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ハルカの季節  作者: 杞憂
23/23

ハルカの夏;海と人生ゲームとそれと…

遅くなりました

まじでm(__)m

僕達はある場所を目指して車を走らせていた。

身長が中学生並の我が家のメイドこと小梅音羽が運転をする。

助席に座っている僕がその光景を見ていて『子どもが車を運転している描写』にしか見えない……

「検問とかしてたらすごいメンドくさそうだね」

「はい、確かにそうでしょうね」

……今きっと違う意味で捉えたんだと思う。


窓枠に頬杖をつき景色を堪能する。車内にはエアコンが隅々まで行き渡っているはずなのだが、なかなかどうして暑いのだろうか。

窓を開けると涼しい風が勢い良く顔にかかる。外の空気には多少磯の香りがする。この匂いを嗅ぐと今自分が何処にいるのか、今テンションが上がって多少浮かれていると実感できる。

良い年した男(体は女の子だが)がそわそわしてたらみっとも無いじゃないか……


後ろの席では妹や友達が頑張って話題を振りまくっていた。

「柊さん、お菓子食べますか?」

「いいわ、気にしないで…」

「……」

「……」

「夏休みに何かする予定とかありましたか?何か無理やり誘ったような感じだったけど」

「別に、すること何て無いわ…」

「そ、そうですか…」

「……」

「  」


天崎彼方、僕の妹は『…』すら出ない位のダメージを負った。顔は見えないが俯いて落ち込んでるんだろうな、きっと。

そこで今度は「私に任せな」と言わんばかりの勢いで柊沙希に話しかける。

「沙希!今から楽しみだなぁ!」

「うるさい人ですね、自重してくれませんか?」

「はい…」

「……」

「  」


子夏ぅー~~!!

今回は早かった。ていうか返しがひどい。これからはあまり五月蝿くならない程度に柊さんに絡んでいこうと思っている僕です、はい。


「なあなあ、沙希ちゃんは」

「自重してください」

「  」


誠ー~~!!

まぁ、結果こうなる事は分かってはいたが……。

まさかこんなに早く、いや、速く終わってしまうとは…

こんなやり取りをさっきから何回も何周もやってる。

ん?

どうして夏休みの今柊さんと一緒にいるかって?

それは前回の話を見てる君達なら……あぁ、成程今読み返してみたけど、最後の方でしかそれっぽい事書いてないじゃんか…。

仕方ないので軽くこうなった経緯とこれから向かうある場所について語るよ。



&&&&&&&&&&&&&&&&



時は前話の最終文!

『よかったら夏休みに、僕達と遊ばない?』

この言葉を口にしてすぐに柊さんが庇っていた子どものお母さんが来た!

事情を話すとお母さんは頭を何度も何度も下げてきたのだ。気にしなくていい、柊さんもお母さんに引いて劣らずにその言葉のみかけ続けた。そこで、お礼と言って商店街のくじ引きで当てたらしい『豪華一泊!旅館宿泊券』を半場強引に譲り受けた。『せめてものお礼、私の気持ちです。』そう言われた。これを断ったら逆に失礼だろう。上手い事言う人だった。

そして最後にこの人は『友達の皆さんと楽しんで来て下さい』とまた言った。

はいーーーとだけ返事をした柊さんの表情はどこか暗いものがあった。それを察知したのか柊父はニカッと笑った。

『沙希、『友達』と行ってこい。何、お父さんは心配いらねぇ~ぞ?』

その言葉が後押しになったのか分からないが、こうして僕達と柊さんで旅館に行くことになったのだ……

結構ザックリとした説明になったが…まぁ、問題無いかな?



%%%%%%%%%%%%%%%%



車はブレーキをかけられ地面とタイヤとの摩擦によって徐々に速度を落としていく。車内にいる僕達は慣性の法則によって多少前のめりになる。速度が完全に奪われた所でサイドブレーキがロックされ心臓に当たるエンジンの鼓動が消える。それは旅の終わり、そして新しい思い出作りの始まりの合図でもある。


「「着いたァーーー!!!!」」


子夏と誠は大声を張り上げ思いっきり両腕を上げ伸び伸びとする。

「なぁ、早く部屋に荷物置いて海に行こうぜ!!」

部屋は4人、3人、1人と分かれることとなっている。

4人部屋には彼方、音羽、七瀬、柊さん

3人部屋には僕、子夏、マリア

1人部屋には男の誠

となった。

昨日決めたことだ。


子夏は道路の向こうに指を指す。そちらからは何やら大勢の騒がしい声が聞こえてくる。

良く見てみるとビーチパラソルやシートがあり、辺りには水着を身に纏った人がたくさんいた。

浮き足だってたのが僕だけ無いと分かって安心できた。

すぐに旅館の部屋に荷物を置き浜辺にある更衣室へ行った。


遠くから見ていた時はそこそこ空いている感じと思ったのだが、いざ近くまで来てみると考え直されざるをえなかった。

辺りに見えるのは砂や海ではなく人、人、人……

色々な世代の人々

言葉を覚えたのかどうか分からない子どもから、若干白髪が目立ち始めてる位の人

僕達みたいに友達と来た人

家族と来た人

そして、恋人と来た人

そういった人々でこの浜はごった返していた。


「じゃあ、着替えに行こうか」

僕と誠はそのまま男子更衣室に行こうとしたところ、女の子全員から止められた。


「ちょ!兄さん!何をしてるんですか!?」

「え?」

「悠!お前はこっちだよ!」

「は、はるくん……」

「え?あ、そうか。」

指摘されて改めて気付く事なんてたくさんあるが、まさか男子更衣室に行こうとは……

「悪いな、誠。ここで別れないとだね」

「あ、あぁ……」

「?」

激しく落ち込んでいる誠を他所に僕は皆に手を引かれて女子更衣室へ連行された。



§§§§§§§§§§§§§



「へへ、この前新しい水着買ったんだぁ〜」

「子夏ちゃん、いいなぁ~。私なんて去年のだよ」

「いや、それでもすごい似合ってるよ」

子夏と七瀬はお互いの水着を見せ合う。見ていてすっごい女の子女の子してるなぁ~。

女の子してるといえば、この前彼方と女性用の水着を一緒に買いに行ったんだよな。

あの時の彼方は珍しくキャーキャー言って僕に似合いそうな(彼方の趣味全開)水着を試着室に持ち込んで恥ずかしい思いをしながら一緒に着替えさせられたんだよ……

「マリアちゃん、先行って私達の場所確保しておこう?」

「そうだね。じゃあ、私達は先に行って荷物置けるとこ探しておくね。」

マリアが僕にそういい残すと彼女に続いて僕と彼方、子夏以外早々にビーチに向かった。

皆を待たせるのも気が引けるので水着(彼方の趣味全開の中で一番無難だった)に早く着替えるため個室に入り、ドアを施錠する。

そしてTシャツを脱ぐ。

その次にベルトを外してもらう。……ん?

その次にジーパンを脱がしてもらう。……??

