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ある物語の残滓

作者: 小雪 好

純文学というより、ライト文芸に近いファンタジー的要素を含む作品です。それでもよろしいというのでしたら、どうか、ご一読ください。

 冬のある日、馴染みの喫茶店に行こうと思った。

 理由としては気分転換のつもりだ。

 雪が降る中、寒さをこらえて、店の前に辿り着く。

 レンガ造りの趣ある店。

 知識があれば、もっといろいろな感想が出てくるのだろうが、自分にはこれくらいが限度だったし、色々と知識でデコレーションしてしまうのは、この店にはふさわしくないように思えた。

 美味しいケーキを出してくれる。それだけが自分にとって大事なことだ。

 そんなことを考えて、ふぅと一息ついて、店の中に入る。

 ちりりんという音と共に、店のマスターがこちらに顔を向けた。

「お、いらっしゃい」

 マスターの落ち着きながらも、砕けた声に返事をして、ドアを閉める。

 外の音が消えて、店の中の落ち着いた温かさを感じながら、席を探すために辺りを見回す。

 そして、ある席を見つけ、そこに向かった。

 向かったのは、窓際の丸いテーブルだ。椅子が二つ向かい合うように置かれていた。

 気の置けない友人や、恋人達が座る情景を思い浮かべながら、そこに座る。

「ご注文はいかがですか?」

 制服姿の少女が注文を聞いてくる。

 相変わらず可愛らしい少女だ。恋人が出来たら父親であるマスターはどう思うかなと考えながら、ケーキと紅茶を注文する。

 注文を確認した少女が、水を置き、離れる。

 それを見ながら、カバンをあさり、本を取り出した。

 取り出したのは、呼んでいる途中の本で、世間ではライトノベルと言われるものだった。

 本の内容は異世界が舞台のファンタジー。

 外の雰囲気を感じさせないこの隠れ家のような店で読むには良い。そう思って持ってきた本だ。前に来た時に持ってきたSFよりは良いだろう。

 本を開き、読むのをやめた所を思い出しながら、続きを読み始めようとした時だった。

「ここ、よろしいですかな?」

 温和な、老人の声が聞こえてきた。

 声の方を見ると、そこに立っていたのは、声の通りの人物だった。

 温厚そうな顔に、ひげを蓄えた老爺だ。

 歳は初老くらいだろうか。背筋は伸びていて老いをあまり感じさせず、その雰囲気は大樹のようなゆるぎなさがある。

 あまり見ないタイプの人物に会った事に戸惑いながらも、良いですよと答えてから、内心で首をかしげる。

 何故、相席を希望したのだろう?

 店内にはまだ、空いている席がある。

 わざわざ、自分と相席する必要はないだろう。

 そんな事を考えていると、老人は目を細め、微笑んだ。

「失礼、実は暇を持て余していましてね。少しあなたと話してみたいと思ったのです」

 思いもよらぬ言葉に、「はぁ」と気の抜けた返事をすると、老人は自分の向かいに座った。

 自分と話したいんだったなと思い、本を閉じ、テーブルの上に置いた。

「ありがとうございます。実はあなたを見て、私と同じ人物だと思ったのですよ」

 同じ人物、と老人の言葉を繰り返す。

「ええ」

 老人は笑みを深めた。

「物語は何時か消えてしまう。そんな事を考えてはおられませんかな?」

 唇が少し開いたのが、自分でもわかった。

「図星のようですね?」

 笑みを浮かべたままの老人に、何故、と呟く。

「何、勘とだけ申しておきましょう」

 すごいですね。と返し、水を飲む。

 喉を水が流れる感覚は、少しの動揺を落ち着かせる効果はあった。

 ふぅと、息を吐き、老人に改めて尋ねる。

 そんな事で相席を?という返答に老人はうなづいた。

「ええ、そして、あなたはそれに虚しさを覚えてもいる?

