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水音  作者: ばらっど
2/5

水音 その二

 帰宅してから、浄水器から水を汲み、何度か往復して湯船に湯を張った。入浴剤など入れなくとも体の芯まで染み込んでくるかのようで、上がってからも足の先まで暖かい。あんまりイイ気分なので、母への電話も文句はほどほどに、浄水器を褒めるばかりとなってしまい、失敗したと思う。しかし、電話口の母が嬉しそうにしていた為、私の中でも叱る気持ちはうやむやになってしまった。

 寝る前に一杯、水を飲んで布団に入る。睡眠前のコップ一杯の水で血液がさらさらになるそうだ。その手の健康知識を眉唾ものに思っていた私だが、今となっては信じられる気がする。きっと明日も化粧の乗りが良い。やはり人間の健康は水からだ。すっかり能天気になった私は目覚ましをかけて枕を抱き、ほくほくとした笑顔で瞼を閉じた。



 しと、しと、という音で目が覚めた。

 ぼんやりと瞼を開けると、室内はまだ暗い。時計の針は二時を指している。嫌な時間に目が覚めたな、と布団をかぶり直した。湯冷めでもしたのか、いやに身体が冷えている。

 しと、しと、しと。

 響くような音が耳につく。窓の外を覗いたが、雨ではない。ならばと電気をつけ、台所へ向かうと、蛇口から滴り落ちていた。ぎゅっとレバーを締めて水が落ちなくなったのを確認すると、あくびをしながら布団に戻る。安眠を期待して体を伸ばすが、それから一、二分と経っただろうか。

 ぴちょん、とシンクを叩く音が聞こえた。

 古いマンションなのだからどこかにガタがくるだろうと思っていたが、うんざりした気分になった。水滴が少し滴るだけで水道料金は目に見えて違う。素人仕事で浄水器を付けたのがいけないのかとも思ったが、水道の栓に関わる部分は弄って居ない。気にしたって仕方が無い。何とか眠ろうとして目を閉じて、空が薄紫になる頃にようやく気を失った。



 次の日は休みを利用して水道の栓を調べた。

 時間が立つと緩んでくるのかもしれないと見張ったが特にそう言う事もなく、日中、蛇口は音を立てなかった。試しに浄水器を外してみたが特に怪しい所もない。ついでに元のままの水道水を口にしたが、正直ドロ水でも飲んだ方がマシだと思った。

 なんなら今度、業者でも呼ぼう。金はかかるが、嵩増して行く水道料の事を思えば、一回の出費だ。そのためにはまず部屋を片付けようと、私はズボラな自分を責めつつも、見える位置をなるべく綺麗に掃除した。

 掃除が始まると時間が早い物で、模様替えじみた行為が終わるころには、太陽はすっかり落ちていた。冬も近いのに汗まみれになった私は、息を切らしながらヤカンに水を汲み、せっせと風呂桶に運んで湯を沸かした。疲れていても、もう普通の湯船に浸かりたくは無い。しばらくすると風呂場に湯気が立ち込めてきた。

 早速服を洗濯かごに入れて、体を流すのもそこそこに湯に浸かる。あー、と喉から声が出て、おばさんになったかな、と少し落ち込んだ。

 ちりちりと電球がちらつく。どうやらこれも取り換えないとならないらしい。こまごまとした出費が続くな、と少し気が重たくなった。

 入浴剤を入れて居ないので、そのまま湯船のお湯で髪の毛を洗う。シャンプーを泡立てて行くと、思わず目を閉じる。しゃわしゃわという音が頭上から聞こえる。この湯で髪の毛を洗うと本当に指通りが良い。機嫌良く洗い終え、いざ泡を流そうとする。


「ひっ」


 上ずった声が漏れた。

 肩に冷たい物が当たった。

 おそらくは湯気が天井について、滴になって落ちたのだろう。落ち着きを取り戻した途端に、今度は目の前が暗くなった。お湯をかぶって眼を開くと、何も見えない。窓のない浴室は、脱衣所も灯りがついていないと、本当に何も見えない真っ暗闇だった。

 ちらついていた電球が嫌なタイミングで切れたようだ。

 ため息をつきながら手探りで脱衣所に出ていく。足元に柔らかい感触が当たるのは、おそらく脱ぎ捨てた服だろう。なんとか壁伝いに灯りのスイッチを探し出し、ようやく目の前が明るくなった。脱衣所の灯りがついたものの、そこから漏れる光だけで入浴しなおすのは辛い。まったく見えないわけでは無くても、薄暗い中に静かに溜まった水面がなんとなく怖く、残りのお湯は洗濯にでも使ってしまおうと、髪を乾かして布団に入った。

 大きく伸びをして、無防備な格好で横になる。手足が布団から出ると冷えるから、それからまた縮こまって眠気を待つ。うつらうつらとなってきて、すっと眠りに入って行った。


けれど、その日も眠りは続かない。


 深夜になるとまた聞こえてきた。しと、しと、しと……と滴る音。布団の中で眼を覚まして、時計を見てうんざりする。気にしても仕方がないのだが、やけに通るその音は、眠るにはあまりに邪魔すぎる。湯冷めしてはたまらないと、足早に台所へと向かっていく。

 すぐに「あれっ」と思った。

 シンクに水たまりの跡が無い。蛇口を確かめるが、やはり水が落ちてはいない。

 それでも音はまだ響いている。

 耳を頼りに視線を向けると、暗がりの向こうで水音が鳴っている。そちらには、電球の切れた浴室がある。湯気が未だに滴っているのかと思ったが、それにしては間隔の短い音だ。シャワーや蛇口を使った覚えは無い。

 とはいえ、風呂場から水の音がしてもおかしい事は無いと、半ば強引に自分を納得させて布団に戻ることにした。もしかしたらシャワーの栓も傷んだのかもしれない。明日、業者を呼んだら台所と一緒に見てもらえばいい。深く吐いた溜息が心なしか布団の中を温める。室内の気温に冷えてしまわないよう、体を丸めて夜明けを待った。



 翌日、業者を呼んだのだが、水道に異常は無いとの事だった。

 ただ、浄水器を少し眺めて、軽く首をかしげていた。蛇口をひねって水を出し、フィルターを通した水に触れ、その素晴らしさが通じるかと思ったが、特にコメントは無かったようだ。

 結局、水音の正体は掴めなかった。

 私は電球を買うついでに、雑貨店で耳栓を買って対策とした。浴槽を覗くと中は空になっていた。業者の人が流してしまったのだろう。先に洗濯をしておくべきだったと少し後悔した。

 しかし、水道の音で無いとすればなんだろう。雨漏りを考えたが、このマンションは上にも部屋がある。だとすれば、天井の配管が腐ったのかもしれない。それならまた、先ほどの業者に顔を合わせるのだろうか。

 しかし、私の心配をよそにして、天井からの雨漏りは確認できなかった。段々と得体のしれないものを感じながらも、私は水音を耳栓で妨げ、なんとか睡眠をとるしかなかった。不思議な事に、耳が慣れていくのか、時間がたつにつれて水音が、耳栓の向こうから届いてくる。

 それが段々、何かを囁くように思えてきたのは、おそらく私の弱虫のせいだろうと思っていた。


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