浮気夫を叩き出したので、城塞は今日も平和です
北風が吹きすさぶ城塞に、夫が愛人を連れて帰ってきた。
「君の話し相手にどうかと思って、連れてきたよ。君の侍女にどうかな?」
いけしゃあしゃあと、図々しい――それを口に出さず、私は仁王立ちで数ヶ月ぶりの夫を出迎えた。
この男が、何人もの女を渡り歩いていたことを知らないと思っているのか。
この女が妊娠したから、この砦で面倒を見ろというのでしょう。
まったく腹立たしい。
果たして、この男は、女が出産するまでここに滞在するのか――それすら怪しい。
もう、この男は駄目だ。視界に入るだけで不愉快になった。
少しずつ削られて来たこの男に対する情が、完全に消え去った。
よし。今日、ここで縁を切ろう。
使用人を面接するときの応接室に二人を案内した。
「なんだよ、しけた部屋だな。
もっと豪華な内装にしないと、田舎者と舐められるぞ。やっぱり私がいないと駄目じゃないか」
何を言っているのか、このノータリンは。
ボンクラ王子の腰巾着をして、女狐にたぶらかされ、高位貴族の婚約者を蔑ろにして、辺境に追放されてきたくせに。
貴族学園は卒業したものの、実家から籍を抜かれ、平民になったくせに。
う~~~。ああ、そうさ。
そんな不良物件に、外見だけで惚れ込んだ馬鹿は私だとも!
辺境の領主一族は、学齢期になれば立派な戦力だ。
魔獣討伐を重視して、貴族学園に通うことを免除される。更に、国が領主一族に対してだけだけれど、家庭教師を派遣してくれるのだ。
ムキムキの脳みそまで筋肉のような男しか知らない私には、王子様に見えてしまった。
周囲の反対も物語を盛り上げる障害にしか思えず、強行してしまった。
領主一族という貴族の身分を取り戻した男は、新婚一ヶ月も経たないうちに、本性を現わした。
いや、皆には見えていたらしい。私の目が曇っていただけだ。
いやいやいや、でもさ。辺境から脱出して、王都はさすがに避け、第二の都市や第三の都市に行くとか思わないじゃない。
若気の至りぃぃ~。恥ずか死ぬ。
それを、今日、ここで精算しよう。
事務官は、最初の逃亡のときから「あいつを処しましょう」と言っていた。
そのときに離婚届を取り寄せていたので、持ってきてもらう。
自分の欄を埋め、離婚届にサインしろと迫った。
「なんだよ、いっちょ前に嫉妬かぁ?」
気持ち悪い。この顔のどこがよかったんだろう。
――線の細さだな。このなよなよしたところが、新鮮で良かったんだ。
ああ、若き日の私のおバカさん。
「その女の腹にお前の子がいるんだろう。浮気だ。離婚する」
今までは、この男の前では貴族の女性らしい口調にしていたが、それももうやめる。
ああ──数年ぶりに、腹からしっかりと声を出した。
男のような話し方に、目を丸くしている。
そういう表情をすると、不細工だな。うん、もう、要らん。
「なんだ、その話し方は……」
震える指先をこちらに向ける。
ああ、基本的なマナーもなっていないな。
「お前に認められたいと努力していたが、もうそんな無駄なことはやめようと思ってな」
ずいっと離婚届を差し出す。
「り、離婚したら、私はすぐに再婚するぞ。後悔したって、手が届かない存在になるのだからな」
なぜか動揺しているらしい。
愛人を連れて来たら見限られる、そんなことを微塵も思っていなかったのか。
「ああ、好きにしろ」
捨てたゴミがどうなろうと、気にならん。
「お前は、生まれ故郷を出て行かねばならないが、ちゃんと理解しているのか?」
ゴミがなにやら訳の分からないことを言いだした。
「ん? 離婚をして出て行くのはお前だ」
「当主は俺だろうが。馬鹿め」
「そうよ、そうよ。それで、あたしは女領主よ」
控えている事務官から殺気が放たれた。
書類仕事もできるから事務官をしているだけで、魔獣が出たら戦いに出る男なのだ。
ところで「女領主」とは何だ? この国は男尊女卑で、女が跡取りになれないおかしな国なのだが。
「馬鹿はお前らだ、馬鹿め」
つい子どものような返しをしたら、事務官が吹き出した。殺気が散ったからいいか。
「お前はただの婿だ。
当主である父は健在で、私が産んだ子どもはすくすく育っている。
夫と離婚して、再婚した方がいいと何人に言われたことか」
重要なのは、私が産んだ子ということだ。
