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また、この“夢”だ。
仕事を終えて、くたくたになって帰ってきた私はお風呂に入ったあと、珍しく夕食を食べぬまま眠りについてしまった事までは覚えている。
仕事の疲れが限界に達して生活を蔑ろになることが増えたここ最近、その度に奈落へ落ちる悪夢をみてしまう。
流石に慣れたものと言いたいが、最後には必ず心が乱れ平静さを失うのが決まり。
だが、今日の夢がどこか違うらしい。
その証拠に、目の前に見知らぬ男性が酷く顔を顰め私を睨んでいる。
「みちる、また無理をしたみたいだな」
どこか責めるような口調で語り掛ける男性は、不思議と優しさもあり情の狭間に不快感が共存している様子だが、私は聞いたことのある声に全身が熱を持ちふわりと軽くなる。
「誰?」
「俺の名は……カダン。妖だ」
男性はカダンと名乗った。
妖と言っているが見た目は人と同じく中肉中背で、平均より少し高い背丈をした、ちょっとボサボサの短い黒髪に男性。
暗闇である筈なのに視界に映るその顔はよく整っており、切れ長の目をより細めて私を睨み続ける。
「あやかし……妖怪?」
「あぁ、妖怪だ」
男性の言葉を証明する物なんて何もないのだが、奈落のそこへ進むに連れて夢でみていた光景が脳裏に過る。
「そうだ。この声の主は、いつも私を悪夢から救い出してくれていた……はず」
いつも、底へ落ち続ける私の体を光の方へ放り投げては、
「頑張れ」
と言って、顔を見る暇も無く悪夢から解放してくれる、誰とは存ぜぬが、けれど私をよく知り励ましてくれる人。
いや、この男性が言うには妖か。
「ずっと私を助けてくれていた……んですよね?ありがとうございます」
「俺とみちるの仲だ。敬語は要らない」
私は彼のことを一切知らないのだが、彼は気にするなと距離を詰めてくる。
「今日は、いや今日も随分と疲れて帰ってきたみたいだがそんなに大変な仕事なのか?正直、見ていられなかったぞ」
「そう?」
恥ずかしい話だが、要領が悪いからなのか、それとも最低な上司が勝手に追加する仕事のせいなのか、いつからか残業して遅く帰ることが日常と化していた。
休日は確りとあるし、祝日も休める。
だが、日常の業務が少しずつ増えて無理な負担となっている。
「帰ったらすぐ風呂に入る習慣があるのはいい事だが、飯を抜くのは良くないな」
「そんな事まで知ってるの!?」
恥ずかしい話どころの話じゃない。
もしかしてお風呂を覗かれているのだろうか。
「い、いや!風呂を覗いたりはしてないから安心しろ!」
「でも、私の普段の生活は覗いているんですよね……?」
「それは……まぁ、不可抗力というかな。一旦、この話は置いておいてだ」
咳払いをしつつ私の腕を優しく掴むと、落下している体がゆっくりと速度を落とし、最終的には宙に浮く形でその場に静止した。
妖を名乗る変質者、もといカダンに触れられる事に嫌悪感を示さないのはここが夢だからか、それとも彼が悪夢に苛まれる私を救い続けていたからか。
「よし、これで堕ちないな」
体勢を起こして安堵の表情を浮かべるカダン。
彼の口調と行動から、いつも通り覚醒するのだろう。
今日は彼の声だけでなく、顔と、表情と、そしてあたたかさに触れた。
不審者であれ、少しだけ喜びで心が満たされる。
「じゃあ行くぞ」
腕を引かれるままに、光の方へ向う。
と、思いきや、
「みちる、今日はちょっと付いて来てもらいたい場所があるんだ。少し寝過ぎるかも知れなが許してくれ」
何処かへ連れて行くつもりらしい。
「いや、違うぞ!俺はみちるの悪夢をどうにかしたくてだな!」
訝しんでいると、彼は慌てて弁明を始め、如何にいかがわしい場所ではなく全ては私のみる悪夢の為だと矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
気が付けば目の前には見知らぬ門のような物が立っており、私は夢うつつの如くただ腕を引かれ誘われる様にカダンへ付いて行く。
考えることは出来ても思考と体が一致しない。
夢ではよくある事。
だから、一瞬にして思考が移った私はカダンの言葉や疑いの目など直ぐに忘れ、場面の切り替わった舞台や漫画を見ているかのように、特に気にする事なく鈍い音を立ててゆっくりと開かれた門を潜り抜けたのであった。