「その次にブラを…」

「って何で彼方がいるんだよぉぉお!!」

「えぇっ!?」

「何で驚くんだよ!」

「 ((((;゜Д゜)))) 」

「驚き方は聞いてない!何でここに彼方がいるの?」

彼方は外で見せる表情を作り、真剣な眼差しを僕に向ける。

「兄さんが恥ずかしがって何分何時間もここで戸惑うのを防ぐためです!」

「まぁ、確かにそれはあるね」

「そうでしょ!」

「そうなんだが…」

何故我が妹は僕の脱いだTシャツの匂いを嗅ぎながら話してるのだろうか…

今僕の思ってることが伝わったのか慌てて弁解をする。

「こ、これは…そ、そう!ネタですからね!」

「言い訳するならもっとマシなのにしなよ…」

そうですよね。っと落ち込み僕のTシャツを持ったまま個室を後にした。

後でちゃんと返してもらわないと外に出れないや……



&&&&&&&&&&&&&



「兄さん。着替え終わりましたか?」

「う、うん。なんとかね…」

「悠ぁー。だったら何で出てこないんだよー?」

着替え終えて約10分といったところか、僕は自分の姿を見て完全に引き籠る事にした。

人前に行くなんてとてもじゃないが恥ずかしすぎる。人の視線とかすごい浴びるだろうな。

そんな思いをするならいっそこのままここに籠ってゲームを……

「今なんとなく引き籠もりになるって良いかもしれないって思っちゃたよ」

「「何で!?」」

「一日中ゲームか……いけるな!」

「「いやいやいや!」」

彼方と小夏が声を揃えツッコむ。

今の僕は何を言っても無駄なんだよ。引き籠って廃人になると決めたから!!

ガチャーー

「あ、なんだ鍵しめてないの?」

外のドアノブを回した小夏はすんなり僕の、僕だけの絶対領域に侵入してきた。

初めは鍵をしたはずだったのだが…………ーーーーそういや彼方がTシャツ持って出てって鍵もそのまましめてなかったんじゃ……

「あのときかぁあああ!」

鍵のことをあと少しでも早く気付いていたら僕は今日一日この快適?な個室で引き籠もりライフを満喫できたのだろう。

「ほら、悠。行こうぜ」

「い、いや…こんな格好じゃ…」

はぁ~。大きな溜め息をつき、自分の着ていたパーカーを僕に被せてくれた。

黄色という夏っぽい色合いは暑さを感じさせるものだが、薄い布地の為か、それとも小夏の着ていた為なのか暑さというよりも心地良い温かさを感じさせる。それにサラサラと肌を撫でる素材で出来ており着心地も良い。さらに自分の臭いとは違う香りがパーカーから発せられる。

それは小夏の匂いとすぐに分かりより羞恥の感情が僕の顔を赤くする。

「これで外に出られる?」

「う、うん…」

ニカッと屈託のない笑顔を見せ僕の手を引く。気付くと僕は不安だった外にいた。

すれ違う人達には多少見られるはするがすぐにその視線は他に向く。

意識して見るのではなく、反射的にそれを見てしまうようなものだ。

そうと分かったとき僕は安堵した。

肩の重荷が一気に軽くなる開放感。

安堵で胸をなでおろした時のような浮遊感。

そういった色々な感覚は入り混じり。それはワクワクとした『意欲』へと変わり始め、直『欲望』となる。

物事を克服した人はより高みを目指す『意欲』が生まれ、それに没頭する。

それ自体が欲望であるとも知らないで……

今の僕もそれに似たようなものだ。

見られても平気、恥ずかしくないんだ、そう思って小夏に引かれていた手を離し、自分から人の波に飛び込み、これでもかというくらい胸を張る。

それでも見られている感覚はしない。

それ以上を望んでしまった僕は大きな声を出した。

「うっみぃだぁぁぁーー~~!!」

叫んだ刹那、僕は悟った。

あぁ、やってしまったとーー

騒がしかった筈の周りは静まり返り視線という視線を僕が独占してしまった。

周りを確認する必要は無い。

少なくとも僕の目の前にいる誰なのかも知らないカップルは呆然と立ち尽くし僕を見つめてる。

注目を浴びる、人に見られるーーやっぱり恥ずかしい…

顔を真っ赤に染めて俯く。そして誰か後ろから砂を踏んで近づいてくる。

「海だあああ!」

えっ、僕は顔を上げると、いつの間にか隣に小夏がいた。

声を弾ませ、いつものようにニカッと笑いかける。

「叫ぶなら私も誘ってよ。一回でいいから言ってみたかったんだよなぁ。何か青春って感じしない?」

「おいおい、悠。俺を忘れるんじゃねーよ。俺にも青春させろよな!」

後ろを振り返ると誠が腕を組みながら近づいてきた。

トランクスタイプの水着に水色のアロハシャツを羽織りサングラスをかけていた。


僕が真ん中で三人が一列に並ぶ形になる。

「いち、にの、さん!だからな、いいか二人共?」

急に誠が言うと小夏は任せとけ、と男に勝るとも劣らない勢いで言い放つ。

それとは対照的に僕はまだ現状を飲み込めなく戸惑う。

そんな僕を置いて二人はさっきの掛け声を合わせて大声で叫んだ。


「「海だあぁぁ!!」」


そう言うと周りはまたガヤガヤと騒がしくなり、人波はまた揺れ始めた。

皆で言えば恥ずかしくない。小夏は僕に言い聞かせる。

お前には信頼できる仲間がいる。誠は僕に言い聞かせる。

その言葉だけで今の僕には十二分だったーー

「じゃあ、もう一回行くぜ!しっかり合わせろよな。」

誠は挑発的な笑みを見せ、

「誠こそな!私に負けたら罰ゲームな!」

小夏はそれに乗っかる。

そして僕もーー

「じゃあ、僕が勝ったら昼ごはんはゴチだよ!」

ーーそれに応えるのが友達であり、かけがえのない親友なんだ。


満面の全力の笑顔を向ける二人。

さっきとは違う。

三人で「いち、にの、さん!」と掛け声を合わせ、このビーチ中に響き渡るような大声で叫んだ。


「「「海だあああぁぁぁあ!!!」」」


お互いに良い笑顔で同じことして、同じ気持ちになる。

たぶんこのビーチ中探しても僕達以上に五月蝿いのはいないだろう。周りからすればいい迷惑かもしれない。でもバカ騒ぎしてるにも関わらず僕は気持ちがいい。


「うっし、俺の勝ちだな!」

人指し指を天に掲げ誠は言った。

「私の方がデカかった!」

子夏は横でガミガミ言っていたが、それを無視して僕も言いたいことを言った。

「二人共、昼ご飯よろしくね!」

「「よろしくないよ!」」

じゃあ、人指し指を立てて海面に浮かんでるコーンを指す。

「あれにタッチして先に海から上がった人が勝ちにしない?」

「望むところだよ!」

小夏はその場で伸脚を始めた。やる気満々だ。

「仕切り直しってか。イイねぇ、乗ったぜ!」

サングラスとアロハシャツを脱ぎ捨てた誠は、その場で腕立て伏せを始めた。こっちもやる気…満々なんだよな?

