08 大賢者ヴィリ・ダンブレア
「じゅ!?」
入ってきたのがオンディーヌではなく男だったので、ジュジュはびっくりしたようだ。
咥えていたスプーンを吐き出して俺のお腹に顔を押しつける。
オンディーヌが入ってきたときと同じように、俺の服がご飯で汚れた。
「大丈夫だ。ジュジュ。怖い奴じゃない」
「ぎゅじゅ~」
俺はジュジュに優しく声を掛けて、そっと撫でた。
するとジュジュは落ち着いたようだ。俺にしがみついたまま男をじっと見る。
「僕は怖い奴じゃないよ。いじめたりはしない」
そういって、男はにこりと笑う。
そいつは俺の幼なじみ。
この世界の最高権力者にて最高権威者。大賢者ヴィリ・タンブレアその人だ。
水の精霊王、オンディーヌの相棒、契約主でもある。
「ひさしぶりだな。ヴィリ」
「うん、一年ぶりだね」
ヴィリは、俺が現役の剣士だった二十歳の頃から、ほとんど変わらない。
昔同様、優男で線が細い。
昔から童顔だったのだが、三十歳となった今でも十代に見える。
「相変わらず、ヴィリは老けないな」
「老けないのは魔法のおかげだよ」
「……魔導師ってのはすげーな」
「すごいのは魔導師じゃ無くて僕だけどね」
「そうか。それにしても、ヴィリが直接来るというのは珍しいな」
「グレンが精霊を保護したと聞いたからね」
「先ほど名付けた。ジュジュという」
「ジュジュ。よろしくね」
「じゅぅ~」
ジュジュはまだヴィリを警戒しているようだ。
「ついさっき、オンディーヌがやってきて色々してくれたが……」
精霊に関しては、大賢者ヴィリよりもオンディーヌの方が詳しい。
何しろオンディーヌは精霊そのもの、精霊王なのだ。
「知ってるよ。本当は僕が来るつもりだったのだけど。オンディーヌが行きたがったから」
「そりゃ、精霊が虐められたと聞いたらオンディーヌとしても心穏やかじゃないだろうさ」
「もちろんそれもあるだろうけど」
「ほかに何があるんだ?」
「オンディーヌはね、僕がグレンに会うのを嫌がるんだよ。今もオンディーヌに隠れてこっそり来ている」
「なぜだ? なぜオンディーヌは嫌がる?」
本当に解せない。
俺はオンディーヌともヴィリとも仲良くやっている。
嫌がる理由などないはずだ。
「まあ、嫉妬だろうね」
ヴィリを俺に取られると思っているのかも知れない。
全くそんな心配をする必要はないのだが。
「オンディーヌに、取らないから心配するなと伝えてくれ」
「そうじゃないよ。オンディーヌは、僕にグレンを取られると警戒しているのさ」
「…………よくわからんな」
「乙女心は複雑だからね」
そういうと、ヴィリは俺に抱かれているジュジュを見る。
「オンディーヌに嫌がられたとしても、自分の目で見ておきたくてね」
「そうか。じっくり見てやってくれ」
「じゅぅ~」
ジュジュは短い手で俺の服をぎゅっと掴む。
そうしながら、ヴィリのことを見ていた。
「オンディーヌの言っていたとおりだね。サラマンディル」
「……はい。お呼びでしょうか」
ヴィリの背後の何もなかった空間に大男が現われる。
背も高く、肩幅も広い。腕の太さなど、細い女性の腰回りぐらいある。
「ぎゅ!」
「安心しろ。サラマンディルも悪い奴じゃない」
そういって、俺はジュジュを安心させるために優しく撫でる。
サラマンディルは精霊だ。それも炎の精霊王。
大賢者ヴィリの契約精霊の一体で、主に護衛を務めている。
精霊なので、その本質は物質ではなく、精神的な存在だ。
それを利用し、いつもは姿を隠し、ヴィリに付き従っている。
戦闘モードになったら、本来の姿である炎の巨人となって、敵を焼き尽くすらしい。
万の兵でも暗殺者でも、大賢者を殺せないのは、サラマンディルの力によるところが大きい。
「相変わらず強そうだな、サラマンディル」
「……恐縮です。グレン様」
サラマンディルはゆっくりと頭を下げた。
一流の魔導師でも、契約精霊は一体だけなのが普通だ。
だが、ヴィリは四体、それも四大精霊の王全員と契約している。
まさに天才だ。
魔王を倒し、世界を豊かにし、地位も名声も全てを手に入れている。
こういう奴が物語の主人公となるのだろう。
「サラマンディルも、ジュジュをみてあげてほしい」
「……畏まりました。ヴィリ様」
サラマンディルは、もう一度軽く一礼すると、ジュジュに顔を近づける。
「……失礼いたします」
そういって、ジュジュの背中に自分の額をくっつけた。
「……オンディーヌが言っていたとおりです」
