5
「へっ!? どういう事!?」
その日、両親から話があると呼び出されたハルレインは父の書斎へ入るなり館中に響き渡りそうな程の大きな声を上げて驚いた。
「だからね、レインには家を出て欲しいの」
書斎前にある机の上には何やらパンパンに物を詰め込まれた鞄と綺麗に畳まれた普段着に使っているドレス数着。
そして、お金と見られる輝きを僅かに覗かせている小袋がドンと置かれおり、いつも通り朗らかな笑みを浮かべた母がどの色が似合うかしらと吟味しながら娘に家を出ていけと促す、狂気を孕んだ修羅場空間が出来上がっていた。
「何か家の決まり事に反するような事しちゃった!? まさか、この前パーティーでボロボロの姿を晒したせいで家に置いておけなくなった!? わたし要らない子!?」
その幼い口調を聞くのも久しぶりねぇ、などと楽しそうにドレスを広げては畳む母。
わたしへの興味はそんなものか!
それとも本当にこの前のパーティーで醜態を晒した事が原因で、スリーグルス家の体面を保つためにも傷物となったわたしを追い出すんだ決断を下したのだろうか?
思考を巡らせては行き着く先のない迷宮をぐるぐると彷徨い続ける頭に、今すぐ冷水をぶっ掛けたいと母の口から語られた言葉を真っ直ぐ受け止めきれないハルレイン。
「まぁ、多少なり瑕疵ありと判断されても仕方の無い行いをしたけれど別に愛情が尽きたとか、家の為に追い出すとかそういう訳じゃないわ」
「あぁ、その点は安心して欲しい。私達はちゃんと、心からの愛情をもってレインを家から追い出すんだ」
「意味分からないんだけど! 変わらず愛されてると知れたのは嬉しいけど違う!」
父の的外れな言動に、聞きたいのはそういう話ではないと声を荒らげる。
「レイン、一度落ち着きなさい」
「お母様、理由無く出ていけと言われて落ち着ける訳が……!」
「落ち着きなさい」
「……はい」
「座りなさい」
だが、母に凄まれたハルレインは振り撒いていた威勢を急激に失い、子犬のように小さくなると促されるままに母の向かい側の椅子に腰を下ろした。
「何度も言ってるけど、スリーグルス家にとって要らない子だから家から追い出すとか、パーティーでボロボロの姿を晒したが故に令嬢としての価値を著しく落とし価値を無くしたからなんて考えは一切無いの」
「なら、私を追い出す理由は一体……?」
「おほんっ」
母は軽い咳払いをすると、姿勢を正してハルレインの顔をじっくりと見つめる。
そんな母に釣られ、ハルレインもより一層姿勢を正して母に向かう。
「レイン」
「はい、お母様」
「人生の岐路に立たされたときに先の見えぬ道を選ぶのは怖いでしょう。自身の力で強引に未来を掴み取る手段もありますが、時にはその場の風や勘に任せて進んでみるのも悪くはありません」
母の伝えたい事が分からなかったハルレインは首を傾け頭の上に疑問符を浮かべた。
「自分で道を選べない時は誰かに背中を押してもらうというのも良いでしょう。ですが、究極の解答を得ているのにも関わらず二の足を踏む者ほど嫌味な存在はありません」
「お母様、さっきから何をおっしゃっているのですか?」
「ふふっ、あなたは昔からこういった遠回しな会話は得意ではありませんでしたね」
「フレインやビルアインと違ってのびのびと育てたからな」
「えっと、つまり?」
「単刀直入に言いましょう」
母はすぅっと息を吸い込む。
そして口を開きハルレインへある命を下す。
「迷っている暇があったらさっさとトキオの所へ行って身を捧げて来なさいよ」
「……っ!?」
一瞬、頭の中が真っ白になったのを感じた。
「告白、受けてもらったのでしょう?」
「ま、まま、マリーから聞いたの!?」
「いえ、トキオからよ」
大混乱中のハルレインの思考へ追い打ちをかける様に厄介な言葉を紡ぐ母。
彼が両親の元へ挨拶に来ていた?
いつ?
屋敷に来ていたのなら何故わたしに会いに来てくれなかったのか。
というか、母は今わたしに身を捧げろと言ったのか?
それってつまり……つまり!?
時生と母の予想だにしない行動がハルレインへさらなる混乱を招く。
「我がスリーグルス家が残してきたトキオとの縁を記した資料をどれだけ読み返してみても、時生が従業員や客から向けられた恋愛感情に応えた記録や、個人を側へ置いて特別に寵愛した記録は一部を除いて殆ど見ることはなかった」
「一部というのは神様やその類。人を比べるなんて流石に出来なかったから例外として記しているだけだから気にしないで」
パンッと音を立てて手を合わせる母はいつもより一層朗らかな笑みを浮かべると、何処か得意気な様子をハルレインへ一言。
「部屋に籠もっている暇があるのならさっさと会って来なさい」
「で、でも暫くの間お店は閉めるって」
「客が来なければレインとイチャイチャ出来るから閉めているんじゃないかしら? それに、返事を貰っているのならあなたは店の店員ではなくトキオの恋人よ」
「た、確かにそうかも……そうかな?」
「大丈夫、レインはとっても魅力的だ」
「でも……」
時生との生活を連想し始めたその時、ハルレインの脳裏にペンダントが浮かび上がる。
寿命を伸ばす選択を取らなければ時生の傍には立てない。
つまり、ハルレインは誰よりも長く、永く生きなければならないのだ。
瞬間、言葉に表せない程の恐怖感が全身を襲う。
床が抜け足元を失い奈落の底へ不安定な体勢で落ち続けるような、謂わば未知という名の悪夢が襲い掛かってくるのだ。
「レイン、家の事や私達、フレインやビルアインが気掛かりなら気にすることなく行っておいで」
「お父様……」
娘の身体を包む負の感情を読み取ったのか、父がハルレインの背中を押すように優しく言葉を掛ける。
「私やケイトリン、フレインやビルアインは常にレインの幸せを願っていたがお前の愛した相手は狭間の世界に生きる寿命を無くした男。正直、家に残る資料の通り叶わぬ夢と思っていたが……レインは想いの強さでトキオの心を掴み取った。ならば応援しない訳がないだろう?」
その為にスリーグルス家や家名、家族が障害となるのなら全て捨て、自分の気持ちに正直になって愛する人の元へ突き進め。
そんな、熱くも何処か寂しさを滲ませる父の言葉は真っ直ぐで、ハルレインの胸の奥をすぅっと晴らした。
「だが、家を捨てられたりして孫の顔を見れないのは寂しいので強硬手段を取ることにした」
そう言って、急に魔術を唱え始める父と慌てて荷物をハルレインへ押し付ける母。
「えっ、えっ!?」
足元に光が生じ、慌てる暇も無い内にハルレインを囲うように円を描き、出来た輪が天井にまでせり上がる。
一瞬にして隔離され、次の瞬間には視界を眩い光で覆われていく。
「暫く帰って来なくていいから」
「いい報告を待っているわ」
ハルレインは押し付けられた鞄とドレスの数々を抱えながら両親に向け大きな声で叫ぶ。
「行ってきま──」
目を開けていられない程強い光が部屋中を照らす。
次に二人が眩しさで閉じていた目を開けたとき、その場にハルレインの姿や持たせた荷物は何一つ残されていたなかった。