勇者の双子
流血表現があります。
※改稿中
それは、柚子が庭掃除をしているときに起きた。
強い風が吹き、せっかくかき集めた落ち葉を巻き上げたのだ。
「うわっ」
ふわりと舞い上がった葉は、突然、方向を柚子の体に向けた。避ける間もなく、剥き出しの肌に無数の切傷ができる。
箒を手放して、腕で顔を庇いながら、立っていた場所から距離を置いた。
痛い……。
傷の具合はそれほど大したことではないが、日焼けを知らない肌がひりひりと痛む。
運がよかったことといえば、汚れると面倒だと、癖の強いブラウン色の長い髪を三角巾の下に押し込んでいてよかった。
もしかしたら、髪を短く切れてしまっていたかもしれない。
舞い上がっていた落ち葉の勢いが弱まったころ、掃いた庭先がすっかり元通りになってしまったのをみてがっかりと肩を落とす。
そんな時、敷地の入り口付近に人の気配を感じた。
黒いローブを着た大男だった。見るからに怪しい。ローブの左胸部に、ドラゴンが火を吐くようなシルエットの赤い紋章が刺繍されている。
それに気づいた柚子は、またか…と諦めにも似たため息を吐いた。
フードの奥からあふれんばかりの怒気が、こちらに向けられている。男は柚子に向かって叫んだ。
「ユト=アリス……貴様に奪われた同胞の仇を、今ここで晴らす!!」
ユト……夕兎。有栖川 夕兎。
それは、勇者としてこの地に喚ばれた柚子の双子の兄のことだ。
柚子と彼女の兄は突然この地に召喚された。
“異世界”というワードはその名の通り、異なった世界。外国でも地球外惑星でもなくて……世界そのものが異なった場所。
普通ならばそこに移動する手段も、何なら存在そのものさえも知らないような場所に、ある日突然彼女たちは“召喚”という形で連れてこられた。
“召喚”といっても、ブラックホールのような…非現実的な空間が開いて飲み込まれたとか、交通事故で死んでこの世界で目が覚めたとかでもない。
異世界の入り口は、どこにでもある場所だった。笑い話にもならないくらいにありふれたものだった。
彼女たちを異世界に飲み込んだのは、通っている高校の………自販機だった。
あの時のことを思い出そうとすると、今が現実で……あのころまでが夢でも見ていたんじゃないかとも思う。
自販機で購入した缶を取り出そうとしたとき、手が何かに引っ張られた。それを助けようとした夕兎もろとも、自販機の中に吸い込まれてしまったのだ。
そして目を覚ましたら異世界ということだ。
格好もつかないし面白くない展開だ。それでは、漫画にも小説にもならないんじゃないか。
あれよあれよという間に、夕兎の方が正式に勇者として祀り上げられ、柚子はおまけという立場でここに住んでいる。
顔はそっくりだから、長い髪さえ見られなければ柚子が勇者に間違われることも多く、賛美もあればこうして恨みを向けられることもある。
目の前の男に、勇者とは別人であることを……真実を言ったら見逃してくれないだろうかと、淡い期待を抱く。
しかし、双子という存在概念がないこの世界では、一卵性双生児を説いても理解されるのはなかなか難しい。夕兎と柚子の場合は、顔付きだけ同じの二卵性双生児だが。
この世界に来たばかりの時だって、魔術を使っているのだと思われ、よくわからない気味の悪い実験にも付き合わされた。
どうしたものか、と空を見上げる。
柚子は自他ともに求めるほど……運がない。
この世界の神サマも、この男に加護を与えてここまで辿り着かせたのだろう。そうでなければ、城下町の隠された一角に気付けるはずがない。
一見、街の中に溶け込んでいる柚子の住む家は、一歩外に出て見れば、幻覚に包まれて、ただの空き地になる。
大きな土管や岩が重なりあって、『立ち入り禁止』の立て板があるはずだ。
……夕兎の奴……しくじったな。
フードを取ってこちらを睨み付ける男は、血管が浮き出るほどに怒りをため込み、その目はやはり殺気に染まっていた。
