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忍道 珍  作者: 長串望
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鬼切の嵐蔵の巻

 白州下忍である柿崎嵐蔵(かきざき らんぞう)は、自他共に認める優秀な忍であった。


 若い内から師を追い抜いた剣技は並の武士をはるかに上回る腕前である。

 格闘術にも秀で、組み手において彼に土をつけられるものは里でも多くはない。

 また任務が困難であればあるほど意欲を増す精力的な忍でもある。


 特に嵐蔵の芸は比類なく強力なもので、本人はあまり好まず滅多に使うことはないものの、使えばまず負けることはなく、里の熟練の忍達もうならせる練達であった。


 しかし同期である木の葉一枚のチンが上忍入りを検討される一方で、同じく優秀であり、チンにはない強力な芸も持つ嵐蔵はいまだようやく中忍入りしたばかりであった。


 それというのも、嵐蔵はとにかく気性が激しかったからである。


 嵐蔵は忍の身でありながら隠れ潜むのを嫌い、常に自身の能力を誇示するように暴れた。


 こそこそするのは弱者の術と、危険な任務ばかり選び、直に敵と切り結ぶのを好んだ。


 たとえ上役であっても能力の低いものをあからさまにさげすみ、命令を無視して独断専行を繰り返して独房に入れられることは常のようであった。


 では能力の高い優れたもの相手であれば敬意を見せるのかと言えばそうでもなく、むしろそういうものたちを特に目の敵にし、一方的な競争心を押しつけては事あるごとに喧嘩を吹っかけていた。