 違いますかな?」

 鼻から息が漏れる。そして、脱力しそうになりながらも、自分は心地よさを感じていた。

 人間とは、あまりにも内心を言い当てられると逆に気持ちが良いらしい。

 よく当たる占い師に心酔する気持ちがよく分かった気がする。

 そんな事を考えながら、ええ、と返し、それも勘ですか?と問う。

「そんな所です」

 老人の返答を聞き、でも、そんな理由で相席をしたのですか、と問うと、老人は頷いた。

「はい、・・・私には切実な理由なのです」

 僅かな、ほんの僅かな語調が変化だった。

 だが、その変化に思わず、自分の唇に力が入る。

「物語は消える。どんなに思いを込めても、どんなに大事にされていた物語でも、いつかは、いつかは消えるのです・・・」

 老人は僅かに上を向いた。

「それが私には辛く、虚しいのです・・・」

 老人の言葉に返事は出来なかった。

 突然、何を言い出すのかという疑問はあった。

 だが、自分の心には感嘆があった。

 ああ、この老人は本当に悲しいのだ。

 物語が消える事が。

 そこに込められた物が消えてしまうのが。

 僅か一言でこちらに分かる位に。

 思わず、溜息を出そうとするが、その前に老人は目線をこちらに向けた。

「あなたも、そうではないのですか?」

 老人の言葉は穏やかだった。

「物語は消え、語り継がれたかった思いは消える」

 温和で優しい、だが、強い意思。

「そう考えている。だから、あなたと話し、問いたいと思ったのです」

 老人は、目に静謐な光を携えたまま続ける。

「読まれない物語を紡ぐことは無意味ではないですかな?」

 心臓がはねた。

 どう返せば良い?

 適当に答えて良いのか?

 いや、そもそも。

 書く事が何か空しく思う自分に答えられるのか?

 思わず、手に力が入っている事に気付き、そちらに目をやる。

 その時、視界に入る物があった。

 それを見た時、ふっと緊張が解ける。

 そうだ、自分は・・・。

 気分を改めて、改めて老人の目を見る。

 揺れずに、こちらを見る切実さを感じさせるその瞳に、自分は答えた。

 無意味かもしれません、と。

 そして、続ける。

 けど、物語を書かない理由にはなりません。


「ほう、何故ですかな?」

 えっと、ですね。この置いてある本。ライトノベルっていうジャンルなんですけど、このジャンルだけでも結構な数が出てると思うんです。それこそ、一人の人間が読むには手が余るくらい一か月に出てるんじゃないでしょうか?

「それは・・・、読まれない本も出てくるのでは?」

 そうですね。

 中には誰の目にも触れない物もあるかもしれません。

「それは、悲しいですね」

 ええ、でも、その本の作者は書いたんです。

「読まれないかもしれないのに?」

 はい、でも書くんです。

「何故でしょう。無意味な行為にしか思えません」

 無意味かもしれません。けど、それって、書かない理由になるんでしょうか?

「ならないと?」

 なりません。そりゃ、時間の無駄かもしれませんけど、作者の方は書きたいという理由で書いたんです。

 それこそ、読む読まれないを考えずに。

 文を考えて、書くんです。

「ふむ、ですが中には、読んでほしくて書いた方もいるでしょう」

 ・・・でしょうね。

「その方たちにとっては読まれない事は、書く事は無意味と言われているに等しいのでは?」

 無意味では無いんじゃないでしょうか?

「読まれるという目的を果たしていないのに?」

 読んでほしい文章を書くという目的を、思いを形にするという目的は果たしていると思います。

「思いを形に?」

 ええ、何ていうか、そんな物じゃないでしょうか?

 読まれる読まれないを恐れるよりも、ただ、書いて形にしたい。

 そう思ってみんな書くんだと思うんです。

 何て言うか・・・、そうですね。

 空に向かって歌って、それを偶然誰かが聞いて、良いなと言ってくれる事を期待する。

 読まれる事を期待するってその程度で良いと思うんです。

 それにこう思うんです。

 何か行動したら何か変わるんじゃないかって。

 そして、そう信じて行動することは、書いた事は尊いんだって思います。

 少なくとも、読まれなかったって嘆く人には自分はそう言いたいです。


 老人の目が僅かに開かれた。

「書いた事が尊い・・・ですか」

 老人の様子は変わらない。

 だが、自分には老人が嬉しがっているように見えた

「・・・ふふ」

 老人の間が僅かに細められた。

「ありがとうございます。その言葉を聞けただけでもあなたと話した甲斐があった」

 自分はいえ、と答えて続けた。

 自分でも、ちゃんとそう思っているのはわからないです。けど・・・。

「けど?」

 あなたと話せてよかったと思います。

 それは正直な気持ちだった。

 老人の物語が消える事への嘆き。それは、老人の物語への深い愛情の表れだと気付いたからだ。

 こんなに物語が好きな人がいるんだな。そう思い、別の事を思う。

 だったら、また・・・。

「そうですか。私もあなたと話せてよかった」

 老人は目を閉じて、笑った。

 とても暖かな、嬉しそうな笑顔だった。

「この時代まで残っていて良かった」

 この時代?

 老人の言葉に疑問を持った時、ふっと意識が遠のいた。


「注文の品でございます」

 はっと、目をしばたたかせる。

 きょろきょろと、辺りを見回す。

 あの、と少女に問いかける。

「はい、なんでしょう?」

 ここに座っていた老人を知りませんか?

「いえ?その席には誰も座っていませんでしたよ」

 誰も?と問うと、少女は、はいと頷いた。

 夢を見ていたのか?