サラマンディルの言葉を聞いて、ヴィリは少し考えている。
「オンディーヌはなんて言っていたんだ?」
「ん? グレンは、なんて聞いているの?」
「呪われていて、危険な状態で、俺と相性がいいらしいぐらいだな」
あとは干し肉を煮てすりつぶして冷ましたご飯は不味いと言うことだ。
「ジュジュの正体も聞いていないのかい?」
「聞いてないな。トカゲではないらしいが」
「オンディーヌが教えてないなら、聞かない方がいいんだと思うよ」
そして、ヴィリはジュジュのことを優しく撫でる。
ジュジュも怖がることなく大人しく撫でられていた。
「グレン。ジュジュをお願い。学院のバカどもが迷惑を掛けた」
「ヴィリが悪いわけではないだろう?」
「それでも、僕の学院で、僕の生徒が起こした事件だからね」
「それはそうかもしれないが……」
相変わらず責任感強い。
「ジュジュが元気になるまで、グレンとジュジュの生活は学院がバックアップする」
「バックアップって、なんだ?」
「ご飯も運ばせるし、礼金も出す。魔力を与えるために、毎日精霊を派遣するよ」
「魔力に関しては、オンディーヌが来てくれるらしいが」
「オンディーヌが来れないときは、他の誰かを派遣するってことさ」
そして、少し遠い目をする。
「とはいえ、オンディーヌはグレンが大好きだからな。他の仕事を放棄してでも来たがるだろう」
「オンディーヌに嫌われているとは思ってはいないが、特に好かれることもしていないんだが……」
とはいえ、オンディーヌはよく遊びに来てくれる。
ヴィリの他の契約精霊よりも、そしてヴィリ本人よりも、オンディーヌはよく来る。
「僕自身も、なるべく来よう。オンディーヌが嫌がってもね」
「ああ。忙しいのはわかるが、もっと来い。用がなくてもな。俺がいなくても勝手に入って寛いでいいぞ」
「…………うん」
ヴィリは困って戸惑っているかのような、驚いているような微妙な表情を浮かべていた。
「僕はグレンに恨まれていると思っていたよ」
「なぜだ? 俺には恨む理由などないが」
「その足の怪我も僕をかばって負ったものだし」
「それは気にするなと何度も言っている」
友をかばって怪我をしたとしても、命は無事だった。
なんの後悔もない。
魔王討伐の旅の最中のことだ。
そのときには既に精霊との契約を済ませたヴィリは圧倒的な強さを手に入れていた。
それでも、まだ精霊契約法は世間に広まってはいなかった。
ヴィリは隠していなかったが、精霊契約法を他の魔導師が習得し、広まるまでしばらくかかったのだ。
だから他の魔導師はまだ強くなっておらず、俺もパーティ-に加わっていたのだ。
だが、ヴィリと俺の力の差はあまりにも明確で、俺は足手まといになりかけてもいた。
そんな折り、魔王の配下でもない一体の強力な、不思議な魔物と戦った。
非常に強い魔物で、その魔物の攻撃を食らいかけたヴィリをかばって俺は足を痛めたのだ。
そこで俺はパーティーから脱落し、魔王討伐戦に参加することは出来なかった。
ヴィリと精霊王たちは単独で魔王を倒しきったのだ。
もし、脱落したのがヴィリだったら、魔王は倒せていなかっただろう。
だから、正しい選択をしたと俺は思う。
気にされたら、変な空気になるので、忘れて欲しい。
それにヴィリは俺の足を治そうと、教会に金を払って治癒魔法を扱える聖職者も呼んでくれた。
聖職者の中でも特に凄腕の高位聖職者だから、大金がかかったはずだ。
それでも、全く効果はなかったが、ヴィリはできる限りのことはしてくれた。
「それに僕は剣の時代も終わらせたし」
「それこそ、恨むのは筋違いだろう。単に時代の流れだ」
確かにヴィリがいなければ、魔法の理論はここまで進歩していない。
俺は父の後を継いで、王の剣術指南役になっていただろう。
騎士になり、沢山の門弟を抱え、裕福な暮らしをしていただろう。
どこかの騎士家から嫁をもらい、子供もいたかもしれない。
それでも、俺はヴィリのことは恨んではいない。
「実際、魔法革命のおかげで世界は進歩し暮らしやすくなった」
そんな大きな成果の前には、剣士たちが一時的に無職になっても仕方がない。
技術の進歩にいいも悪いもない。
そして進歩に取り残される不運な奴がでるのも当然だ。
「……僕は世界をよくするために精霊契約術式を編み出したわけじゃないんだ」
「金や名声を得るためか? たとえそうだったとしても……」
「僕はそんなに立派じゃないよ」
そう言うと、ヴィリは少しこわばった顔で笑った。
そんなヴィリは、少し寂しそうでもあった。