赤結晶解放
胸に刺さった黒い剣を引き抜く。傷口が開き胸から血を流しながら、女の子が地面へ落ちていく。床に落ちた衝撃で、血だまりに銀の髪が広がった。慌てて駆け寄ろうとするが…
「あ、れ……」
―――ガシャンッ!
手から黒い剣がこぼれ落ち、力が抜けていく。気がついた時には、視界の半分が地面になっていた。
『只人の身でよくやった』
またあの声が聞こえた。
よろよろと視線を巡らせ声の出処を探ると、女の子と一緒に床に転がった結晶から聞こえている気がする。赤い結晶には大きな亀裂が入っており、こうして見つめている間にも罅が広がっていく。
パリッ―――ピシッ―――パキンっ!!
乾いた音を立てて結晶は砕けた。
すると辺りに飛び散った欠片から、光が溢れ出した。赤い光は空中に大きな輪を描き始める。輪の縁には、見たこともない文字が浮かんでいた。
「これは……」
鮮やかな赤の光と対照的に、その内側は黒一色。どこか不安を誘う闇から、目を離せないでいると
―――タッ……
中から影が降りてきた。輪郭も不確かで、一体何なのかここから見る限りわからない。
百足と比べれば、小さなその赤い靄。常識的に考えれば、相手にすらならない体格差。だが赤い影から発せられる凍てつくような重圧が、その考えを否定する。
アレと敵対すれば間違いなく死ぬ。
直接対峙してその強さを痛いほど実感したにも関わらず、あの影のほうが大百足よりも遥かに恐ろしかった。実際百足側もピタリと動きを止めている。
○●○
久方ぶりの外の景色を、油断なく睨めつける。入り口の幅に対してかなりの広さを誇る空間を、上下左右くまなく見渡した。空が曇ってきたのか、天井の大穴から注ぐ光が少しずつ減ってきている。
(あやつは……やはりおらぬか)
目的の相手が居なかったことを確認すると、纏っていた殺気を霧散させる。改めて辺りを観察すると眼前には百足の大群が。
(わかってはいたが、有り難みのない歓迎だな)
気が滅入るような光景から視線を外し、自身の状態を確認する。
「半実体化…見えてはいるが重さを感じない。」
自身の靄がかった手をじっくりと眺めながら独りごちる。ひとしきり全身を観察すると、手を下ろした。そして
【遍ク者共ニ、我ガ威ヲ示セ】
言葉に出すは事象の改変。幽鬼のような身体を赤い結晶が覆い尽くし、上から次々に剥がれ落ちていく。
全身を埋め尽くす半透明の赤い鱗、煌めく金の瞳、大きく裂けた口に鋭い牙、背中に広がるは3対の翼。
”赤結晶で出来た竜”
どんな細工師にも作り出せない、生命を宿した宝石。そんな幻想的な存在が、修達と百足の間に立ち塞がった。
(肉体は万全とは程遠い。慣れぬ召還術で魔力も僅かばかり。そうであっても……)
後ろを振り返るとそこには自分を見つめる青年と、愛しき者のあまりに変わり果てた姿。覚悟していたが、実際にそれを目にするとショックは計り知れないものであった。
(ルナリア……)
一目で解るほどに、状態はひどいものだった。四肢を失ったルナリアはもとより、修の右腕からは今も夥しい量の血が流れ出している。
「応急処置にしかならぬが…集え」
彼らの傷口を薄い結晶で包み込み、出血を止めた。治癒系統の術にまるで適正ない自分の、精一杯の治療行為だ。
「「「シャアァァァ」」」
こちらが背後に気を取られていると、好機とばかりに3匹の百足が襲いかかってきた。
だが
「蟲ごときが……我の邪魔をするな!!!」
彼女の声に応じ百足を迎え撃つように、地面から同数の結晶の柱が伸び上がった。胴体の真ん中を貫かれ、結晶を緑の血で染め上げながらも百足はまだ動いている。
(貫通力は問題ない。問題となるのは百足の生命力…やり方を変えるか)
「―――開け」
結晶が中心から四方に開いた。当然突き刺さっていた百足も四方に引き裂かれる。四散した体が地面に次々に落ちていった。
(始末するのに2段階…貫通系は不向きか……それに)
ベリルが目を奥の方にむけると、仲間が目の前で倒されたにも関わらず残りの百足達に動きはない。不気味なほど静かに、こちらの様子を窺うのみ。
(何かがおかしい……大百足はこんな生態だったか…?)
【我、千変万華ノ理ヲ此処ニ示ス。穢ヲ穿テ”赤薔薇の飛剣” 】
慣れ親しんだ呪術を唱えると、地面を割開き巨大な朱赤の蕾が現れた。蕾は天井から降り注ぐ僅かな光を浴びて、重なり合った花びらを綻ばせていく。
大輪へと成長した赤薔薇の姿は、触れることを拒絶するかのように鋭く気高さに溢れていた。
「狙い……穿て」
結晶の大華が高速回転し、薄く鋭利な花弁が百足の群に向かって撃ちだされた。射線上に居た百足は丸くなり、黒く硬い外皮で防ごうと構える。
だがそんなものは関係ないとばかりに、百足の体を真っ二つにし中身を辺りに撒き散らした。
「「「ギュアアァァァー」」」
一匹、二匹と切り裂き、百足の血で緑の軌跡を残しながらただ真っ直ぐに飛んでいく。花びらが広間の入り口に近づく中、その場所には突如として黒い塊が現れていた。
「どうりで動きが統制されすぎている筈だ…そこにいるのだろう?」
ねちゃりと緑色の糸を引きながら、それはゆっくりと解けていった。先ほどとは打って変わった醜悪な蕾の中から現れたのは、全身を黄色い稲妻模様が刻まれた大百足。何重にも重なった百足の肉壁で守られた女王は健在だった。
「無傷か…だが周りはそうはいくまい?」
竜がそう言うと、外側を担っていた何十匹もの百足達が輪切りにされ地面に転がり落ちていった。
「キュオオオオオォオォォォ!」
言葉を遮るように、女王は金切り声を上げた。