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水音  作者: ばらっど
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水音 その一

――しと、しと、しと。 

 目が覚めたのは夜中のことだ。気にしても仕方が無いと布団を被るが、音はこもったものの、まだ響いてくる。外れていた耳栓を詰め直してようやく音が遠くなると、やっと瞼を閉じられる。しかし耳栓から鼓膜に染み込むように、確かに音は響き続ける。

 私は体を丸め、脚を抱えるようにして横になる。布団から頭も爪先も出さないように、隠れるようにして眠気を待つ。外を通る車の音も聞こえない中、しと、しと、しと、と囁くように、水音だけが響き渡る。掌で耳を塞ぐようにして、ぱん、とこめかみを叩く。耳鳴りがきぃん、と響き、何も聞こえなくなる。頭がくらくらとするが、それでもこの方が安眠に近い。翌朝、クマができてやいないかと心配になりながら、少しずつ慣れている自分に恐ろしさを感じている。

 やがて耳鳴りが収まる。すると、まるで遠くから近づいてくるかのように、あの水音が響いてくる。動悸の激しくなる胸を押さえ、貝のように身を固めた。



 仕送りなど頼んでも居ないのに、宅配便が届いたのは半月以上前だった。

段ボール箱の中に入っていたのは、真新しい浄水器だった。母の手紙をかいつまんで言えば、訪問販売の口車に乗って割高で購入したらしい。故郷に通る水道は山から引いた天然水で、わざわざ浄水器など付ける必要は無い。どう考えても無用な買い物だ。

「人が良いんだから、騙されないようにって言っておいたのに……」

 あんな田舎町でも、悪徳セールスマンは居る。心配はしていたが父も居るのだし、母だってそうそうは騙されないだろうと思っていたらこの通りだった。あまつさえ、結局使わないからと私に送りつけてくる始末。文句よりも先に深い溜息が漏れた。

 見た所、浄水器自体は少々大ぶりなものの、きちんとした作りだと思う。

 素人目に見て解るのかと言われれば怪しいが、少なくともフィルターのような物はついている。本音を言えば、自分の財布が痛まずに浄水器が手に入ったのは少しだけ有り難かった。

 都会の水は田舎育ちの私からしてみればカルキの匂いと味が濃く、まるで薬品をそのまま飲んでいるかのようにしか思えなかった。古いマンションを借りたため貯水タンクに問題があるのかもしれないが、沸騰させても臭く、味気ない。飲み水どころか調理すら、ペットボトルのミネラルウォーターを使っている程だ。

 その薬品臭さが体に悪い気がして、一時期は入浴すらミネラルウォーターを使っていた事もある。

 しかし、それは家系への圧迫が酷く、一人暮らしとは言っても女性の身では、必要な水量を贅沢することは出来なかった。それでも未だにシャワーを浴びるたび、髪の毛がキシキシする気がする。



 浄水器の取り付けは素人でも出来るものだった。説明書にそって蛇口についているキャップを外し、先端に器具を取りつけていく。あっという間にアンバランスな外見になった。台所との調和は無いけれど、見るからに「装置をつけていますよ」という感じは、何となく安心感を与えてくれるかもしれない。

 早速、蛇口を捻ると、とぽとぽと音を立ててシンクに水が落ちていく。おそらくは気分だけに違いないが、浄水器を通した水は透明感がある気がした。コップを手にとってそれを汲む。口に運ぶと、あの嫌なカルキの匂いは感じられない。鼻をくすぐるのは、まるで雪解けの水から感じられるような清涼感。ゆっくりと口に含むと、まろやかな風味が広がった。田舎の水は、きちんと味が感じられる。この浄水器を通して飲んだ水は、まるで実家で飲んでいた水そのもののように思えた。心なしか水温も冷たく、乾いた喉へと心地よく染みわたって行く。

 美味しい。

 騙されて買ったとはいえ、なるほど、浄水器としては良い物なのかもしれない。勿論、それで母に文句が無いわけではないが、これは有り難く貰っておこう。こうなると料理をする気も膨らむ物で、早速私は買い置きのパスタを茹でることにした。レトルトのソースで味付けしても美味しかった。



 翌日の朝は寝覚めが良かった。

「なんだか、今日は肌の艶が良いね」

 同僚の美奈子からかけられた言葉に、私は思わず頬をほころばせた。前の日から洗面所も使っていない。あの浄水器を付けた水道で顔を洗い、歯も磨いた。そのせいか今日は気分が良く、化粧の乗りもいつもとは違う。その事が他人の目から見ても解ったのが嬉しく、私は美奈子に浄水器の事を教えた。

「へぇー、それでそんなに変わる物なんだ?化粧水とかなら解るけど、水道の水で」

「普通の水道水って、消毒する薬品が沢山入ってるんでしょう?やっぱり肌にも良くないのよ、きっと」

 よくは原理を解らないが、私はとりあえずそんな事を言っておいた。実際、普段からそう思ってはいたのだ。雑菌を殺すような成分が、人間の体に良いとは思えない。美奈子はふうん、と気の無い声を出していたが、私はすっかり浄水器にハマっていた。今日もわざわざ水筒に水を入れて、お茶も飲まずにそればかり飲んでいた。寒くなってきたのに暖かい物じゃなくて平気なのかと言われたが、私は全然平気ですと答えた。

「もしかして君も結城さんに影響されたの?」

 そう言われて、首を横に振る。

 結城さんは女性の先輩で、お局様扱いされている。私が入社する前から占いや風水、オカルトな物に凝ってるらしい。

 いくつになっても女性は占いみたいなものが好きで、信奉している同僚もいる。私は生憎、そういう物に興味は無いから遠巻きにしていた。

 そういえば「湯を沸かすと水に込められたパワーが消える」みたいな事を言っていた気がする。勿論、私が水筒を持っている事とは関係が無い。にも拘らず、結城さんは自分の名前が出たのか聞こえたのか、私の方へと寄ってきた。


「珍しいわね、水筒だなんて」

 

 適当に微笑んでおいた。変にオカルトな話をされても困る。出来れば早めに切り上げてほしかった。

「けれど黒い水筒なんかだめよ。水は悪い物を貯めるの。容れ物にもゲンを担がなきゃ」

 なんと返していいのか分からない。はあ、と気の抜けたような声を出してしまう。そういえば風水では水場が大事とか聞いたかもしれないが、この人の場合は独自の理論も入っている。

 美奈子が浄水器の事を話して助け船を出してくれた。浄水器なんて文明の利器が相手なら話しようが無いと踏んだのだろう。けれど結城さんはいつもの調子だった。

「尚更危ないわよ。それは水の悪い部分を停滞させてしまう物だもの。何が溜まっているか分かった物じゃないわ」

 はいはいそうですか、という気分だ。あまつさえ、そういう水が悪い物を呼んでしまったらどうするか、なんて講義まで始まった。

「ああいうものは意識するといけないの。存在に気付いた瞬間に入り込んでくるのよ。危ないと思ってしまった瞬間に対応するべきだわ」

 もう苦笑いししか出てこないが、先輩相手である手前、聞き流しながら仕事をこなした。



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