表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/3

《後編》

 「異形(ジ・アザー)」は、音を立てずに、静かに立っていた。

 トムは目の端でその動きを捉えた。森の中を滑っていく青白い複数の姿。首を回すと、暗闇の中に一つの白い影がちらりと見た。次の瞬間、そいつは消えた。風に吹かれて木々の枝が緩やかに動き、お互いを引っ掻きあった。トムは下に向かって警告を発しようとしたが、言葉が喉に凍りついてしまったように思われた。たぶん、見間違いだろう。おそらく小鳥か、雪の反射か、月光のいたずらみたいなものに過ぎなかったのだろう。そもそも、何を見たというのか。


「トム、どこにいる?」


 ルースが上に向かって呼んだ。


「なにか見えるか?」


 彼は急に用心深くなり、剣を手にして、ゆっくり輪を書くように回っていた。トムと同じことを感じたに違いなかった。見えるものは何もなかった。


「答えろ、トム!なぜ、こんなに寒いんだ?」


 確かに寒かった。トムは体をガタガタ震わしながらなおもしっかりと哨兵の木(センチネル・ツリー)にしがみつき、その幹に顔をピッタリと押し付けた。甘くネバネバした樹液が頬につくのがわかった。

 森の影から、1つの影が現れた。そいつはルースの前に立った。背が高かった。痩せて、古い骨のように固く、ミルクのように青白い肉体を持っていた。その甲冑のようなものは動く度に色が変わるように見えた。一瞬、新雪のように白かったかと思うと、次の瞬間には影のように黒くなり、いたるところで濃い灰緑色の木立ちに紛れ込んだ。一歩動く度に、その表面は水面に映る月光のように流動した。

 サー・ルース・ゴドウィンがふうっと短い音を立てて息を吐くのを、トムは聞いた。


「それ以上、近寄るな」


 ルースが警告した。

 その声は少年の声のようにひび割れた。彼は戦いに備えて、両手の自由が利くように、黒貂(クロテン)の長いマントを肩の後ろに投げやり、両手で剣を握った。風はやんでいたが、とても寒かった。

 「異形(ジ・アザー)」は音も立てず、滑るように進み出た。その手には、トムがこれまでに見たこともないような長剣が握られていた。人間界の金属では、あのような刃を鍛造することはできない。それは月光を受けて、生きているかのように見えた。半透明で、側面から見ると、殆ど見えないほど薄いクリスタルの破片のようだ。それに薄く青白い微光がチラチラとつきまとっており、刃の周囲に鬼火が燃えているように見える。その件はどんな剃刀(カミソリ)よりも鋭利だと、トムにはなんとなく分かった。

 サー・ルース・ゴドウィンはそいつに勇敢に立ち向かった。


「では、俺と踊れ」


 彼は、挑戦的に剣を大上段に振りかぶった。手がその重さで震えた。いや、たぶん震えたのは寒さのせいだったろう。だが、その瞬間、彼はもはや少年ではなく、「冒険者ギルド」の立派な一員だと、トムは思った。

 「異形(ジ・アザー)」は立ち止まった。トムはその目を見た。青い。どんな人間の目よりも深く、青い。氷のように冷たく燃える青色。その目が、大上段で震えている長剣を見据え、金属に沿って月光が冷たく流れるのを見つめた。心臓が一拍打つ間、ひょっとしたら、とトムは希望をいだいた。

 彼らは森の影から音もなく現れた。最初のやつに続いて2つ、3つ、4つ、5つ…と。

 サー・ルースはその冷気を感じたかもしれないが、彼らを見ることも聞くことも決してなかった。トムは声をかけるべきだった。それが彼の義務だった。そして死でもあった。

 もし、声をかければ…彼は震え、木にしがみつき、黙っていた。

 青白い剣が震えながら空を切った。

 サー・ルースは鋼でそれを受けた。両派の刃がぶつかったとき、鋼と鋼のぶつかる音は全くせず、聴力の限界あたりで甲高い微かな音がした。激痛に悲鳴を上げる獣の声のような。二の太刀を受け止め、三の太刀を受け止め、それから一歩後退し、また打ち合い、もう一歩後退した。