 敵とあれば容赦せず、味方であったとしても些細なことでよく争い、戦場でも里でも常に独りで周囲を睨みつけているような、そんな厄介な気性であった。


 特に、組み手では勝ち越しているはずのチンが昇任してからは、自身の認められないのに腹を立てて一層荒々しく振舞うようになった。


 酒を飲めば酔いつぶれるまで飲み続け、時には酔いに任せて暴れることもあった。

 博打に挑めば勝つまで続け、負けが込めば腕ずくで黙らせることもしばしばである。


 やがて、手柄を立てんと激しく火花を散らす戦場へと向かい、それが済めばまた次の戦場へと渡り歩くような日々を過ごすようになっていた。


 時には任務と関係のないところでいさかいを起こし、自ら火種を作り敵をおびき寄せて、騒ぎを大きくしてから大いに暴れるという無法まで平然と行った。


 休む間もなく、刀を納める間もなく、争いにふけるぎらついた刃のような姿から、いつしか嵐蔵は自然とこう呼ばれるようになっていた。


 抜き身の嵐蔵、と。


 厄介者としてつけられたこの二つ名を嵐蔵本人は大いに気に入り、爾来(じらい)彼の愛刀が鞘に収まることはなく、彼から血のにおいが落ちることもまたなくなった。


 以下に語られる話は、嵐蔵がその狂気を大いに見せつけることになった事件である。


 もっともそれさえも、戦狂いの血に酔った狂人として扱われている嵐蔵の凶行のほんの一つにすぎないが。




 後に戦国と呼ばれることになるであろう時代、山崎家が統治する霧島の国には強大な武家の一門があった。


 人斬り集団と恐れられるその武門の者たちは、やせた土地に築かれたこの軍事国を強力に導き、戦乱の世に激しい戦いを繰り広げていた。


 いつかも隣国小林の国を支持する忍者集団白州の里を襲撃し、上忍数名をはじめとして多大なる被害を及ぼしたことは忍狩り事件として表にも裏にも大きく聞こえていた。


 かつて小国であった霧島の国は鉄をよく産出したが、そのために三方を囲む山々はことごとく掘りつくされて赤肌を晒していた。

 平野が少なく起伏に富んだ地形は開拓を拒み、数少ない畑も肥沃とはいいかねた。

 狭い街道は流通をさえぎり、領主でさえいつも物が足りない有様だった。


 だがその過酷な環境が強力な指導者の下で統制された時、民は力強く日々挑戦し、武士たちはその期待を一身に背負って武芸を研ぎ澄ませた。


 そしていまや周辺三国を怒涛の勢いで侵略しその支配下に置き、強力な忍を抱える小林の国にも牙をむいて、戦乱の世に置いて一大勢力として君臨するに至っていた。


 その霧島の国の中心にある、山崎一門の総本拠にして最大の砦。


 武骨にして堅牢、鉄壁の守りを誇る戦うための山城である山崎城は、平時であっても多くの兵を置いた大要塞である。


 戦乱初期の小国時代においては幾度か城攻めの危機に陥りながらも、そのことごとくを跳ね付け、むしろ撤退する敵兵を徹底的に攻め立てたといういまなお生きた伝説である。


 また戦略的に極めて強力なこの存在は、当主の持つ最大の武器とも称されていた。


 その最大級の武装の、天頂部。


 山崎家の現当主にして霧島の国の支配者である領主にのみ立つことを許された天守に、いま二人の人間が向かい合っていた。


 一人は細身だが背の高い男だった。

 髪は丁寧に結われており、よく鍛えられているらしい体は細くはありながらも頼りなさとは無縁であった。

 乱れなく着こなされた装束は色も淡く質素であったが、よく手入れされ、上等なものに見えた。

 神経質そうな顔立ちはいまぴりぴりと殺気立ち、その細い体を何倍にも膨れ上がらせて見せるほどの威圧感を放っていた。


 片手に下げた一振りの刀が、打ち込む隙を探っているように時折かすかに動いていた。


 向き合う男は対照的に粗野な男であった。

 がっちりとした体型に、ぼさぼさとあちこちに勝手に伸びた蓬髪。あごと言わず口元と言わず、顔の半分をごわごわとした髭が覆っていた。

 浅黒く日に焼けた諸肌を脱いでいたが、その見苦しさに劣らず、装束自体が見苦しく派手な柄の入った原色の悪趣味なものであった。


 相手の殺気立った空気にむしろ面白がるように下卑た笑みを浮かべ、負けずたがわずの殺気が空気を震わせているようですらあった。


 肩に担いだ鉄鞘の太刀は重苦しい殺意をまとい、引き抜かれる時を待っているようである。


 常人であれば気も失い、修羅場をくぐった武士でさえ息苦しく感じる濃密な殺気が、切り結ぶ前から両者の間で激しくぶつかり合っていた。


 そんな、眼には見えぬしばしの応酬の後、細身の男は重苦しく口を開いた。


「一人……か」

「おぉうとも。意外であったか」

「否。噂に聞こえた通りであれば、さほど意外でもない……な」


 細身の男は冷静を装ったような口調であった。

 腹立ちか、苛立ちか、目の前の男に対する警戒か。

 何かしら腹に抑え込んだような、そんな口調であった。


 対する粗野な男には余裕すら見える。

 声だけでなく言葉だけでなく、ずっしりとした佇まいは、その足元が崩されることなどないというほどに盤石の安定があった。


 それほどに自身の能力に絶対の自信があるのだろう。

 或いはこれ見よがしに肩に担いだ、ぎらついた太刀にか。


 その余裕がさらにあおるのか、一段と鋭くなった殺気を抑えるかのように細身の男は己の顔面を片手で覆った。


 覆った、というよりは、みしりとつかんだと言った方が正しいだろうか。

 まるで仮面でも押さえつけるかのように、遠慮呵責のない力がこめられた頭蓋が軋んだ。


「だが、いささか不用心とも言える……な。この俺を前にしてその態度は」

「がたがたとぬかすでないわ。御託はいらん」


 交わされる言葉の度に、殺気がつりあがっていくようである。

 当主の、国の最高指導者である当主の間でありながら、さながらその空気の重みは戦場のようでもあった。


 そして何よりも静かであった。


 重たく、苦しく、しかし吹き荒れる前の嵐が力を溜めこんでいくように、静寂が場を支配していた。

 この静寂の中、呼吸を許されているのはこの二人だけであった。

 その重たい静寂を裂くように、鋭利な響きを持って言葉が放たれた。


「霧島の国が領主にして、山崎家が当主、山崎兼八次郎衛門……だな?」

「如何にも!」


 ()()()()()()()()()()()()()()()


 酒と血の匂いの混じった悪臭が、粗野な男の口から洩れた。


 この男が、この男こそが、化け物に化け物と恐れられる忍の巣窟白州の里を襲撃するという一大事件を引き起こした張本人にして、忍狩りの功を持って山崎一門を、ひいては霧島の国を支配する当主となった山崎兼八次郎衛門、その人であった。


