90 精霊と子供
呪われていた精霊は子犬だった。子犬でも大きさは中型犬ぐらいある。
きつね色で、可愛らしい。
そして、人間の方も、幼い子供だ。
「獣人族か」
この辺りでは珍しい獣耳の生えている人種である。
身体能力の高さに定評がある種族だ。
十年前には、たまに魔物討伐などで獣人族の戦士と一緒になることはあった。
「えーっと、息は……」
俺は人間の子供に触れて様子を確かめる。意識はないが命はあるようだ。
今の子供からは呪いの気配も感じない。
危険はなさそうだ。放っておけば、目を覚ますだろう。
「とりあえず、この汚れを取っておくか」
俺は身体全体に付着しているドロドロした物を、布で拭いて綺麗にしていく。
「手伝います」
「ありがとう」
リルも手際よく手伝ってくれた。
とはいえ、服にこびりついたドロドロを取り切るのは難しい。
あとで、全て廃棄するしかないだろう。
「オンディーヌ。精霊の様子は?」
俺が人間の子供の様子を確認し始めるのと同時にオンディーヌが精霊の様子を確認しはじめてくれていた。
シェイドとフェリルも心配そうに子犬の精霊の匂いを嗅いでいる。
人間の状態は俺にもなんとなくわかるが、精霊の状態確認は、俺にはまだ難しい。
オンディーヌたち、精霊に任せたら安心だ。
「大丈夫。魔力の消耗も大きくはない。助けたときのネコよりずっと健康」
「この調子なら、二、三日寝ていれば大丈夫であろう」
「がう」
「それならよかったよ」
「じゅ~」
「で、この状態は……どう考えればいいんだ?」
この子供が例の卑劣な元生徒のように子犬を支配していたのだろうか。
だが、例の子供の様に精霊契約を封じられてもいないのに、呪いを使う理由がわからない。
「精霊と人間は元々契約関係にあった。契約したのは昨日今日じゃない」
「そうであるな。今も契約は有効。しっかりとしたつながりを感じるのだ」
「合法的なやつか?」
精霊と契約する際には色々な届け出が必要なのだ。
「調べてみないとわからない」
オンディーヌは、精霊と契約したすべての魔導師を知っているわけではないのだ。
知らない魔導師がいたからといって、非合法な魔導師とは限らない。
「学院の生徒だったりは?」
魔導師が子供だから、俺はそう思った。
「……学院の生徒ではありませんわね。見覚えがありませんから」
「まさか、リル。学院の生徒、全員を把握しているのか?」
「在校生ならば」
監督生というのは伊達ではないらしい。
「とりあえず、洗う」
そういうと、オンディーヌは指先から水を出した。
それで綺麗に子供の服を洗う。
着たまま洗濯するなど、水を完全制御できるオンディーヌにしかできないことだ。
子供が綺麗になったら、満足そうにオンディーヌはうなずいた。
「この子は学院に連れて帰る」
「わかった。子供だから優しくな」
「わかってる。意識を取り戻したら、優しく話も聞いておく」
「頼む」
そして、俺は子犬の精霊を抱きかかえた。
まだドロドロした物が付いているので、布で拭いていく。
「じゅ~」
ジュジュも心配そうに、子犬を優しく撫でていた。
「オンディーヌ、シェイド。聞きたいんだが――」
「契約精霊と人間をまとめて呪う方法があるのかってこと?」
「そうだ」
全て語る前にオンディーヌは俺の尋ねたいことを理解してくれた。
「聞いたことはない。でも、あり得る。契約したら魔術回路が同一になるから」
「我もあり得ると思うのである。むしろどちらかだけに呪いをかける方がむずかしいのではないか? 何しろ同一ゆえな!」
「なるほどなぁ。だが俺は呪われた状態のジュジュと契約状態だったんだろう?」
オンディーヌとシェイドの話が本当なら、俺の呪いがジュジュに、ジュジュの呪いが俺に伝播しないとおかしい。
「同一とはいうが、精霊と人間の魔術回路は存在する次元が違うのであるぞ。つまり――」
「小難しいことを言うな」
「はい」
オンディーヌに怒られて、シェイドはしゅんとする。
「つまり、呪いを受けた状態で契約した場合は、呪いが移るまで時間がかかるということ」
オンディーヌはわかりやすく結果だけ教えてくれた。
どうせ理論を聞いてもわからないのですごく助かる。
「時間があったら、俺とジュジュも互いに互いの呪いをうけていたということか?」
「じゅ~」
「そう。だけど、呪いが移る前に、グレンもジュジュも死んでた」
「じゅい!」
出会った時、俺は知らなかったが、俺自身も命の危機にあったのだ。
「この子たちが呪われたのは契約後なのは確実であろうな。グレンさまも感じるであろう?」
「なにをだ?」
「この子犬の生命力をである」
「確かにジュジュよりも、ネコよりも元気そうだな」
「呪いをうけてから時間が経っているならば、もっと死にかけているはずなのだ」
「なるほどな。そういうことか」
シェイドは自慢げに尻尾を振っている。
この子犬は呪いをかけられて時間が経っていないから、元気だと言うことだろう。
「グレン。その子も洗ってあげる」
「おお、頼む」
オンディーヌは指先から水を出し、子犬の精霊を綺麗に洗っていく。
「あったかいな」
「ネコのときに練習しようと思った」
どうやら、ネコを助けたとき、洗ってやることができなかったのを気にしていたらしい。
オンディーヌは水を出して、それが精霊に届く前に心地よい温度にする技術を身に着けたようだ。
「さすがオンディーヌだな」
「うん」
オンディーヌにお湯で洗われて、子犬の精霊は一瞬で綺麗になった。
「ぁぅ?」
「起きたか?」
オンディーヌの水は冷たくも熱くもなく刺激は少なかった。
だが、洗われたことで子犬の精霊は起きたらしい。
「きゃうきゃう!」
子犬は周囲を見回し、オンディーヌに抱っこされている子供を見つけて鳴いた。
子犬は子供を心配し、不安になって鳴いている。
「落ち着きなさい。いじめたりしないからね」
「ぅぁぅ」
「わかったよ。オンディーヌこの子も頼む」
「まかせて」
どうしても子犬は子供と一緒にいたいらしい。
俺は、オンディーヌが抱っこした子供の上に子犬を乗せた。
「きゅーんきゅーん」
心配そうに鳴いて、子犬は子供の顔をぺろぺろと舐める。
どうやら、子犬は子供のことが大好きなようだ。
しっかりとした信頼関係が結ばれている。
それをみて、俺は子供が望んで呪われたのではないと確信した。





