のような、全身を突き刺すような圧迫感はない。槍を抱えてうずくまる姿は、心なしか存在も薄くなっている。


(蘇凛風という憑代を失ったからか?)


 周光門の幽鬼に目撃話は多数あれど、被害を受けたという話はなかった。もともと、華劉生の幽鬼はそこまで力を持たないのかもしれない。それが、蘇凛風の魂と共鳴することで、あれほどの悪鬼となった。


 もしくは凛風に力を貸したことで、華劉生が弱体化した、か。


 とはいえ油断できる相手ではない。ここで逃せば再び憑代を得て、多くの犠牲者を出すかもしれない。藍玉もそれを警戒してか、胡伯たちが退室してすぐに部屋全体に結界を張った。


(華劉生を祓う。その条件は、揃ったはずだ)


 幽鬼を祓うには、その幽鬼を知る必要がある。常々藍玉が口にするそれに則り、紅焔たちはこれまで、華劉生の幽鬼がなにを呪い、なにを核として存在するのかを探ってきた。


 胡伯に会いにきたのも、もとはといえば、華劉生が蘇凛風に取り憑いているという仮説を確かめるためだった。


 仮説は正しかった。華劉生と蘇凛風の共通項が「愛する者を奪われた復讐者」であり、それこそが華劉生の幽鬼の本質であり核であるとわかった。


 条件は整った。あとは光の矢を藍玉が放つだけで、すべて終わる……はずだ。


 紅焔の視線の先で、藍玉が華劉生の前に進み出る。胡乱な目を空に向けるだけで、華劉生の幽鬼は藍玉に反応しない。藍玉の指先がぴくりと動き、退魔の矢が出現する。


 それを構える藍玉の腕が、かすかに震えている。それを見た紅焔は、とっさに声を上げた。


「いいのか?」


「……何がですか」


「彼を、それで祓っていいのか」


 振り向いた藍玉の薄水色の瞳が、葛藤に揺れる。それでも気丈に言い返そうとする藍玉を宥めるように、紅焔は首を縦に振った。


「わかっている。彼は死者で、これ以上この世に留まるべきじゃない。俺が言いたいのは、どう見送るかだ」


「どうって……」


「君が言ったんだ。死者への弔いは、半分は生者のためのものだと。――前世で、実の父親以上に慕った家族だったんだろう」


 紅焔の言葉に、藍玉は水晶のような目を大きく見開いた。


 故人への想いを整理し、亡き人がいない世界をまた歩き出すための区切りの儀式。供養とはそういうものだと、かつて兄の供養塔で手を合わせる紅焔に藍玉は語った。


 なんの因果か、藍玉は前世の記憶を持って再びこの世に産まれた。だから千年の時を超えた今、大切だった者たちの死に向き合っている。


 叶うことなら、その別れは穏やかなものにしてやりたい。


 藍玉は弓矢を静かに下ろした。その手から、白い光の弓矢が消える。


「――そう、ですね。ええ。旦那さまの言う通りです」


 憑きものが落ちたような顔で、藍玉は華劉生の前にしゃがむ。


 華劉生はやはり動かない。光のない目をぼんやりと虚空に投げている。槍を抱える大きな手に、藍玉がそっと指先で触れた。


「兄さま。劉生兄さま。麓です。私です。覚えて、いませんか」


 まるで幽鬼のすべてを鼓膜に焼き付けようとするように、藍玉の薄水色の瞳は華劉生をまっすぐに見つめていた。


「なぜ兄さまが幽鬼になってしまったのか、ずっと考えていました。少しだけ、わかったこともあるんです。だけど私はまだ、知らなきゃいけないことのなにもわかっていないんです」


 藍玉が手を伸ばす。白く細い彼女の指先が、華劉生の抱える槍の柄にそっと触れる。


 泣きそうな声で、藍玉は続けた。


「お願いです、兄さま。私に、兄さまが抱えてきたものをお預けください」


 藍玉の指先から、白く淡い光が広がる。優しい灯火は千年の苦しみを癒そうとするように、藍玉と華劉生を包み込む。


(この光は、藍玉が幽鬼を祓う時の……)


 藍玉が放つ光の弓矢がなんなのか、紅焔は少しだけ理解できた気がした。


 あれは祈りだ。死してなお彷徨う者が安らかに眠れるように。現生に縛り付ける妄執から解放され、無事に楽土へと渡れるように。そういう願いが、あの光には込められている。


 藍玉の祈りが、願いが、届くように。紅焔は、そっと藍玉の彼女の背中に触れた。


 そうして祈った。彼女もまた、この別れによって救われますようにと。


 ――その時、奇跡が起きた。


『…………麓姫、さま』


 思わず息を呑んで、紅焔は目を瞠った。藍玉も同じだろう。


 先ほどまで微動だにしなかった華劉生の幽鬼が、顔をあげている。それだけじゃない。紺青の双眼は、はっきりと藍玉を見つめている。


 その瞳に、幽鬼として現れてからずっとあった激しい怒りの色はない。穏やかで、理知的な……まるで千年前に生きていた頃の彼が、突然目の前に現れたような錯覚をする。


(自我を、取り戻した……?)


