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幸福非感受性××××症候群  作者: 風嵐むげん
【二章】
5/12

絵描きは屋敷の絵を描く


 翌日。夜が明けても、雨は止まなかった。むしろ、昨日よりも酷い土砂降りである。ディータは山を下りるのを諦め、今日も三人が住む屋敷への滞在を許されることとなった。

 とは言っても、朝から昼過ぎになった今に至るまでに顔を合わせたのはセシルだけ。彼女曰く、ディータには雨が止むまで何日でもここに居て良いとのこと。かなり気が引けるものの、結局は彼等の好意に甘える形になってしまった。

 しかし、どうにも落ち着かない。場違い、ということもあるが。


「……あの人達、本当に人外なのかな」


 廊下の隅に座り込みながら、ディータは呟いた。セシルからは、ベルに言われたことを護るならば屋敷の中で好きにして良いと言われたが。金持ちの娯楽を存分に堪能するとか、そんな度胸は無いわけで。

 でも、せめてこの屋敷のスケッチだけはしておきたくて。スケッチブックと鉛筆、消しゴムを手にこうしてずっとスケッチを続けているのだが。頭の片隅に置いてある疑問が、どうしても気になってしまう。


「吸血鬼と悪魔って、本当かな……」


 クリスとベル。確かに人間離れした見た目と雰囲気であったが、だからと言って人外だなんて。映画や小説じゃあるまいし。何度も繰り返し考えながら、アンティークな雰囲気漂う階段を中央に据えた様子を熱心に描き写す。

 時代の流れから切り離されたかのような、時が止まった場所。こんなにも芸術的な屋敷をスケッチ出来る機会なんて滅多にない! 燃え上がるような欲求を感じながら、ポケットから取り出した折り畳み式のナイフを鉛筆に添えた。

 そして、短くなった芯を手慣れた様子で削る。このままでは、鉛筆が足りなくなってしまうかもしれない。そんなことを考えて夢中になっていたからか、ディータは気がつけなかった。


 ふわりと、甘い香りが鼻腔を擽る。


「へえー……ディータって、絵が上手いんだね」

「…………え」


 ギギギ、と油が切れたからくり人形のような動きで、ディータは隣を見る。ここまで歩み寄ってくる足音など聞こえなかったし、そもそもずっと階段や廊下を見つめていた筈なのに。


