勇者の力
血が戻る。傷口が再生される。麻痺していた感覚が戻る。
同時に、魔力が込められた落ち葉の傷がヒリヒリと痛み出す。
背中の傷が完全に塞がるころに、柚子は瞼を開いた。
開いてすぐ、目の前の光景に、起きるタイミングを誤ったと後悔する。
空から単体で落ちて来た夕兎の剣によって、魔人は真っ二つに切り裂かれ、彼が遣う光の魔術で魔物たちは亡骸の群れと化した。
地獄絵とはこのことか、と漂う血生臭い空気に鼻にシワを寄せる。
ほぼ不死のアゾレストは、ゆっくりと体を再生させて勇者へと魔術を放つが、直撃したはずの少年の身体は傷一つなかった。
「畜生!!本物は効かねぇの忘れてたぜ」
柚子が物理攻撃を無効とするように、夕兎は魔術攻撃を無効とできる。
焦った魔人は弓矢を放つ。
それを剣で叩き切った。
目元から鼻筋を覆う仮面のせいで、勇者の表情は伺えない。
無表情にも見える。
「ユト=アリス……てめぇは最北の地に行ってたはずだろうが…!」
「……行った。そこで精霊の加護も受け取った。…だから帰ってきたんだ」
ちらり、と妹を見た。
頬に一筋、首筋に二つ、両腕に無数の浅い傷が残っているのに気付く。
「あの血溜まりは…お前がやったのか」
「そうだとしたら、何だってんだ!」
「……」
夕兎とアゾレストの一騎打ちが始まった。
方や大太刀を振り回し、方や弓で防いでは矢を急所へ打ちつけようとする。
その間に、柚子の不運はまた発動した。
瀕死にとどまったゾルが動きだし、彼女を地面へとのし掛かる。
焼け焦げた臭いと、爛れた顔。白眼を向いたまま、憎しみだけで男は動いた。
「…なかばの…カタキ…」
大きな手で首を締め上げられる。
このままでは圧迫死どころか、骨折だ。
頼りの兄は、目の前の敵に夢中で、気付いてくれない。
「っ!!」
苦肉の策。柚子は鏡の欠片を手で手繰り寄せ、手に握ったものを振り上げると、その切っ先で男の手の甲へ突き刺した。
「あぐぁあああああ!!」
「ーーっ!」
首に食い込んでいた爪を引き剥がし、痛みに喘ぐ男から身を離す。
顔にかかった血を乱暴に拭う。この人怖すぎる。
「げほっ!夕兎!」
気づいた兄がこちらを向いて、仮面を剥ぎ取った。
やはり、柚子と同じ顔…少年とも少女ともつかない中性的であどけない顔が晒される。
習って、柚子も自分の頭部を覆う三角巾を脱ぎ捨てる。
背中まで伸びる髪が広がり、風に煽られた。
再生を始める細胞の働きを感じながら、戦闘中の兄を指差して声の限り爆発させた。。
「なんであたしがあんたのとばっちり受けるはめになるのよ!!この街の外では顔は曝すなって言ったでしょ!?なんでこのおっさんがあんたの顔知ってんのよ!!うっかり仮面剥ぎ取られたとか言ったらその顔ロードローラーで原型留まらないくらい変形してあげるわ!!さっさとそこの迷惑魔人倒してよ!」
ゾルは、夕兎と柚子を見比べ、呆気にとられたような表情を作る、アゾレストは舌打ち。
散々貶された兄は、口を真一文字に結んだまま頷いた。
「すぐ済ます」
彼は勇者の剣を振りかざすと、呪文を唱え精霊の力を呼び寄せた。
雨雲が渦巻いて集まる。それが厚さを増すごとに雪が降り始め、一瞬にして辺りを雪景色へと変貌させた。
これが、新しい力か。
被害が及ばぬように、柚子はできるだけ距離を置いた。
同じことを考えたのだろうアゾレストは、腕から血を流しながら体を浮かせる。
逃げる気のようだ。
反対に、ゾルは真の敵を見つけて魔力を集め出す。
夕兎が剣を払う。
すると、離れていたはずのアゾレストの足が切断された。
膝の上部分からスッパリと。
二度目の墜落で彼は悲痛の叫びをあげた。
傷口は凍ったためか、流血しない。
「この雪に触れている者は全て俺の采配次第だ」
魔人が命乞いをする間も無く、積もった雪が生き物のように口を開けて飲み込んだ。
ゴキュゴキュっと嫌な音の末に、雪のマモノはゲップをするようにして煙を吐き出す。
そして、傍らに呪文を唱えていた男はそのままの格好で氷漬けとなった。
それでもなお、憎々しげに睨む瞳は勇者を貫いている。
まるで氷の彫刻だ。
夕兎は、雪に足跡をつけることなく歩み寄ると、剣を突き刺して氷の彫刻を砕いた。
「……柚子…ごめんね」
全てを、躊躇を見せずに行った少年は、妹へと振り向いた。
一体、いつからなのか、兄は無表情の仮面の上から、涙で頬を濡らしていた。