魔王の配下が統べる裏組織のマークを見るのは二度目だ。
一度目は、夕兎が討伐した証として持ち帰ってきた旗だ。
お城でも、なにかと事件を起こして苦渋を強いられてきた組織が殲滅されたと知って、お祭り騒ぎだった。
じっと考え込む柚子にしびれを切らした大男は声を荒げた。
「剣を持て。無抵抗の同志に突き刺したあの剣を!!」
地が揺るぐくらいの怒鳴り声。
柚子が無防備にしているうちに復讐を叶えてもいいだろうに、様子をうかがい待っていたらしい。この男、悪人顔のわりに律義者のようだ。
「剣は……持ってないよ。ねぇ、戦えないって言ったら、帰ってくれる?」
「何を言うか!!暴虐をはたらいておいて全てが赦されると思っているのか!」
怒りから更に眉間に力が入る。
しかし、ひるむ様子はみじんも出さずに、柚子は「そこをなんとか」と手を合わせた。
本人からしてみれば本気のお願いだが、男にはバカにされているととったようだ。
男の体から目に見えるくらいの魔力が噴き出す。
赤とも黒とも言えぬ怒気が彼を覆う。
これはまずい。きっとまずい。
箒を構えて、身構える。
そのとき、ドン、と音がした。
同時に、感じたのは、背中への衝撃。
押されるままに、膝をつくと、聞きたくもない聞きなれた声が降ってきた。
「おい。魔術はこいつに効かないって言ったろ」
背中が、ジワリと熱を持ち始める。
首を捻ると弓矢の羽が背中から生えてるのが見えた。
「・・つっ・・・」
痛みを感じたのは一瞬だけで、ジワジワと感覚が麻痺して行く。
いつの間にか、家の敷地内を魔物が取り囲んでいた。地球ではありえない生物ばかり。召喚されたばかりの柚子なら、卒倒するほどの見目だ。
この集団には誰も気付かないのか、近所の子供たちが道を走り抜けている。
血が背中を伝って、体から力が抜ける。
喉にせり上がってきたものを吐き出すと、地面は更に真っ赤になった。
「・・・アゾレスト、」
魔物を率いた魔人は、魔王直属の配下だ。
人にはあり得ない真っ青な肌色と、耳上から生やした山羊の角が特徴。
弓を構えていることから、矢を射たのはそいつで決まりだ。
こいつは、初めて会った時から執拗に面倒事をつっかけてくる。柚子が勇者の妹ってのも気付いてるはずだ。
それと、柚子の特性も。
「さあ!!ゾル!首を切り落とせ!!」
ここまで誘導したのはこいつか。
自分で手は出さずに高見の見物も相変わらずだ。
引き連れてる魔物は、柚子が男を倒したときの、保険だろう。
膝を着いて、ゾルと呼ばれた男を見上げる。
何故か、主犯の魔人を睨みつけていた。
「手は出さないという約束だったろう。俺は卑怯者にはなりたくない」
「そうだったな忘れてた。なら、回復を施して改めて敵討ちするか?」
皮肉ってるような言い方で返す。
もしかしなくても今が逃げるチャンス?
柚子は転がるように走って家のの中に飛び込んだ。
左足のふくらはぎに、火の玉が掠れ、急いで戸を閉める。
半ば這いつつリビングへ向かい、兄から護身用に持たされていた細身の剣を引っ張り出す。
女性用の軽い作りで、柚子向きの剣だ。
背中に矢が刺さったまま、一振りする。ピキ、と背中が痙攣を起こした。
体が悲鳴をあげている。
けれど、痛みを感じない分これで時間稼ぎになりそうだ。
「ユト=アリス!!!」
男の怒鳴り声。と、破壊音。
玄関やられたな。
ガタイが良いくせに魔術師。
柚子とは相性が悪い魔術師だ。
城の王子が珍しいからと贈ってよこした鏡を盾代わりにする。胸部までを映す大きさ。
いくらしたのか分からないが、価値ほどを見極める機会だ。
巨大な魔力の気配がして、机の下に潜る。
矢の柄がつっかえて、慌ててる間に、机の上にあるもの全てが薙ぎ払われた。
風が吹きさらす。
冷や汗が吹き出る。
こっそり覗いた先には、雨雲が立ち込め始めた空。
ああ・・・屋根がない。壁がない。
「ユト=アリスゥゥウ!!さあ!構えろ!!」
なんか知らないけど、憎しみ倍増してない?
