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鳥肌が立ち、気持ち悪さからつい腕を擦ってしまう。
青年は影を失ったのではなく、影そのもの。
所々曖昧であった記憶を頼りに自身の体を探し彷徨い続けていた亡霊、と言えばよいか。
「祖父に殺されたなんて、急に何を言い出すのですか!この骸骨がロイドさんなはずもないでしょう?あなたは今この場に立って生きているではないですか」
「……僕もそう、思っていた」
青年は骸の正面に立ち大きな魔道具に触れる。
カタカタと操作している様に見えるが魔道具は反応を示さず、深いため息と共にその場に佇む。
「あの日、室内が閃光で満たされ視界を奪われた後。死角から脇腹を貫かれ、次に背を斬り刻まれ、そして最後にナイフで胸を深く、深く刺し込まれた……エルゲルの手によって」
「冗談はよしてください。友人であったロイドさんと言えどこれ以上祖父を侮辱する事はは許容しかねます」
「僕はエンゲルから逃げるために転移魔術でこの隠し小部屋へ移動したんだ。結構な箇所を刺されはしたが幸いな事に急所は外れていた。ひとりで製作していたこの大型転移魔道具を使って地上に出ることさえ出来れば、まだ命は繋がると信じていた」
大型転移魔道具の横に立ち、ガンッ、と足で強く側面に衝撃を与える青年。
すると薄っすらと隙間が浮かび上がり、パカリと開き扉となって大型転移魔道具の内側を晒しだす。
「まぁ、未完成な魔道具を起動している間に命尽きてしまった様だがな。推測する限り、体の命は尽き残った精神だけを移動させたといったところか。影を他所に飛ばすなど、とんだ発明をした」
青年が彼、そしてわたしへと視線を向け、
「店主、ここまで連れてきてくれて感謝する。僕一人では到底辿り着くことは出来なかったかも知れない……報酬はそこにある僕の体から持っていってくれ」
と、どこか満足気に微笑みながら感謝の言葉を伝えてきた。
「エルゲル、これはわたしの血と汗の結晶だ。有効的に使ってくれ」
コンコンと大型転移魔道具を手の甲を当てて音を鳴らす。
「待ってください、私はまだ何も聞けていない!祖父とあなたに何があったのですか!?」
「見る限り、散乱しているがここの資料は殆ど残されていた……様に思える。探せばエンゲルの日記も見つかるかもな。それか、王城で僕たちの後ろ盾となっていた貴族を調べてもらうのはどうだろうか?貴族と関わるなど危ない橋を渡らせてしまう事になるが、王族が管理する歴史書であれば偽りの歴史に埋もれた真実が残っているかも知れない」
段々と青年の姿が薄くなり始める。
存在感自体も希薄となり、青年の声がなければ認識するのも難しい。
これは恐らく、彼が縁を操っているか、青年がわたし達と縁を切ろうとしているからだと思われる。
だが彼が特に動きを見せず青年を見守っているだけ。
険しい表情を浮かべてはいるものの全てを見届ける覚悟を決めている。
ならば答えは後者だろう。
「僕の死体と転移魔道具が無事であるのなら、エンゲルは僕が外へ逃げたと思ったんだろうな……この部屋の防音に手を加えておいて良かったよ」
「あぁ!待って、待ってくれ!私はどうすればいいんだ!ロイドさんの真実を知ったとして、何をすればいいんだ!」
「……エルゲル、僕はエンゲルを恨んではいるが、君たちを恨んでいる訳じゃない事だけは知っておいて欲しい。どうかルナと幸せに暮らして──」
青年は男性と少女の平穏な暮らしを願い、完全に姿を消した。
いや、男性にだけ彼らにまつわる手掛かりを残した時点で願いが言葉通りではないのかも。
友に殺された記憶を思い出し、軽度の魔力暴走を起こしたのにも関わらず、最後は微笑みだけを残し去っていく。
もう少し、もう少しだけ話を聞き真意を問いたい気持ちが湧いてくるが青年を引き止めるにはもう遅い。
「悪霊にならず綺麗に成仏、か。人格も影の部分が大半を占めていただろうに、珍しい事もあるもんだな……いや、裏の感情だからこそか」
