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水竜王の年代記

水竜王の年代記【契約編】

 大地は、まるで洗いたてのシーツの様な純白に覆われていた。時折、針葉樹の葉に乗った雪が、その重さに耐えられなくなり、バサバサと音を立てて地面に落ちる。そして、天空に震える二つの月の輝きが大地を照らし出し、銀色に輝かせる。それは、もはや芸術的とさえ言えるような、そんな世界であった。


 幻想的な風景の中、芸術性の欠片も感じられない軌跡を描いて、純白を汚すように、赤い染みが点々とついている。


 血だ。


 身体の節々が痛む。

 傷のせいだけでなく、この冷気のせいで間接が痛むのだ。


 ――これだから人間の身体なんてものは不便なんだ――


 針葉樹の森の中、しんしんと降り積もる雪に埋もれるように倒れている少年は、誰に対するでもなく不平不満を頭の中に並べたてる。もちろん、いくら並べてみたところで、そんな不満を聞いてくれる者とて、こんなところにはいはしない。


 彼は、ドラゴンだった。


 それも、成長すれば「ブルードラゴン」と言われ、数万とも言われる水が属のドラゴンと、数億と言われる水の精霊の、頂点に立つべき存在となる事が約束された王者である。

 それが、『水が属の勢力範囲である「氷」を持って、スノードラゴンに倒された』『挙句に、竜の身体を封印までされて、瀕死の重傷である』等と、いったい誰に言えようか。

 森なんだから、せめてエルフの一匹でも出てきてくれないか。エルフを食べれば、体力も魔力も回復が早いであろう……人間ならば、せめて魔法使い……いや、それも出来れば若い女が良い……老人は食べても肉が硬いしぱさつく。

 彼は、その旺盛な食欲と現状の不満によって、かろうじて意識を保っていた。

 そうこうしているうちに、ザクザクという、規則的な音が遠くから聞こえてくる――

 おそらくは、人間が雪を踏みしめながら、歩いているのだろう。

 彼は、直感的に思った。


 (おれは助かる)


 彼は、最後の力を振り絞って立ち上がると、その人間が歩いてくるであろう方向に目を向けた。竜としての力の大半を失っているとはいえ、それでも人間よりも遥かに視力も良く、聴力も上なのだ。

 獲物は、軽装の戦士のようだ。雰囲気からすると、小柄で、女とも思える。

 上々の獲物だ。

 彼は、走った。その速度は、疾風の如く(気持ちだけは)であった。

 実際のところは、右によれ、左に倒れかけ、最終的には這うようにしていたら、獲物の方からも近づいて来てくれたのだが。

 そして、獲物は彼を凝視した。だが、そこに浮かぶ表情は恐怖ではなく、驚愕の表情であった。しかも、あろうことか、その後、僅かの時間で微笑に変わったのだ。

 彼は、ドラゴンとしての矜持を、いたく傷つけられた思いであった。

 ありえる事ではなかった。彼は、にわかに現状を把握する事が出来ず、混乱した。だが、元々の極度の疲労と憔悴と、現在の衝撃と苦痛によって、彼の意識はそこで途絶えてしまった。ただ一言。


 「アイゼル……」


 と、憎むべきスノードラゴンの名前を口にしてから。


 少女は、自身の身の丈程もある、長大な剣を携えて、しんしんと降り続く雪の中を、麓の町まで戻ろうと歩いていた。

 彼女は、剣の腕と、高い魔力において、この王国で右に出るものはいないであろうと言われている、ドラゴンスレイヤーである。

 今までに倒したドラゴンの数こそ、それほど多くはないが、倒したドラゴンのクラスとなると、まさに他を圧倒する戦績であった。今も、水が眷属の第二位階であるスノードラゴン、アイゼルを一撃の下に屠った直後である。

 だが、僅かな魔力の蟠りが付近にあるようであった。まだ、小さな竜の眷属でもいるのであろうか?だとすれば、見逃すわけにはいかない。竜は、人に仇なすものなのだ。彼女は、意を決して、今来た道を、また、逆に辿り始めた。

 しばらく小さな魔力を辿って行くと、そこには丸裸の、年の頃は九歳から十歳位の少年が見えた。

 彼は、空ろな目をしてよろよろと近づいて来た。近くで見ると、全身に打撲した痣のようなものがある。何かに襲われて逃げてきたのであろうか?