 粗野にして豪胆。荒々しくも激しい。


 次期当主であった自らの双子の兄を平らげ、前当主であった自らの父を弑し、屈強な武家の一門を従わせ、力強き民を支配下に置いたのは偏にその力であった。


 たとえ人格に難があろうと、当主としての風格に欠けようと、他のだれ一人として逆らえない圧倒的な武力が彼をこの天守の主とさせていた。


 人斬り集団山崎一門を片手で押さえつけるこの化け物は、それゆえにこう呼ばれていた。


 鬼の次郎衛門、と。


 次郎衛門の返答に、細身の男の顔がゆがんだ。

 顔面を覆った掌の隙間から伺えるのは、獰猛な獣の息遣いだった。


「そういう貴様はわしの首でも取りに来たか、白州忍者が!」

「如何にも……如何にも!」


 男の殺気が膨れ上がる。

 抑えきれぬというように、或いはもはや抑える必要などないというように。


 めりめりと引き剝がされた手の下、その顔つきはもはや先ほどまでの冷静を装ってはいなかった。

 目は爛々とぎらつき、熱い息を漏らす口元は獣のそれに似ていた。

 次郎衛門を鬼と例えるならば、その様はまさしく狂狼。


 血肉の味を覚えた、狂える獣の哄笑が天守の間に響いた。


「如何にも如何にも如何にも! 白州中忍が一番刀! 抜身の嵐蔵とはこの俺様のことよ!」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()


 待ちに待った、抑えに抑えた激情が、赤々と裂けたような口元から次から次へとあふれ出た。


 そしてそれが不意に()()()と止み、代わりに場を支配したのは両者の殺気であった。


 殺気と殺気とがぶつかり合い、目に見えぬおどろおどろしい対流が天守閣を飲み込む。冬眠中の熊でも恐れて這い出て来るような、おぞましいまでの息苦しさが広がっていた。鳥は鳴きやみ、虫たちは鳴りを潜め、そよ風すらも恐れをなしたような静寂が、重たく苦しい静寂が、ぐんと広がって部屋を支配する。


 それは異常な状況だった。


 二人の発する尋常でない殺気にしてもそうであったが、それ以上に異様なのはここに至るまで誰も何もこの空間に対して干渉をしてきていないという現状であった。


 誰一人としてこの静寂に介入することなく、両者の向かい合うことはや一刻。後世の時間表記に換算すればおよそ三十分。


 この国の誰よりも重要たる当主が侵入者と向かい合い、一刻という決して短くない時間が経ちながら、またこれだけの激しい殺気がぶつかり合っていながら、武芸に名高い山崎配下の者たちが誰一人として声すら上げない。


 さらに言うならば、この天守閣からはわからぬことであったが、いまやこの城全体が耳鳴りがするほどの静寂に包まれていた。


 声一つなく、物音ひとつない、人の住まう場所としてはあり得ない静寂。


「ふん…………わしの配下は並の忍程度すぐにでも見破る手練ばかりだが……如何な仕込かは知らんがうまく忍び込んだものだ」


 眠らせたか痺れさせたか、気絶させたものか。天守だけでも山崎一門の精鋭二十余名が控え護っているはずであるが、何の音沙汰もない当たりすでに命はないものとみておいたほうがいいかもしれなかった。


