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幸福非感受性××××症候群  作者: 風嵐むげん
【一章】
2/12

雨宿り


 ディータ・アッカーソンはこの日、自分の迂闊さを繰り返し嘆きながら森の中を走っていた。大粒の雨のせいで全身はすっかり濡れそぼり、頬を切り裂くのではと思う程に風は鋭利で冷たい。

 今朝は良い天気だったくせに! と、雨雲に向かって叫ぶ。ぽかぽかと暖かい陽光の下で、緑豊かな自然のスケッチに半日以上没頭してしまった。

 一時間でも早く切り上げていれば、こんな目に遭うこともなかっただろうに。


「うわわ、うわ! 冷たっ、寒い!!」 


 旅行鞄を両手で抱えて、ディータは森の中を駆ける。山を下りて街に戻るのはとっくに諦めた。分厚い雨雲は太陽の姿を覆い隠し、まだ昼過ぎだと言うのに辺りは妙に薄暗い。

 視界は悪く、場所によっては土砂崩れとかもあるかもしれない。体力にはそれなりに自信はあるものの、悪天候時の山は恐ろしいと聞く。これ以上は、下手に動かない方が良いだろう。


 ……でも、


「うう、出来れば画材だけでも濡れるのを阻止したい……」


 中古で買ったトランクを雨から庇うように、両手でギュッと抱き締める。一応可能な限りの防水加工は施してあるが、この雨が相手ではどれだけもってくれるかわからない。

 服とか靴は、乾かせば良いけれど。画材だけは駄目だ。濡れたら全て使えなくなってしまう。貧しい暮らしの中で、苦労しながらも何とか貯金してやっと買い揃えたというのに!


「どこか、どこか雨宿り出来る場所……うん?」


 出来るだけ雨を凌ぐべく、背が高く枝葉が生い茂る木を探す。だが、不意に見えてきた『それ』がディータの足を止めさせた。

 森が急に終わりを告げて、不自然に開けた場所へと辿り着く。すると、そこにあった思いもよらぬ景色が彼の視界へと飛び込んできた。


 ――それは、山奥の森の中にあるには不自然な人工物であった。 


「わー、すっげぇ……なんか、雰囲気のある屋敷だな。金持ちの別荘、かな」


 ひっそりと、しかし重厚な雰囲気を纏って。その屋敷は、雨が降る森の中で静かに佇んでいた。黒っぽいレンガ作りに、三角の屋根。一部だけ三階がある、二階建て。庭は丁寧に手入れされており、花壇には控えめながらも綺麗な花が咲いている。

 誰か、住んでいるのだろうか。藁にも縋る思いで、ディータは屋敷へと急いだ。屋根付きの玄関に駆け込み、ようやく雨から逃れる。

 雨も追いかけてくるかのように勢いを増し始めるも、彼が居る屋根の下までは流石に手が届かないよう。


「た、助かったぁ……」


 トランクをシャツの袖で拭い、少しでも雨粒を払う。恐らく画材は無事だ。ディータはほっと胸を撫で下ろしつつ、目の前に立ち塞がる扉を見つめる。屋敷の雰囲気に相応しい、重々しい両開きの扉だ。小窓などは付いておらず、中の様子を窺うことは出来ない。

 ここから見える窓もカーテンが閉められている。人気ひとけが無いようだが、庭の様子から見ても無人だとは考え難い。


「ここで雨が上がるまで待つにしても……許可は取っておいた方が良いよな」


 恐る恐る、ガーゴイルを象ったドアノッカーで扉を打つ。反応は無い。いかつい怪物に噛み付かれるのではとびくびくしつつ、もう一度、今度はもっと強めに打ってみる。


「……うーん?」


 やはり、反応は何も無かった。使用人が出てくることも、返事が返ってくることもない。

 もしかして、本当に無人なのだろうか。ディータは思い切って、扉の取っ手に手を伸ばしてみる。


「あ、開いてる……」


 重そうな扉に、鍵は掛かっていなかった。きい、と小さく鳴きながら、扉は意外にもすんなりとディータを中へと招く。いや、さすがにこれはマズイ。

 生まれてこの方、富裕層という人種と交流したことなど一度もない。ただでさえ古着と中古で出来上がった身なりな上、今は雨と泥で汚れてしまっている。とてもじゃないが、こんな立派な屋敷に踏み込む装いではない。


 ……それでも。こんな山奥に存在する、古めかしくも不思議な雰囲気を持つ屋敷には一体何があるのだろうか。心の底から込み上げてくる好奇心を、ディータはどうしても押さえ付けることが出来なかった。