 彼女は、彼を安心させようと、柔らかく微笑んだ。

 

 パチパチと、何かが爆ぜる音が聞こえる。

 身体は柔らかい布で覆われ、ふわりとした暖気が流れ込んでくる。


 「ん? ……これはおまえが?」


 彼はあたりを見回し、この場所がおそらくは山小屋であり、何かが爆ぜる音が暖炉によるものであることを確認すると、目の前の椅子に座っている、小柄な剣士と思しき人物に声をかけた。


「ああ、雪の中、素っ裸で倒れて、アイゼルなんて名前を口にする子供は、さすがに放っておけなかったから」

「……! アイゼルのヤツを知ってるのか!? あのヤロウ、今度見かけたらぐちゃぐちゃにして殺してやる!」

「それは、まぁ、いろんな意味で無理」

「なんでだ!」

「この辺の村の人が、アイゼルには何人も襲われててね、退治の為に私が呼ばれて、ちょうどさっき、私が殺してきちゃったから。ごめんね、でも、代わりに私がアイゼルをぐちゃぐちゃにしてあげたから、良いじゃない?」


 彼は、目の前の小柄な女剣士を凝視した。そういえば、彼女が座っている奥には長大な剣が、白い鞘に収められて立てかけてある。鞘も、僅かに光を放ち、それが魔力を帯びたものであることを指し示していた。間違いなく、ドラゴンを狩る為の剣に違いない。


「そ、そう……そうなんだ……てことは、お前はやっぱり、ドラゴンスレイヤーなのか?」

「……そうね……私は、ハンナ・グラッツ、ちょっとは名の知られたドラゴンスレイヤーよ。……ところで、キミ……名前は?それから、どうしてあんなところで裸だったの?」

「おれは、ブルー……、ブルー・ドラグーン……アイゼルに、その、色々とやられた……から」

「そっか、やっぱりキミもアイゼルに襲われたんだ……でも無事で良かった」


 彼は、焦った。ドラゴンスレイヤーなど、ドラゴンにとっては天敵である。しかも、成竜になっていないとは言え、ブルードラゴンである自分を完膚なきまでに叩きのめしたスノードラゴンを倒すとは、ただ事ではない。挙句に、ほぼ、ブルードラゴンって言ってしまったのだ。ばれたら殺される。


「おい、鼻水でてるぞ? 寒いのかな? ブルー君」

 だが、ハンナと名乗る黒髪、黒目の女ドラゴンスレイヤーは気にした風もなく、ブルーのいるベッドに近寄り、懐から取り出した布で、ブルーの鼻を拭いた。


「やめろ!なんなんだ!」

「あははは! 可愛いなぁ! キミがアイゼルにやられたっていうなら、私は、その仇を討ったんじゃない、お礼ぐらい言いなさいよ」


 恐怖に慄くブルーに、ハンナは遠慮なく近づき、ブルーの蒼い髪を撫で付ける。


「言っておくが、おれはスノードラゴンにこんな姿にされてるだけで、元に戻ればもっと大きいんだ! 大体、おれがやっつけるつもりだったんだから、礼なんか言わないぞ!」

「あ、そう? それはスノードラゴンを倒せなくなって残念ね。それから、スノードラゴンにかけられた呪いは、多分時間がたてば解除されると思うから……ま、元に戻るのは気長に待たないとねぇ」


 ハンナは、そう言ってから立ち上がると、暖炉に近づき、その炎の上の網で焼いている肉を、金属製の棒で突き刺して取り出し、ブルーに差し出した。


 「なんだ? これは?」


 ブルーは蒼い目を丸くして、ハンナの漆黒の瞳を見つめながら、問いただす。

 そういえば、さっきからブルーの鼻腔をくすぐる良い匂いが漂っていた。

「肉よ、食べた事あるでしょ? とりあえず、これでも食べて元気を出して」

「ふうん、ま、いいや! ありがとう!」


 ブルーは、目を輝かせて、差し出された肉にむさぼりつく。その姿を見たハンナは、きっとこの子が元の大きさに戻っても、結局は子供には違い無いであろう、と思った。


「熱いっ! でも、そんなに熱くないっ! なんだ!? でもうまいな! これ! いったい何の肉だ!? こんなの食べた事ない!」

「あら、そう? この肉、スノードラゴンよ。氷属性だから焼いてもすぐに冷めるのよ、でも、焼きたての味は続くの」


 ハンナの言葉を聞くと、ブルーは食べていたものを盛大に噴出した。さすがに、いかに敵対していたとは言え、同属を食べるつもりはなかったのだ。

 そして、


 「先に言え!!これじゃ共食いだよっ!」


 と、叫んでいた。

 だが、そう叫んだあと、すぐに自分の言葉を後悔した。目の前のドラゴンスレイヤーの目つきが変わっている。黒絹のような漆黒の髪も、逆立たんばかりだ。

 ハンナの口が、僅かに動いている。透視の呪文だった。もはやブルーには、言い逃れる術は無さそうだ。


「そう、あなたもドラゴンなのね? その姿は、呪いというより封印か……残念だけど」


 そう言ったハンナの目は、もはや笑ってはおらず、即座に身の丈程もある大剣に手をかけている。


「子供と言えども、ドラゴンは殺しておかないと」


 ハンナは、さらに呪文を唱え、刀身にさらに強力な魔力を込め、鞘から剣を抜き放つ。

 