 しかしその事実に対して、次郎衛門の余裕が崩れることはなかった。

 むしろその笑みは深くなり、この状況を楽しんでいるのがありありと見てとれた。


「ぶぁはははははははははは! だが! その調子で隠れ潜んでわしの首を取っておればよかったものを! 我が正面に立ちながら、生きて帰れると思うなよネズミがぁ!」


 吠える次郎衛門に、嵐蔵もまた猛々しい笑みを浮かべて刀を担いだ。


「忍ばねえし隠れもしねえ。退きもしなけりゃ負けもしねえ。戦乱の世に力とともに生まれたんなら、暴れたくなる道理だろうが」

「は、なるほど道理よ! それも狂人の道理よ!」

「そしてどうやら………お互いその道理で生きてるらしい……な!」


 ゆら、と陽炎のように殺気が揺らぎ、刹那。

 ぱあん、と弾けるような音とともに天守の床が蹴られ、次の瞬間には嵐蔵の抜身の刃と次郎衛門の鉄鞘に収まったままの太刀、互いの得物が火花を散らしてせめぎ合っていた。


「わしの首を狙うはわしが殺した仲間たちの弔いか! 仇打ちか!」

「否!」


 ぎゃりぎゃりと音を立ててしのぎを削り、刃は別れ、再び激しく打ちあう。


「貴様が里を襲ったのは当主の座を狙うためか! 手柄を狙ってか!」

「否!」


 鋭く懐を狙った次郎衛門の鉄鞘を紙一重でかわし、激しくふるった嵐蔵の刃が柱を裂いた。


「我が配下をことごとく殺しつくしたは恨みか! 辛みか!」

「否!」


 嵐蔵の大上段からの激しい打ち下ろしを横跳びにかわし、お返しとばかりに繰り出された次郎衛門の必殺の突きは、大きく海老反りに反られてこれもかわされる。


「あえて忍を狙って襲うのは俺たちを恐れてか! 怯えか!」

「否!」


 足元を狙って繰り出された嵐蔵の蹴りが空を切り、高々と跳びあがった次郎衛門が繰り出すのは先程の仕返しか研ぎ澄まされた大上段。

 音を立てて激しく組みあった刃と鉄鞘が、鍔迫り合って火花を散らした。


「ならば!」

「如何にも!」


 叫んだのはどちらだったか。

 或いはそのどちらもだったのか。


()()()()()()()


 だん、と床が強く踏みつけられ、お互いに距離を取りあうと、激しさの余韻が一瞬の静寂となって消えた。


 ぎらぎらとした視線が絡み合う様はまさしく獣の如くあったが、それにしても何とも面倒くさい描写ばかりである。


 実際に斬り合う姿をいちいち細かく書こうとするとこうなるから、世に出回る読み物の類は丁々発止を大雑把に書きあげるか、或いは奇怪な忍術忍法をもって派手に立ち回る姿を書いているのではないだろうか。


 先だっての魔眼遣い蛇睨みの万丈などはそういったいわゆる派手な忍法合戦ではないにしても、いやに長ったらしくしゃべる上に、色々と説明しようと思えばできるもので割合長々と行を占めることができたが、どうも此度はそうでない。


 なにしろお互い頭で考えるよりも剣を振るった方が早いと考えているような、よく言えば根っからの武闘派で、悪く言えば野蛮な人種であるからして、聞いていて興味深い知的な会話というものはなかなか聞けない。


 またその行動をしっかと確かめて書きあげんとするならば先程のような無駄に空白を増やすことになるし、かといって一連の攻防を一言でまとめあげてしまえば、お互い牙をむき出して目を爛々と輝かせ切り結んだ、ということにしかならない。


 第一、両者が両者とも正気から進んで一歩、いやいや二、三歩は外れているような人種であるからして、その戦闘光景たるや実に野蛮かつ血なまぐさく、昨今の過激派教育関係者の神経を逆なでしないためにもできるだけ肝心な描写は省いて行った方がいいように思われる。


 かくのごとく深遠にして重大なる諸々の事情から、白州中忍が一番刀にして里最大の問題児抜身の柿崎嵐蔵と、人斬り集団山崎一門が当主にして忍狩りの張本人である鬼の山崎兼八次郎衛門との激しくも高度な駆け引きおよびそれと同時進行して語られることとなった嵐蔵が何故に誰よりも強さを求めるかと言った裏事情や、次郎衛門が親兄弟を斬り殺すまでに至った壮大なる回想などはここでは割愛させていただく。


 実際問題それらの描写は物語を進行させるに際して特にこれと言った役割もなく、丸々ごっそりと切り取ってみても大筋は別段変るところがなかったため、読者諸君も大いに安心して読み進めることができるというものである。


 もし万が一、四百字詰め原稿用紙に換算して四枚ほど、文字数に換算すると千六百文字弱になる嵐蔵の力に対する思い入れや、同じく四百字詰め原稿用紙六枚ばかり、すなわち文字数にして二千四百文字強からなる次郎衛門の親兄弟との確執や忍狩りを決行するに至る運命的ないきさつなどに興味があるという方がおられた場合、読者の自由なる解釈のもとにご想像いただければ幸いである。この忍道珍は読者に想像の余地を大いに残して自由に楽しんで頂けることが言わば売りなのである。


 さて、そんな筆者の宣伝文句は閑話休題(さておき)


 お互いに相手の命に対して全く何の容赦もなく、勿論のこと環境に対しても欠片ほどの配慮もなく大暴れに暴れた結果、柱と壁のほぼ半ば近くが解体され、床の四割は哀れ下の階に瓦礫として押し込められる羽目になり、屋根の六割が崩れ落ちて、地上の喧騒など知らぬといった風情の弓張り月がにやつくのが見て取れた。


