脱出 6
ボンッ!とその拳は完全に和夏の顎へと命中する。また、能力の影響か。多少、空中の水分にもその振動が行き渡ったようで、〈タイダルウェイブ〉ほどではないものの、ボンッ!!周囲に強い衝撃波のようなものとなって現れる。
本来であれば、脳震盪を起こしてもおかしくはない。すぐにふらふらになって、膝を地面についてしまう姿が簡単に思い浮かんでしまう。
しかし、コォンは喰らっているとは思っていなかった。
(さぁ、どうだ?)
恐る恐る、和夏の様子を見る。
その瞬間、今度はコォンの脇腹へと衝撃が奔る。
「ッ!」
そして、そのまま体は吹っ飛ばされ、地面を何度もリバウンドしながら転がっていく。が、途中で態勢を整え、上手く地面に手を着き、素早く立ち上がる。
こうして和夏とコォンの距離は数十メートルほど離れてしまったのだが、逆に和夏を遠くから全体的に見ることで彼の様子、そして自分の身に何が起こったのか、把握する。
まず、和夏の様子だがまったく変わったことは起きていなかった。それは、攻撃の力を吸収してパワーアップしたとか、そんなものが起こっているわけでもなく、またアッパー攻撃のダメージも通っていないようだった。つまり、本当の意味で先ほど何も変わっていない。
いや、唯一変わった点と言えば魔力が消費されているという点か。
そして、自分の何が起こったのか。
それは、彼が高く上げている右足を見れば分かる。
単純に脇腹を蹴られた、それだけだ。
超近距離というのもあって、巨大な鎌での攻撃はしなかったようだ。たとえば剣だって、近距離戦で使われるが、その剣のリーチに適した距離というのがあって、ゼロ距離では剣が使えないのがほとんどだ。
(鎌での一撃だったら確実にやられていた!!)
だが、これで一つ分かったことがある。
鎌を使わない攻撃、つまり打撃ではあの消滅させる魔法は使えないということだ。なにせ、このタイミングで使えば、もう勝負は終わっていた。なのに、その魔法を使わずただ魔力を込めた蹴りだった。
(いいや、ブラフの可能性だってある。だが、使わない理由が見つからない。これは鎌が使えないほどのゼロ距離戦闘に持っていった方が俺の方が有利に動くってわけか?)
彼は思考する。その間にも和夏は死神の舞踊のように、くるくると鎌を回し、そして構える。
この様子ならばまた接近してくる。
(さて、さっきは思いっきりアッパーをやられたわけだが……ちッ、思わず蹴っ飛ばしちまったな。だが、問題はない。今度こそ、次の接近でねじ伏せる!)
和夏は覚悟を決め、脚に力を入れる。そして、大地にはっきりと足跡が残るほどの強い力で大地を蹴り上げ、コォンとの距離を思いっきり縮めていく。
だが、それは鎌での攻撃を意識しての接近。ある程度、それこそ一メートルほどの距離は取ろうと考えている。
だからこそ、ここはあえて—
ダッ!!とコォンも思いっきり地面を蹴り上げ、接近を開始する。
和夏はその状況に驚く。
(俺がカウンター狙いの、攻撃待ちするだけだと思っていたか?)
上手く相手の意表をつくことが出来たコォンはニヤリ、と嗤いながら右手を握り、拳を作る。
「なるほどな、そう来るか!?」
和夏も驚くが、思考を乱さない。こうなってしまったからには、次の一手が重要だ。
「マジか—」
今度はコォンが驚く番となった。
それは、突如、和夏が鎌を空中に投げ飛ばしたからだ。ブーメランのように、回転しながら、それは上空へと流れていく。
そして、空いた両手で和夏は右で一発、そして間髪入れずに左手で二発、と拳を放つ。
それをコォンは顔にその二撃が見事入る。
そこで和夏の攻撃は終わらない。
ちょうど二撃、終わったタイミングで鎌が落ちてくる。それを上手くキャッチしてみせると、ザン!と体を真っ二つするかのように強く振り下ろす。
しかし、和夏はすぐさま気づく。
(手応えがない!?)
