【2】対面
もうどこの教室もHRが始まっているらしい。
静まりかえっている廊下を、瑛士は足早に歩く。
あの後、見事に約束を破ってくれた未來に、後日軽食をおごってもらう約束(この際、男子だの女子だのは関係ない!)を取り付け、校門前で別れたのだ。
未來は転入の手続きの為、一度職員室に顔を出さなければいけないらしい。瑛士としては、どうせなら職員室まで送ってやるつもりだったが、どうやら一度連休中に来たことがあるらしく、校門から職員室までの道のりならここにインプットしてある、と言ってこめかみの辺りをツンツンやっていた。
どうせなら学園までの道筋も入れとけよ、としみじみ思う、無論口には出さなかったが。
そんなこんなで階段を上り(一年生の教室は二階にあるのだ)、自分の教室ーー1年1組へと続く廊下に出る。
「ん?」
何故だろうか、ほかの学年の廊下に比べ、廊下が極端に騒がしい。もしかして、と頭にある可能性が浮かんだ。その可能性が当たっていることを願いながら、教室のドアに手を掛ける。
「はよー」
気の抜けた挨拶をしながら教室を見回し、
「予想通り」
小さくガッツポーズを決める。
どうやら先生がまだ来ていないようだ。この騒がしさはそのせいらしい。
まあ、何はどうあれ席に着けばこっちのものだ。一度席に付いてしまえば、後から来た先生に遅刻がバレることはないのだから。
そういうわけで、瑛士は少し急ぎ足で自分の席に着く。
すると、前の席の生徒が体ごとこちらへ振り返る。
瑛士より幾分かの長身、全身日焼け気味のこの少年こそが、瑛士の今日の遅刻の元凶の片割れ、悪友第1号ーー秋月悠馬である。
「遅かったな瑛士!おーい冬野!瑛士に遅刻付けといてくれ!」
「心配するな、もうチェック済みだ。」
「誰のせいだと思っている!!あとお前、折角先生いなかったのに、友達を売るとはどういう了見だ!?」
冬野除夜 はこのクラスのクラス委員だ。少々の釣り目に髪は肩をくすぶるくらいまで無造作に伸ばした黒髪ショート。あくまで瑛士の見解だが、おそらく『美少女』というカテゴリに属するのではないかと思われる少女だ。今は先生に代わって出席簿を記入しているらしい。ちなみに、もう一人のクラス委員は瑛士だったりする。
「瑛士。昨日の友は、今日の敵と言うだろ」
「うるせ!夜中に寮に押しかけて来る様な奴を、俺は友達だなんて思わねぇ!!」
「まあそう難い事言うなよ、兄弟!」
「お前と兄弟になるくらいなら、俺は一人っ子の方がマシだよ」
と、そこに先の除夜がやって来た。
「しかし珍しいな、お前が遅刻などするとは」
「ははは、自分でもそう思うよ。実は昨日、寮に鼠が一匹押しかけて来てな」
そう言って悠馬ーー件の鼠を睨む。
その様子から大方の事情を察したらしい除夜は、だが、と言葉を発する。
「遅刻したのは事実だ。遅刻を取り消すことはできんぞ」
「あぁ、大丈夫。それもじきに解決するはずだから」
瑛士の意味深げな言葉に、除夜と悠馬は首を傾げる。
瑛士は苦笑して、何でもないよ、と告げる。
「何だか分からんが、まあいい。今はそれより、何故先生が来ないのかが問題だ」
「ああ、それなら多分・・・・・・」
瑛士は、恐らく転入生のことで立て込んでいるのであろう旨を除夜に伝えようとし、
「説明する必要はないみたいだな」
口をつぐんだ。
「ほら、先生来たみたいだぞ」
「うむ、ほれ。行くぞ秋月」
「へいへい」
二人がお互いの席に戻っていく。それとほぼ同時に、教室のドアが開き、教師が姿を現す。
そして、
「おはよう!我が愛しの教え子達よ!!」
『キモッ!?』
開口一番の教師のラブコールに、教室に生徒達の絶叫が響いた。
しかしうちのクラスの教師ーー又部鳳時は凹む様子も一切なく話を続ける。
「早速だが、今日から我がクラスに新しい仲間が増える事となった!」
途端、寒々しい雰囲気を醸し出していたクラスが手のひらを返したように活気だつ。
「しかも女子だ!更に付け加えるならば美少女だ!!」
