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その日、店に入ると店中が甘い香りで充満していた。
恐らく彼は今、ケーキに使うスポンジを作っているのだろう。
この匂いは完璧に覚えました!
カウンターを通り抜け、店の奥へ向かうと正装姿に割烹着なるエプロンをつけた彼がオーブンの前に置いた椅子に座り寛いでいるのを確かに捉える。
「店長、おはようございます」
「おはよう、ハル」
「随分と寛いでますね」
「仕込みが終わったからね。後は生地が焼き上がれば完成だ」
彼は脚を組み紅茶らしき物を飲み一息ような素振りを見せる。
今日の装いは“着物”という一枚の大きな布から作り上げられらた衣装。
過去に彼が着ているのを何回か見たことあるのだが、正直なところ不思議な服だ。
何故布を巻くように着ているのか、露出は少ないが鎖骨や生脚がチラチラ見え隠れするのでドキドキしてしまう。
あんな肌が見え隠れしやすそうな服、私には着れそうにない。
ドレスとは違った、別の方向で扇情的だ。
「今日は正装みたいですけど、のんびりしてて大丈夫なんですか?」
「来るのは午後、おやつを食べるくらいの時間だからそれまでは通常通りでいいよ」
何と、今日はおやつの時間にお客さんが来るらしい。
あぁ、神はわたしをお見捨てになられた。
「そんな顔しないで。ちゃんと接客するんだよ?」
どうしましょうか。
ここは一度、威圧する様な態度で接客を行うかどうか思案のしどころです。
おやつの時間を害すなど、たとえ神の気まぐれでやって来たお客さんであろうと許しません。
「店長、わたしそこまで子供じゃないですから大丈夫ですよ」
嘘です。
息をするように口から嘘が吐き出されました。
我ながらまるで腹の探り合いをする貴族のようです。
これでは伯爵令嬢として相応しくなってしまう。
宜しくない、大変宜しくない。
「そっか、ならよかった。あっ、これ食べる?」
彼は安心したのか、小さな玉が沢山詰まった手のひらより少し大きいくらいの瓶を模した容器を差し出す。
わたしってそんなに食い意地を張っているように見えるのだろうか。
心外も心外。
ただ、おやつの時間に命を賭けているだけ。
彼から瓶の様な物を素直に受け取ると、思ったよりも軽くて驚いた。
硝子瓶の様な容器とは思ったが、実際の硝子瓶より軽く柔らかい。
これに似た材質は店の至るところに存在するが何なのか今でも分からない。
きっと、あっちの物なのだろうが触れる度こっちにあれば便利だろうなとよく考える。
「それはラムネっていう駄菓子でね。今日やって来る客の為に色々買ってきたんだ」
「頂いてもいいんですか?」
「まだ沢山あるからね」
彼は棚からガサガサと白い袋を出し中身を見せる。
更に小さい袋、彼の言う駄菓子であろう物たちがごちゃごちゃと入っていた。
「俺のおすすめはこの一口カツと麦チョコ」
わたしは脇から椅子を出して彼の向かいに置いて座る。
おすすめだと言う二つの駄菓子を受け取り食べてみる。
正直、ラムネの見た目が種のようであまり食気が湧かないので一口カツとやらからいただいてみる。
「ん……美味しいですね」
ザクザクとした食感が楽しい。
味も良くの旨味がギュッと凝縮されている。
一口サイズですぐ食べ終えてしまうので少し物足りないが、小腹が空いた時などは丁度いいのかも知れない。
と、考えているといつの間にかわたしの手には一口カツの袋がひとつ。
おかしい。
私はいつこの小袋を手にしたのでしょうか。
「ん……おいひい」
これは困りました。
手が止まりません。
お腹周りを気にしてまた冒険者を目指しそうなくらいには美味しい。
やはり、彼の出す食べ物は恐ろしい。
「麦チョコも食べてみな」
そっと駄菓子が差し出されます。
神よ、先程恨んでしまった事をどうかお許し下さい。
今のわたしは最高に幸せです。
おやつ時に来るお客さんも受け入れられそうな程には心が穏やかになりつつあります。
麦チョコなる袋を開けると黒い種の様な物が沢山入っていました。
「こうやって、手のひらに沢山載せてから一気に……」
彼は手に載せたつぶつぶをガッと口に放り込む。
はしたないです。
でも、彼がそうやって食するのならわたしも倣うまで。
手のひらに麦チョコを乗せ一気に口の中へ放り込む。
これは……甘い!
「んぐ……美味しいです!」
あぁ、パクパクと食べてしまいます。
困りました、これも手が止まりません。
一口カツに麦チョコ……なんて恐ろしい。
「ハル、これも美味しいから食べてみてよ。これは一口カルパス」
「も、もう要りません!要りませんから!わたし、店の掃除に行ってきます!」
彼からの誘惑から逃れるためその場を離れる形で難を逃れました。
駄菓子……それはとても満足度の高い素敵な食べ物。
覚えておきましょう。
次に会うときは是非、おやつの時間に現れてくださいね。