僕も手首、足首を軽く回し、小夏に借りたパーカーを脱ぐ。

皆準備が出来たのを確認したので「よ~い…」っと言い、両手を砂につけ、爪先と膝を軽く浮かせる陸上選手のような格好をとる。そしてーー

「どん!!」

僕達は力の限り砂を蹴って前に進む。そして楽しみにしていた海に入って行った。



&&&&&&&&&&&&



今思えばこんな勝負は止めておけば良かったーー

ビーチからコーンまでの距離は約15~20M位で、今僕は10Mのところで二人と行き違いになった。

もちろん遅れてるのは僕の方だ。

そもそもインドア派の僕には分が悪かったんだ。

運動部に助っ人に呼ばれることもあるらしい小夏に、現役運動部の誠に運動で勝てる筈が無かったんだ。

でも、それでも僕はゴールするまで一生懸命に泳ぎ続ける。

手を抜くことは勝負自体を侮辱してると、解っているからだ。

コーンに触れ、今度はビーチに向かって泳ぐ。遠くからは既にゴールした二人が「頑張れ!」と応援の言葉を飛ばす。それに応えるために身体に懇親の力を入れて手足を動かす。

そして残り数Mのところで急にそれはやってきた。


右足の先に痛みが襲ってきて足がうまく動かせなくなる。

水面を這っていた僕はいつの間にか藻掻いていた。

どうにか溺れないように、

何とか助かるように、

今の僕の意識を総動員させて考える。だが、こういう時に思い付くのが決まって、「どうしよう…」なのだ。

考えはするが、咄嗟とっさの事すぎて思いつかない。


必死に空気を取り入れようと両腕をばたつかせる。

海面は波打ち口や鼻に海水が入ってくる。

鼻や喉が痛くなり咳き込む。これにより、余計に呼吸しづらくなる。

咳き込むたびに喉の痛みは増していく。

そして藻掻き続けるのにも限界が来た。

頭が完全に海面に沈む。


ここで海の、水の冷たさを全身で改めて感じた。

冬でもないのに身体が寒く、何も考えられなくなってくる。

沈んで行く度に体はどんどん仰向けとなる。ついさっきまでは海面を見下ろしていたのに、今はその逆だ。

口や鼻から排出される空気は気泡となり急ぎ足で僕から離れ、浮上していく。

太陽も無慈悲で優しく、僕を照らし続ける。

まるで絵の中にいるようだ。

気が付けば、そんな目の前の絵に手を伸ばしていた。しかし、この手はその絵には既に遠すぎた。

ーーーもう駄目だ

そう感じた僕はどんどん目蓋が落ちていたことに気付く。だが、それに抗うことはせず、ただ時の流れに従った。

直に視界は暗く、ぼんやりとしていく。目の前の絵には明るさを失って暗く、とても暗い、まるで何も考えずにベタベタとアクリル絵具を塗りたくられたような、とても暗く穢らわしい色へ変わる。

その中で僕は意識を色に侵食され、視界をも同じ色に変えられ、闇に堕ちていった。



$$$$$$$$$$$$$



「おい、起きろ、天崎!」

「んなっ!?」

我ながらなんて素っ頓狂な声を上げたのだろうかと思うよ。そんな事はさておいて、辺りを見渡す。僕の瞳にはいつもの、いつもどうりの教室風景が映り込んできた。

そうだ、僕は昨日夜遅くまでゲームやって、それで……

「私の授業は寝てしまう程つまらなかったか?」

周囲のクラスメイトからクスクスと笑い声が所々から発せられ、それが一瞬にしてクラス全員が笑っていた。勿論、隣の席の彼女、柊沙希もその例外ではなく笑顔をしていた…

「後で反省文を提出しろよ、いいな?」

授業は僕の居眠りという妨害以外何もなくいつもどうり順調に行われる。黒板を見ているとチョークで次々に単語が書かれていく。『国家社会主義ドイツ労働者』やら『アドルフ・ヒトラー』など書かれていく。今の授業は世界史をやってるのだろうと思った。

ふと、外の空を視た。

いつもと変わらない空

いつもと変わらず流れる雲

いつもと変わらない、日常

黒板に視線を向き直すと殴り書きで『ドラ○ヴィッチ』『クラフチェン○』『シュタ○ナー』『They must die!』と書いていた。

なっちゃん……世界史でもそれはないよ…

「ここ、テストに出すからな。いいか、出るかもではなく、出すからな!」

大声で言うとクラスメイトは一斉にノートに取る。なっちゃんも皆が取り終わるのを待っているのか、無言で周りを見渡している。その間、当たり前なのだが教室にはペンの走る音しか聞こえない。そんな空気に触れたせいなのか机に一応置いておいたノートを開き、黒板に書き溜められた単語や重要そうな事を極力短くまとめノートに書き留める。まとめたお陰で皆とほぼ同じタイミングで書き終わることが出来た。

フゥっ、溜め息一つ吐き達成感に浸りながらペンを机に置く。

ふと何かの気配を感じた。

おかしい……僕の席は一番後ろの筈だ。気になって後ろを振り向くと、そこには腕立て伏せをやっている誠がいた。

「……な、、、」

何をやってるんだ、誠!?やめろ!今はなっちゃんの授業だぞ!

「ぉぃ!」

小さい声で言ったので聞こえないのかもしれない。

頑張っている誠は小声で何か呟いていた。意識を研ぎ澄まし何を言ってるのか聞き取る。

「2398、2399、2400!」

かなりの回数をこなしていた!

「2401、2402、…」

「ぉぃ!」

「ん?」

おぉ!気付いてくれた!

何やってんだよ!殺されるぞ!そうジェスチャーで伝えると、誠は「あぁ!」と何か閃いたのか立ち上がり自分の席に戻っていく。幸いなっちゃんは黒板に向かってチョークを走らせていた。誠はバレずに席に着けた。

それで良いんだ。

僕は彼を救えたんだ、そう思っていたら彼は自分の机の中をあさり、席を立ち、僕の前に来た。

徐ろに僕に黒い何か、紐の様な物を突き付けた。よく見たらそれは眼帯だった。

満足げに大声で

「これがないとやっぱ筋トレははかどらないよな、流石悠。よくわかってるぜ!!」

バカ!!

そんな大声ぼけたら……

「え~だから、この時メイソンは既に頭の中に数字が……」

あれ……?

何も怒らないどころかスルー、しかもクラスメイトも何も反応しない。まさに総スルーであった。

そして誠は眼帯を手首に巻きつけ、また同じ僕の席の後ろで、また腕立て伏せをしだした。

心の何処かでおかしいと思いつつ前に向きな直す。

「っ!?」

僕の視界には『前の席の遠藤君が机の上に立っている』という現象が起きていた。

遠藤君はクラスでも静かな方の人であるが、こんな目立つような事は進んでやる人ではない筈だ。

呆然と彼を見つめていると、数人のクラスメイトが立ち上がり「カバディカバディカバディ…」と大声で連呼し始め、教室の扉をぶっ壊して何処かへ疾走、いや、失踪しに行った。

「おい!先生を置いて海でカバディしに行くなぁ~!私も連れてけェエエ~~~!」

そう叫びながら、なっちゃんも失踪した。

とたんにクラスメイトは友達同士で笑い合ったり、読書を始めたり、勉強を始めたりと放課のような状態になった。

これは『自習』になったって事かな?


