第二章「ヴァンパイア・オブ・ザ・スクールI」#9
「顔をあげて。もっとわたしによく見せて?」
「うう……」
目覚めた真中の口の中にどろりとした液体が入り込んできた。
「ごほっ……ごほっ!」
咽せかえりながら真中は状態を起こし、はっきりと理解が及ぶようになると、状況を確かめるべく周囲を見渡した。
床一面に広がる血液のプール。壁や天井はなく、延々と〝白〟が広がっているだけで果てがない。
「なんだよここは……マトリックスか」
服が血の紅で染まり、その分の重みを得る。感覚はしっかりとあり、夢や妄想の類でないことは明らかだった。
「ここは現実とはいっても、わたしと真中が共有可能な一部分的精神空間。ただし、ここで起きたことは既成事実として残るわ」
声のする方へ身体ごと向けると、人骨で組み立て上げられた急勾配な坂が目に止まる。視線を少しずつ上げると、その頂には一脚の安楽椅子に鎮座する少女の姿があった。
「ようこそ。わたしの世界へ」
真中のよく見知ったルビアを18歳前後まで成長させたかのような容姿。小顔でいて膨らみを得た胸に、くびれた腰付きとすらりと伸びる両脚。長く伸びた艶やかな髪も完全におろしており、ゴシック調の大人びたドレスを着ているせいか、蠱惑的な印象を受ける。
「ルビア……なのか?」
「そんなにじっと見つめて。情熱的ね」
血が入ったグラスを傾けながら語るその普段とのギャップに、思わず真中も別人かと疑ってかかるも、声質や仕草など細かな所作が本人だと確信付ける。
「あなたがこれまで避け続けてきた記憶を直視したことで、わたしはとっかかりを得てこうして正体を晒せた。その点に関しては刺客クンに感謝しなくちゃ」
「見てたのか」
「あなたはあの日も選んでみせた。浅倉貴文を見せしめに痛めつけることで、彼を救った。誰にも手出し出来ないようにした。その代償は自分自身の不名誉。己も無傷でいながら誰かを救済しようだなんて虫が良すぎるもの。これも真中が選び取った結果よね」
「昔話をしに出てきたわけじゃないんだろ?」
「それもそうね。わたしは答えを聞きにきた。天動真中という個を越えて、わたしの意志を尊重するかどうか。この選択でまた新たにあなたの未来は分岐する」
「従えばどうなる? このままここから出られるのか?」
「ええ。ただし、その時はわたしも連れていってもらうわ」
「俺はルビアのもう一つの人格が、心臓部の移植によって分離したものだと思ってる。そういう医学的事例も確かにある。お前はルビアの一部であって、ルビアではないもの」
「そうだとして。あなたの眼に写るわたしは、あの娘ほど謙虚かしら?」
「どういう意味だ?」
「まずは免疫をつけてもらわないとね。手始めにあなたを傷つけた彼……ヤミだったかしら。あれにしましょう。可能な限り心痛まない相手を選別するなんて。わたしの温情に感謝しなさい」
話の筋が読めず真中は混乱するも、会話を交わす度、ひたすらに引き返せない暗闇の底へと突き進んでしまっているような気がした。
「わたしは途方もなく長い時間飢えてきた。それは拷問にも近く、きっと誰にも想像も理解も出来ない。だってそうでしょ? あの娘、この120年の間、何も、誰も食べさせてくれなかったんだもの。だから身体を乗り換えられたことはわたしにとって降って湧いた幸運そのものだった」
「今、何だって……」
そしてその予感は最も厭な形で当たることとなる。
「これでわたしはやっと、あなたの肉体を借りて、好き放題人間を食べることが出来る」
背筋に悪寒が走ると同時に、シンクロしている互いの両眼が真紅に塗り潰されていった。
変化に戸惑い眼を必死に抑える真中。肉体への侵食が開始される。
「『誰がもう一つの人格だって? 違う……あれはルビアが抑え続けてきた食人に対する欲求そのものみたいじゃないか! ルビアにもなかったわけじゃない……人を食べたい吸血体としての本能はあって、ここに、俺の心臓にあの日置き去りにされたんだ!』」
「実を言うと、もう我慢出来そうにないの。肉付きの良いあの男も、程よく脂肪を含んだあの女も。柔らかそうでいて未成熟なあの子供らも。この社会は都合良く人間で溢れているじゃない。形容するならそう、人間牧場かしら」
食人欲求がまま行動を起こそうとする様は、まさに押さえつけられてきた反動から来る本能の化身。
居ても立っても居られなくなった真中は抑えていた手を外し、対峙する覚悟を決める。
「お前はルビアなんかじゃない! ダーク……ルビア……ダーク」
それは思いがけずして口をついて出た単語だった。
「ルビアダーク、ね……好きに呼ぶといいわ。これから長い付き合いになるわけだし」
「俺の身体で好き勝手はさせない。ましてやそんなことのために渡しはしな……」
超高速で向かってくる槍状に固められた血液。真中の左耳を跡形もなく消し飛ばした。
「これから待ちに待った食事の時間なの。しばらくいい子にしててね」
鋭く浴びせられる紅き眼光に、真中は一分も動けなくなった。