他の女が産んだなら、いち領民にすぎない。
下半身の始末が悪い者を野放しにしていたのは、私生児ができたとしても後継者争いになりようがないし……私の気持ちに踏ん切りがつかなかったせいだ。
踏ん切りがついた以上、だらしのない男を養う必要はない。
この城塞を乗っ取れないと知った夫は、ごねだした。
魔獣討伐の指揮も執れない男を、住民が認めるわけなかろう。望むなら最前線に連れて行って経験させてやってもよいが。
子どもには男親が必要だとか、再婚なんてできっこないとか――
「余計なお世話だ。すでにしゃべれるようになったが、自分に『パパ』がいると思っていない。
お前のような倫理観がない男が側にいたら、逆に教育に悪い。
それにここには、自分の身を守れて家族を守れるいい男がたくさんいる。みんなで子育てをするから問題ないぞ」
情に厚すぎて、暑苦しいほどだ。
面倒くさくなってきたので、きっぱりと告げる。
「離婚届にサインをするか、明日の朝日を拝めないか――どちらか選べ」
「そんな」とか「考え直してくれ」とか、愛人を押しのけて懇願を始める。
昔の幻想がどんどん崩れていくから、やめてほしい。
女らしくない私が悪かったのかもしれない。
目の前の女は、柔らかそうな体をしている。剣ダコもマメもない、きれいな手をしているのだろう。
おそらくこの頼りない風情が、庇護欲をそそるのであろう。
しかし、魔獣が現れるこの地で、そんな「守られる」のが前提の者など生きてはいけない。
この土地の幼子は、剣を持てるようになるまで城塞の中庭しか知らないで育つ。
貴族も農民も木こりも同じだ。
妊婦は腹が出て来て、逃げ足が遅くなったら城塞で保護をする。
私の兄も弟も、すでに亡くなっている。
だから、子どもを一人産んだだけで安心などできない。種馬の役目も果たさないクズには、とっとと出て行ってほしい。
しかし、こんな環境に、よくこんな軟弱な女を連れて来たものだ。
ああ、ここ数年押し込めていた、辛辣な女が目を覚ましたぞ。どんどん悪口が出てくる。
やっと、本来の自分に戻った気分だ。
客の前だが「う~ん」と声を出して、伸びをした。
まあ、こいつらは「客」でもないのだが。
その様子になぜか怯え、ようやくサインをした。
「お前は私の子どもの父親であるから、裏切りの代償に命を取るのはやめておこうか。
サインをしたら、とっとと出て行け。
なお、もう他人であるから、当家の馬車も馬も使わせない」
魔獣に襲撃されても壊れない馬車も、迎撃できる御者も当家のものだ。
この男につきあって都会暮らしになるので、御者希望の若者はいる。帰ってきた時に、次の者に交替していた。
順番待ちだった若者だけは、この離婚を残念に思うかもしれない。
ちなみに、御者は夫の素行調査員を兼ねていた。どこで何をしていたか、私は全て知っているのだ。
「俺に死ねと言っているのか?」
夫だった男が叫んだ。
「ああ、そう言っている。浮気者にかける情けなどない。野垂れ死ね」
こいつを辺境に追放した連中も、その後の様子を調べる手紙ひとつ寄越さない。こいつの、生死など気にしないだろう。
辺境はゴミ捨て場ではないのだぞ。
夫の足がガタガタ震えだした。なんてみっともない。
「ちょっと!
奥さんはあんたにベタ惚れで、なんでも言うことを聞くって言ってたじゃない。話が違うわ」
浮気相手が胸を揺らしながら、夫の体を揺すっている。
戦闘をするために筋肉がついた体では、あんなに揺れない。そっと自分の胸を見下ろした。
結婚する前からわかっていたことなので、今さら「おっぱいが小さく魅力のないお前のせいだ」と言われても受け付けないぞ。
そういうことを言い出す前に、お帰り願ったほうがいいだろう。
「ああ、囚人用の護送馬車なら、領境まで出してやってもいい」
そんな馬車から出て来たら、隣の領の門番に事情聴取されると思うが……。
こいつらが出て行ったら、すぐに手旗信号で連絡してやろう。
一応「犯罪者・違う」と。
ちっ、無駄な仕事が増えた。
いや、手旗信号の訓練だと思えばいいか。
「こ、子どもが寂しがるだろう?」
と、みっともなく縋り始めた。もしや、子どもの名前が思い出せないんじゃないか?
「年に数回、金の無心に来るだけの物乞いを、なぜ恋しがると思うのか?