「くっ、人間風情がっ! 身の程を知れっ! 我は水が属の王たるブルードラゴンなるぞっ!」


 もはや戦いは避けられないと観念したブルーは、そういうと、呪文を唱える。封印されたとは言え、封印した本人が死んだとなれば、それを解くのも容易であるはずだ。何より、このドラゴンスレイヤーは、もう、自分を殺す気であろう。戦うには、本来の姿を取り戻すしかないのだ。

 ブルーの予測は当たった。解呪の呪文が成功し、自身の周囲に空気が集まり始める。そして、部屋そのものが揺れ始め、屋根が吹き飛び、外の寒風が入り込む。風で暖炉の火が消え、室内は暗くなった。だが、それも一瞬の事で、ブルーの呪文が終わると、今までいた部屋は跡形も無く吹き飛び、再び白銀の世界が現れた。


「ぷっ、あはははは! ちょっと……!!」


 そこには、確かに蒼く、宝石のように輝くドラゴンがいた。

 ただし、体長十センチ、体重二キロ程度の。

 ハンナはブルーの羽をつまんで、自身の目の高さまで持ち上げた。


「可愛らしいブルードラゴンね。しかも、知能も低いなんて。なんとなく、アイゼルの気持ちがわかった気がするわ……コレが竜王じゃ、恥だもんね、あははは」


 ブルーは必死に抵抗を試みて、コールドブレスをハンナの顔に吹き付けた。


「……ひんやりするわ……」


 ブルーは、涙目になって人に戻った。


「とりあえず、今は悪さをするブルードラゴンの話は聞いてないし、そんな姿じゃ、なんだか殺す気もおきないわ……といって、放置も出来ないわね」


 人として立っていても、小柄なハンナよりも小さいことに気がついたブルーは、改めて愕然とする。


「おれ、子供にもされてたんだ……!」

「気がつくのが遅いのよ。見た目からしたら九~十歳ね。ドラゴン形態の時は、生まれたて?」


 ハンナはそういうと、閃いたように、


「もしかしたら、キミの肉もおいしいかな?」


と、言った。

 ブルーは、首を左右に振って拒絶の意志を明確に示す。


「ドラゴンは味じゃなく、魔力を高める為に食べるもので、面白半分で食べるものじゃない! やめろ! 絶対にやめろ! 呪われろ!」

「そうね、ブルードラゴンなら、きっと高い魔力も秘めていそうだし?」

「そもそもおれの食べ物はお前らだろ!食べ物の分際でおれを食べるとかいうな!」

「態度だけは大きいのねぇ。ま、いいわ、今は食べないであげる。その代わり、きみも人を襲わないように」

「それは無理な相談だ! お前は牛や豚を食べないで生きていけるのか?」

「ふー……意外と哲学的なことまで言うのね。ま、今はそのナリだから誰も襲えないと思うけど。だからと言って放置して大きくなって暴れられてもこまるし……でも、今、殺すのも気が引けるわ。仕方ない、ついてきなさい」


 ハンナは、ブルーのあどけない顔を見つめて、軽くため息をついた。


「じゃあ、何を食べれば良いんだよ……」


 ため息をつきたいのはこっちだ、とブルーは思った。


 「ドラゴンなんだから、百年や二百年食べなくても死なないでしょ。あと、それこそ牛や豚を食べなさい」


 ブルーは、行かなければ殺される、行ってもいずれ殺される。どうしてこんな事になったんだろう? と子供の姿のまま、首をひねっていた。とは言え、ここは、ついてゆく以外に生き延びる道は無さそうであった。


「なあ、ハンナ。お前もドラゴンを食べるのはやめてくれないか?」

「あらー、それが水が属の竜王たるブルードラゴンとしての正式な提案なら、考えてあげなくもないわね? その代わり、代償はキミの眷属全てが人を襲わないと約束することね」

「くっ……! アイゼルの方がまだマシだった……」

 

 そうして、あたり一面の銀世界の中、裸の、蒼い瞳と髪を持つ少年竜王と、長大な銀色の剣を手にした黒い瞳と黒い髪を持つドラゴンスレイヤーの少女の、互いの妥協と打算による同盟関係が成立した。

 この事が、後の世に「白銀の盟約」と呼ばれ、人と竜の、長きにわたる同盟関係の始まりであった、と記録される事になるのである。

 ただし、当時のパワーバランスが、このとき、人の九以上に対し、ドラゴンが一以下であった事は、竜王ブルー・グラッツのたっての希望により、公式に記録される事は無かったという。

共食いっていうのが、残酷な描写になるのか、小一時間ほど悩みました。

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