 目を疑う紅焔の前で、藍玉も信じられないというように唇をわななかせた。


「兄さま……なのですか?」


『見つけた。ここにいた《・・・・・》!』


 からんと音を立てて、長槍が地面に転がる。直後、華劉生が藍玉を強く(・・)抱きしめた(・・・・・)


 紅焔はとっさに藍玉から華劉生を引き離そうと足を踏み出しかけて……やめた。


(この光景は、彼の記憶か)


 いつの間にか周囲は、南宮殿の奥殿の一室ではではなく、どこかの大通りに変わっている。木も、家屋も炎に呑まれて、煙を上げている。太陽はとうに沈んだ空だが、地上を包む炎により橙に染まっていた。


 これはおそらく、記憶だ。華劉生は今、夢を見ている。


 大人しく身を任せてる藍玉を、なおも華劉生は強く抱きしめた。


『よかった。本当に、よかった! 探したのです。姫さまだけは、この悪夢のような夜からお救いしなければと……。阿美の君はきっと、あなたを城の外に逃したと信じておりました』


「兄さま、あの……」


 突如、空から生き物の鳴き声のような音が響いて、藍玉がびくりと肩を揺らす。紅焔も同じだ。慌てて空を見上げて、再び目を疑うこととなった。


 いくつかの塀を超えた向こう、いっそう炎が激しいその場所に、不自然な形に炎が盛り上がっている。それはまるで、全身を炎に覆われた巨大な狐が、空に向かって吠えているかのような形に見えた。


(あれは……阿美妃か?)


 そういえば、と思い出す。


 以前、夢を通じて、華ノ国の都が燃え落ちた夜を見た。目の前の光景は、あの日の夢と同じだ。自らの呪いが生み出した炎の海を、巨大な狐が悠然と見渡す……


「母さま……」


 戸惑いか、それ以上の何かか。藍玉が、呆然と空を見上げる。


 そんな彼女を見て、華劉生の幽鬼が唇を噛んだ。


『……すべて(・・・)私のせい(・・・・)なのです。私はあの方をお守りできなかった。だからあの方は、あのようなお姿になってしまった。本当に面目ございません。どのような罰をもってしても、この罪を拭うことはできないでしょう』


『ですが、』と、華劉生が藍玉の両肩に手を置いた。


 ――周囲の炎が、白く揺らぐ光に変わっていく。燃え尽きた灰に変わって、柔らかな光が空から降ってくる。


 目の前の二人に視線を戻して、紅焔は驚きに目を見開いた。


 先ほどまで藍玉がいた場所に、いつか夢の中で見た十歳ほどの少女がいる。


 傷ついた王都を優しく包み込む温かな光の中。華劉生は、目の前の少女をまっすぐに見つめて、勇気づけるように力強く微笑んだ。


『――大丈夫です。姿が変わったとて、阿美の君にあなたの声が届かないわけがない。あの方は必ず、あなたのもとに戻ってこられます。だから、恐れないでください。たとえ永遠のような時が掛かったとしても、今日という夜は必ず終わるのです』


 空から舞い落ちた光が、華劉生の肩にあたった。そこからゆっくりと光が広がって、華劉生の全身が淡く輝く。


 もう時間がないのだ。それはきっと、藍玉も——麓姫も分かっている。


 麓姫は何かを言いたげに唇を震わせて……それから、気丈な笑みを叔父に見せた。


「約束します。この夜は、必ず私が終わらせます。母さまを取り戻し、呪いの夜を終わらせ、この地に新たな陽が昇るのを見届けます。だから……」


 麓姫の声が震えた。その震えさえも呑み込んで、少女は華劉生を見つめた。


「兄さまは安心して、あちらの世界で私たちを待っていてください」


 華劉生が一瞬、驚いたように瞬きをした。


 それから彼は優しく、どこまでも愛おしげに微笑んで、何かを告げようとした。


 けれども、その声が風に乗るより先に、華劉生の身体は光の粒へと解けて消えたのだった。







(……楽土へと渡ったか)


 まだ光の余韻が残るその場所を、紅焔は見つめた。


 自分は幽鬼の専門家ではない。だから確証はないが、なんとなく理解できた。


(あの刹那……藍玉の光が華劉生を包んだ瞬間、彼という幽鬼の性質が変化したのだろう)


 それまでの華劉生は、間違いなく復讐鬼だった。守りたかった者を奪われ、その仇を求めて彷徨い、激しい怒りと悲しみに狂い果てていた。


 しかし、彼は藍玉を——麓姫を見つけた。


 彼女もまた、彼にとって「守りたかった者」だった。


(おそらく華劉生は死の間際まで、阿美妃の仇である鄧慧云と同様……あるいはそれ以上に必死に、麓姫を探していたんだろう。だから、怒りと絶望から生まれたあの幽鬼の中にさえ、麓姫を案ずる想いが焼き付いていた)


 藍玉の光に触れた瞬間、麓姫への想いが表層へと浮き出た。


 だから彼は、生前の自我を取り戻した。そして、救われたのだ(・・・・・・)


「藍玉」


 座り込んだまま動かない背中に、紅焔は呼びかけた。


 藍玉はすでに前世の姿から、今の姿へと戻っている。主を無くして地面に転がる長槍を眺めたまま、藍玉はくぐもった声で答えた。


「……私、おかしいんです。幽鬼がこの世に留まるのは苦しいことです。死者はその身を縛る願いから解放されて、楽土で安らかな眠りにつくべきなのです。なのに、」


 藍玉の白い頬を涙の滴が伝う。


 戸惑いと、哀惜と。そういうものが入り混じった顔で、藍玉は泣いていた。


「なのに、なんででしょう。兄さまにもう会えないのが、悲しくてたまらないんです」


「当たり前だ」


 膝をついて、藍玉に寄り添う。


 かつて彼女がそうしてくれたように、紅焔はただ、そばに在ろうとした。


「弔いって、そういうものだろう」

 

 ひくりと、藍玉の声が引き攣った。


 崩れそうな身体を、紅焔は静かに抱き寄せる。


 紅焔の衣を涙で濡らして、藍玉は子供のように泣き続けたのだった。



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