10
その瞬間は来るべくして訪れました。
「スリーグルス嬢、私と一曲踊ってはいただけませんか?」
月日は流れ、学年も上がり三年生となった頃。
カーラの指導により体作りと影魔術の基礎を叩き込まれ、ミーコと共に無事最低限の技術を習得した私は王家主催のパーティーに参加していた。
そして、この様な催しに全くの興味を示さないハルレインが珍しく綺麗なドレスを身に纏ってパーティーに参加している。
何でもご両親のスリーグルス伯爵は領地におり参加が難しく、彼女のお兄様とお姉様も外せない用事があり非情にも彼女に役が回ってきたと嘆いていたのは今でも記憶に新しい。
そんな彼女が今、殿下からダンスのお誘いを受けている。
しかも殿下はまだ誰ともダンスを踊っていない。
何と光栄な事か。
周囲で爛々とその身を着飾り、殿下へ恋の眼差しを向けていた令嬢達の視線が刺さる事を除いてだが。
「お断り致します」
そして、間髪入れず殿下のお誘いを断るハルレイン。
私も彼女とは長い付き合いになるので段々とハルレインという女性を理解しつつあるのだが、まさか王家主催のパーティーで、しかも王族からのお誘いを断るその胆力にはほとほと呆れてしまう。
「……理由をお聞きしても?」
「あまりダンスが得意ではありませんのでお断りした次第です」
「それなら私が多少リードする。どうだろうか、一曲踊ってはみないか?」
「……実は出されていた美味しい料理を沢山食べてしまいまして。正直、苦しくて堪らないのです。なので私でなく他の女性をお誘い下さい」
よくそんなにスラスラと嘘を吐けるものだと私はハルレインに感心する。
伯爵令嬢である彼女のダンスは人並みであるが踊れない訳では無い。
料理だって、会場に着いてからは一切手を付けていない。
どれだけ殿下の事が嫌なのだろうか……いや、彼女の場合王家が嫌いなのか?
あまりにも薄い王への忠誠心にヒヤヒヤしてしまうが、父が言うには王家とスリーグルス伯爵の仲は良好。
なのにハルレインは殿下を敬遠し回避し続ける。
カーラという侍女が居るのでスリーグルス伯爵が彼女の態度を知らない訳も無い。
つまり、ハルレインが王家を敬遠しているのではなくスリーグルス伯爵家が王家と距離を置いているという事になる。
ますます意図が掴めず、私やこの場に立つ人間は困惑するばかり。
「そうか……それならば後で少し時間を作っては頂けないだろうか?スリーグルス嬢にどうしても話したい事があるんだ」
「……少しでしたら、構いません」
一瞬、彼女の影が揺らいだのを私は見逃さなかった。
カーラがハルレインへ何か指示を飛ばしたのだろうか?
「そうか!それではパーティーが終わったら迎えに行く。どうか帰らないで待っていてくれ」
爽やかな笑顔を見せてその場を去る殿下。
私はハルレインへ目を向けると、そこには酷く無愛想な表情で溜息を吐く彼女がいる。
「大丈夫?」
「厄災とはまさにこの事ですね。面倒事に巻き込まれてしまいました」
「その割には最後ハルレインの方が妥協した様に見えたけど。カーラから何か言われたの?」
「変に拗れる前に話し合って終わらせなさいと言われました。きっと、ずっと追い掛けてくる殿下に疲れているんでしょうね。全く、本当に何で付き纏ってくるのでしょうか」
「いや、それはハルレインさんとカーラが殿下の脚を刺したからだと思うのだけど……」
「……知らない話ですね」
なんとも頑固な。
今になって思えばあの頃、殿下から逃げ続けていれば何れ目を付けられるのだろうが、その前に彼らを誘き出し傷を負わせる突飛な行動は良く王家から非難されなかったものだ。
「怖くて聞けなかったのだけど、あの時は王家から何もお咎めはなかったの?私の家は王家から色々とその、贈り物を頂いたのだけど」
「私の家も何か貰っていた筈です。ですがその時はお母様からこってり絞られていたので……うっ、思い出すだけで吐きそうです」
ハルレインのダイエット大作戦。
今でもあの変わり様は思い出すだけで笑みが漏れる。
「ちょっと、こんな場所で吐くのはやめて」
「比喩です。それよりも早く寮へ帰りたいですテルリア様」
「……殿下とのお話、楽しんでらっしゃいね?私は先に寮へ戻っているから」
「……テルリア様、私の影に入ってみませんか?お茶とか出しますよ」
「私を巻き込もうとしないで。お茶は……寮に戻ってから一緒に飲みましょう」
「……はい!これはさっさと幼児を済ませるしか無いですね!」
そう意気込む彼女に、私は朗らかな笑みを浮かべて同意した。
◆
「ごめんなさい、もう一度言ってくれるかしら?」
「はい、殿下に求婚されましたがお断りして直ぐ帰ってきました」
開いた口が塞がらないとはこの事か。
あまりの衝撃に口から本音が漏れ出る。
「馬鹿じゃないの?」
「お、お嬢様の口調が乱れて……!」
「カーラ、殿下に求婚されたけど断ったことお父様達に報告しておいて」
「はい、レインお嬢様」
貴族としての常識が瓦解する瞬間、私は白目を剥きながらハルレインとのお茶を楽しみました。