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「うむ、この菓子は美味いの。茶もよくあっておる」
「本当ですか!?」
「自身を持てミーコよ。お前の茶は美味いぞ」
いつの間にか影もどきの彼女、名をミーコと呼ぶ彼女を懐柔して主人の様に振る舞う不届者。
つい先程まで私に泣いて詫ていた姿の欠片もない。
少々切り替えが早すぎるんじゃないか?
胸を張りながらミーコを褒める姿に多少の苛立ちを覚えながら彼の者へ事の事情を聞く。
「それで、貴方に馬乗りしていたあの不届者は一体どなたでしょうか?」
常代様とお呼びしたところ畏まった態度を嫌うのか呼び捨てで良いと言われたが、お嬢様を想い私に理性が掛かった事で曖昧な呼び方をしているのは気にしないで欲しい。
「古い友人だよ」
「いや、妾と時生は友人という表現だけでは足りぬ程には親密な関係だ。謂わばこ、恋人の様な──」
「違う」
「て、照れるでない。妾としては番の契を交わしても良いと考えておるのだから」
「無いから」
どうやら想像していたより淡白な関係なようだ。
「そう言えばお名前を聞いていませんでしたね。なんという名前なのですか?」
私は不届者から目を逸らし彼の者へ問う。
何故不届者ではなく彼の者に聞いたのかというと、話が通じない人間ではないかと疑いを抱いてしまったから。
あとは純粋に人違いで殴られた故に距離を置きたい。
「あー、あいつの名前は……」
「言うでない時生!お前……マリーがそんなに聞きたいと言うのなら妾から名乗るのが礼儀というもの!」
不届者が私の名前を知っているのは彼の者から聞いたからだと思われる。
実際、話を聞かなければ泣いて謝るなんて言動には繋がらないのだから。
ならば私が殴られる前に事を収めて欲しかったのが正直な気持ちだが、彼の者は直接的な戦闘経験が乏しいらしく、尚且つ一瞬で方が付いた戦闘に見ている事しか出来なかったと私に頭を下げて謝罪した。
「妾の名は天狐。妖の頂に立つ者」
嫌に腹の立つ笑みを浮かべて鼻息荒く鳴らしながら名乗る不届者。
アヤカシが何であるか分からないが、恐らく種族名と私は予測する。
彼女との戦闘で手も足も出なかったので種族の頂点に立つ、というのは虚言ではなく事実なのであろう。
「最近まで封印されてたけどね」
「あれは相手が悪かったのじゃ。卑怯にも戦いの最中に時生の話題を出して妾の心を揺さぶってきおったから妾の方が関係が長いと煽り返したらブチ切れて完膚無き迄に叩かれ、そのまま封印……真に性根の腐った奴じゃった」
「うちの従業員だった人の悪口はやめてくれ」
「……妾は時生のそういう所が嫌いじゃ」
古くから知り合っているだけあって何やら複雑な関係らしい。
だが彼の者の軽くあしらう姿と、天狐の様子から友人の枠を超えている可能性は低いだろうと胸をなでおろす。
私としてはレインお嬢様のライバルが減るだけで、十分に嬉しい事なのだ。
「マリーさんへ襲い掛かった理由が何だったのか聞いても宜しいですか?」
ミーコが神妙な面持ちで話に混ざる。
「何で貴方がそんな顔をするのよ」
「マリーさんは私の命の恩人ですし、それになんだか師匠と同じ雰囲気を感じるのでつい自分の事のように考えてしまうのです」
恥ずかしげもなく語る彼女に、私は視線を逸して天狐へ答えを急ぐように睨みを効かせる。
「妾はてっきり今代の従業員がお前……マリーかと思ってしまってのぉ。それに時生を守ろうとするのでついカッとなって手を出してしもうた。だから、本当にすまないと思っている」
再度改めて頭を下げる天狐。
話の出来ない相手かと思っていたが、どうやら思い違いだったらしく丁寧に謝意を向けて来た。
偉い立場であれ間違ったことをしたならば頭を下げて謝る。
随分と誠実な人物だ。
殴られる事さえなければ頭のおかしな奴という評価より上に位置していたであろう。
「それもこれも全部、頻繁に従業員を替える時生が悪いのじゃ」
「はい?」
「おい人聞きの悪い事を言うな!」
「いや聞いて欲しいのだがな、妾がこの店に来る度に働く人間が変わっていての。しかも毎回若い女子か幼い童だから困ったもんじゃ」
「これは、どういう事ですか?本当なのですか?」
「いや、まぁ……本当の事ではあるけど」
歯切れの悪い言い方に苛々が募る。
何故、お嬢様はこんな人間に恋をしているのか。
だがこの事実を伝えればお嬢様も考え直して下さるかも知れない。
そうだ、それがいい。
お嬢様には申し訳無いがこれが一番幸せへの近道に違いない。
私は立ち上がり短剣を取り出すと彼の者へ突き付けながら交渉を始める。
「お嬢様を弄んだと、そういう事で間違いありませんか?」
「いや、先ず時の流れで従業員が変わるのは当たり前だ。私の長い寿命から見ればその移り変わりは当然の様に訪れる」
彼の者は口早に天狐の話に訂正を込めた説明を始める。
「それに、この店に来れるのは神様が導いた人だけでそこに私の意志は関係無い。こいつが変に勘違いさせる言い方をしてしまったけれど何もおかしな話では無いんです。だからマリーさん、その短剣は仕舞って貰えると嬉しいな、なんて」
「……そうですね。失礼しました」
「ハルを思ってこそ行動したのは十分な程に察せますから、どうか気にしないで下さい」
「……お心遣い、感謝致します」
機会を逃しました。
取り敢えず彼の者と付き合いの長い古い天狐から昔の話でも聞いてみて、それからまた判断してみる事にしよう。
私は短剣を仕舞い、天狐と向かい合った。