先ほどの話を聞いていなかったのか。父親という存在自体を認識していない。
端からいないものを、寂しがるわけがないだろう」
「も、物乞い……」元夫は、あまりにひどい言葉に絶句した。
うちはよほどのことがなければ領地を出ないので、都会にツケ払いできるような店はない。
帰ってこない男に送金してやるほど親切でもない。
だから、金がなくなると帰ってきていたのだ。
私も薄々、決断を迫られる時が来るだろうと思っていた。
未練がましく、今度こそ心を入れ替えてくれたのでは……と期待していたが。ここまで愚かなら、入れ換える日は永遠に来ないだろう。
「もっと早くお前を始末しておくべきだった。ロクデナシの父より、若くして亡くなった父の方がよいだろう?」
都会から帰ってこなくなったとき、一人で泣いたりどこが悪かったのだろうと反省したりした。
女らしく振る舞う練習をしたり、優しい話し方の特訓をしたりした時間の分だけ、憎しみが募ったものだ。
愛しているのか憎んでいるのか……ただの執着になってしまったのだろう。
かけた時間と労力に見合う何かを得られるまで――博打に負け続けていく心理に似ていたかもしれない。
「筋肉マッチョに囲まれたせいで、優男に憧れていた。若き日の自分を殴ってやりたいよ。
顔面だけのクズを選んでしまうとは」
もう、最後だろうから、いろいろ言ってやろうかな。
「俺だってこんな僻地で、こんな野蛮な環境だって聞いていたら……」
まるで騙されたと言わんばかりの勢いだ。
「何を言っている。学園の卒業式で馬鹿なことをやって、追放されてきたのを忘れたのか。
辺境の役割を知らないのに驚くが、お前には選択肢などなく連行されてきたのだ。
それに、地理学の教科書には、辺境は魔物討伐の最前線だと書いてあるぞ」
この土地に来てくれた家庭教師が「学園のものと同じ教科書を用意した」と言っていたから、間違いない。
恋は盲目というか、恥ずかしい黒歴史だ。
小説のような台詞に頬を染めて……アホか。
守る気のない奴ほど、ペラペラと安っぽい台詞を吐くものだと、時間を巻き戻して教えてやりたい。
夫が反論もできないようなので、次にいこう。
「そこの女」
「はいいぃ!」
来たときの不遜な態度は、なりを潜めた。まあ、まったくの馬鹿ではないのか。
「この地で娼婦をやる気があるなら、店を紹介してやる。
もちろん、この男と共に出て行っても構わない。
ただ、私を侮って『夫を寝取った』と自慢しに来たことは、もうこの城塞中に広まっているだろう。
帰る途中で魔獣に襲われても、その男は役に立たないだろうし、この領の人間たちもきっと助けないぞ」
魔獣と戦うのは命がけになる。場合によっては見捨てる――そうしないと生き残れない厳しい土地なのだ。
「え、まともなお店を紹介してくれないんですか?」
キョトンと幼子のような顔をした。人の夫を略奪する悪辣な女とのギャップにゾッとした。
人の感情を理解できない精神の病があると聞くが、その類いか?
なんと肝が太い女だ。浮気相手の妻がいる領地に居座る気ではあるまいな。
この女も何かやらかして逃げてきたのか?
いや、ほんと、理解できない。得体が知れない怖さだ。
元夫は怖くないが、この女は怖い。早く追い出さねば。
「――夫の浮気相手にか? 泥棒猫にエサをやる趣味はない。
人を舐めるのも大概にした方が良いぞ、小娘」
この「人が助けてくれるのは当然」という態度に腹が立ってきたぞ。
つい、威嚇してしまった。
あ、いや、威嚇していいのか。怯えて出て行ってくれるなら、それが一番だ。
結局、護送馬車を出してやり、二人は逃げるように去っていった。元夫の私物はトランクに詰めてあったので、すぐに馬車に放り込んでやった。
「まあ、穏便にすんだほうかな」
冷めたお茶を一口飲んだ。
「奥様……いえ、お嬢様。
元旦那様のご実家から『母の葬儀にも顔を出さない奴とは縁を切る』との伝言がございましたでしょう。お伝えするのを忘れていらっしゃいますよ」
全てを黙って見ていた事務官が、そっと口を出す。
「ああ、すっかり忘れていた。
だが、除籍されて平民になっているのだから、門前払いされても納得するんじゃないか。
改めて『縁を切る』という辺り、ご実家は情に厚いというか――見捨てる覚悟が決まっていなかったのかもしれんな。
そんな態度だから、あんな甘えた人間ができたんだろう」
その甘えた人間に惚れ込んだ過去をなかったことにしたいと考えていたら、渋い顔になった。
「さようでございますね。余計なことを申しました」
くすりと笑われた。
悔しいので睨み返す。
今日も辺境は晴天だ。
乾いた北風に紛れて、魔獣の声が聞こえた……かもしれない。