「そうそう、これは『自習』なんだよ」


いつの間にか自分の机の周りは七瀬、子夏、マリア、柊さん、彼方、誠が囲っていた。まるでカゴメカゴメのように……

そして、皆の手にはそれぞれ天然水と書かれたラベルの付いたペットボトルを持っていた。中身は多分水なのだろう。

「準備運動していれば、良かったのに」

「えっ?」

彼方がそう言うと、皆一斉に胸の位置にペットボトルを持ってくる。

「浅瀬にいれば、良かったのに」

今度は、彼方の隣に立っていたマリアが、それを口にすると一斉にキャップに手をかける。

「え~っと、皆どうしたの、何かおかしいよ?」

一応、質問を投げたつもりだったのだが、それに応える者はいない。それどころか僕の問が皆の耳に届いているのかすら分からない。


皆の顔色を伺う。

表情は皆同じで、何を考えているのか、いや、逆に何も考えていないような無の表情をしている。目は作り物であるかの様に正面のみをとらえている。

声色は皆ハリがなく、本当に本人達と話しているのかと疑心暗鬼にさせられる。

気味の悪さと居心地の悪さが僕の肌を刺激する。

総毛立つというのはこういうことなのだろうか、得体の知れない恐怖というのは身近な所からやってくるモノなのだろうか……

お構い無しで次々と口と手を動かして行く。


「調子に乗って競争しなければ、良かったのに」

子夏言うと皆はまた手を動かす。バキバキとプラスチック製のキャップが高い声を出しながら一捻り。

「あんな勝負しなければ、良かったのに」

七瀬の言葉を合図に、またプラスチックが声を上げる。二捻り目だった。

バキッーーーそこで限界に達したプラスチックの接着部は千切ちぎれ、さらにもう一捻り加わる。

「誘いに乗らなければ、良かったのに」

喧嘩したこともあったが、こんな声を誠から聞いたことは無かった。自分の足元からカラカラと音がした。視線を音のした方に落とすとプラスチック製のキャップが六つ転がっていた。

今以上に恐ろしいと感じた僕は、視線を上に戻す事が出来なくなっていた。

今まで膝の上で握っていた手は、これまで経験が無いくらい汗ばんでいた。心なしか、手も震えているかもしれない。


突然、後ろから誰かが抱きしめて来た。後ろから僕の腰周りに両腕を絡ませる。恐る恐る振り返る、抱いていたのは意外なことに柊さんであった。こちらの視線を感じたのか柊さんも顔を上げる。だが、僕はこんな顔を、こんな表情をした柊さんを見たことが、いや、こんな表情ができる人間を見たことがなかった。

唇の形が三日月形を作る。口角の先が長すぎて頬の筋肉がかなり持ち上げられている。そのせいで目は薄目を開けているみたいで、輪郭も若干ではあるが三日月をしている。瞳の色は、濃い原色の絵具を複数合わせ塗りたくっただけの様な、透き通るモノを全て拒絶し、鏡と違い歪にそれらを反射する。そんな気持ちの悪い濁った色をしている。

そんな瞳は僕だけを見据えてる。

気持ち悪い反面、女の子に抱きつかれるのはどうも恥ずかしいので、柊さんの腕を解こうとする。だが、絡まったそれはビクともせず、完全にロックされていた。

「柊さん、腕解いてくれないかな……」

「……」

柊さんは同じ表情のままで口も動かさない。

動かないままの柊さんが声を発する。


「あのまま、溺れていれば、、良かったのに」


その言葉を最後の合図に皆はペットボトルを持つ手の手首をグルンっと、勢いよく捻り、床を水で濡らしていく。

「ちょ、皆、マジでどうしたの!?」

皆に問うても先程寸分変わらない表情のまま、無言で水をぶちまける。

柊さんも僕の腰をロックしてる状態で手首を捻り、僕の制服を濡らしている。

「ちょ、濡れてる濡れてる!柊さん!」

冗談にも限度がある。早く腕を解いて欲しい。

それにさっきの言葉の意味が気になる……

今は濡れている事も重要だが、それよりも『あのまま、溺れていれば』というのがそれよりも遥かに気になっていた。なので振り返るときにかける言葉が「柊さん、それどういう意味…」と言った。そこでさらに僕は恐怖した。


振り返ると、柊さんと思っていた者はデッサン人形というモノに変わっていた。

しかもそのデッサン人形の腕は肘から無く、代わりに縄が伸びている。そして縄は僕の腰周りに逆さまのペットボトルと一緒に椅子に巻きつけられていた。

「皆、助けて!」

顔を上げ皆に助けを求める。

だが、そこに立っていたのは制服を着たモノだった。そしてモノの片手には逆さのペットボトル。

滝の様な勢いで出てくる水は一向に止むことはない。

そんな勢いで流れた水はものの数秒で教室の床に水を張らせた。

先程、クラスメイトがドアを壊したのにどんどん水かさが増していってる。ドアを見ていると何もなかったかの様に直されていた。

その次に視界に入ってきたのはクラスメイト達だ。

七瀬や子夏達とそれらは例外なく、僕以外の者は既にモノと化していのだ。

きちんと席に座らせ本を読ませてるポージングの人形。立ちっぱなしで小型スピーカーとカセットプレイヤーを持って、笑い声を永遠流し続けてる人形。ペンを握らせ、勉強をさせられているポーズの人形。

異常

その言葉が合うのは今以上に僕は知らない。

思わず大声で悲鳴を上げ、縛られた状態でジタバタと力任せに暴れる。後ろや前に思いっきり体を反らせる。椅子の揺れが、何度もやるうちに後ろに椅子が倒れた。水が張られていたお陰で頭が床に打ち付けたれてもそこまで痛くは無かった。それに柊さんだった人形がクッション代わりとなっていた。そしてその人形は倒れた拍子にバラバラに壊れていた。縛っていた縄も人形が壊れゆるゆるになっていた。


縄を解いて立ち上がる。そこで初めて気付いたが、教室中から磯の香りがする。

不意に下を見る。

これは本当にただの水なのか……?

手で水をすくい、口に運ぶ。

喉を鳴らして飲み込むが、それを喉が拒絶し咽せ返る。

「これ…塩、いや、海水……」

こうしてはいられない!早く水を逃がさないと!

ドアに向かって走り出したが、いつの間にか膝まで増した水かさを走るのは困難なものだ。上手い事走ることは出来ず、ドアまでたどり着くだけでも数分も掛かった。そして、数分もあれば滝のように流れ続ける海水のかさは胸の位置までに達していた。

ドアに手をかけ横にスライドさせたがビクともしない。ドアのガラス部分を素手で殴っても僕の拳を跳ね返し、割る気配を感じさせない。

「なにか、何か無いか……」

脱出出来る何かはないのか、普段使わない頭をフル回転させ、五感を総動員させ考える。

そんな中、人形の持つスピーカーから聞こえる笑い声が煩い。まるで僕を嘲笑ってる様に聞こえる。集中する事を許さないつもりなのか…


周りを見ると椅子が足元に落ちていた。

解っている。頭の中で既に理解していた。今更、椅子や机で窓や小窓を叩いても割れはしないしここから脱出できはしないっと…

それでも……

「それでも、諦めたくない!」

足元の椅子を拾い上げドアのガラスに思いっきり殴りつける。

だがーーー

ガンっ!!

そう音を発しガラスは割るどころか椅子を跳ね返した。

諦めない。そう決めた。だから、何度でもやってやる。

「もう一度ぉ!!」

案の定、それは傷すらも付けず椅子を跳ね返す。

諦めない!!

