目覚ましは目に芳し
ショート・ショート、習作、文末ゆれ未修正
エイチ氏は目覚めて読書をしていた。
エイチ夫人が起きてきた。エイチ氏は夫人におはようと言った。しかし、夫人はさえない、不機嫌な声で、うん、と言っただけだった。
「なんだい、やけにつれないじゃないか」とエイチ氏は言った。
「六時に起きたかった」と夫人は言った。「耳栓をしていて、目覚ましが聞こえないんだって! コーヒーを飲む時間もなかった!」
エイチ氏はそれが、エイチ氏自身のいびきがうるさいことを責めている言葉だと気がついた。
勢い良く玄関のドアを叩きつけて、夫人は出かけていった。
エイチ氏はひとり、家に残された。
エイチ氏はその日、途方に暮れて過ごした。
仕事を終えたエイチ氏が帰路を行くと、行きつけの喫茶店の主人が、全自動コーヒーメーカーを運び出していた。
「こんばんは。どうしたんですか」とエイチ氏は挨拶した。
「こんばんは。いえね、この全自動コーヒーメーカーが壊れてしまいましてね。ちょうど古くなってきたもんだから、新調したんですよ」
「これはどうするんですか」
「来週にでも業者に引き取りに来てもらいますよ」
エイチ氏は思いついたことがあって言った。「よろしければこれ譲ってもらえませんか」
「構いませんが、気をつけてくださいよ。ちょっと重たいですから」
そして、エイチ氏は全自動コーヒーメーカーを背中におぶって、坂の上の、わが家までえっちらおっちら歩いて行った。
「いいものが、手に入ったぞ。これを修理して、妻が朝、自動でコーヒーの香りで目が覚めるように、改造するんだ。きっと彼女も喜ぶだろう」
エイチ氏は家の前で独り言を言いました。そして、ガレージで改造するためにコーヒーメーカーを運び込みました。
エイチ夫人はソファーで寝ていました。
「ただいま」とエイチ氏が声をかけました。
エイチ夫人は目を覚ましました。「お帰りなさい。昨夜眠れなかったから、昼寝をしてしないとやってられない」
エイチ氏は、申し訳なくなって、謝りながら夕食を作りました。サラダと、賞味期限間近で半額になっていた赤身のビフテキでした。
夫妻は夕食を一緒に食べました。しかしエイチ夫人は食べ終わるやいなや、「もう、寝る」と言って、すぐに寝てしまいました。
エイチ氏は食器を洗って乾燥棚に丁寧に並べて、ガレージでコーヒーメーカーの改造を始めました。驚いたことに、喫茶店の主人が壊れたと言っていた全自動コーヒーメーカーは、スイッチが壊れていただけだったのです。「やれやれ、これは良い拾い物をしたぞ」とエイチ氏はうれしくなりました。そして、目覚まし時計のベルの電線を、全自動コーヒーメーカーにつないで、寝室にそっと運び入れました。
エイチ夫人はぐっすり眠っていました。
エイチ氏はコーヒーメーカー部分にコーヒー豆と水を入れました。コーヒーメーカーは、ベッドから離して置かれた、寝室のドアのそばのサイドボードの上に置きました。
夜の12時を過ぎたところでした。
「きっと、彼女もこれで喜んでくれるだろう。朝起きればコーヒーの香りで目が覚める。それを彼女が飲んで、すっきりした朝を始めてくれるはずだ。明日は機嫌を直してくれるといいな」とエイチ氏は思いました。二秒後にはエイチ氏は寝ていました。
翌朝、目覚まし時計はコーヒーメーカーのスイッチを自動的に入れ、コーヒーメーカーの水を沸かし始めました。
ポコポコ……
ドリップされたコーヒーは、ポットに受けられました。夫妻の部屋はコーヒーのいい匂いでいっぱいになっていました。
エイチ夫人が目を覚ましました。
「なんだろう? コーヒーの匂いがする。自動的にコーヒーが入っているので。これで耳栓をしていても起きられたんだな」
エイチ夫人はポットのコーヒーを半分飲み干すと言いました。
「いけない。今日はもう行かなくちゃ。忙しい、忙しい」
ポットはコーヒーメーカーに戻されましたが、その直後、エイチ夫人がドアを勢いよく開け閉めしたので、ポットは寝室の中を、美しい放物線を描いて飛び、エイチ氏の寝顔に、残りのコーヒーを注ぎました。前夜に発揮した創造性から心地よい疲れと共に長めの睡眠に落ちて落ちていたエイチ氏は、熱湯によって無惨にも夢の世界から暴力的に引き戻されました。声にならない夫の叫び声を、いまだ耳栓を外し忘れているエイチ夫人は聞くことなく、出かけていきました。
目を真っ赤にしてベッドから這い出し、エイチ氏はガーゼを目と唇に当てて、それぞれサージカルテープで止めました。何とか仕事仲間に、体調が悪いからと休業の連絡をした後は、再び寝床に戻りました。痛みと悔しさでしばらく眠れませんでしたが、二分後にはまた寝ていました。
夕方、エイチ夫人が帰ってきました。夫人は家を出たところで耳栓をつけっぱなしだったことに気がついていたので、もう耳栓を今はしていませんでした。寝床に静かに横になって眠っているエイチ氏を見て、夫人は言いました。
「あなたの作った目覚ましとてもうまく効いたわ。すごいね。でも、あなた今、サージカルテープを口に貼って寝ていると全然いびきをかいていないのね。あなたがサージカルテープを貼って寝れば、私も耳栓を使わなくてもいいし、普通の目覚まし時計でいいんだわ」
おそらく、先日文学フリマを初めて訪れたことから、妻が小説を創作することに興味を持ったのだと思う。「ショート・ショートって簡単に書けるのかな?」と夕食時に聞いた。
「いいね」とわたしは言った。
日ごろから、いびきがうるさいことを、妻に咎められていた。
ある日妻が、「朝、コーヒーの香りで目覚められたらいいと思う?」と言いだした。クラウドファンディングで作られた、コーヒーメーカー目覚ましのことを、Twitterで読んだらしい。
それをショートショートにしたらいい、と思った。すくなくとも、習作にはなるぞ、と。
だから、私のいびきがうるさいことは、エイチ氏と相即するのだが、それ以外は一切、合切、フィクションである。
執筆にあたっては、100枚綴ツバメノートA5にパイロット・カスタム74のF字・パイロットブルーブラックインクにて2020年2月1日に冒頭を書いた。2月15日に残りの部分を書いた。特に、夫人が寝室を出て行くところからは文字ももどかしくなって一気に書いた。これを2月16日に、iPhoneの音声入力を用いて文字起こしした後、iPad上で最低限の誤字を修正し、投稿した。