脱出 2
和夏、サグメ、下級兵の三人を乗せたトラックはスピードを落とすことはない。だが、国境沿いに建てられた壁があと数百メートルという距離まで近づいていた。
「おい、そろそろ国境沿いの壁が近い!準備してくれ!」
さっきまで矢を放ち、こちらに魔法や銃で攻撃してきている兵士を迎え撃っていたサグメは、一度その手を止めてシートベルトで身体を座席に固定しようとしていた。
「分かっている!」
とサグメの方へと目線を送りながら答えたその瞬間、ドン、という衝撃と音が荷台に響き渡る。
一体、何かと思えば、視界を前へ戻すとそこには二人の兵士がいた。だが、銃ではなく剣と杖を持っているということから普通の兵士ではないことが伺えられる。
きっと、魔法師だ。
仲間がいるというのに追ってくる兵士は弾丸を討ち続けている。しかし、その敵の魔法師も自分の身にバリアを展開している。
「浮遊魔法で飛んで入って来たか、ちッ!!」
舌打ちをしながらも、巨大な鎌を構えて敵二人に和夏は迷うことなく攻め始める。
鎌を大きく右から左へと振りかざし、並んで立っている二人を同時に斬ろうとする。だが、そんな都合よく物事は進まない。最初に刃で斬られるはずだった者が剣でその刃を受け止める。そこにすかさず片方が和夏に斬りかかる。
「その首、手柄として貰った!!」
もう勝ったも同然だと思い込み、そのように叫ぶ兵士。
だが、相手は圧倒的格下だ。二人同時ならともかく、たった一人の攻撃。和夏は魔力を身に纏うだけでその攻撃を簡単に防いで見せるのであった。
「か、硬い!?」
「舐めやがってッ!!」
ボンッ!と腹を蹴り上げ、トラックの荷台から落とす。兵士は受け身を取ることができず、激しく地面に叩きつけられ、ゴロゴロとコンクリートの地面を痛そうに転がっていく。
あとはもう一人、和夏は次の相手へと意識を向けると—
「上級魔法!」
そこには、和夏の鎌を受け止めながらも空中に魔力を用いて魔法陣を描き、魔法を発動させようとしている姿があった。
「なッ!」
和夏はとっさにバリアを展開。だが、それだけでは完全に防ぐことは出来ないだろう。だが、魔法を中断させるにも、より強力な結界術で魔法を展開するにも、時間がない。
「〈ブレイジング・エアー〉!!」
魔法陣を中心に空気が激しく動き始め、それは風を発生させ、まるで竜巻のような流れを生み出す。
その竜巻は問答無用に和夏へと向かっていき、あっけなくバリアを破壊させる。
「ッ!」
和夏はその風でトラックから吹っ飛ばされないよう、必死に耐える。しかし、それだけじゃない。その風は鋭く、鋭利な刃のように和夏へと降りかかっていく。ズバズバズバ、と皮膚を切り裂き、肉部へと浸透していく。
ひたすらに、真正面から生身で耐える。
「ッッ!!!!」
上級魔法。それは魔法等級の中では二番目でありながらも、十年以上魔法を勉強したものでも使えない者がいるほど修得難易度の高い、才能あるものしか使えない技術。故に、どんな上級魔法でもその平均持続は十秒あるかないか。
しかし、今の和夏にとって、それは数分に匹敵するほどの長い時間に感じる。
耐える。
耐える。
ただ、黙って耐える!!