………



何度目の諦めないだったのだろうか…

あれから何分経ったんだろう…

僕は気づいたら僕は天井に手が届くようになっていた。仰向けのまま軽く手を伸ばしただけなのに……

思いっきり天井を殴る。

痛みは無かった。天井は固い筈だ。おかしいのは僕の方なのかも知れない。手を見てみるとあちこち酷く怪我をしている。

それに……

『ハハハハ』

『ハハハハ』

下では、海水の中では笑い合ってるクラスメイト達がいるではないか。

中には七瀬と子夏、マリアに彼方。まだまだいる。

皆楽しそうだ…僕も……

身体は浮くことを辞め、底に落ちていく。

それに気付いた皆は笑顔で近付いてくる。

『ハハハハハハははh』

『hahahahahahahaaaaahhhhhh』


ーーーみんな、まってて、いまいくから…


大勢の腕は逃がすまいと体中に絡み付いてくる。

首、腕、胸、脚、腰、手の指一本一本にまで太い腕、細い腕と様々な大きさがあった。

どの腕も人のものではなく、人の形を模したモノだ。しかし、今更驚きもしないし、何よりもう慣れた。

人間の順応性恐るべしってやつだ。

不思議と苦しくはなかった。それに自ら体内の空気を口から鼻から排出させている。

そうしないと……

そうしないと、溺れられないからだ。

柊さんの放った言の葉は今、僕の考える事を辞め、カラッポになったアタマに響き渡る。

僕はずっとそこに行きたかったのかも知れない…

僕や皆が、『何も考えず、常に笑っていられる世界』に…

そのために僕は『このまま、溺れていれば』良いんだ……


総てを受け入れたとき、海面の方から何か落ちてきた。

勢い良く着水したのか、振動が海面付近に波紋を起こす。そして何かは動きを加えながら、こちらに向かって落下してくる。それは僕達、僕に近い動きだ。

脚をばたつかせ、手で水をかき分けるーーーそんな人間みたいな動きで……


教室の電灯は全てのものを照らす。

何モノか、何者かは分からないが、逆光となってその姿は、その顔は分からない。

ソレは手を僕に差し伸べる。

その行為に何の意味があるのか、僕は無意識に理解していた。そして、ソレの姿を見て直感的に残された体内の空気と体力を振り絞って、手をソレに伸ばし叫びを上げるという行動をとっていた。

「僕はまだ死ねないんだぁぁああ!!!」

目頭が熱くなるのを感じた。ホントは死にたくはない。こんな終わり方はイヤだ。こんなところで終わりにしたくない!!

それにまだ僕は人生で何も成し得ていない!

ゴボゴボゴボと排出された言葉は擬音のみを海水を媒体として伝達させる。何を言っているのかはきっと伝わってないだろう。

それでも何回でも、何度でも叫び続ける。

「助けてくれ」「死にたくない」「生きたい」

そんな在り来りな言葉を並べる。

意味は殆ど同じだが言ってることはそれぞれ違うはずだ。なのにどれも「ゴボゴボゴボ」と空気を無駄に排出しているだけ。

逃げようとする僕をミンナは一層強く締め付け、腕は体中に食い込む。

言葉が出ない…苦しい……

苦しみに藻掻いているとスピーカーから既に聞き慣れてしまった声が発せられていた。

『溺れていれば、良か…』『このまま、…』『良かったの…』

機械的に発せられるそれには魅了されてしまう。

だが、今の僕にはもう効かない。なぜなら、僕には強い『生きたい』という意思があるからだ。それを察したのか、ミンナは声を変えてくる。

『苦しくないようにしてあげるから』『溺れていれば、イインダヨ』

『楽にしてあげるから』『そうサ、ソウトモサ』

『だから溺れよう』『そうサ、そうネ、ソウシヨウ』

『ハハハハ』『hahahaha』

今度は魅了するとは程遠かった。ノイズ混じりの音、セリフを読んでいるだけのような無関心な棒読み、そんなセリフも稚拙ちせつとも感じさせる。

こんな言葉に騙されていたと思うと心底自分に腹が立つ。無視して腕を振り払らおうとする。すぐ側まで着たソレに届くように腕を伸ばし指の先まで真っ直ぐ伸ばす。

『どうしていっちゃうの』『ここにいようよ』

『ひとりにしないでよ』『かなしいよ』

……先程までと様子が違った。

急に声は震え、感情が乗せられていた。子どもが自分勝手にどうしようもない事で悲しんでいる時の様な……

そしてそれはスピーカーを通して聞こえてくるのだが、子どもがすぐ側で泣いてるようなリアルであった。

だが、そんなことで僕は振り払うのを辞めたりはしない。

『なんでわたしをむしするの』『なんでわたしうそなんかいってないのに』

『くん』『ちゃん』

『まま』『ぱぱ』

『ごめんなさい』『ごめんなさい』

ーーーガシャン

キュルキュル…

教室に散乱してあったカセットプレイヤーが勢い良くテープを巻く。

なぜかその間人形の力はなくなりあっさりと開放された。

この間約10秒あったかないか位であったが抜け出すのにそんなにかからなかった。

抜けた後急いで脚をばたつかせ、ソレに向かう。

巻き終えたテープは再度音を立てて焼き付けられたセリフを言い始める。

『これからは上手くやるから』『やらないと』

『誰にもーーの事を』『皆に』

『化物なんて』『バレないように』

『私は、ーーは上手くやるから』


え……

今、なんて…

底に振り向くと人形達は僕に腕を伸ばしてうごめく。だが、それは、夜空に視える星と同じで全く届かない。

さっき聞き馴れた、それに言い馴れた大切な人の名前が出たような……

何故だろうか…

不意にこの光景を上から見て、『悲しい』と思ったのは…

見ていられない、目を逸らすようにソレに振り向く。そしてお互いの手を握る。

そこで初めてソレの顔が見えた。

その正体はーー

「帰ろうぜ、悠」

子夏だった。



!!!!!!!!!!!!!



「起きて、起きなさいよ天崎さん!」

「んなっ!?」

我ながらなんて素っ頓狂な声を上げたのだろうかと思うよ。そんな事はさておいて、辺りを見渡す。僕の瞳には、砂と海を映す。

誰かに起こされるシチュエーション、それに何かが何処かで体験した覚えが…

なんだっけ……えっと…教室で、海で……声?

駄目だ、あまり思い出せない。


「天崎さん。良かったです」

隣には柊さんが目を潤ませていた。その側には七瀬、子夏、マリア、誠、彼方と全員、さらには遊びに来ていた老若男女の人々が心配そうに僕を囲んでいた。

「ホントに、本当に助かって…良かった」

一瞬何を言ってるのか理解出来なかったが、体が思い出せと言わんばかりに息が苦しくなり、しばらく咳き込む。口の中は海水の味がした。だが、思い出せたのは僕が溺れて気を失った事までだ。それからの事は分からない。

「兄さん、心配したんですから」

彼方が心配そうに、少し怒り口調で言ってくる。

「ごめん…」

「何とかなったから良かったですが、ちゃんと準備運動しておいて下さいね」

うん。短く答えて話を終わらせる。心配させたてしまった分、ちゃんと謝らないといけないが今の僕にはそこまで頭が回らなかった。早くいつもの自分に戻りたい。

周りは暑い筈だが、冷たい汗が止まらない。感覚だけが研ぎ澄まされ、意識が朦朧としてるようで気持ち悪い。それに動悸も激しくなって来て苦しい。

「皆で浅瀬で遊んどけば良かったね」

マリアがそう言うと周りの皆が次々に僕を置いて話しだした。

「勝負しなければよかったね…」

「私も、調子に乗って競争なんて…」

「俺もだよ、勝負の誘い断っとけば…」

七瀬、子夏、誠は独り言のように呟く。僕はまたデジャビュを感じた。そのせいなのか、何となくではあるが、この先の言葉が予想できた。だがそれは僕が聞きたい言葉では無い。勿論、七瀬達の言っていた言葉も聞きたい言葉では無い。あそこで足がつらなければ今頃僕達は笑顔で……

『あのまま、溺れていれば、良かったのに』

それは頭の中で響く。やめろ…やめてくれ!

