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「ハル?」
光から目を守る様に鞄を盾にしながら目を細めて逸らしていると、聞き慣れた声が驚き混じりで自分の名前を呼ぶ。
すぐ前に構えていた鞄を下ろし声のする前方を確認すると、目の前には花壇の花に水をあげている時生の姿。
ハルレインは目を右往左往させながら、取り敢えず挨拶だけでもと軽く頭を下げて言葉を交わす。
「えっとぉ……その、おはようございます店長」
「おはよう」
「いい天気ですね」
「そうだね、花も喜んでる」
年中気候の変化が無いこの店で天気の話を振るなどなんて馬鹿らしいことか、と心の内で自分の事を嘲りながら顔を引き攣らせていると青空満天であった筈の空が雲を作り、一瞬で灰色の淀みを蓄え始めた。
「雨が降りそうだ。濡れる前に店の中へ戻ろうか、ハル」
時生は空を見上げ、短く言葉を口にするとハルレインを誘って店の中へ戻ろうと提案。
気を遣ってくれたのだろう。
ジョウロを軽く振って残っていた僅かな水を花壇へ撒き終えるの眺め、中から何も出なくなったのを確認すると持っていた鞄とドレスを持ち直し店に戻る時生の後ろを付いて行く。
「もしかしてだけど、お父さんとお母さんに転送された?」
「は、はい……家を出ていけと言われて、急にここへ転送されました」
「あははっ、それケイトリンさんが言い出したでしょ? 相変わらず破天荒な人だ」
「破天荒で済みますかね? 娘を追い出したんですよ?」
「でも、お父さんもお母さんも特に理由も無く追い出した訳ではないだろうから起こらないであげて」
「それはまぁ……そう、ですけど」
元を辿ればハルレインの恋路が原因なので両親へは強く言い出せないのが現状。
悔しいが、自分が二の足を踏んでいたのは事実なので大人しく過ごすしかない。
裏口の外側にある水道にジョウロを置き、店の中へ入ると時生は客間や二階へ繋がる階段を通り抜けて普段生活している空間へ進む。
ハルレインは一度その場で立ち止まろうと足を止めるのだが、そのタイミングで時生は後ろへ振り返り付いて来る様に誘う。
「ハルの使う部屋へ案内するから付いて来て」
「私泊まってもいいんですか?」
「全然構わないけど、何かあった?」
「でも、えっと……」
男性と二人一つ屋根の下で暮らす事が初めてなハルレイン。
しかも、普段踏み入れる事の無い時生の居住空間へ入るというのだから、今にも心臓が飛び出しそうな程強く強く鼓動を鳴らして堪らないのだ。
なのに時生は気にした様子もなく私生活が覗ける場所へ誘うので、素直に狂ってしまいそう。
己の理性が限界を迎えようとしている。
「……お世話になります」
「お世話します」
ニッコリと笑う時生は自分の居住空間へと進む。
付いていくと物で溢れた雑多な下駄箱。
靴を脱いで小さな段差を登る時生に倣い、ハルレインも靴を脱ぎ奥へと向かう。
時生の後を付いていくとそこは和室と呼ばれる居間があり。
いつか見た畳の敷かれた部屋と背の低い机。
茶器の置かれたガラス棚と一杯に詰め込まれたお茶請け達。
和室の客間よりも草臥れた座布団、ティッシュやらゴミ箱、ポット等が手元に届く距離に置かれているそれは正に時生が此処で生活している証であった。
「こっちおいで」
更に奥へ繋がる部屋に案内すると言って突き進む時生。
行く道は店の廊下と違いギシギシと大きな音で軋む木の床。
途中には開けっ放しの襖と中で高く積められた布団と、想像以上に生活感が伺えてくらくらしてしまう。
「ここがハルの部屋ね。トイレはこの廊下の一番奥にあるから」
そう言いながら正面の襖を開け放つ時生。
中は居間と同じく畳の部屋。
屋敷の自室と比べると半分以下の広さだが、冒険者等が泊まる宿よりも大きく快適そうだ。
「俺の部屋はこの部屋の左隣りだから何かあったら遠慮せずに来て」
「隣に店長の部屋があるんですか!?」
壁一枚を隔てての生活感。
わたしはどうなってしまうのでしょう。
「そうそう、あと最近増えた同居人がこの部屋の右隣で過ごしてるけどあまり気にしないでくれると嬉しいな」
「同居人?」
一体誰だろうか、と店に訪れた客や時生の知り合いの顔を浮かべていると後ろから声を掛けられた。
「私よ」
「えっ?」
ハルレインは声のする方へ振り向き声の主の顔を視界に収めた瞬間、驚きのあまりつい素っ頓狂な声を上げてしまう。
「その反応、貴族の者としてどうかと思いますわよ?」
思考を止めている所、ハルレインの令嬢に有るまじき反応を冷静に咎められハッと意識を取り戻す。
「コルト様! どうして此処に!?」
パーティーを荒らし王家へ混乱を招こうとしたルデール・コルトの娘、エレノア・コルトが今ハルレインの眼の前で不満そうな表情を浮かべて立っていた。