「……お、お邪魔しま……す……」


 出来るだけ音を立てないようにして、ディータは屋敷の中へと入る。もしも無人だったならば、雨が止むまで雨宿りをさせて貰おう。

 誰かが住んでいるのならば、全力で謝るしかない。


「おー……すっげぇ。絢爛豪華って感じではないけど、なんか雰囲気ある」


 思わず、ディータは感嘆の声を上げた。いままで金持ちという生き物は、高そうなツボやら像やらを買い漁っては並べて自慢したい習性があるのかと思っていたが。この屋敷の主はどうやら違うようだ。

 内装は主に黒と紅の二色。華美な装飾や美術品は見当たらないものの、所々に置いてあるアンティーク調のランプにシックな調度品。その全てが洗練されていながらも退廃的で、ある種の品性を感じられる。


「へえ……」


 これは、かなりセンスが良い。芸術家の端くれとして、ディータは既にこの屋敷の主に好感を持ってしまっていた。しかも毛の長い絨毯や窓、床や階段の手摺など。どこを見ても埃一つ無くピカピカに磨き上げられている。


 ……いやいやいや、ちょっと待て。


「こんなに綺麗に掃除されているってことは……」


 もしかして。ディータが想像していた中で一番理想的でありながら、現実味が無い可能性が消える。

 マズい、と思った時にはもう遅かった。


「――どちら様ですか?」

「ッ!?」



 突如、背後から聞こえてきた声に、ディータは飛び上がった。マズい、これは本当にマズい。反射的に振り返るや否や、よたよたと後ずさる。やはり、というか当然のごとく人が住んでいたのだ。

 玄関ならまだしも、勝手に屋敷の中にまで侵入してしまった。物盗りと判断されても文句は言えないし、大事そうに両手で抱えたトランクも怪しさ抜群だ。言い逃れなんか出来るわけがない。


 嗚呼……おれの人生、終わった。


「あの、ずぶ濡れのようですが……大丈夫、ですか?」

「……え?」

「とりあえず、こちらを使ってください。お洗濯はしてありますので、お気になさらず」


 どうぞ、と半ば強引に手渡されたのは、何の変哲も無いバスタオルだった。羽毛のように柔らかく、清潔感溢れる感触。染み一つ無いどころか、花のように甘い香りがふんわりと鼻を擽る。


「え、あ……ありがとう、えっと……」


 思わず、ディータは相手の顔を見つめる。すると、彼は更に驚愕して目を大きく見開いた。相手は女性……否、まだ少女と呼ぶに相応しい女の子であった。

 蜂蜜を紡いだかのようなプラチナブロンドに、澄んだ空色の瞳。手の届く距離で向かい合っても、ディータの胸元にも届かない程に小さな体躯。その身に纏うのは、可憐でありながらも退廃的なゴシックロリータ。

 まるで、ビスクドールのような子だ。愛らしい顔立ちでありながら、大人びた表情で居る様子も何だか人形じみている。その手に持っている、幾重にも重なったタオルとシーツの山が妙にちぐはぐに見えてしまう。


「……改めてお伺いしますが、どちら様でしょうか? 『主人たち』のお客さまですか?」

「あ、いや! おれは、その……急に雨に降られてしまって、その雨宿り出来る場所を探していて」


 渡されたタオルでトランクの水滴を拭いながら、ディータはこれまでの経緯を正直に話し始める。変に取り繕うのは気が引けたのだ。相手が少女だから、ということもあるが。

 こちらをまっすぐに見据える彼女の双眸には、全て見透かされているような錯覚を覚えたから。


「なる程……この辺りは人里から離れております。今から下山したとしても、街へ着く前に暗くなってしまうでしょう。足元も、危険かもしれません」

「あー……その、無理だとは思いますけど……出来れば、雨が止むまで雨宿りさせて貰うことって、出来たりします? 屋根さえあれば良いので、玄関に居させて貰うだけでも十分ですし!」


 どうか、この通り! どう見ても年下の女の子に向かって、何度も頭を下げるディータ。画材の為なら、安っぽいプライドなんか捨て去ってやる!


「……そう、ですね。主人たちに確認して参りますが、多分大丈夫だと思いますよ」

「え、マジですか!? ……ん? 主人、たち?」

「はい。私は使用人兼『餌』ですので、決定権はありません。主人たちは変わり者ですが、こんな雨の中に哀れな旅人を放り出すようなことはしないでしょう。それくらいの慈悲と好奇心は持ち合わせていると思いますし。とりあえず、主人たちを探して参りますね」

「ちょ、ちょっと」

「さて、どこから探しましょうか。お掃除した時、寝室にはもう居ませんでしたから……お風呂でしょうか。仲良く乳繰り合っていればラクなのですが」

「乳繰り合う!?」

「それでは、しばらく待っていてください」


 今、美少女の口からとんでもない言葉が飛び出したような。驚きの余りに開いた口を塞げないでいるディータをそのままに、少女は洗濯物の山を抱えたまま屋敷の奥へと行ってしまった。


