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教訓4:変態に突っ込んではいけません。体力の無駄。


 狭い道を抜けて、大通りに出る。当初の予定路とは違うし人が多くて嫌になるが、この道が高校までの一番の近道だ。ちんたらしていたら遅れてしまう。

「うう、そばが……」

 ぼそぼそと呟く声に、どうやら頭に蒸篭をぶつけただけじゃなく、そばを頭に被ってしまったようだと推測する。あ、ちょっとムカついた。

「そばを被ったぐらいがなに?! 鳥のフンよりマシよ」

 普段様々なトラブルに巻き込まれている私だ。そばをかぶったことぐらいでグチグチ抜かすのが許せず、振り返って叱りつけるように言ってしまった。しかし、その私をまるで哀れむかのように見る奴の視線とかち合う。やっぱりそばはかぶっている。

「鳥のフンって……おまえ、女がフンとか言うなよ」

 なによ、今どき男女差別ですか。女だってフンぐらい言いますよ!

 唇を尖らせて、私は前に向き直る。いちいち後ろを振り返っていたら、またどんなトラブルに巻き込まれるか分かったもんじゃない。などと考えていると、再び背後から何かが聞こえてきた。なんか前回聞いたような音なんだけど。

「なかなかいけるな……汁無しでも」

「ちょ……ちょっとぉ?!」

 目玉が飛び出しかねない勢いで後ろを振り返る。先ほどの自戒もソッコーで忘却の彼方だ。

 奴は自分の頭に乗っかっていたそばを口にしていた。しかも満更不味くもないといった顔つきだ。

「なんふぁ?」

「だあかぁら! 口に物入れたまま喋んないの! ちょっとあんた、何食べてんのよ!」

 口の端から飛び出しているそばをぷちんと千切って、奴はそれを私の眼前に差し出す。

「なにって、そば」

 そんなのを聞いてるんじゃないぃ! と叫びたくなったけど、そんな元気ももう切れてしまった。ひどい脱力感を感じながら、私は軽く首を振る。

「あのね、そんな頭にかぶったそばを食べるのはやめなよ。不潔だし、お腹壊してもしらないわよ」

 大体、さっき私のお弁当を強奪して食べたくせに、もうお腹が空いたのか。呆れて物も言えない。

「うるさい。髪は昨日ちゃんとレモン石鹸で洗ったし、俺は食えるものは何でも食う主義なんだ! それにもったいないだろう!」

 もったいないって、こういう場合この言葉を適用すべきなんですか。その前にレモン石鹸って……駄目だ、ツッコミ所が多すぎる。なんだろう、この疲労感。

 ツッコミ続けたことと、一人の人間を後ろに乗っけたまま自転車を漕いでいることで、私の身体は疲労困憊していた。朝からエネルギー使いすぎだ。

 それもこれもコイツのせいだ。あんな所で出会わなければ……あんな所?

 はたとあることを思いつき、私は後ろの変態に問いかける。

「……ねぇ、あんた、どうしてあんな所で倒れてたの?」

 そうだ、始めにこれを聞かなければならなかった筈だ。なんでこんな大切なことを忘れてしまっていたのか。

「……だからだ」

 歩道のすぐ横にある道路を、トラックが走り抜けていく。そのおかげで、台詞の前半分は聞こえなかった。

「え? なに、聞こえなかったんだけど」

「……あれが俺の家だからだ! 家出てすぐ、腹減りすぎてぶっ倒れたんだ」

 横断歩道に差しかかり、赤信号になったのを見て自転車を止める。そして振り向きざま――後ろの変態の頭を張り倒した。

「ぶっ……?! なにす……っ?!」

 叩かれた頭を押さえて、奴は目を白黒させる。

 私は蛆虫を見るような目で奴を睨みすえた。

「じゃあ私のお弁当を盗るような真似しないで、家に帰れば良かったでしょ! なんでそうしないのっ!」

 私が怒鳴りつけると、奴はばつが悪そうに目を逸らす。もう一度殴ってやろうかと拳を固めると、奴はぽつりぽつりと話し始めた。

「俺の家は……めざし三匹食ったらそれで朝飯は終わりなんだ! それ以上食べることは許されない!」

「めざし三匹……」

 頭の中に、小さな魚三匹が串に刺されて皿に乗っている図が浮かぶ。すごく栄養が偏りそうだ。そんなに経済状態が苦しいのだろうか。かといって私のお弁当を強奪したことを許せる訳じゃないが。

