脱出
和夏はあの二時間にも満たないとはいえ、匿ってくれたあのお婆さんの家へと戻っていた。だが、中に入らず、あのお婆さんにも何も言わず、家の敷地内へと入り、庭の方へと向かう。
そこには、簡素ではあるものの、手入れされた木が植えられていたり、花も時期ではないため咲いてはいないが、植えられ綺麗に育っているのが分かる。
その草木に隠すように置いてあるのは巨大な死神の持っているような鎌。
ここに隠した自分でも思うが、誰かが庭に入り、草木を掻き分ければ簡単に見つかってしまうようなこんな所に置いててかなり危険だったな、と改めて考えているのであった。
だが、時間もないし、多くの兵士が自分を探すために動員されていたんだ。穴を掘って土に隠す、組み立てられるように一度、分解してバラバラにして隠す、など時間がかかることはしたくなかった。
(まぁ、結果的に見つからず、ここにあったんだから、この選択で良かったと言えるかな)
そう言って、家の主にバレないように、抜き足、差し足で静かに、だが素早く立ち去ろうとする。しかし—
「もう、行くのかい?」
ガラガラ、と窓を開ける音と共に、和夏に声をかける一つの声。優しく、しがれた声であった。
思わず、彼は立ち止まる。しかし、後方から聞こえてくる音だったが和夏は振り返ることはなかった。
その言葉に返答する必要もない、義理もない。今も多くの兵が自分たちを追っている。一分、一秒も時間が惜しい。
だが—
「行くよ、立ち止まってられないからな。ありがとう」
それだけ言い残し、今度こそその場から立ち去るのであった。
そこは、ナクチュ地区の西方面。チベットと接している場所でもあり、そこにはより多くの兵士が警備をしていた。また区を囲んで建てられた壁もより厚く、そして大きく聳え立っていた。
そして、壁の向こう側にはチベットの軍隊も巡回して見回りをしていた。
「はぁ、何事もなく暇だなぁ」
何人かの兵士が防壁に寄りかかり、タバコを吸ったり、何処から持ってきたのか、野外に椅子とテーブルを持ち出し、そこで賭け事をして警備をサボっていた。
「済まないが、火、借りれるか?」
一人の兵士が、タバコを吸っている者に声をかける。すると、懐から指先に魔力を集め、ライターほどの火を出す。
「お前、火の調節、上手いな」
そう言って、口にタバコを加え、火をつけてもらうのであった。
「暴発しないのかよ?魔力エネルギーを熱に変化して火を起こすだけとはいえ、俺がやろうとしたらガスコンロぐらいのデカさになっちまうぞ」
「俺の魂の色が赤というのもあるし、こういうどうでもいい技術を身につけるのが上手いんだ」
そう言って、まるで手品のように十本の指先から自由自在に火をつけたり、消したりして見せる。
「はえー、俺の色は黄色だからな。電気も発熱するとはいえ、俺だったらスタンガンレベルの電気になっちまって、タバコに火をつけるためだけに使うには危なっかしくて使えねえぜ」
そんなくだらないことを話しながらのんきにボーっと空を眺めていた。そんな中、タバコに火をつけてもらった兵士が思い出したかのように言う。
「そういえば、侵入者の話、知っているか?」
「侵入者?ああ、そういえば数時間前にそんな馬鹿な真似をする奴がいたようだな」
彼らは和夏の捜索に動員されなかった兵士だ。というのも、ここは壁を挟んだ向こう側にチベットという国境沿いに当たる場所だ。そこの守りを手薄にするのはさすがに危険すぎる。だからこそ、ここはいつも通りの人数で警備し、巡回しているわけなのだが。
「どうやら目的が偽造局だったらしいな」
「ああ、なるほどな。何処かのアメリカ野郎か、クソったれなソ連か、分からんがよく頑張るぜ。だけどよぉ、目的が分かったってことは侵入者を捕まえたってことか?」
侵入者の目的なんて、侵入者本人に聞かなければ分からないことである。それを断言しているという時点で生きたまま捕らえて拷問にかけたということなのだろうか?
だが、それに対する答えは全く予想しなかったものだった。
「いいや、偽造局が破壊されたんだよ」
「……マジか」
偽造局はここの国境沿いの次に厳しく警備されている場所だ。無論、多くの兵士が侵入者捜索、確保に動員されてしまったのかもしれないが、それでも簡単に破壊されるような場所じゃない。
それに、区長や警備長などの強い兵士だっている。
破壊したということは、それらに真正面から打ち勝ったということでもある。
「それは会いたくはないな。余裕で殺されるのが予測出来るわ。だが、これから侵入者はどうなるんだ?さすがに脱出は出来ないだろ?」
侵入者が地下の下水道を利用して入ったのはもう区内の者たちは知れ渡っている情報だ。下水道の字警備の方も強めている。
どれほど強くても、一筋縄にはいかないだろう。
「そうだよなぁ、そこは俺も気になるところではあるからなぁ……ま、何があっても俺たちは国境沿い周辺の警備兵だからな。捜索や確保に動員されるようなことはないだろうし、考えた所で無駄だと思うけどな!」
「そうに違いねぇ」
ぷかぷかと煙を吐きながら、彼らはだらり、と筋肉を弛緩させ、仕事中とは思えないほどのリラックスタイムを味わっていた。
だが、それはすぐに終わりを迎えるのであった。
「ん?」
片方の兵士が聞き耳を立て始める。
「どうした?」
「何か……騒がしくはないか?」
そう言われ、もう一人も聞き耳を立てる。すると確かに何か、遠くで騒がしい音が聞こえてくる。これは叫び?それと銃声だろうか?
「もしかして例の侵入者が近くにでもいんのかな?」
「まさか、な」
何せ、前にも述べた通りこの辺りの巡回兵の数はかなり多い。その事を知らなくても、チベットとの国境付近となれば重度な警備体制であるのは事前に予想出来るはずだ。ここに突っ込んでくるほど侵入者が馬鹿だとは思えない。
しかし自分よりも力、思考、センスが上の相手というのは常、相応にして自分の視点にはない予想以上に物事を捉えている。
「なんか、どんどんうるさい声がこちらに近づいていないか?」
「……だな」
さらには、新たにブロロロッ!という激しいエンジン音も聞こえてくる。
そして―
「な、なにぃ!!」
「マジかよ!!」
二人は慌ててその場から逃げ出す。
目の前に現れたモノ。それは、一台のトラック。
その後ろには、トラックを追いかけているバイクや車があった。助手席なんかからは兵士が顔を出して、銃でそのトラックに一斉射撃を行っている。
その弾丸一つずつに魔力が込められており、威力も、速度も、貫通力も、破壊力も上がっている。
だが、荷台に乗っている少年、和夏がバリアを展開してその全ての弾丸をはじいていた。