「ま、マジか……」
血だらけで、傷だらけ。だが、そこには意識を失わず、トラックから落ちず、ただひたすらに正面から受け続けてなお、耐え続けた和夏の姿があった。
それは、単純に格上だとか、才能だとか、訓練されたとか、そんな話ではない。
ただ、ずば抜けた忍耐力であった。
「覚悟は良いか?」
それは、殺意。
和夏はどんな任務でもなるべき相手を殺さないことを意識している。無論、与えられた任務によっては自分の意思を殺して、ひたすらに相手を殺すが、今回のように殺すことがメインではない任務では殺さないようにしている。
これも、相手兵士は侵入者である和夏を殺そうとしただけ。なんらおかしな話ではない。だが、この痛み、苦しみ。そこから湧き出る怒りをさすがの和夏でも抑えきれなかった。
とめどなく心から溢れる殺意の波。
「ひぃッ!」
兵士は自分から荷台に降りようとしている。
だが—
「絶大魔法」
それは、魔法等級の中で最高級であり、自分の精神の指向性を理解しているものでないと扱えない魔法。
魔法陣は展開されない。だが、魔力は確実に別のエネルギーへと変化している。
変化したエネルギーは巨大な鎌へと伝っていく。
「〈ストラーブ〉」
彼は逃げる兵士に問答無用で斬りつける。だが、音はしない。
刃に触れ、皮膚を斬り裂き入り込んだ箇所から、まるで砂のように肉体が崩れ去っていく。そして、刃が敵兵を斬り裂き終わるころには、跡形もなく崩壊しているのであった。
まるで、最初から何もいなかったように、人だったはずの砂は風に乗って。
「やっちまった……」
まさか、怒りに任せて無用に人を殺してしまったことに、和夏は呆然としてしまう。
別に人を殺すのは初めてのことではない。
だが、これまで意識して、殺さないように、殺さないように、頑張ってきたのに。
「も、もう壁が近いですよ!!」
そんな中、運転している下級兵が叫ぶ。
「おい、もう来る!早くしてくれ!」
サグメのその言葉でハッ、とした和夏はすぐさま思考を切り替える。荷台から和夏は二人が乗っている、いわば車の屋根の部分へと移動し、そこに鎌を持って構える。
そして—
「ふん!!」
和夏はその壁を十字に切断し、トラック一台は余裕で通る穴を開ける。
硬く、厚いコンクリートの壁だ。しかも、中級とはいえ常に結界術が発動されているものだ。それは、たった二回で、斬って見せたのだ。
トラックはそのまま開いた場所をくぐり、その先、チベットへと侵入する。
だが、その先にも当然、兵士はいる。
それは、国境を守るチベットの兵士だ。
すぐに、チベット兵から銃口が向けられる。
「射撃用意!」
一人の上官らしき男の言葉と共に、全ての兵士が引き金に指をかける。
そして、後方にはそんなのお構いなしで追いかけてくる中国軍。
「まずいですよ!挟まれてます!!」
下級兵は慌ててブレーキを踏もうとするが、それを隣にいたサグメが殴って止める。
「イタァ!!」
「やめとけ、このままでいい。だろ?」
サグメが和夏に尋ねる。
「もちろん」
和夏も慌てはしない。そんなこと簡単に予測できたことだ。だが、その和夏の冷静な表情はチベット兵と戦うことになることを予測していたからというものではなかった。
チベット兵とは戦うことがないと確信しているような雰囲気であった。
そして、群がっているチベット兵との距離がどんどん縮まっていく。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
思わず恐怖で叫ぶ下級兵。だが……。
「はえ?」
チベット兵はこちらに攻撃することなく、なんなく彼らの横を通り過ぎる。
しかし、追ってきている中国兵に対して
「発射!」
再び上官らしき男の言葉と共に引き金を引く兵士たち。中国軍はそのチベット兵の一斉射撃によって足止めを喰らい、和夏達を追いかけられる状況ではなくなるのであった。
「い、一体……?」
何がなんだかわからない様子の下級兵。
それに対し、和夏がなぜこのような状況になっているのか、説明を始める。
「俺が事前に根回ししてたんだよ。なにせ、最終目標は偽造局の破壊。俺が最初、バレないように侵入しようとしたのは偽造された硬貨や札を確保するため。そのあとの偽造局の破壊はどうしても派手になるからな。隠れて爆弾を設置して爆破したとしても、結局は何者かが侵入したのがバレるだろうし。だから、脱出する時は入った時のようにコソコソするつもりはなかった。そして、隣国のチベットは中国と敵対している。ならば、チベットは中国から俺たちを匿ってくれるはずだ。ということで、俺はチベットから派手に脱出しようと当初から考えていたし、それに合わせてチベット軍に連絡を取り合っていた。その結果がこれさ」
和夏とサグメの二人は後ろを見る。運転している下級兵も前を見ながらも、少しだけ盗み見するように後ろをちょろっと確認する。すると、必死に中国軍を足止めしているチベット兵がそこにはいた。
「さて、もう少し走らせて、確実に安全な場所に着いたら、そこで休むとしようか」
和夏はそう言って、荷台に戻り、一応周囲を警戒するのであった。
そして、和夏はこの数秒後に驚くことになる。もう攻撃されることはないだろうが、念のためと一応の警戒が、まさか結果的に自分たちを助けることになるのを。