 彼の後ろにも、右にも、左にも、顔がなく音を立てない観戦者がぐるりと取り巻き、辛抱強く立っていた。彼らのデリケートな甲冑の絶えず変化する表面のために、森の中では彼らの姿は殆ど見えなかった。だが、彼らは手出しをしようとはしなかった。

 二人の剣は何度もぶつかりあった。その度に、激痛に泣き叫ぶような不思議な音が響き、しまいにはトムは耳を覆いたくなった。サー・ルース・ゴドウィンは奮闘のために息を弾ませ、その意気が月光の中に流れるのが見えた。彼の剣には白く霜がつき、「異形(ジ・アザー)」は青白い光とともに踊った。

 次の瞬間、ルースの受け流しが一拍遅れた。青白い剣が彼の腕の下の環鎧(リング・メイル)に食い込んだ。リングの間から血が吹き出した。血は寒気に当たって湯気を立て、その雫が雪に触れると火のように赤く見えた。サー・ルース・ゴドウィンは指で脇腹を擦った。手を放すと、土竜(モグラ)の毛皮の手袋は血に染まっていた。

 「異形(ジ・アザー)」はトムの知らない言語で何かを言い放った。その声は冬の湖の氷が割れるような音だった。サー・ルースはそれを嘲りの言葉と受け取り、怒り狂った。


「ジェームズ王のために!」


 そう叫ぶと、霜に覆われた長剣を振り上げ、唸りを上げて前進し、渾身の力を振るって横に払った。「異形(ジ・アザー)」はまるで面倒くさがってでもいるように、それを受け流した。

 刃と刃がぶつかると、鋼鉄が砕けた。

 一つの悲鳴が森の闇に(こだま)した。長剣は震えて無数の脆い破片となり、針の雨のように飛び散った。ルースは膝を付き、悲鳴を上げながら目を押さえた。その押さえた指の間から血が噴き出した。

 まるで、合図でもあったかのように、観戦者たちが揃って進み出た。何本もの剣が振り上げられ、振り下ろされた。そのすべてが死のような静寂の中で行われた、それは冷たい虐殺だった。青白い刃は環鎧(リング・メイル)をまるで絹のように切り裂いた。トムは目をつぶった。はるか下に、氷柱(つらら)のように尖った彼らの声が響いた。

 見る勇気が戻ってきたときには、長い時間が経っており、下の尾根には何もなくなっていた。

 彼は息をするのも恐ろしい気持ちで、木の上に留まっていた。その間に、月がゆっくりと這うように黒い空を横切っていった。しまいには、筋肉が強張り、寒さのために指の感覚がなくなっていたので、彼は木を下りていった。

 ルースの死骸は、片腕を投げ出すようにして、雪の上にうつ伏せに横たわっていた。こうして死んで横たわっていると、彼はいかにも若く見えた。まさに若様だった。

 トムは数十センチ先に剣の残骸を見つけた。先端は、雷に打たれた樹木のように砕け、ねじ曲がっていた。彼は膝をつき、警戒しながら周囲を見まわし、それを拾い上げた。この折れた剣が証拠になるだろう。これが何を意味するのか、コーディエなら分かるだろう。もし、彼が駄目だったら、きっと、あの「雪の熟練騎士(オールド・スノウ)」アーネスト総帥か、学者(スカーラー)オーウェンが謎を解き明かしてくれるだろう、コーディエはまだ馬のところで待っているのだろうか?急がなくては。

 トムは立ち上がった。それにのしかかるようにしてサー・ルース・ゴドウィンが立ち上がった。彼の立派だった衣服は、もはやボロボロで、顔はめちゃめちゃになっていた。自分の剣の破片の一つが(めし)いた左目の白い瞳孔を刺し貫いていた。

 右目は開いていた。その瞳孔は青く、氷のように冷たく燃えていた。そして見ていた。

 感覚のなくなったトムの指から、折れた剣が落ちた。彼は目をつぶって祈った。長い優雅な手が彼の頬を撫でた。それから、喉を締め上げた。その手は上等の土竜(モグラ)の毛皮の手袋をはめていたが、血でベトベトしていて、触ると氷のように冷たかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