クラスの活気が跳ね上がる。
特に男子。拍手喝采する者、口笛を吹く者、机の上に登り「俺の時代が来たぁ!」などと叫んでいる奴までいる。
悠馬が再びこちらを振り返った。その顔は明るい。だがその笑顔は単に美少女転入生を喜んでいるだけの笑顔ではないだろう。その証拠に、
「瑛士ぃ、残念だったな〜。また地獄の自己紹介が始まるぜ!」
嫌味たらたらな言葉がその口から紡がれる。
そう、本来なら瑛士にとって転入生の存在は単純に諸手を振って喜べるものではない。
なんたってクラスメイト達が自分の才能をドヤ顔で語る中、瑛士はあの口に出すのも憚られるほどバカバカしい、才能とも呼べないものを紹介しなければならないのだ。
しかし今日の瑛士には明確な余裕があった。
それもそのはず、なんたって瑛士は今日の朝、既に自分の才能を転入生たる未來に話しているのだから。
「はっ!舐めるなよ悠馬。俺が何の対策も立てていないとでも思っーー」
「ーーちなみに、転入生は二人だ!両方美少女!!」
「ーーたか!はっ!はっ!・・・・・・は?え!?転入生二人!?未來だけじゃないの!!??」
瑛士の高らかな勝利宣言が、それを上回るほどの又部教師の声に掻き消える。
瑛士の中で、『対策』という二文字が音を立てて瓦解していった。
更に追い打ちを掛けるように、
「どうした瑛士?対策でもあるんじゃないのか?」
「・・・・・・いや、忘れてくれ・・・・・・」
あぁ、積んだな。悠馬じゃないが、どうやら地獄の自己紹介は避けられない運命にあるらしい。
そして人間とは不思議なもので、最初はどうしようもなくパニックになっていた出来事も、観念して事を受け入れれば、心の負担はそれなりに軽くなった。
「では二人共、入って来てくれ」
又部の催促で、開けっ放しになっていった教室のドアから、まず一人目の転入生が入ってくる。
そしてその転入生は、やはりというべきか、当然というべきか、未來であった。
周りの男子生徒の声援がいっそう強くなる。
まあそれも当然と言える。今朝一度遭っている瑛士でさえ、その姿を再び視認した時、思わず声が出てしまいそうになったくらいだ。
教卓の前に立った未來と目が合う。未來は小さく手を振りながら、同情する様に苦笑いを浮かべていた。
向こうにしても、まさか転入生が自分の他にもう一人いるのは想定外だったのだろう。
瑛士は、自分も苦笑いしながら軽く手を振り返す。
次いで、今度は教室のドアへと視線を移す。次に入ってくる二人目の転入生の顔を拝むためだ。
教室が一時的に静まり帰る。皆二人目の転入生の登場に胸を踊らせているのだろう。
と、教室の密かな興奮が最高潮に達した、その瞬間に、狙いをすました様に、転入生はゆっくりと教室に入ってくる。
ーーだが、限界まで抑えられていたクラスの面々の興奮が解き放たれる事はなかった。
それどころか、皆一様に固まってしまっていた。勿論それは、瑛士も例外ではない。まるで、『息をするのも忘れるほど』、というフレーズを体現するかのように。
それほどまでに、入ってきた転入生は美しかった。
雪のように真っ白で、陶器のように滑らかな肌。年にそぐわない、妙な落ち着きが潜んでいるアメジスト色の双眸。
歩くたびに空をたゆたう白銀色の髪は、膝程まで伸びている。 その存在の全てに、万人を魅了する不思議な魔力が宿っているようかのようだった。
まるで・・・・・・まるで、
「宝石、だ」
瑛士の口から、無意識に溢れ落ちた、独り言とも取れる転入生の印象。
その声が届いたのか、はたまたただの偶然かは定かではないが、ふいに転入生がこちらを向き、瑛士の視線とぶつかりあう。
それが、彼女ーー姫川玲と、天城瑛士の初対面であった。
瑛士が姫川との対面に、どこか運命的なモノを抱いたのも束の間、姫川の視線はサッと瑛士を通り過ぎてしまった。
どうやら、本当にただの偶然だったらしい。
分かってはいても、やはり少し残念だった。
遅くなって申し訳ないにゃ