活路への死闘
もう一歩祭壇へ近づいた時、それが聞こえた。
『修、娘の胸に刺さった剣を抜け』
(えっ?)
まただ。あの時と同じ女の人の声。
『忌々しい剣を抜け。さすれば我が、蟲どもを蹴散らしてくれる』
誰なのかはわからないが、協力してくれるらしい。なぜ名前を知っているのか、誰なのかなんてどうでもいい。あの子を救えるか。それだけが今、大切なことだ。
「分かった。後のことは頼む」
となると祭壇にいる百足を、どうやって引き離すかが鍵となる。まともに正面から仕掛ければ、無駄死には必至だ。
何かないものかと悩んでいると、あの老人を思い出した。仕舞っていた石をポケットから取り出した途端、大百足の挙動が変わった。左右に動かすと、明らかにこちらの手を見ている。
「それならっ!」
左手で思い切り、部屋の隅へ石を放り投げた。たちまち2匹は、投げた方に向かって一直線に這いずっていった。
幸いこの場所は広い。石と反対側へ行けば、百足に近寄ることなく祭壇にたどり着くことが出来るだろう。
「今のうちに」
百足を避けるように大回りで祭壇へ向かう。しかし百足に最も近づく部屋の中央付近で、それは起こった。
「しまっ―――」
俺は可能な限り百足からすぐ離れようと、もう一段階走る速度を上げてしまった。すると右手がないことで元々崩れていた重心が、速度に耐え切れなくなり一気に傾いた。
「くそっ!こんな時に」
転倒した音に反応したのか、2匹のうち後ろにいた小さな個体が、こちらに振り返った。
「ギュ…ギュギャ」
躊躇うようにもう一度石の方をみるが、結局見逃してくれる気は無い様だ。
今いる場所から祭壇との距離を考えると、大百足を振り切ってたどり着くことは無理だろう。予定外のミスで、最低でもこの一匹は相手にしなくてはならなくなった。
立ち上がり時間を稼ぐため、必死に祭壇へと駆ける。いますぐ対応を思いつかなければその時点で終わりだ。
「……いける…か?」
時間があれば他を思い付いたかもしれない。しかし、いまはコレに賭けるしかない。
どうせコレは、もう使い物にはならない。
その頃には百足が、俺の背後まで迫っていた。振り返り、右腕を盾にするように差し出す。案の定百足は、血の匂いのする右腕に噛みついた。
袖を破り、剃刀を並べたような鋭い歯が腕に食い込んでくる。
「ぐああがあぁぁぁぁ!!」
また肉が裂け、骨が砕けていく。出来ることなら…そんな思いが一瞬よぎる。だが目的の為にはこれに耐えなければ。
一度の噛みつきで、右腕の大部分を持って行かれた。腕からは残った骨の半分が覗いている。そんな俺の目の前で、百足は噛み千切った部分を咀嚼している。
「ぐっ、まだ……まだだ。」
俺の狙いにはまだまだ足りない。
すると腕を飲み込んだ百足は、今度は肘に噛みついてきた。
「ぐああぁぁぁ!」
肘の骨は腕よりも大きい。硬い分、今までよりもゆっくりと骨が砕かれていく。その骨と骨が合わさる部分が、無理矢理に押し潰されていくのが伝わってくる。
肘の骨が左右にずれ込んで、靭帯が伸び、鈍い音をたてながら割れていく。今までで一番の痛みが押し寄せてきた。
「ああがあぁぁぁぁ!!!」
二の腕の一部と、肘の半分近くを千切り取られた。俺の身体は最早、腕とは呼べない歪な形をしたものが肩から生えているだけになってしまった。それでも意識を手放す訳にはいかない。俺は千切れかかっていた肘部分に、包丁の刃を当て
「んっ!がああぁぁぁぁ!」
肘から先を切り捨てた。
気が付くと俺は、地面に膝をついていた。脳の許容量を超える痛みに、一瞬意識が飛んだのだろう。
今は足手まといにしかならない右腕に、未練などない。痛みに麻痺してきているのか、思ったよりもすぐに立ち上がれた。
「は、はっ、はっ、い、急がないと!」
切り捨てた腕を反対へと放り投げる。あまり距離は出なかったが、放物線を描いて血が飛び散った。撒き散らした血を追って、百足は反対へ進んでいく。
歩いた時に伝わる振動が、とにかく鬱陶しかった。あまりの痛みで意識は朦朧とし、失血も多いせいなのか足はふらつく。けれども気力だけは、まだ残っている。
「あと、もう少し…走れ!」
必死の思いで祭壇までたどり着いた。最早、満身創痍だが最後の一仕事が待っている。
近くで見た女の子は、正直なところ俺よりも酷い状態だ。裾から覗くはずの左右の足は無く、両腕も二の腕まで千切り取られていた。
床に流れた血から生きているとは思い難い。だが、それでも女の子は微かに呼吸をしている。
「よく…よく生きていてくれた。」
涙で滲む視界の中、剣に左手を掛ける。
しっかりと握りしめながら振り返ると、先ほどの2匹以外に夥しい数の大百足がこちらに向かってきているのが見えた。その黒い波に混じって、かすかに黄色が見えた気がする。
「ははっ!ひどいなコレは。さて、誰かは知らないがあとは頼んだ!」
女の子の胸から剣を引き抜いた。




