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Release  作者: 氷室
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一章

「今日はこれで練習終了だ。一年は後片付けを始めろ」

「ありがとうございましたっ!」

 すっかり日が暮れたグラウンドに威勢の良い挨拶が響き渡る。

 監督の前に整然と揃って一礼をしている野球部員たちの姿は泥に塗れており、練習の熱心さを雄弁に物語っている。

 礼が解かれ、解散になると一年生部員たちは疲れの色も見せずに後片付けへと向かう。そんな姿を先輩部員たちは懐かしそうに眺めていた。

「俺たちもつい最近まではあんな風に片付けてたもんなあ。健一、ついでにお前も行ってきたら?」

「何のついでだよ。和彦こそ行ってこいよ。元気そうじゃないか」

 去年までの光景を思い返して、三沢健一と工藤和彦はふざけ合う。部室が狭く、一度に全員入りきらない事情があるとはいえ、この部の慣習は嫌だと如実に態度に現れていた。

「まあ、先輩に手伝われても恐縮するだろ。さっさと着替えてあげようぜ」

「それもそうだな」

 いつまでもグラウンドにいては監視しているような印象を与えかねないため、二人は連れだって部室へと向かう。

 健一と和彦が通う慶安学園は野球の強豪として名が知られている。

 野球部専用グラウンドを学校グラウンドの隣に持ち、部室とシャワールームも専用グラウンド脇に設置されているため至れり尽くせりな環境だ。

 部室は部員数に対して手狭で三年生と二年生を収容すると余裕がなく、一年生と時間差をつけて使用することになっていた。

「一年の時は片付けが面倒だったけど、一年だけだったから部室は広く使えたんだよなあ」

「まあ、それぐらいの旨みがないとやってられないけどな」

 片付け免除で先に着替えられる利点はあるものの、二学年が同時に使用するため室内はかなり窮屈になってしまう。練習後で汗をかいた部員が密集する室内はかなり不快な空間と化していた。

「うわっ、やっぱり狭いな。着替え持ってシャワー浴びてこようぜ」

 和彦が部室の扉を開けると、中は着替え真っ最中の部員で一杯となっていた。面倒なのかシャワーを浴びずに制汗スプレーで済ます部員がいるようで、室内は汗とスプレーの臭いが充満してしまっていた。

 耐えきれないとばかりに和彦は顔をしかめながらも、部室内から二人の制服を持ち出して一目散に部室から離れる。

「しかし、シャワーも浴びずに帰るとか考えらんねえよ。電車とかバス通学のやつもいたぞ」

「近場のやつは家に帰ってからの方が落ち着くだろうけど、さすがに公共交通機関はなあ……」

 シャワー室に向かいながら二人はげんなりしたように文句を吐く。公共交通機関利用者から慶安学園野球部は不潔なんていう印象を与えられてはたまらない。共に近場から通う二人は世間の見る目を慮って極力シャワーを浴びてから帰るようにしていた。

「不潔なんて思われたら女子に嫌われちまうしな。まあ、彼女持ちの健一には重要なところだよな。森本って見た目にうるさそうだし」

「茜は案外そういうとこは何も言わないよ」

「理解のある彼女ってか? 羨ましいな、この野郎! 恋女房放っておいて自分だけ幸せそうにしやがって」

「だったらお前も彼女作ればいいだろう。俺のミットに飛び込んで来いとか言えばいいじゃないか」

「いや、俺のミットはお前のためのもんだ。女子には……俺のホームベースは君以外は通さないとか言えばいいか?」

「なんかすり抜けてくみたいだな……」

 二人は思春期男子の恋愛事情を展開しながら、シャワー室へと入る。

 シャワー室へ入るとまずは脱衣場で泥だらけになったユニフォームを脱ぐ。ユニフォームの洗濯はマネージャーがやってくれるので、所定の籠に入れておく。

「本当にマネージャーたちには感謝だな。こんな汗臭くて泥だらけのユニフォームなんて触りたくもないぜ」

「その分しっかり試合で結果出して報われるようにしなくちゃなあ」

 自分たちが脱いだユニフォームを見ながら二人はしみじみマネージャーの苦労を慮る。レギュラーバッテリーとして活躍して恩返ししようと二人はお互いに頷き合う。

「まあ、それはそれとして早くシャワー浴びるか。一年生たちがいつまで経っても着替えられねえ」

「そうだな」

 いつまでもこうしてても仕方ないと二人は脱衣場を後にして洗い場へと向かう。

 二人は各々壁で区切られた個室に入ると、シャワーヘッドからお湯を出して練習の疲れと汚れを洗い流していく。

(早く着替えないと茜が待ってるな)