 その癖――容赦配慮なく暴力にさらされた二つのうちの一方がずたずたに引き裂かれて崩壊しつつある癖に、暴力にさらされた二つのうちのもう一方にして暴力の主体である嵐蔵と次郎衛門は、いくらか埃に汚れ、服も裂けていたが、傷らしい傷は一つとて見当たらなかった。尤も、解体業者いらずの専業戦闘者の暴力を一撃でもまともに身に受ければ戦闘はそこで終了していただろうが。


 書き物のよくある描写として、激しく傷つきながらも土壇場で必殺技や奥義で敵を仕留めたり、友情や根性や気合や執念で再び立ち上がったりという実に胸熱くさせるいわゆる燃える展開と言うものがある。

 だが実際問題として人間は多少でも傷ついた時点で確実に性能は低下していくものである。

 特に流血が見られる場合などは性能だけでなく生命が失われていっているのであって、相手が殺してくださいと言わんばかりに油断するか本当に殺してほしくて無防備になるかしない限り、どう足掻いたところで戦局をひっくり返すことは不可能だろう。


 たとえば全身に傷がある戦士というのは確かに強そうには見えるものだが、そもそも傷が多いということはそれだけ戦闘に置いて致命的な失敗を晒し続けてきたという訳であって、小さなものならばともかく大きな傷などがある人間は実際には見かけ倒しの可能性が高い。

 まあそれだけ致命的な失敗をし続けながら生き延びているという運の良さと生存能力には確かに目を見張るものはあるかもしれないが。


 またもや話がそれたが、とにかくその盛大な破壊行為が天守のおよそ半ばまでとその周囲にまで被害を及ぼしたあたりで、両者は一度間合いを取り、剣を止めた。別に環境破壊を憂えたわけでも平和の大切さを悟ったわけでもなく、あくまでも戦闘中の一息といった停滞であった。


「くははは……なるほど忍び狩りなどと酔狂をやらかすだけのことはある」

「貴様もただ一人でわしの命を狙うだけのことはあるわ」


 むしろ二匹の狂獣に散々振り回されて解体作業に従事しながらもいまだに原形を保っている刀のほうにこそ賞賛を送るべきかもしれないが、そこはそこ、暴れるだけにしか見えない両者の卓越した剣術のおかげであろう。


「だが…………」

「うむ……いささか飽きたな」


 いい加減にけりをつけようか。互いの研ぎ澄まされた殺気がそう語っていた。


 もう少しばかり早くその決断を下してくれていれば、悪趣味ながらも豪奢な天守の中で明かりに照らされながら決着と相成ったのだが、あいにくと天守はずたずたに引き裂かれ、瓦礫の中で月影と星明りだけが二人の決着を薄暗く照らすばかりである。


「本来であれば久保田の青瓢箪を千人目にするつもりであったが……是非もなし」


 ――()()()


 今迄納めたままであった次郎衛門の太刀が、見せつけるように引き抜かれるのを目の当たりにし、嵐蔵は自分の肉体がぎくりとこわばるのを感じた。


 月明かりに照らされた一振りの太刀。


 刃文は妖しく刀身に踊り、角度によって緩やかに輝きを変えた。

 その重厚な刃は殺戮武装として十分以上の切れ味を思わせ、それでいて妖しい煌めきは芸術としての価値も十二分に持ち合わせているだろうと思わせた。


 だがこのとき嵐蔵がそのたちに感じたのは、強力な武装に対する恐ろしさでもなく、芸術的なきらめきに対する胸打たれる思いでもなかった。


「貴様………これは……っ」


 ぎらりと天をさして掲げられたその刀身から、月を翳らせるほどに立ち上った黒雲のような影。ずやずやと月を覆うそれは霧でもなく煙でもなく、極めて濃密な死のにおいを漂わせる邪悪な気であった。夥しいまでのそれに感じるのはただ一つ、おぞましさだけ。


「ぶぁはははははは………貴様らに敵対する石蔵呪忍軍から仕入れたこの妖刀こそが、わしに忍び狩りを唆し、わしをこの国の支配者に仕立てた張本人、いやさ張本刀よ」


 ぶわりと無造作に振るわれたそれは、殺気に固められた大気をずたずたに引き裂き、六割残っていた床にざかざかと爪痕を残していった。次郎衛門は嬉々としてその破壊力を眺めた。力を持つ者の狂気であり、力を得た者の狂喜であった。


「妖刀工・逆坂(サカザカ)山茶花が(サザンカ)一振り、騎刀・千人供養(センニンクヨウ)。一人斬れば一刃、十人斬れば十刃、斬れば斬るほどに怨念をため込み刃と化す物量兵器よ。千人斬って初めて完成するのだが、今でこそ九百九十九まで斬ったとはいえ、一から千も首級をそろえるのは面倒でな」


