第六章「シェア・ザ・ダークネス」#6
「この感じ、わたしが初めて転化した時とは違う……」
赤黒い斜光が乱反射する水底をルビアは真中の心臓の律動を辿って泳いでいた。
すると早々に意識を消失させ、ただただ沈んでいくだけの真中と、背面より押し留めるルビアダークの姿を視界に捉える。
「遅いわよ、わたし」
「何であんたが……」
「この肉体と精神が失くなって困るのはあなたよりもこのわたしなのよ。それでもあくまでルビア・アンヌマリーの一端に過ぎないわたしにこの子は救えない。癪だけど」
「手伝うわ」
ルビアはぐったりと重い真中の身体を抱きしめ、水を蹴っていく。しかし一向に浮き上がらない。
「単に水を吸って重くなっているわけじゃなくてよ。あれを見て」
ルビアダークが支えるよりずっと下は何も見えない漆黒であり、とてつもない重力の存在を感じた。
目を凝らすと、赤き十字の眼光を持つ黒い外殻を纏ったもう一人の真中が、こちら側へと堕ちて来るのを今か今かと待ち構えている様子にある。
「きっとあれが真中が生来持って産まれた吸血体としての側面。この世界の番人と言ったところかしら」
「この重みはそのせいってわけね。つまりはあれを従わせればいいんでしょ」
より深く潜水して真中の転化体の真正面に降り立つ。
「いい? 一度しか言わないから聞き漏らさないことね。輸血されたばかりで万全に近いこのわたしが、今からあんたを屈服させるわ! 跪かせてあげるんだから!」
「…………」
返答の類は皆無。
意気揚々と指差しながら高らかに放った科白に対し無反応を貫かれ、やや照れを感じ始めるルビア。
「気張ってるのってわたしだけ? なんか恥ずかしいんだけど」
「いいえ。そうでもないみたいよ」
障害になり得る存在と悟った転化体は、血術とは全く別の外殻を伸長して創り出した三又の黒い槍を構えると、敵と見做したルビアに猛進して行った。そこに在るのは策略も計算も緻密さも無い、力押しの戦法のみ。
「乗ってきたわね。今まで見せてこなかったこの技で分からせてあげる」
ルビアは思い切り両翼を拡げると、そこへ自血を内と外へ流し込み真紅に染め上げた。
「しなやかさと硬化は相反するものだけど、これはわたしの意思に関わらず反射でそれを使い分ける唯一両立された強化型の血術。使うのは100年ぶりかしら!」
転化体から繰り出される重い一撃と、それを翼で薙ぎ払うルビア。互いの血気の衝突によって、充満する静水が二人を中心として吹き上がっていった。
干上がる大地。重力に従い落下する真中を受け止めに入るルビアダークだったが、転化体より投擲される槍が腹部に突き刺さり間に合わず。しかし下半身を棄てると、必死の思いで地面に呑み込まれていく真中に手を伸ばした。
握り返す手。後は引き上げるのみ。しかし、負傷し肩で呼吸するルビアダークでは腕力、握力共に足りない。ルビアの加勢が必要不可欠だった。
徐々に重みに耐えかねて沈みゆく身体。それを見たルビアは、すかさず槍を捨てた転化体の身体に刃と化した両翼を振り下ろした。
「…………」
山の如き不動。直撃するも堅牢な外被を斬り崩せない。
「どんだけ硬いのよ!」
一旦距離を取り翼を引くと、今度はその身を刺し穿つべく一気に撃ち放つ。威力、速度共に申し分の無い刺突にも関わらず、軽々と片手で掴まれてしまう。
「通常の血術じゃ効果は薄いって思ってたけど。基本スペックもここまで向上してるなんてね……」
そのまま空中に放り投げられ体勢を崩す。そこへ転化体が先と同質の槍を作り出し、左右から同時に投擲した。
ルビアはすかさず翼を広げ自身を丸ごと包み込む。方位型の防御策に弾かれていく二対の槍。そこでルビアはとある違和感を覚えた。
「『はっきり見たわけではないけれど、球状の翼の外に当たった? まるで狙って撃ったとは思えないわね。何か意図があってのことかしら』」
著しく精度の低い攻め手に対して疑念が生まれる。
「『ともかくあの鎧みたいな体表には斬撃も刺突も通用しない。だったら……』」
懐に飛び込むべく急速降下。着陸と同時に両翼の先端を丸め、拳に見立てて叩き込んでいく。
僅かに蹌踉めく転化体。すると直撃を受けた右肩部の突起装甲が粉砕された。
「発勁って言葉を知ってるかしら。力は骨より発し、勁は筋より発する。発生させた運動量を接触した面から対象に作用させる。言い換えると、わたしの今の打撃は体表に触れた瞬間、その内側に作用し破壊するものになった。思った通りこれは効くみたいね」
内部から起きる衝撃に確かなダメージが通る。手応え充分と踏んだルビアもまた二撃、三撃と繰り出していった。
両腕で壁を作るも徐々に身体は削り取られていく。一分の隙も無く打ち出される連打にいよいよ防御を完全に捨てた転化体は、背に畳んでいた両翼を広げ一対引き千切ると、大剣を思わせる一振りによって斬り込んでいった。斬り離されたルビアのサイドテールは宙を舞い、剣先がそのまま地面に触れる。すると途端に足場の黒は隆起し、大波の如く大きく畝り始めた。