 健一はシャワーを浴びながら交際中の森本茜について思いを巡らす。

 昨年夏の全国大会にて健一は一年生ながらエースとして先発、鮮烈な活躍をしてのけた。

 チームとしては惜しくも三回戦で敗れてしまったが、敗戦ながらも健一は力投を見せて注目を浴びた。

 夏休みが明けて新学期が始まると茜をはじめとする女子たちから猛烈なアプローチが始まり、結果的に昨年秋から茜と付き合うことになったのだった。

(基本的に茜は理解ある方なんだけど、ちょっと拘束がなあ……)

 たしかに和彦に言った通り、茜は身なりだとか成績だとかに拘ることはない。ただ、デートだとか連絡だとかに非常に拘って拘束が厳しい面があった。通信アプリにて既読しているのに返信が遅れようものなら痛烈な批判が飛んでくることもしばしばだ。

(あまりもたもたしてるとまた機嫌が悪くなるぞ)

 機嫌の悪くなった茜をあやすのはごめんとばかりに健一は和彦に一声掛けると、先に個室から出て脱衣場に戻る。

 脱衣場にて白いカッターシャツに黒のスラックスという制服姿に着替え終えると健一はシャワー室を後にして、荷物を取りに部室まで戻った。

「遅いじゃない、健一」

「あっ、茜!? ごめん、遅くなった!」

 部室前まで戻ってきた健一の眼前に一人の女子生徒の姿が映った。それこそ健一が気に掛けていた森本茜であった。

 部室扉横の壁にもたれながら健一を待つ姿は健気な印象を与え、健一が彼女のもとに駆け寄る姿など青春そのものの光景である。

「何してたの?」

「和彦と喋りながらシャワー浴びてただけだよ」

「ふーん、工藤君とねえ」

 健一の弁解を聞きながらも茜の表情は曇っていた。如何にも不機嫌ですという雰囲気を醸し出している様は美人だけに余計に威圧感が感じられる。

 全国大会で活躍して一躍モテモテとなった健一を射止めただけに茜の美貌は図抜けていた。

 茶色がかった髪は艶やかに背中まで延びており、彼女一番のトレードマークとなっている。

 パッチリとした瞳に整った小鼻、桜色のハリのある唇と顔立ちも端正で美少女と言って全く差し支えないほどである。

 スタイルもまた抜群で女子にしては高めの背丈と、腰の位置が高いのか黒のプリーツスカートからスラッと伸びた美脚が相まって理想的な肢体を誇っている。

 おまけに細身でありながら胸元は窮屈そうに白いセーラー服の生地を押し上げ、対照的に腹部はスッキリと括れているという男女問わず羨望の起伏を持つ。まさに美の化身のような存在だ。

 その美の化身が不機嫌そうに顔を曇らせているのだからたまらない。問答無用で自身が悪いような感覚を覚えた健一は慌てて弁解しながら部室へと荷物を取りに入っていく。

「お、お待たせっ。さあ、帰ろうか」

「……まっ、いいか」

 微笑みながら手を差し出す健一に茜はようやく表情を和らげると、健一の手を取って歩き始める。

「なんか食べながら帰ろうか。おごるよ」

「アイスが食べたいかなあ」

「よし、それじゃ寄り道していこう」

「うん。あっ、おごるとかいいから。それともどうせならおごり合いにする?」

 先程の重たい空気はどこにやら、二人はお互いに手を握りながら部室を後にする。如何にも幸せそうなカップルと化した二人は専用グラウンドを抜けて、校門へと向かっていくのだった。

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