大切なもの
ここ、どこ?
くらくてこわい…
ひとりはさみしい…
いたいよ…
なんで、どうして…
イヤだ、イヤだ!
「たすけて!おかあさん、べりる!」
そんな悲痛な叫びに、答えてくれる人は誰もいない。もう…誰もいない。
「ひっ、うっうっ、うぁぁぁぁぁあああ!!!」
泣いても、泣いても誰もいない。誰も来てくれない。
どうして、どうして?
ここだよ!ここにルナはいるよ!
コッ、コツ、コツ…
「うぅ…おかあさん?べりる?」
彼女の問い掛けに、足音は答えない。ただ、ゆっくりと近づいてくる。彼女は幼心に気がついた。何かイヤだ。これは、コイツは違う。
「ひうっ……いや、いや、いやいやいやぁああああああああああああああ!!!」
彼女の前に現れたのは白い騎士。泣き叫ぶ彼女にゆっくりと迫り、そして…
○●○
「ッ!」
噛みつかれた痛みで、反射的に女の子を振り払ってしまいそうになった。
『修よ、事前に言った通りにしろ!』
ベリルの声にはっとなり、出しかけた左手を戻して目を閉じる。彼女に噛まれるまでは想定通りだ。何も問題ない。
『そうだ。そのまま力を抜け。口を大きく開けるのも忘れるな』
指示の通りに全身をリラックス。多少痛みはあるが、能力上昇の影響で気にならない程度だった。続けて少し大げさに欠伸をし、ひたすらその時を待ち続ける。
しばらくして噛む力が弱まってきた。それに首もとから、すぴすぴ鼻を鳴らす音がする。少しくすぐったい。
『我慢しろ。落ち着いてくれば、直に終わる』
ベリルの言葉を信じて、じっと耐える。この鼻息攻撃は、噛まれる痛みよりもよほど耐えられないかもしれない。
(くすぐったいのにリラックスし続けるなんて、難し過ぎるだろ!)
泣き言をかみ殺しながら頑張っていると、今度は同じ場所からぴちゃぴちゃと水音が。
「くっ、ふっ!」
(ベリル、これは聞いてないぞ!)
『害はない』
「そんなことを聞いてるんじゃない!」
―――びくっ!
勢い余ってベリルへの抗議が声に出てしまった。腕の中にいる女の子はその声に反応し、動きを止めた。
『何をしている!とにかく目は閉じたまま、じっとしていろ』
(す、すまない…)
失敗した…今度こそ耐えてみせる。
何故こんな事になっているか、それはひとえにベリルの指示なのである。
○●○
「女王討伐後の話もしておこう」
全ての策を俺に話したベリルは、そんなことを言った。
「その言い方は何かあるんだよな」
「あぁ、我が娘ルナリアについてだ」
「あの子はお前の娘だったのか」
「血縁はない。ほんの一年しか共に居てやれなかったが、我にとってあの子は娘同然だ」
強い意志を持って放たれた言葉。それだけで彼女の愛の深さが伝わってくる。
「大切なんだな」
「当たり前だ。実の息子より愛しているといってもいい」
「そこまでなのか…」
親をほとんど知らない俺にとっては、理解不能な溺愛ぶりである。ベリルの金の瞳は爛々《らんらん》としてきた。
「まあ聞け、あの子はな………」
時間が無いことを思い出した俺が止めるまで、義娘自慢が続いた。
「お前が子煩悩なのは分かった…」
「あの子の可愛さは?」
「もちろん分かったよ…」
意外と言うか、見かけによらないというか、こいつがいい親なのは間違いないだろう。でなければ、他人の子供をここまで大切にはしないはずだ。
最低限の生活をさせてもらっていたとはいえ、俺の親戚とは大違い。少し羨ましくなるような家族愛だった。
「それで女王を倒した後、俺は何をすればいいんだ?」
「そうであったな。修、恐らくお前はあの子に襲われる」
「襲われる?」
「ああ、あの子の状態は覚えているな」
「手足が…なかった」
思い出すのは、磔になった年端もいかない子供の姿。両手足がなく、足元には血溜まりが出来ていた。
「いつからああなったのかはわからぬ。だが確信を持って言えることは、あれは人為的にされたこと。故に目覚めた時、恐怖で錯乱状態の可能性が非常に高い」
「どうしてそんな酷いことを…」
あんなに小さな子の手足を切断するなんて、常軌を逸している。
「それはあの子が装魔の娘だからだ…」
「そう…ま?一体それはなんなんだ?」
「歪魔が創造神により作られたというのは言ったな?」
「ああ、創造神がどうこうって」
「その神も元は善の神であった。その時に加護を受けていたのが装魔の一族。こちらは正真正銘、神の御子となる」
装魔の一族は創造神ヴァルイェーリの寵愛を受けた亜人種。神の持つ再生と変異の一部を分け与えられ、操ることの出来る存在だった。
対して歪魔は変異の力の影響を受け、元の姿から大きく歪んだ存在。影響を受けたほとんど魔物が変異体になって生涯を終えるが、そこからさらに進化したものが歪魔と呼ばれる。通常の魔物からかけ離れた力を持つが、その歪さ故に致命的な弱点を持つ。女王の場合、水に極端に弱かった。