闇の魔術にうってつけの天気になった。
もう、自分の運の無さにはため息しか出ない。
「・・・ゾル・・・あなたの憎しみ、私が受けて立つわ」
机から這い出して、鏡と剣を構える。
男はローブをはためかせ、両腕に魔力を溜めて行く。
家を吹き飛ばすくらいのものがまた来るのか。
「ようやくその気になれたかユト=アリス!!同志の無念、怒りをその身に刻め!!!」
闇色の塊が、男の背を超え、家ほどにも膨れ上がり、さらに見上げるほどの大きさとなった。
これをまともに喰らえば、柚子の身体はどうなることか。
魔術は効かない、と言ったアゾレストと言えば目をキラキラさせて男の頭上に完成させた闇の塊を見上げる。
国潰しの為に使う魔術だ。
こんな小さな人間に放つには有り余る威力。
「良い力だ。やはり人間にしておくのは惜しい」
とうとう、それが放たれた。
魔人も魔物も、柚子が粉末になって消えるのを期待しただろう。
柚子を喰らおうと、塊から蛇のように生きた魔力が襲いかる。
闇の色が彼女を包んだ時。
柚子は手にもつ鏡をその魔術に掲げた。途端に魔力は弾かれ、その勢いのまま、ローブの男へと打ち返された。
魔術が、使用者へ襲いかかっていった。
「な!!あがあああああああ!!」
―― バリバリバリ!!!
ゾルがその塊に捉えられた。
末路は見る必要なく、雷鳴に似た轟音が耳に突き刺さる。
ああ・・・私、人を殺した・・・。
自己防衛だったとしても、負債がのし掛かった。
衝撃でヒビの入った鏡は、やがて砕け散って、あとはもう身を守れるようなものはなくなる。
戦う為の剣しかない。
「アゾレスト・・・満足?」
気持ちを悟られぬように、気丈に振舞って切っ先を魔人へ向けた。
先ほどの子供のような表情をそのままに、彼は恍惚と頷いた。
「お陰様でゾルの魂は魔物として転生することだろう・・・お詫びに、ユズ=アリスにプレゼントだ」
やはりな。こいつはしっかりと兄と妹の区別が付いている。
魔人は癇に障る笑い方をして、フワリと舞い上がった。
「腹を空かせた俺の可愛いペットで、楽しんでくれ!!」
さっきの鏡、こいつに向ければこいつが消えたかな。
本気で殴りかかりたい。
「・・・あんたには、本当に、大迷惑っ!!」
体の動きを制限させている矢を自ら引き抜いた。栓を失った傷口から血が溢れ出す。
・・・どうせすぐに塞がる。気にすることはない。
手にした矢を、そいつに向かって投げつけた。
血濡れた矢は、アゾレストのつま先にもかすらず、綺麗な弧を描いて、地面に落ちる。
その様子を、空から笑う。
周囲を囲む魔物たちもつられたように、嘲笑う。
惨めだ。悔しい。
歯を食いしばった。
突然、空が光った。
気づくと、真上からアゾレストの体を黄金の矢が貫いていた。
「がああああああ!!!なんだあ!!」
光属性の魔術だ。
魔人の身には相当な効き目だろう。
魔術を放った者は、空にいた。
「アゾレストぉぉぉぉ!!」
黒い髪に高級な旅服。
飾り気のない白い仮面の下には、柚子によく似た顔があるだろう。
旅人は、身の幅ほどある大太刀を頭上に構え・・・空から、重力のまま落ちてくる。
やっと来た。
出血多量で血の気も失せた柚子は、その場にしゃがみ込み、ゆっくりと倒れた。
ヤマなし
オチなし