 呪術忍軍石蔵の縁者であるとも噂される稀代の刀鍛冶逆坂山茶花。


 妖術を使う刀鍛冶とも刀を打つ妖術使いとも言われる逆坂の剣は、全て残らず(ことごと)く押し並べて余す所なく漏れる所なく一切合財例外なく切っ先から柄尻まで呪われた妖刀で、その所有者は全て残らず悉く押し並べて余す所なく漏れる所なく一切合財例外なく頭の天辺から足の爪先まで呪われるという。


 しかしその呪いを受けてでもと思わせる魔性の魅力が逆坂の剣にはあった。


 その一振りである怒刀・血煙灯台(チケブリトウダイ)が原因とされる鬼櫂峠(きかいとうげ)の大乱によって逆坂の剣の兇状は大いに知れ渡った。

 ただ一振りの刀によって最終的に老若男女貴賤を問わず周辺三国合わせて五千人近くの命を奪ったこの事件は、逆坂の剣の殺戮兵器としての威力をもまた大いに示したのだった。


「なるほど………白州の里はそいつの生贄というわけか」

「如何ァにも」


 次郎衛門の声には喜悦しかなかった。


 忍びの命など人の命ではない―――否。それ以前に、この妖刀を完成させることしかこの男の目にはないのであろう。全て残らず悉く押し並べて余す所なく漏れる所なく一切合財例外なく切っ先から柄尻まで呪われた妖刀を完成させることだけにとらわれた、全て残らず悉く押し並べて余す所なく漏れる所なく一切合財例外なく頭の天辺から足の爪先まで呪われた男にとって人の命などそのための素材でしかないのだ。

 恐らくは先代当主である次郎衛門の父も、また次期当主であった兄も、そうでしかなかったのだろう。地位や国などはただ刀の完成のための踏み台でしかなかったのだろう。


 はじめの内にあった()()()()などもはや些末と言わんばかりに。


 そして今や、予定から少し外れたとはいえ待ちに待ち望んだ刀の完成を前にして、その興奮を抑えられぬのも無理らしからぬことであった。


「寶川のジジイを如何にして殺しおおせたかいまだに判明していなかったが……どうやらそいつが原因だったようだな」

「鎧骨の寶川か。奴を仕留めるのに手間取ったせいで撤退せざるを得んかったが………九百九十八刃の未完成品であったとはいえ、千人供養の刃を十三度受けるまで倒れんかったのはあやつだけよ」


 それも結局は無駄なあがきであったがな、と次郎衛門は下卑た笑い声をあげた。


 それは別に次郎衛門の実力ではなく騎刀・千人供養の威力でしかないのだが、次郎衛門にとっては同じようなものであるようだった。次郎衛門が刀を利用しているのか、刀が次郎衛門を操っているのか。


 少なくとも、千人の生贄を苦とも思わぬ程度には魅入られ、呪われていることは確かのようであった。


 創始期より里を支え続けた鎧骨の寶川。最近は老齢のため活動を控えてはいたものの、いかに危険な任務も絶対に生きて帰ってきた不死身の男。副頭領の座こそ辞退してはいたが、上忍筆頭として実力者たちの上にあり続けた忍であった。


 その実績から不死身と呼ばれていたが、次郎衛門の言が真実であるならば、最大でおよそ一万二千九百七十四の刃に斬りつけられてようやく(たお)れたというのだから、あながち名前だけでもなかったのかもしれない。


「……………」


 その不死身の秘密も、失われたいまでは確認のしようもないが。


「ぶぁははははは……んん? どうした、え? 恐れて何も言えぬか? それともあの老い耄れ、寶川を殺したわしに憤っておるのか?」

「ああ…………そうだな」


 ぎり、と忌々しげに顔をゆがめて、嵐蔵は手元でぐるりと刀を回した。


「あのジジイは俺の手で刻んでやるはずだったのだからな」


 自分の能力に慢心していた若き頃の嵐蔵は、当時すでに高齢であった寶川にその高い鼻をへし折られた。精神的な意味でも、物理的な意味でも、完膚なきまでにへし折られた。おかげでその後の数日間は鼻の矯正のために大人しくしなければならなかったのだから、嵐蔵の自尊心は大いに傷つけられたもので、それがいまの嵐蔵の過剰なまでに力を求め、見せつける姿勢を作ったのは確かだった。