 僅かに混乱しながら、分かった。ありがとうと少女に言う。

 少女が去るのを見てから、運ばれてきた紅茶を飲む。

 美味しいな。と思いながらも、頭はさっきの事を考えていた。

 さっきのは本当に夢だったのだろうか。

 だとしたら、あの老人の言葉も夢の中の・・・。

 そこまで考えて、最初に運ばれたコップを見る。

 中の水は、運ばれた時から減っていない。

 やはり、夢だったのか?

 僅かに落胆し、仕方ないと思いながら、ケーキに手を付ける。

 確かに夢かもしれないが、あの老人との会話は今でも鮮烈に思い出せる。

 今の所はそれで良い。

 そう思い、ケーキと紅茶を胃に収め、帰る支度をする。

 今日はもう帰ろう。

 そして、行き詰っていた作業を終えよう。

 気分が少し軽くなったのを感じながら、会計に向かい、そこで、奇妙な物を見つけた。

 壁にかけてある額縁に飾られたそれ。見た所、外国語の書かれた単一色の何かであり、写真や絵画の類には見えない。だが、不思議とこの店の雰囲気に馴染んだ装飾となっていた。

「気になるかい?これ」

 カウンターに立ったマスターが話しかけてくる。

 はい、と答えると、マスターは「はは」と少し笑った。

「これ、知り合いが骨董市で手に入れたみたいなんだけど・・・」

 けど?

「何か分からないんだよね」

 気楽な調子の答えに、僅かに呆れると、マスターは「ただ」と続ける。

「これ。どうも本の表紙みたいなんだ」

 表紙と呟いてから、中身は?と聞くと、マスターは首を振った。

「いや、それが表紙だけ残って、あとは焼けちゃったみたいなんだ。

 ほら、この辺、焦げ跡があるだろ?

 だから、表紙だけしか残っていないんだけど、なんか古いチラシみたいで味があるから、

 買っちゃったんだ。

 まぁ、娘には呆れられたけどね」

 それはそうだと思う。何せ、表紙だけで物語は残って・・・。

 そこまで考えると、口は自然と言葉を出していた。

 マスター、この本についてわかる事ってそれだけですか?

「え?あ、うーん・・・。あ、そう言えば、友人が手に入れる時、元の持ち主にこんな事を言われたそうだよ」

 どんな事を?

「これを手に入れてから、時々同じ老人が出る夢を見る気がするって・・・。

 や、別に気味の悪い話じゃなくてさ。ただ、温和そうな老人と夢の中でよく会う気がしたって、持ち主は言ったみたいでさ。まぁ、変な事は起こらないけど、ただ処分するのに困ってたのを僕の友人が手に入れたみたいなんだ。

 まぁ、僕も今の所、そんな夢を見ないからただの偶然だったのかもしれないけど・・・。

 こんな所かな。僕がこれについて知ってる事は」

 いえ、十分ですと答えてから、それずっと飾ってくれますかと頼む。

「ん?まぁしばらくは飾るかな。何気にお客さんに好評だしね」

 そうですか。と答え、代金をマスターに渡す。

「会計ありがとう。ああ、そうだ。趣味の方はどうだい?」

 マスターの問いに自然と笑みがこぼれ、行き詰ってました。と答えてから、けど、と続ける

「物語を書くのが楽しくなりそうなんで、帰ったら書きます」

 そう、言った。

 マスターの、「続きを楽しみにしてるよ」という返事に頷いてから、店を出る。

 相変わらず、外には雪が降っている。

 降る雪を見ながら、あの老人を思い出す。

 結局、あの老人の事は分からない。

 燃えて、消えてしまった物語の作者か。

 或いは別の何かか。

 分からない事だらけだ。しかし、口からは言葉が漏れた。

「物語は消える・・・か」

 手を伸ばし、手のひらに雪を乗せる。

 雪はわずかな冷たさがあったが、やがて消えた。

 この冷たさもやがては忘れ去られる。

 だが、自分の心のどこかに残るのではないだろうか?

 それと同じで、物語も書かれてしまったなら、読まれずとも意味があるのではないか?

 そこまで、考えて首を振る。

 今は気分が良いし、帰って執筆の続きをしよう。

 読まれる人が少ないとしても、自分には書きたいと思う意思がある。

 とりあえずはそれで十分だ。

 早く書きたい。そう思いながら自分は雪の降る街を歩いていった。


 あの後、聞いた話がある。

 行き詰まった作家が、あの喫茶店に行くと、老人が夢に出て応援してくれるといううわさ話だ。そのせいか夢を見ようと、お客が増えたらしい。

 そして、マスターの娘はそんなお客の一人と交際を始めたようで、マスターはちょっと泣いたようだ。

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