 彼……クリスは、いつから自分の隣に居たのだろうか。


「う、うわわわ!? く、クリスさん!! いつからそこに!?」

「……ねえ、ディータ。ナイフ、危ないよ?」

「え、あ! 痛っ……」


 毛の長い絨毯の上に、ナイフが落ちる。反射的に、ディータは自分の左手を右手で強く覆うようにして握った。驚いた拍子にナイフが滑り、切っ先で指を切ってしまったのだ。

 じくじくとむず痒いような痛み。見ると、色鮮やかな少しずつ傷口から滲み始めている。幸いにも、大した怪我では無い。しばらく放っておけば血も止まるだろう。

 それよりも、血の雫で絨毯などを汚さないようにしなければ。


「……大丈夫? 痛い?」

「だ、大丈夫です! それよりクリスさん、ガーゼとかありますか? このままだと絨毯を汚してしまいそうで……何なら雑巾とかでも全然良いんで――」

「ふふっ、美味しそうな匂い。我慢出来ないや」

「……え」


 ひんやりとした両手が、ディータの手を包むようにして捕まえる。その双眸は爛々と輝き、舌舐めずりする唇からは鋭い犬歯が覗く。


 まさか。ディータが戦慄するのと同時に、指先を電流のような痛みが伝った。


「っ!? な、なな……く、クリスさん!? 何をしてるんですか!」

「んー……味見?」


 指先を撫でる濡れた感触と、信じられないような光景に眩暈さえ覚える。何の躊躇も無く、クリスはディータの指をパクリと咥え込んでしまったのだ。

 冷たい手とは裏腹に、彼の咥内は熱い。味見、という表現はあながち嘘でもないようで。紅玉の瞳がうっとりと細められる様は、どことなく色めいた表情にも見えてしまう。


 不覚にも、心臓が大きく跳ねる。駄目だ、駄目だ。おれは何を考えているんだ。


「ん……ふふっ、ご馳走さま」

「ご、ご馳走さまって」

「だって、ボクは吸血鬼だからさ。人間の血はご馳走なんだよ? 特に、若くて穢れを知らない処女……もしくは、童貞くんの血はね」

「どっ……!!」


 指を離して、クスクスと微笑するクリスには言葉がなかった。どうして、そのことを知っているのか! 羞恥に染まる顔の熱を感じていると、クリスが唾液で湿った指先をそっと撫でる。

 ふと、気が付く。


「あ、あれ?」

「あはは。可愛い反応見せてくれたからね、大サービスだよ」


 そう言って、ようやく解放される手を改めて見る。たった今、確かにディータはナイフで指を切った筈。痛みも、滲んだ紅もちゃんと覚えているのに。


「傷が……」


 何となく、手を握ったり開いたりしてみる。血は確かにクリスに舐めとられた。その生々しい感触はあった。

 でも、どうして傷が塞がっているのだろうか。今ではうっすらと赤い線が痣として残っているだけだ。


「……何で?」

「ふふん、吸血鬼だからねー」


 これくらいは朝飯前だよ。悪戯好きな猫のように笑うクリス。これはもう、彼が人外であるということを認めるしかないようだ。


「それでさ、話を戻しちゃうけど。ディータって、絵が上手いんだねー?」


 隣に座り込み、ぴったりとくっつきながらクリスがディータの手元を覗き込んでくる。まさか、吸血鬼に懐かれるとは。血が好物らしいが、傍から見たらそんな風には全く見えない。むしろ、さらりと髪が揺れる度に良い匂いがする。石鹸だろうか、それとも香水?

 深く考えるとおかしくなりそうなので、あまり考えないようにしよう。


「あー……はは、ありがとうございます。一応、これでも絵描きなので」

「そうなの? へえー、凄いねー。他にもディータが描いた絵、ある? 見たいなー」

「ええっと、簡単なスケッチで良いなら」


 クリスにも見えるようにスケッチブックを膝の上に置くと、パラパラと捲って見せてやる。大きな時計台や、小高い丘から見下ろした街並み。

 港や劇場、学校など。旅の途中で感銘を受けた景色や建物を描き込んだスケッチを、クリスは大事そうに一枚一枚見つめている。


「へえ、綺麗だねぇー。この絵、全部ディータが描いたの? 鉛筆で?」

「え、ええっと……まあ」

「凄いねぇ、人間はやっぱり器用なんだー。鉛筆と紙だけでこんなに感動出来るだなんて、まるで魔法みたいだよ!」


 正直、ディータは驚愕と共に嬉しさを感じていた。元来、人間の言葉には少なからず感情が籠っているものだ。他者を表現するものであるならば尚更に。

 そして、その感情が純粋に好意的なものであることは稀なことであることをディータはよく知っている。でも、クリスは純粋に自分の絵に感動してくれているよう。


「……おれの絵にそこまで感動してくれたのは、クリスさんが初めてですよ」

「え、そうなの?」

「はい。おれ、一時期画塾に通っていたことがあったんですけど……そこで一度だけ褒められたことがあったんです」


 ディータは力無く笑って言った。あれは、本気で画家を目指し始めた頃だった。故郷の村から出て、有名な画塾で仲間達と共に師匠の教えの元で絵を習う。刺激的で、充実した毎日であったが。


 ――それは、最初だけだった。



「おれ……才能は結構あったみたいなんすけど、それが鼻についたみたいで。絵筆を隠されたり、キャンバスを別の場所に置かれたり……そんな小さな嫌がらせを受けていたんです。誰がやったのかはわかりません、というより……恐らく、あの塾全員が共犯だった。仲間達が陰口いってるの、聞いちゃったんです。いつまで待ってても、誰も止めなかったんです。でも普段は皆、平気な顔して褒めてくれていたのに……あの言葉の裏には、嫉妬や嫌悪の感情があった」