「『あの黒いのが感情の負荷面だとしたら、引き込まれるのはまずい……』」
空中に回避するルビアに向かい、転化体は翼を細く槍状に変質させると、胸の発光体から発せられる血気を纏わせ投擲。燦然と紅く輝く一閃が宙に描かれる。
「くっ……」
ルビアの頬を掠めていったその直後。血気が一気に解き放たれる。
球状に拡散する高密度のエネルギー波。地面は逆立ち、大気は震え、轟音と共に爆炎がこの世界を駆け抜けていく。
未だ空気を歪ませる程の血気の残滓が滞留する中で、直撃を免れたルビアは危険を顧みず、再び転化体と向き合った。先の疑念に一つの解答を得て。
「今のは驚いたわ。まともに受けてたら今頃はこの体も散り散りよ。血術が使えないと高を括ってたわけではないけど、少し焦ったっていうのが本音。でもようやくあんたの意図するところが分かった」
翼を仕舞い、血術すらも解いたルビアが一歩ずつ歩み寄って行く。
「今の攻撃も、いいえ最初からずっとよ。あんたは防衛本能に従って応戦してきたに過ぎないんだわ」
「…………」
「その気になればわたしを殺すことだって出来たはずよ。今だってそう。逸れたんじゃない。あえてわたしが傷つかない距離を保って撃ってきたのよ」
お互い触れられるほどに接近しても尚、仕掛けて来る様子に在らず。
「思えば真中が最初に転化したのは、わたしの死体を見た時だった。それは言い換えればわたしに何かしらの情があったから起きたこと。転化した後も真中はわたしを護るために戦ってくれた。そんなあんたがわたしを傷つけるような真似はしない。例え何があっても」
最早ルビアと転化体との間に距離は無い。
「わたしの勝利はわたしが勝負を挑んだ時から決まっていた。確かなのは、あんたも天動真中の一部だってことよ。だから協力してあげられないかしら。あの子はまだ力の使い方に迷いがある。迷いは時に判断を遅らせ大切な人の喪失に繋がる。わたしがそうであったように。だからこれはわたしからのお願いよ」
「…………」
しばしの沈黙。その静寂の中で転化体が徐に右手を差し出した。
「分かって、くれるのね」
握り返そうとしたその時。ルビアの眼前に光輪が出現した。それは周囲の血液を無差別にまた、無遠慮に奪い尽くす転化能力の真骨頂に他ならなかった。
ルビアは完全に油断しきっていた。光輪より血を奪われれば血術も使えなくなり、果てには失血死してしまう。
「嘘、どうして……あんたに戦う意思なんてな……っ!?」
「……お前も本当に俺だって言うなら、力使うべきときをもう間違えるな!」
ルビアと転化体に割って入る真中。間合いを詰め、赤黒くなった拳で転化体の左頬を思い切り殴り付けた。
直立したまま受け止める転化体の頬にひびが生じる。
「俺はもう呑まれない。ルビアだけじゃない。あれから護るものが増えたんだ。映研の皆んなにアルと蒼生。この先、俺の両手だけじゃ足りなくなるかもしれない。血術も、転化もどうせ同じ力なら、いっそそんな皆んなを護る為に俺は使いたい。正しい意味で今よりも強くなってみせる。俺も絶対忘れないから、お前も忘れないでくれ」
やがてひびの入った箇所より外殻が剥がれ落ちていき、役目を終えたのか、思いの丈を聞き届けたもう一人の真中は黒い霧となって大気に溶け始めた。
露わになっていく幼い頃の自分。周囲との隔絶の現れでもある鎧が剥がれた瞬間、その口元が微かに緩んでいる様に見えた。
その場に残された光輪は収縮を開始し、真中の胸に貼り付く。
「何だこれ……まだ理解して……」
「力が一つに混ざり合っていくだけよ。わたしの場合とは真逆にね」
「?」
混乱の最中にある真中を置いて、再生を終えたルビアダークが合流する。
「あなたはわたしを拒絶し、別つことで転化能力を手にした。真中は内なる本能と共存する道を選んだ。天動真中。あの子ってば本当にあなたが好きなのね」
「す!? なんで今そんな話が出てくるのよ!」
「だってわたしの胴体は容赦無く真っ二つにするくせに、あなたには攻撃一つ当てないなんて。妬けるわ」
語らっていると大きな地響きが起こり、地平線が折り畳まれる形で迫り上がって来た。
「精神世界の変化。わたしが来た甲斐もあったってことね。じゃあ真中」
落ち着き払ったルビアが、一人狼狽する真中に一言告げる。
「さっさと現実世界に戻って、あの魔女とやらを見返してきなさい! 今の真中になら転化能力をコントロール出来るはずよ! いい? その力の名前は死感遮絶。奪い、時に与え合う能力よ」
鼓舞するルビアの言葉によって我に帰る真中。両手で頬を叩くと、晴れやかな顔で返答に及んだ。
「そうだな! おし! ならさっさと終わらせてこんなところ出るぞ!」