せめてこの言葉だけはやめてくれ!!


沈んだ空気の中一人だけ、柊さんだけが笑顔で鼻を鳴らしながら泣いていた。

それに気付いた僕達は柊さんの方に向いた。

「グスン、あのまま…溺れ………、、良かった…」

嫌だ、聞きたくない。

冷汗は止まることはなく吐き気さえも催してくる。それだけでなく、それを聞いてしまえば戻ってしまう気がした。冷たく、笑顔が絶えないで恐い海に戻ってしまう気がした。

膝を抱え、両目を瞑り、両手で耳を塞ぐ。まるで子どものようだ。

見たくもない、受け入れたくも無いと意固地になって現実から逃げるそんな自分勝手で可哀想な子どもだ。だが、現実というのはどんなに逃げてもいつも気付くと自分の隣にまで追いついてきているものだ。

どんなに力を込めて耳を塞いでも聞こえてくる。

「今何て言ったの、柊さん?」

マリアが聞くと柊さんは泣きながら皆に聞き取れる位の大きさで言った。

「あのまま、溺れてたら……大変だったんだからぁ!スンスン…」

息を切らせ呼吸しようとしてるが、上手く出来なく途切れ途切れでする。泣くだけでいっぱいいっぱいなのに、それなのに何か伝えようとしている。いつの間にか僕は顔を上げ、手を離して何を言いたいのか気になっていた。

「助かって、ホント…よかったよぉ~」

言い終わってすぐに笑顔なのかも判らないくらいクシャクシャな顔を見せ、大いに泣いた。

それを見た皆は笑顔になり、周りの老若男女の人達も「良かった」など「あんま心配させんなよ!」と笑顔を作り拍手し始めた。


僕は立ち上がって柊さんの正面に座って今出来る最高の笑顔を向ける。

「心配させてごめんね。僕は大丈夫だから」

「うん」

そんなに泣かないで、そう言おうにもなかなか言い出せない。なにより原因の僕が言っても余計に泣かせてしまいそうだ。少し困ってしまう。どうしたものか…

「さーちゃん」

泣きながら柊さんが顔を上げる。それに釣られて僕も声のした方に向く。

僕の後ろに七瀬がいた。七瀬は目を潤ませていて鼻声だった。

「もう…大丈夫なんだよ」

そう言うと七瀬は柊さんを正面から優しく抱きしめた。回した手で柊さんの背中をポンポンと子どもをあやす時の様に撫でる。

「いいんだよ、今は思いっきり泣いても」

それはあまりにも優しすぎたせいでより一層泣き出す。柊さんも七瀬に抱き返す。その姿を見た皆は目を潤ませたり、鼻をすすって二人に抱きついていった。


まるでドラマを観ているようだ。

苦難を共に乗り越えお互いに喜び合う、最終回で卒業する生徒、災害で救助された人とその家族との感動の再会シーンみたいだ。

「まるで他人事のように言うのな」

「あぁ、まぁ。何でかな…。……てか地の文にツッコムな」

いつの間にか隣にいた誠がいた。自分の事なのに何て応えて良いのか分からず、誤魔化すようについツッコミを入れて見たが誠はそれを無視された。

「ところで、体は大丈夫か?」

僕は誠に振り向くこと無く、そして誠もこちらを向くこと無く新しい会話が始まる。内容は先程の内容とは全く違うもので、話しを無理やり変えた風にも見えた。

「うん、たぶん大丈夫」

「そうか」

「…うん」

「あの、さ…この前新しいゲーム買ったんだよ、今度遊びに来ないか?」

「うん。考えとく。この前借りたゲーム、クリアしたから返すね」

「おう、待ってるわ」

「うん」

取り留めのない話をいくつかしたところで誠が黙ってしまった。僕は今何て喋っていいか分からない。二人で皆が抱き合ってる姿を見続けるだけの時間が過ぎていく。気不味い沈黙と居づらさ、動きづらさを感じる。

陽射しは強く、こんな僕にお構い無く照らし続ける。

一体どれくらい沈黙をしているのだろうか。何分?何時間?もしかしたら秒かもしれない。髪は乾いて横風が肌を撫で、それに従って髪も流れる。

「ぁ、…」

何か言おうとした誠は、口が乾ききっており、枯れた声を出し二、三度咳払いをした。話すきっかけを無駄にはしたくなく、それを拾う。体ごと誠に向け話しかける。

「今、何て言おうとしたの?」

「……」

相手はこっちに目も合わせず、背中を見せ何処かへ歩いて行った。

呼び止めることもせず、誠から皆に視線を移す。


気付くと太陽は影っており、辺りにある人、砂、それに海も同様だ。影ったからといって別段何かが変わったという訳ではない。周りの人達は柊さん達が泣いてるのをもらい泣きしていて、もしかしたら、今影っていることにも気付いてないのかも知れない。それでも、海は違う。はっきりと解るくらいに違っていた。

明るい、影っていない海の方を視ると賑わい、遊んでいる人達は皆笑顔。

暗く、影ってしまった海は、それとは逆で誰もいない。

明度が無い海面は浅瀬にも関わらず底が全く見えない。まるでそこだけが夜であるように。それに暗いだけではなく悲しんでいるようにも見える。

そして、その悲しみは何処かで感じた事がある。

誰からも相手にされない寂しさ

誰からも認めてもらえない悲しさ

海を見ているだけなのにこちらまで気持ちが暗くなってきた。


すると肩から背中にかけて何か柔らかいモノに覆われる感覚がした。

肩に手を置き何かを確かめる。それは軽く凹凸おうとつがあり、柔らかいとは言い難く、硬みを帯びている。触っただけでは解らなかったので確認すると、それは自分のではない手であった。その手はとても暖かく、触れていてくれるだけで先程までの暗い気持ちが忘れそうなほど安心する。

振り返るとアロハシャツを羽織りサングラスをかけた誠がいた。

誠はいつもの快活な声ではなく、多少鼻声ぎみで一言、

「風邪引くと大変だぞ」と

それだけを言って肩から手を離した。もう少しの間離さないで欲しかった、何て声に出して絶対言えない。手の温もりを惜しむように自分の手を肩に置くと、泳ぐ前まで着ていた子夏の黄色のパーカーが羽織られていた。サラサラと柔らかく、暖かい…

「ありがとう、わざわざこれを取りに?」

「おう、何か寒そうにしてたからさ。それに…」

「ん?」

「お…お前のその水着派手だったからさ…」

そう言われ自分の姿を確認した。


紐が首と背中、それと腰で結ばれたそれは、ホルターネックと呼ばれるものだ。上下同じ白と青の縞々の模様があり、肌の露出が少なくない。いや、むしろ、見せつけているようにも捉えられそうだ。

そう言えば、買い物の時、これを選んだ彼方は、『勝負はこの夏!負けられないね!!』などと目を輝かせながら、親指を立たせていた。着てみてもやはり露出が多く、もっと露出の少ない水着を僕が選んだら、『なっ!何を するんだァーーーッ ゆるさんッ!』と顔の線が濃くなり、表情も歪ませるなど、誰かの奇妙な冒険ができそうなネタをやってきたんだった。