 ……それにしても、あの女の子。揺れるツインテールを見つめながら、ディータは考える。


「あんなに可愛い服を着ていたのに、使用人……なのかな? んー、そんな風には見えなかったけど。それに、餌って……」


 いや、聞き間違いだろう。うん、きっとそうに違いない。己の心に何度も言い聞かせながら、湿ったタオルで髪や顔、服を拭う。そして、傍の壁に飾られていた鏡で簡単に身なりを整える。

 常に跳ね気味なチョコレート色の髪はしんなりと元気がないものの、同じ色の瞳はいつも通り。二十歳という年齢にしては幼い顔立ちに、ひょろりと痩せた体躯。いつも通り貧相な装いに加えて、ずぶ濡れの姿には目も当てられない。

 こんな格好で、屋敷の主に何と言えば良いのか。


 ――…………ら、……むな。


「……ん? 何だ?」


 何やら、物音が聞こえた。ディータは少しだけ躊躇しつつ、トランクをその場に置いて辿るようにして音の出処を探す。雨音以外に目立つ音がないからか、すぐに見つかった。


「こ、ここ……か?」


 玄関から向かって左手奥の、突き当たり。精巧な彫り細工が施された、木目調のドア。他の部屋とは様子が違い僅かに隙間が出来ている。このせいで音が外に漏れ出てしまったのだろう。

 ……ということは、この中に誰かが居るのだ。間違いない。もしかしたら、先程の少女が言っていた『主人たち』かもしれない。ディータは思わずその場で足を止め、隙間を覗き込み中の様子を窺う。


 でも、視界に入るのは分厚い本が詰め込まれた本棚だけ。声は更に奥の方から聞こえてくるようだ。



 ――えー? だってさあ、べるべるってば自分ばっかり好き勝手シて寝ちゃうんだもん。このままじゃボク、お腹が空いて死んじゃうー!――


 ――いってぇ! だから噛むな。テメェは昨日……の……だろうが。俺とテメェじゃ燃費が違うんだよ。年寄りを労われ小僧!――


 どうやら、中には二人居るようだ。最初に聞こえたのは、幼さを残す声。話し方から、ディータよりも幼い青年か。

 もう一人は、荒々しいハスキーな声。低い声色は雄々しく、恐ろしささえ感じる。親子、だろうか。彼らが『主人たち』なのだろうか。

 何だか……言い争っているようだが。


 ――あー! だから、噛むな!!――


 ――ふふーん、そんなこと言って。噛まれるの、結構好きな癖にぃ?――


 ――今のはただ噛み付いてるだけだろうが! この、エロ餓鬼が!!――


 ――きゃー、べるべるってば昼間からえっちー! ヘンタイおやじー!――


 言い争いの声は大きくなり、どさどさと何かが落ちる音がディータの元まで届く。おいおい、これってもしかしてケンカ? しかも、暴力的なことまでしてない?


「と、止めなきゃ!」


 咄嗟に、ディータはドアに体当たりする程の勢いで部屋へ入った。事情はわからないが、暴力は駄目だ! 

 ……ただ、この判断は大きな過ちだった。


「駄目です! 暴力反対! 話し合いで、平和的に解決しましょうよ!!」

「え?」

「……あ?」

「…………あ、あれ?」


 天井まで届く本棚にぶつからないように気を付けながら、ディータは部屋の奥へと急いだ。そして、見た。見てしまった。

 やはり、部屋には二人の人物が居た。一人は大柄で、壮年の男だ。硬質な白髪混じりの黒髪に無精ひげ、皴が刻まれた口元。狼のように鋭い顔立ちは迫力がある。

 どこの国のものかはわからないが、黒に近い濃いグレーの軍服を着ている。腕章や勲章などは無い。ネクタイすら絞められていない胸元は大きく肌蹴ており、露になった肌に紅い痣がいくつも刻まれている。

 もう一人は、ディータよりも幼い青年だった。男にしては華奢な身体を、壮年の男によって机の上に組み敷かれている。艶やかな銀色の長髪が木目に散らばり、こちらも黒衣を乱れさせている。足元に散らばる本に紛れて、黒いボタンがいくつか落ちている。恐らく、壮年の男が青年の衣服を無理矢理破いた時に取れてしまったのだろう。


 ……え、なんでケンカで服を破く必要がある? ていうか、これは本当にケンカなのだろうか。いや、多分違う。絶対違う。だって、青年の方に拒んでいる様子が見られない。


 それどころか、その顔にあるのは微笑だった。それも、熱っぽい笑み。美貌とも称せる容姿に、色めいた表情。この状況が何を意味するか、わからない程ディータは幼くも無知でもないわけで。


「あ……え、っと」

「ああ、ここに居たんですか」


 二人とも。聞き覚えのある声に、振り向く余裕すら無くて。少女が平然とした様子で部屋の中を進み、ディータと二人の間に立った。


 そして、何食わぬ顔で言った。


「ベル、クリス。『人間』のお客様ですよ」


 

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