彼の言うように何かこの世への執着が強ければゴーストとなり生霊として新たな存在に至っていたかも知れないが、どうやらまっすぐ天へと昇ったとのこと。
珍しい人だ。
だが、分からなくもない。
だって、憎悪に溺れたゴーストになり地上を彷徨い続けるのは、わたしだったら嫌だ。
感情に左右される事なく、事の顛末とその先を予測し聡い選択を理で制した青年には称賛しかない。
彼が青年の骸へ歩み始めたのでピッタリとその後ろを付いていく。
すぐ横では項垂れる男性。
彼は骸が纏うボロボロの服へ手を伸ばし、内側を弄る。
青年が支払う対価。
この骸から今回の依頼に釣り合う物が出てくるのかと多少疑ってしまう。
そして彼が取り出したのは一冊の手帳。
パラパラとページを捲り軽く目を通す彼の横に立ち、わたしはすかさずランタンの光を貸す。
「日記だな」
「日記……ロイドさんも日記を付けていたんですね」
「ただまぁ……随分と呪詛が込められているけれどね」
手帳を閉じて指の先で摘みひらひらとさせる彼にわたしは疑問の声を上げた。
「ただの手記が呪いの道具になり得るのですか?」
「日記でもペンでも、武器から魔道具だって、人がその時に込めた感情が強ければ簡単に呪いの道具となっちゃうのが呪術の怖いところなんだ」
「でも、ロイドさんが呪具を生み出すとは思えませんね」
「今際の際に何を思い、何を考えていたかなんて誰にも分からないものだよ。苦楽を共に過ごしていた友に殺されたロイドさんは特にね」
「それは確かに、知りたくはありませんね。冷たいと思われるかも知れませんが」
「ハル、死者に共感を覚えちゃいけない。だからその冷たさは正しいよ」
彼がわたしの冷たいと抱いた感情を擁してくれるので、少しだけ心に温かいものが宿る。
「エルゲル」
すると小さな悲鳴と同時にガラガラと何か崩れるような金属音が耳をつんざいた。
音の方向は大型転移魔道具から。
周囲をランタンで照らし見渡せば男性の姿がない。
スッと立ち上がり横でそびえ立つ大型転移魔道具へ足を運ぶと、中で腰を落とし頭を擦る男性。
足元に落ちているパイプや金属板を見る限り中の物へ手を出し壊してしまったのだろう。
そしてそれが自分へ迫り落ちてきた。
「大丈夫ですか?」
「上のパイプに頭をぶつけてしまって……あぁ、ロイドさんが残した貴重な魔道具が」
落ちた破片を拾い上げ何処に繋がれていたのか、何処に貼り付けられていたのか焦りながら首を回す。
「ロイドさん、我々はそろそろ店に戻ろうと思います」
大型転移魔道具の外からの彼が声を掛ける。
確かにわたし達がここに居る理由はもう無いので、店に戻ってもいい。
彼も青年から依頼の報酬、願いの対価として呪詛の込められた手帳を手に入れている。
あの手帳が願いの対価として釣り合うのかは正直分からないが、彼は何も言っていないので触れない。
面倒事として応対し続けた彼だ。
案外、今すぐにでもここを離れたいだけかも。
「ここは封鎖された地下なのでエルゲルさんを置いていく訳にはいきません。何かこの場所を示す地図などを探してもらえると助かります」
「分かりました。ゆっくり探索出来ないのは惜しいですが閉じ込められる訳にはいきません。すぐ探します」
その後、無事研究所を示す番地が書かれた資料を見つけたわたし達は門を通って外へ出た。
彼の気遣いなのか、それとも門の思惑か、門を潜った先は少女が待つ家の近くではなく青年が涙を流した友の墓前。
少女には悪いと思いつつもわたし達はここで別れることに。
男性が家に帰る背を見届けたあと、わたし達は店へと戻る。
男性が今後、青年……ロイドさんの件をどう扱うのかは知りませんが、彼の繋いだ縁が良い方向へ向かうと信じ見守ってみようと思います。
これでもわたしは伯爵令嬢、情報収集などは得意分野。
ただ、王族が彼らに手を出さない程度には手を打っておくことにしましょう。