今更思い出して急に恥ずかしくなってきた。羞恥心を感じ取り、しゃがんで体を隠すように丸くなる。

「そんなに恥ずかしがらなくても…」

苦笑いを浮かべ誠も腰を降ろした。

「もっと胸を張ってもいいんじゃないか?スタイル良いし、可愛いんだし」

「で、でも…」

「もっと言うとさ、あんまり他人にお前の姿見せたくないしさ…」

「えっ…」

ビックリした。

親友である誠からそんな事を言われるなんて思いもしなかったからだ。そんなことを言われるのは付き合っている男女の間で稀に出てくるクサイ台詞だと思ってた。

そんな台詞でも、そんな台詞だから言われた方は動揺してしまう。

恥ずかしさのあまり僕は俯く。

それを見た誠は、どうして僕が俯いているのかを咄嗟に理解し、誠までも赤面して明後日の方向を向き後頭部を掻き始めた。

どうしてこうなったんだ?そう思ったら急に笑いがこみ上げてきた。

「な、なんだよ。何わらってんだよ」

何処か見ていた誠はそのまま明後日の方向を見ながら機嫌を損ねた子どものような口調で問うてきた。それに対して僕はハハハっと笑いながら応答した。

「あまりにもクサイ台詞だったからさぁ!いや~、笑わせてもらったよ」

それを言うと、誠はため息を一つ漏らし口角を上げて笑顔を作った。

「あぁ~、やっぱしアレは失敗だったか。でもこれ、結構成功するって書いてあったのになぁ~」

「ん?なんの話?」

誠は懐から一冊の本を取り出した。

その本の表紙には『一撃必殺!これで君も日本男児!』という文字がデカデカと書かれていた。

「なにそれ!?てか、一撃必殺って…」

一目見て不安が一気に募ってきた。

それを適当に開き、僕に聞こえる声で朗読を始めた。

「気になるあの子に話しかけるときの話題、その一ぃ!『濡れてんじゃねーか。ほら、俺の傘貸してやるよ。俺の家すぐそこだから大丈夫だ。風邪なんか引くわけ…ハクション!!……また明日学校で、じゃあな』これを使えば意中のあの子は上空1000mから落ちたような衝撃を受けて君に夢中だぁー!」

「これは…」

これは想像以上の書物であった!

1000mから落ちた衝撃って死ぬでしょ!しかも、この表現がなんか古いし…

そもそも、これ話題じゃなくないか!?一昔前の青春漫画のワンシーンみたいだし。

「しかし、ここで注意すべきなのは、意中の子がこれを読んでいる君に惚れすぎてしまいヤンデレ化してしまうことだ!!もしヤンデレ化してしまったのなら……」

「……ど、どうなるの?」

ふと気づくとその本に興味が湧きつつあった。勿論ネタ的な意味でだけど。

僕が興味を持ち出したのを理解したのか誠は次の台詞をもったいぶるかのように溜めて、気になる部分を口にした。

「もし、ヤンデレ化してしまったのなら……、『その辺に転がってる鉄パイプで殴ろう!もしくは、元彼の鉄槌パンチでヤンデレ彼氏をやっつけよう!体力がなくなってしまう前に輸血も忘れずにね!(笑)』だとさww」

予想内なのか予想外なのかよくわからんが、

内容糞すぎだろ!

「これで、お前をヤンデレ彼氏にしてやろうかと思っていたのに、結果的には失敗だったわ」

ヘラヘラと笑いながら、さらりと恐ろしいことを言いやがる。

「おい、悠!こっちに来いよ~」

半ベソかいてる子夏が僕の手を握って柊さん達の集まる輪の中に引きずり込んできた。

「でも、今誠と話しを…」

「いいから、行って来いよ。悠!」

親指を立ててニッコリ笑う。

「『その二ぃー!日本男児たる者、心と心が繋がる相棒がいるもの!そして二人で一人の探偵を目指すもの!そしてぇ~、決め台詞は、さぁ、お前の罪を数え…』」

「違う!それは日本男児じゃなくて、ハードボイルド探偵さんだよ!」

やっぱり内容が糞すぎだよ!!



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「う~ん。今日遊んだわ~」

「そうだね~」

あの後僕達は日中泳いだり、昼ごはん食べたり、ビーチバレーしたり、泳いだり…ようするに海を満喫していたのだ。

そんな中で、溺れたという事もあって僕は十分に満喫はできなかった。皆と一緒に遊んでいたが、溺れたという事が胸につっかえて一歩置いた距離を保っていた。

でも、良い事もあった。

柊さんだ。

僕が溺れる前と後では雰囲気が変わった…気がする。

ビーチバレーに誘った時、参加まではしなかったが、言葉遣いが今までの冷たい言い方ではなかったし、車に乗っていた時と違って話しを短く切る事も無くなり、会話が続くようになった。


今はそれだけでも良い。いずれはお互い笑って、冗談も言えるような、そんな親友になりたいと思うよ。


そして今は夜の6時

海の向かいに位置する旅館の一室で子夏と二人でいる。

他の皆は風呂に行っており、子夏は忘れ物を取りに、僕は皆が済ませてから一人で入るのと荷物番で部屋に残っていた。

「今日は楽しかったな」

「うん、そうだね」

「…明日は午前中に泳いで帰る予定だから思いっきり遊ぼうな。悠!」

「そうだね。せっかく来たんだから目一杯楽しもう」

笑顔を浮かべる僕と小夏。しかし、子夏の表情には何処か影があるようにも思えた。そう思った時には口が勝手に動いていた。

「どうかしたの?元気ないみたいだけど」

一瞬凄く驚いた様な表情を浮かべたが先程までの『影を帯びた笑顔』に戻った。

「なんのことだよ?」

「いや、何となく…もしかして熱中症とかかなって」

「いや、そんなことはないよ。私結構水に入ってたし。あ!あったあった。」

子夏はカバンからタオルを取り出し、行ってくる、と言い残して部屋を出て行った。

部屋には僕一人となった。

これといってやることも無いのでカバンから布地のブックカバーを着けた文庫本を取り出す。スピンを頼りに読んでいたページを開き、その続きを読んでいく。

最近巷ちまたで話題になっている小説。ページ数300の割に内容が濃く、それでいて解りやすいらしい。通勤、通学途中でも手軽に読める。一般受けしている一冊である。

最近と言ってもこれを購入したのは一ヶ月前だ、うろ覚えだが。

スピンが挟まっていたページの端には『8』と書かれていた。正直スピンを挟んだ意味があまりない。この際初めから読み直そうと思い、表紙の次のページを開き、本のタイトルが書かれているページをめくる。そのページの真ん中には数行のプロローグが書かれていた。


生とは、刹那的なもの

恋もまた、刹那的なもの

これらの違いは、ただ、色が違うこと…

私の色は灰色、私は何色?

君の色は花色、君は何色?

お互いの色で塗ったらどんな恋が生まれるのかな?