「それが何だって…」
「原因はわからぬ。だが各地で神々が狂いだしたのは確かだ。その中で最も大物だったのが創造神ヴァルイェーリ」
「つまり装魔の一族は、守護神に突然裏切られたのか?」
「そう言うことになる。ヴァルイェーリそのものは封印されたが、その戦いで装魔の一族はほぼ壊滅」
「壊滅…それであの子をベリルが引き取ったということか?」
「託されたのだ、あの子の母親から。それがこの体たらく…」
言葉を切るとベリルは、物憂げに宙を見た。
「あの者に合わせる顔がない」
後悔を滲ませた声。俺は何と言っていいか分からなかった。
「ヴァルイェーリの力は封印されて尚、その片鱗が洩れ出し各地に影響を及ぼしている。全ては始末をつけきれなかった我の責任。すまぬ。修、お前にもルナリアにもいらぬものを背負わせた」
「お互い様だ。俺はベリルのおかげで、失った大切なモノを取り戻せそうなんだ」
俺は以前よりももっと、この優しき竜に協力しようと思った。
「それであの子に襲われた後はどうするんだ?」
当然戦うという選択肢はない。たとえ殺されてしまうとしてもだ。
「まず敵でないことを理解させねばならん。故に襲われても無抵抗だ」
「それからどうするんだ?」
「身体の力を抜いて、目を閉じろ」
「力を抜くのは分かるが、目を閉じる?」
「あの子の種族特有の習慣なのだが、目を逸らす、目を閉じるは相手に敵意はないという意味になる」
野生動物に目を合わせてはいけない、というのは知っている。目を閉じるのは聞き覚えがない。
「とにかくやってみる」
「怯えさせぬ為に、決して声も出すな」
「分かった」
○●○
(そう言われていたのに…一からやり直しだ…)
しかし彼女は予想に反してすぐに、魔力の取り込みを再開した。
『どうやらもう敵とは思っていないようだな。目を開けてもいいだろう』
目を開くと、そこには青い瞳。舐めるのを止め、こちらをしっかりと見つめている。ふと気づくと、視界の端に不思議なモノが。
(耳?)
ぴんっと2つのとがった耳が、銀髪の中から立ち上がっている。
髪と同じ色の毛で覆われたそれは、つい触りたくなるようなやわらかさに溢れていた。
(犬の耳…か?)
『正確には狼だ。装魔の一族は、狼の亜人から変化したと聞いている』
言われてみれば程度ではあるが、三角耳は犬よりもとがった形をしているし、分厚く大きい。見つめていると、耳がぺたんと横を向いた。
『完全に落ち着いている。もう大丈夫だ』
するとまた不思議なことが起こった。
「光ってる?」
痛々しい手の切断面で光が浮遊している。8の字を描くように回り続けるそれは、次第に速度を増していった。
(ベリル、何が起きてる!)
『落ち着け。魔力が戻ったことによって、この子の再生能力が発現した。見ていれば分かる』
光が加速していくにつれ、切断面に変化が起こり始めた。傷を包み込むように薄い膜が出来て、盛り上がり始めた。真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ成長していくそれは、次第にひとつの形を作り出す。
「腕が…治ってる…」
『それが装魔の一族に与えられた力の1つ、再生だ』
みるみるうちに出来上がった真っ赤な腕は、皮膚に包まれ完全な形に戻った。
「ッ!よかった…」
この先まだ遊びたい盛りのこの子が四肢欠損のまま生きていくのかと、とても心配だった。
「足は、足は直るのか?」
『大丈夫だ。お前が魔力を分け与えればいずれ元通りになる』
「そうか…本当によかった…」
この子が理不尽な理由で、手足を失って良いわけがない。俺の魔力でよければ、幾らでも持って行ってくれ。
しかし、そんな俺の気持ちに反して、彼女はもう噛みついてこない。少し戸惑いがちにこちらを見つめるだけ。
『迷っているだけだ。ルナリアにきっかけを与えてやってくれ』
そうだ…この目はどうしていいかわからない子の目だ。どこか不安げにこちらを窺う瞳に背中を押され、努めて優しく話しかける。
「おいで…ルナリア」
彼女の青い瞳が揺れた。みるみるうちに、大きな瞳いっぱいに涙が溜まっていく。
決壊寸前になりながらも、まだ動きはない。これはもう一押し必要かな?
「大丈夫。おいで、ルナ」
「っ!……うぁぁぁぁぁあああ!!!」
「よしよし、もう怖くないよ。頑張ったね。大丈夫…だいじょうぶ」
残った左手で、守るように精一杯抱きしめる。
(絶対にこの子を守り抜いてみせる……)
この日、藤堂 修に家族が出来ました。
狼…なろうでよく出てくる題材ですね。かっこかわいい憧れの存在です。中でもわたしが一番おすすめしたいのはその習性です。今回登場したのは、知らない人はまず噛むということ。正確には口を当てるです。ここで抵抗すると……