「殺しきれないまでもせめて鼻の骨をへし折ってやらにゃあと思っていたものを…………貴様の命で償ってもらわねば気がすまんな」

「わしの騎刀・千人供養の威圧を受けながらまだそのような言葉が吐けるのは誉めてやろう……だが!」


 ぶわりと振るわれた九百九十九の刃が、嵐蔵の足元をずたずたに引き裂いて行った。


「愚かしい! 全くもって愚かしいわ! わしに! この山崎兼八次郎衛門に! この騎刀・千人供養に! 勝てるとでも、叶うとでも、刃向うことができるとちらとでも思ったのかこの愚か者めが!」


 狂気に満ちた殺気が激しく沸き立つのに引きずられ、刀身にまとわりついた怨念が()()()()と邪気を広げていく。


「例え賽の目が九百九十九度続けて一を出そうが必ず相手を虐殺する我が妖刀の切れ味、貴様の身で確かめるがいいわ!」


 嵐蔵が自分の能力に絶対の自信を持ち、それを見せつけることで誇りを満たしているように、次郎衛門もまた千人供養の威力に誇りを持ち、それを恐れず侮るようですらある嵐蔵に憤っているのだろう。

 もっとも嵐蔵が自身の研鑚によって力を得たのとは違い、次郎衛門は妖刀に魅入られたに過ぎないが。


 しかし妖刀に魅入られただけの男とはいえ、その剣術の腕は確かであり、その妖刀の威力は言うまでもない。


 九百九十九の刃の重みは、いかに強靭な刀もいかに重厚な鎧も、紙のように容易く切り裂けることであろう。それを人の身でまともに受け止めたならば、その形を残すこともできはしない。


「貴様の愚かさを悔いながら、我が騎刀・千人供養で挽肉に成り果てるがよいっ!」


 ぶん、と大上段に振り上げられた妖刀は、九百九十九の怨念の刃をまといながら嵐蔵へと振り下ろされ、なかった。


 振り下ろされる途中でパンと何か爆ぜたかと思うと柄尻が何かに激しくぶつかり、騎刀は次郎衛門の手の中からはじかれていった。


()()


 ぽかん、と次郎衛門が口をあける前で、騎刀・千人供養はひうんひうんと高くはじかれていき、残っていた天井に突き刺さっていった。その際に行き場をなくした九百九十九の刃が、四割は残っていた屋根に次々と突き刺さってずいぶんと見晴らしを良くしていった。


 例え賽の目が九百九十九度続けて一を出そうが必ず相手を虐殺する妖刀の切れ味も、そもそも当たらなければどうということはなかった。


 空っぽの手元と天井に突き刺さった妖刀とを茫然としたように交互に見やる次郎衛門であったが、何度見返しても事実は変わりはしない。


「いくら激昂していたとはいえまさかここまで馬鹿正直に来るとは思わなかったな……」


 その情けない姿を眺めながら、嵐蔵はつまらなさそうに手元の鉄片をじゃらじゃらと弄んだ。先ほどまで構えていた刀はずたぼろの床に突き立てられており、今その手元にあるのはいくつかの細かい鉄片であった。


 鉄の棘を四方に伸ばした菱の実形のその鉄片は、一般に撒き菱と呼ばれ、足元に撒くか直接的にぶつけることで足止めを狙う忍具の一種であった。逃げることを嫌う嵐蔵には似つかわしくないともいえる道具である。


「里では滅多に使わんし俺も吹聴して回っているわけでもないからな、忘れている連中も結構多いが、別に使えないから使わないわけじゃあない」


 じゃらじゃらじゃらじゃら。

 手元の撒き菱を転がしながら、嵐蔵はもはや虫けらでも見るかのような目で次郎衛門を眺めた。


「チンの野郎ともなれば別だが、大抵の連中はそもそもこいつが速すぎて見えないんでな、目立たんので気に食わんのだ。まあ今回は役に立ったが」


 じゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃら。

 いらだたしげに掌を揺らして、嵐蔵は独り言ちた。


 そう、それはもはや独り言だった。嵐蔵の前に次郎衛門はすでに敵ですらなく、そこに何の脅威も感じてはいなかった。


 まあそもそも、嵐蔵が脅威を感じていたのは妖刀工・逆坂山茶花の打ったという妖刀にであって、次郎衛門はその付属品でしかなかった。


 更に元はと言えば次郎衛門を狙ったのでさえ、忍狩りの報復だとか、寶川を討った強者を求めてだとかそういうことではなく、ただ単に自分より派手な活動をしていたのに腹が立ったのと、それを潰せばもっと派手だろうという極めて単純かつぞんざいな理由からであった。