ピタリ、と和夏の胸部に何かが張り付く感覚。
それは、コォンの右手。
(体内の水分を限りなく液化に近い形にさせた。いわば、一時的に体がスライム状になったということだ。それでお前の攻撃を無効化した!!だが、これは体内の内臓や骨の形を留めておくことが出来ないから、本当に体がぐちゃぐちゃになってしまう危険性があった。だが、あんとかぐちゃぐちゃになる前にお前の攻撃が俺のスライム状の体を通り抜けた!!あとはこの右手から貴様の体内水分を操作し、殺す。これで、俺の勝ちだ!!)
そう確信したその時—
「……は?」
効かない。
俺の能力である〈乱水〉が、通用しない?
そんなわかがない!!
さっきまで……だって…効いていた!!
一体、何が起こって……。
ガツン!と首を片手で鷲掴みされる。
「ッァ!!」
喉が締め付けられ、呼吸が難しくなる。
「悪かったな。今の俺は五分間、無敵状態なんだよ」
コォンはもがく。両手に魔力を込め、何度も拳を放つ。何度も肉体をスライム状にして逃れようとする。だが、和夏はそれを許さない。そこから彼は抜け出せない。
ただ、たんたんと説明を和夏はしていく。
「さっき長々と詠唱した魔法は、結界術だ。だが、ただの結界術じゃない。ほら、バリアとか、そういうのって大抵、魔力を固めて、それを盾や鎧のように使って身を守るだろ?だが、俺の場合は違う。魔力を固めたんじゃなくて、魔力を使って別のものを固定したんだ」
まさか、それは
「ああ、体内の水分なんかじゃないぜ。俺が固定したもの……それは俺の魂だ」
魂?
「俺の指向性はさっきも言っただろ?『魂』だってな。この世の生命は三つで構成されている。一つが物質世界にある肉体。二つ目が概念世界にある魂。そして、最後に物理世界から概念世界、そして概念世界のその先にあるのが精神だ。俺たちは概念世界にある魂を通して、肉体をアバターとして操り、物理世界に介入している。そして、その三つは相互作用が成り立っている。魂に傷がつけば、肉体と精神が傷つき、肉体が傷つけば魂も傷つく。と言っても、完全にその作用が成り立っているわけでもないようだけどね。とにかく、俺は自身の魂を傷つかれないように固めることで、結果的に肉体にダメージが通らないようにしていたってわけ」
そんなもの、ダメージの与えようがないじゃないか。
ゼロ距離での近距離戦?体内水分によって強い衝撃を打ち込む?そんなことを考えていた自分がとても馬鹿らしいじゃないか!!
「ま、永遠に無敵ってわけじゃない。あと一分もすれば魔力が完全にゼロになる。それほどに魔力を消費する魔法だし、もし別の魔法を並行使用しようものなら、一分で俺は魔力切れを起こしてしまうだろうよ。だからあんまり使いたくはなかったんだが、しょうがないことだ。お前がそれほどの実力を手に入れたってことなんだからな」
どんどん和夏は首を掴んでいる手の力を強める。ぶちぶち、と筋肉が引き千切れる感覚がある。皮膚も裂かれて血管も切れて、どうしようもないほど熱く、大事なものが出ていくのが分かる。
「ッ!ッ!!ァ!!!」
何度も、何度も、蹴りを入れ、拳を放ち、和夏の手から抜け出そうと必死になる。だが、効かない。どんどん力を強め、確実に殺しにかかっている。
そして、最後に
「じゃあな」
ぐちゃり、と頭が地面に落ちる。
和夏は彼の首から吹き出る血で全身が真っ赤になっていた。手も、嫌な血肉のにおいがこびりついており、誰も近寄りたくないほどのものであった。
「終わったな」
戦いたかったサグメが少しがっかりしたような表情で和夏に近づく。
「ふぅ、もう少しで魔力が完全に空になる。すまないが…少し……ま、かせ…た」
そういって和夏は意識が完全に消えてしまうのであった。