 だから、逃げた。嫌がらせを受けたから、ではない。外見だけを綺麗に取り繕って、裏で気が付かれないように本音を露わにする。そういう人間の浅はかさが嫌になったのだ。

 疎ましいなら、腹立たしいのならば直接言えば良い。なぜそれが出来ないのか、そう思っている相手にすら良い顔をしておきたいのか。そうすることの意義は果たして何なのか。


 人間が隠す裏の悪感情を見て見ぬフリ。そうしてあたかも人に賞賛され、『幸福』を得ているように振る舞うことに限界を感じたのだ。


「……ふうん、人間ってやっぱり大変だね」

「あ、すみません! こんな暗い話……不愉快でしたよね。家族……妹にも話したことなかったのに。あはは、聞かなかったことにしてください」


 見つめてくる紅い瞳に、ディータは慌てて謝罪を口にした。突然屋敷に転がり込んだ、小汚い絵描きの過去なんかクリスは聞きたくないだろうに。

 ……でも、


「えー、そんなことないよ。これでもボクは昔、神父だったからね。よく人間達の悩みや懺悔を聞いてたんだから」

「そうなんですか、凄いですね……えっ、神父って――」

「ねえねえ、ディータは人物画は描かないの? このスケッチブックにあるの、景色とか物ばっかりだけど」


 全て見終わったらしいスケッチブックから視線を上げて、クリスが首を傾げる。今、彼は自分のことを神父と言ったような……。確かに、着ている服はキャソックだが。

 ……深く聞かない方が良いだろうか。


「あー……いや、描きますよ。旅に出てから機会が無かっただけで、個人的には人物画の方が得意です」


 ディータは首を横に振った。そういえば、最近人物の絵を描いていない。あんなことがあってから、人との関わりを無意識に避けてしまっていたからだろう。

 だから、自分の口から出た言葉に、ディータ自身が驚いてしまった。


「そうだ、クリスさん。良ければモデルになってくれませんか?」

「え?」

「……あ、いや」


 しまった、何を言っているんだろう。無償で着替えの服や部屋を借りているだけでなく、食事まで頂いてしまっているというのに。


「す、すみません! 今の、無かったことに――」

「あはっ! それ、良いね」

「……え」

「うん、描いてほしいな。ボクだけじゃなくて、べるべるとセシルちゃんの三人の絵を。きみと出会えた記念に、さ」


 ディータの手に、クリスの手が重なる。白魚のような手は優しく、うっとりとする程に美しい。だが、やはり冷たい。

 ずっと廊下に居るから、だろうか。ディータに付き合わせてしまったせいで、身体を冷えさせてしまったのかもしれない。


「今日はべるべるが居なくて暇だからね。何時間でも付き合うよ?」

「えっと……じゃあ、とりあえず場所を変えましょうか。クリスさん、凄く寒そうですし」

「寒い? ……ああ、そうかも。今日は寒い、かもね。雨が降ってるから」


 クリスの冷たい手を取って、ディータは立ち上がる。モデルになって貰うならば、かなり長い間大人しくしていて貰わないといけない。

 ならば、室内の方が良い。


「おれが貸してもらっている客室でも良いですか? 荷物も画材も、全部そこに置いてあるので」

「うん、良いよ」


 にこにこと笑うクリスの手を引いて、ディータはその場を後にした。久し振りに、人物画が描ける! 自然と、心が高揚しているのを感じる。しかも、こんなに美しい人を。ここまで美しい屋敷と共に。頭の中には、そんな思いで満たされてしまっていた。


 だから……廊下の死角から掃除道具を持ったゴシックロリータの少女が出てきたことにも、彼女が呟いた言葉にも、ディータは気が付くことが出来なかった。


「ああ、クリスの悪い癖が出てきましたね……まさか、彼もまた『餌』にする気なのでしょうか」




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