 信号が青になったので、再び自転車のペダルに足をかける。まず二人乗りというものをほとんどしたことがない私なので、走り出しはややふらついたが、自転車は順調に走り出す。

 しかし、背後がやけに静かだ。それが不気味である。

……やっぱり家庭の事情とかは話したくないもんなのかな。確かにめざし三匹の朝ごはんって言いにくいか。

めざしの話から黙り込んでしまった奴に、止せばいいのに私は思わず話しかけてしまう。

「まぁ、今日はなんとかやり過ごせたでしょ。私のお弁当食べたんだから」

 責めるつもりは毛頭ないとは決して言えないが、取り敢えず慰めの言葉を口にしてみる。なんとなく、この変態に親近感が沸いてしまったのだ。

 そんな私の気持ちも知らず、奴は大きなため息をついた。

「今日やり過ごせても……明日はやり過ごせるかわからんだろ」

 わかってないなとでも言いたげな口調に、私の頭の血管がまたもやブチ切れた!

「何言ってんの? 今日まずやり過ごせなきゃ、明日やり過ごすなんて出来ないでしょうがっ!」

 怒鳴ることで、私は奴に喝を入れる。

「だから、目の前のことをやっつけていけばいいのよ!」

 全く、この変態のようなマイナス思考では世の中渡って行けやしない。もっとガツガツしていかなければ生き残ってはいけないのだ。それはこの私が十六年という人生で痛感してきたことだ。

 この時点で、私、この変態が驚異的な執念でお弁当を強奪するガッツを見せたことを完全に失念していたからお笑いだ。

「……おまえはどうなんだよ?」

「はい?」

「おまえ、今日朝からろくな目に遭ってねーだろ。嫌になったりしなかったのかよ」

 言われて、今度は私が黙り込む番だった。

 目に映る世界。何気なくその世界を行き交っている人々。

 友達と楽しそうに笑っている顔、少し俯きがちな疲れた顔、ぼうっとしながら宙を見ている顔、いろいろな顔をした人が、私の視界に入ってくる。それだけじゃない、あのビルや、店や、家々の一つ一つにたくさんの人が、見えないだけで暮らしているんだ。

 でも、あの人たちは。あの人たちは、私とは、違う。

 私は――。

「嫌にはなるわよ。でも、あんたみたいにグチグチ言っててどうにかなるの? なんないでしょ。いやだって言っても災難は絶対やってくる――これから先の人生もきっと。だから」

 私は、顔を上げる。

「私は、戦っていくだけ」

 そう、これまでだって戦ってきた。戦ってきた、という言葉が正しいのかどうか、それは分からないけれど少なくとも私は全力投球で戦ってきたつもりだ。全く、平和大国日本と言われているけれど、その中でこんな普段からぴりぴりと生きている女子高生が他にいるならお目にかかってみたい。

「なんかおまえって……前向きなのか後ろ向きなのかわっかんねー」

 くくっ、と笑う声が耳朶を打つ。

 私は眉を寄せつつも、答えることなく前を見つめ続ける。なんか、不思議な感じだ。

 ……こんな風に家族以外の誰かと話したの、久しぶりじゃないだろうか。

 ちくり、と胸が痛む。だめだ、考えちゃだめだ。

 私は首を振って、今感じた胸の痛みを振り払う。

「どうした?」

 私の不可解な動作を見ていたのか、身を前に乗り出すようにして奴が顔を覗き込んでくる。

「なっ、なんでもないわよ!」

 声をひっくり返しながら、奴の頭をはたく。

「あいてっ、なんで叩くんだ!」

「体乗り出してこないで! あんた無駄に大きいから、バランス取るの大変なの」

 周囲から見れば何気なく運転しているように見えるかもしれないが、それは違う。後ろに乗っているこいつはなかなか図体がでかく、後ろに乗っかっている重さにペダルをこぐのも一苦労だ。

「大体、見て。もうすぐ下り坂よ。ふらふらしてたら落っこちるわよ」

 目と鼻の先にある坂を指して、危ないからじっとしてて、と注意する。傾斜がきついというわけではないが、注意しすぎるに越したことはない。

「ばーか、落ちるかよ。さっさと行け」

「うっさい、行くわよ! 大体乗せてもらっておきながらあんた何様よ!」

 いつもなら、もっと慎重になっているところだ。自転車の二人乗りなんて、交通事故の原因の上位にあるっていうのに、この時の私はどうかしていたとしか思えない。

 私は時間が迫っていたのもあって、ペダルを強く踏み出し、坂を下った。


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