 そして窮極的にはその派手を求めるのも、里に控えるチンや上忍どもを刺激するためであり、またうまくいけば石蔵呪忍軍をはじめとした外部の刺客を誘えはしないかという狙いであり、最初から鬼の次郎衛門など眼中になかったのであった。


「き、貴様ァ! これで終わりと思」

「うるさいぞ」


 嵐蔵の手元が一瞬揺らいだかと思うと、パアンと何かが爆ぜるような音がした。物理的にも意識的にも完全に眼中から追い出されていた次郎衛門の体が何かに引き裂かれ、どう、と床に倒れ伏した。


 先ほど騎刀・千人供養が周囲を切り裂いたかのようであったが、次郎衛門を引き裂いたのは怨念の刃ではなく、先ほどまで嵐蔵の掌にあった撒き菱であった。


「まあ、それなりに自慢の芸ではあるが、別に神立の寅之助の雷遁や、怪し火の昼目の火遁のような訳の分からん妖術もどきではない。もっとも貴様には同じようなものだろうがな」


 端的に言ってしまえば、嵐蔵の芸というのは素早く撒き菱を投げつけるということでしかない。特別な仕掛けもなければ、特別な力もない。


 ただ、それが()()()()()()


 もう少し距離を取って使えばはっきりとわかることだが、嵐蔵の放つ投げ撒き菱は、当たった後に音が聞こえるほどの速さで投げつけられる。南蛮渡来の火筒並みの速さであり、そしてそれ以上の命中精度を誇る。同時に投げつけられる複数の撒き菱はずたずたに肉体を引き裂き、極めて高い殺傷力を誇る。


 あまりにも素早く繰り出される撒き菱はともすれば身に受けるまでわからず、気づいた時にはすでに全身をずたずたに引き裂かれている。その恐るべき威力は、異能ぞろいの白州上忍たちにさえ一目置かれる嵐蔵の秘芸である。


 鉤裂(かぎざ)(あられ)と名付けられたこの芸は、派手を好み隠れることを嫌う忍ばない忍者である嵐蔵にとってただ一つ相手の意識の不意を打つ忍術であり、隠れも忍びもしない忍者を今日まで退きも負けもさせなかった理由である。


 別に次郎衛門に何か落ち度があったわけではない。

 騎刀・千人供養を完成させるためだけに散々悪行を働いては来ていたが、結果的にそれは霧島の国をより強大にし、山崎兼八次郎衛門はその頂点に立ち、立ち続けることができるだけの指導力と、逆坂の刀という絶対的な武力を持ち合わせていた。順当にいけば周辺諸国を平らげ天下取りに堂々と挑んでいけるはずであった。


 その次郎衛門がこうして呆気なく下らなく情けなく倒れ伏していることに、彼自身の責任はなかった。別に何も悪くはなかった。


 強いて言うならば、運が悪かった。

 どうしようもなく、運が悪かった。


 どれだけ頑張ってもどこまで上り詰めようと、実力と関係のないところで、あと一歩で逃し続けてきた今までの人生と何ら変わることなく、ただ運が悪かった。


 逆坂の刀に呪われるまでもなく、それは絶望的な運の悪さだった。

 逆坂の刀に出会ってしまう程に、それは致命的な運の悪さだった。


 全身をずたずたに引き裂かれ、徐々に薄れ霞んでいく視界に、ぎらぎらとした銀閃が走った。


 そして銀閃は、今までの人生と変わりなく、あと一歩のところで次郎衛門の道を絶った。


 一人斬れば一刃、十人斬れば十刃、斬れば斬るほどに怨念をため込み刃と化す物量兵器。千人斬って初めて完成する、妖刀工・逆坂山茶花が一振り、騎刀・千人供養。


 記念すべき千人目は、所有者その人であった。


 全て残らず悉く押し並べて余す所なく漏れる所なく一切合財例外なく頭の天辺から足の爪先まで、運の悪い男であった。


 以上に語られた話は、嵐蔵がその狂気を大いに見せつけ、鬼切と呼ばれる由来となった事件である。

 もっともそれさえも、戦狂いの血に酔った狂人として扱われている嵐蔵の凶行のほんの一つにすぎないが。





忍道・珍 鬼切の嵐蔵の巻 了


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