第2話『田舎者の総理、初登庁』
重厚な黒塗りの車列が官邸前を滑るように進む。フラッシュとテレビカメラが一斉に動く中、堂々と現れたのは、総理大臣――の姿をした、米農家・早乙女耕一だった。
「……なあ、加地くんとやら」
「はい、総理秘書官の加地です」
「このスーツ、首元が苦しか。作業着じゃいかんのか?」
「いけません。というか、今その発言、報道されてますよ。カメラ回ってますから」
「……そうか。じゃあ、しゃんとせな」
背筋を伸ばした耕一は、初めての閣議に足を踏み入れた。四方に並ぶ大臣たちが、一斉に彼に視線を向ける。官僚たちは、その“異変”にまだ気づいていない。
農林水産大臣が、ぎこちなく口を開く。
「本日の議題は、農業改革案の進捗と予算削減の件です。総理から一言、いただけますか?」
耕一は、目の前に置かれた書類をめくった。意味がわからん単語が並んどる。だが、ひとつだけ確かにわかる文字があった――「農」。
「……農業は、国の根っこじゃ」
会議室が静まり返る。
「国土を守り、水をつくり、人を養う。田畑があってこその国やろうが。ほんなら、なんで真っ先に削ろうとすっか?」
財務大臣が眉をひそめる。
「そ、それはですね、農業の生産性が他産業に比べて著しく低く、将来的にも成長が――」
「成長、成長て……そげんに伸びることばっか考えて、根が腐ったら、木は倒れるとぞ」
耕一の声は静かだったが、その言葉は鋭く閣僚たちの胸に刺さった。
「わしは昨日、福岡の田主丸で、雨の中泥にまみれて田植えをしとった。腰も痛いし、手もボロボロじゃ。けんど、それがあって、皆の飯がある。東京の光るビルもええばってん、田んぼの水面に映る夕日も、負けとらんよ」
官僚たちは顔を見合わせ、明らかに戸惑っている。だが、一人だけ――秘書官の加地が、思わず手を止めて、総理をじっと見つめていた。
(……何かが、違う)
その昼、記者会見で“異変”は決定的となった。
「本日、総理は“米作り体験教室の義務教育化”について言及されましたが、本気でお考えなんでしょうか?」
耕一は、うなずく。
「米は文化やけん。教科書で教えるんやのうて、自分の手で触れさせてやりたか。子どもが泥だらけになって、笑いながら植えた稲が、秋に黄金に揺れたときの顔――見せたかとよ」
記者が苦笑いを浮かべる。
「随分と情緒的な話ですね。科学的根拠は?」
「科学が大事じゃとわかっとる。けんど、人間は“理屈”でだけ飯は食わんやろ?」
会見後、SNSは騒然とした。
「#田舎総理」「#米の気持ちわかる人が総理で泣いた」「#情に訴えすぎw」など、賛否が飛び交う。
その夜、加地秘書官は決意して耕一の部屋を訪れた。
「……あの、総理。あなた、いったい何者ですか?」
耕一は、少しだけ黙ってから言った。
「……ただの米作りのオッサンたい。けど、今は日本の総理や。せやけん、ようけ勉強して、ちゃんと田んぼの声が届く国にしたかと」
加地は、初めて“総理”に笑いかけた。
「……なら、私もその声、聞いてみたくなりました」
窓の外には、都会の夜景が広がっていた。けれど、耕一の目には、どこか遠く、風にそよぐ稲の姿が浮かんでいた。