ページをめくると目次。

もう一度タイトルの書かれているページに戻る。そこには『太陽のアトリエ』とあった。一度本を閉じて布地を外す。表紙には明るい、まるで太陽のような温かそうな色を背景に、男女が額をくっつけて笑いながら涙を流しているイラストが書かれていた。

僕は布地のブックカバーを元に戻して流し読みを始めた。


生きる気力も死ぬ努力もしない、出来ない画家志望の男子大学生が同じ学科の女生徒に恋をしていく話だった。

その子は学科内でも人気の娘だった。

自分より才能も性格も容姿も良く、人当たりも良い。恋をしたことのない男はこの感情をただの嫉妬だと思っていた。男は偶然にもその子と同じサークルに入っており、この感情が本当に嫉妬なのか確かめるためにその子と積極的にコミュニケーションをとっていく。初めはサークルでだけ言葉を交わすようにしていた。読者からすれば、全然積極的では無いと思うが、この主人公の男は口数が少ない。あまり他人とコミュニケーションをとる事を必要以上に行わない人間なのだ。コミュニケーションをとるという難しさに悩みながらもその子と会話をしていく。男から話しかけに行くだけだった毎日も、その子と会話を重ねていくにつれその子からも話しかけてくれるようになった。

そしてサークル内だけであった会話場所も講義室や廊下、顔を合わせれば何処でも話すように、話せるようになった。

話しの内容はいつも変わらず絵について。

話す内にその子が絵に対し真剣なのだと理解してから毎回何度も幾度も絵の話しをして気を引こうとした。画家志望の男には絶好のアピールタイムだった。

絵の書き方、集中の仕方、何を考えてこれを書いたか、どんな筆を使ったか、色の配合率……お互いに沢山聞きあった。

その子には才能もあったが、その才能なんかよりもその子は人一倍努力をしていたと気づかされる。男なんか比でも無いほど毎日毎日絵を描き続けていた事に気づかされる。そして、この感情が嫉妬ではなく尊敬に変わっていった。男の中では本当の恋など分かっておらず、尊敬こそが恋なのだと思い込む。

そう思ったとき、男はその子に告白をした。

絵に真剣な君が大好きだ、返事は「はい」であった。

この時、二人は両思いであった。


そして、二人が付き合うようになったある日、その子が交通事故にあって入院。男に関しての記憶がスッポリと抜け落ちてしまった。

退院して大学に来てもその子が男に話しかけることはなくなった。サークルに顔を出してもその子と会話どころか視線すら合わない。

まるで初めからなんでもなかったかのような…

男は泣いた。毎日毎日目から涙を流し目元を腫らした。

その子の顔を見るだけで、その子が誰かと会話した時に見せる笑顔を見るだけで男は涙腺を刺激され涙を抑えきれなくなる。

そんな中でも男は毎日欠かさず学校へ行き、サークルに行った。自分が傷付くとわかっているのに。

ある日、その子から話しかけられる。「私の事、まだ好きですか?」と。



「悠!お先、良いお湯だったよ」

「え?あ、子夏」

本を読むことに集中しすぎたせいで部屋に入ってきていた子夏に気づかなかったみたいだ。

「子夏だけ?」

「うん、皆まだお湯に浸かってるよ。」

湯上りで子夏の身体は赤みを帯びる。それをそっと包み込む旅館の浴衣。湯上りの女は何処かなまめかしい。不意に子夏の胸元に視線が行ってしまった。豊満とは言えないが貧相でも無い、言うなら普通位のサイズ、程良いサイズであろう。しかし、どうしてだろうか…身に着けている浴衣から子夏の『普通サイズ』の胸が作り出した谷間がはっきりと見えてしまうのだ。浴衣のサイズが合っていないのかそれとも『普通サイズ』というのは僕が勝手に思い込んでいるだけで実は……

「ねえ…」

振り向くと子夏は胸元を少し手で隠すようにしてジト目で見てきた。

「何かすっごい変なこと考えてない?」

すみません、はい、めっちゃ考えてました……

でも、これは子夏には悟られてはマズイだろう。

ここは僕の得意な話術で切り抜けよう!

「イ↓エ↑!、マッタクソノヨウナコトハアリマセンヨー」

しまっっったぁーー!

声が裏返ってしまった。いや、それだけではない…

つい棒読みでいっちゃったー!

ヤヴァイ…冷や汗が止まらん…

とりあえずフォロー的な何かをとっておこう。今度こそ僕の話術で!

「子夏って実は胸でかいよね?」

「……」

「……」

「え?」

「…」

「…」

「( ゜д゜)ハッ!」

湯上りの子夏の顔がますます赤くなっていく。

これはいかん、フォローしなければ!!

「いや、違うんだよ!今のは……そう!今のは、浴衣から見える子夏の谷間が目に入ってきて、何て言うかすごい『色っペぇ~なぁ~、嬢ちゃん』状態だったていうかぁぁああー」

本音言っちゃったよぉぉー!

建前とかブッ飛んで本音言っちゃったよぉぉー!

口が滑ったとかそういうレベルじゃなくてもう、もう…

「ダダスベリだよぉーー!」

僕の話術は所詮『話術(W)』なのか?

顔を真っ赤に染めた子夏は俯き両手で体を強く抑える。

もしかして、嫌がらせだと思ったのかな?

そうだとしたら、ものすごく不快な思いをさせてしまった。

頬の筋肉を締め、表情を真顔にする。

「不快な思いをさせたなら、ごめん」

頭を下げて謝罪をする。

「……別に不快でもないよ?」

「そう?なら良かったよ」

逆に嬉しかったよ……

「え?今なんて?」

「べ、別に何も…」

また顔が真っ赤になっていく。これ以上詮索するのは止めよう。今度こそ傷つけちゃうかもしれないし…

「ところで」

そんな事は今はどうでもいいかのように子夏は話しを変えてきた。今の僕にはとても嬉しい一言である。

「さっきから何読んでたの?」

僕は布地のブックカバーを外して表紙を見せながら本のタイトルを口にした。

「あぁ、それね。私も読んだよ。」

「へぇ~」

そうなんだ。これは意外だった。

子夏はこういう小説や文庫本何て読まないとばかり思っていたからだ。熱い展開が描かれている漫画やスポコンとかしか読まないと思っていたんだが…

「それ、あんまり面白くないよね」

「え、そう?」

あれ、これまた意外であった。

今、重要なラスト前まで読んでいたんだけどそんなに面白くない、もとい、つまらなくさせる要素はあまり無いと思う。

「何かさぁ~、ありふれてるんだよね。こういう小説って。如何にもお涙頂戴みたいな?そういうのが丸分かりでさ」

「……」

「ん?どうしたの、黙っちゃって」

「いや、ビックリしてたんだよ。子夏がこんなこと言うの珍しいよね」

「えっ、そう?」

ハニカミながらそれに応答する子夏。

「うん。素直に驚いた。小説なんて読むんだね!熱血系の漫画しか読まないかと思ってたよ!」

「それって私喜んで良いとこなの?」

「うん」

「わーいヽ(´▽`)/ヽ(´▽`)/ってちょっと!」

「子夏まで顔文字使い始めた!」

「意地悪すんなって!」

「ごめんごめん、つい出来心で」

「じゃあ私も出来心で意地悪するもんね!!」

え?それはどういう……

聞く前に子夏の口から発せられる言葉が僕の質問を消し飛ばす。

「その本のラスト。女の子が記憶を取り戻して男の子と結婚するんだよ」

……おいおい

それって、もしかしなくても

「ネタバレかよおおおおおぉぉぉ!!!」

「へっへぇ~んだ!意地悪のお返しだよ!ばいばーい」

読者に対しての最大の禁忌であるネタバレを平然と言って、子夏はカバンから財布を取り出して「売店行ってくる~」っと早口で部屋から走り去っていった。

話し相手もいなくなり、また静かになった。

溜め息を溢し持っていた本をテーブルに置いて、畳の上に寝転がる。

「子夏、やってくれたな…」

やったこと自体は許せないものだが、何故だか怒りは込み上げてこない。もしかしたら僕の中でもこの本はこの程度のモノだったのだろうか…

「確かにありふれた内容だった気がする」

そう口に出す事によって割り切ることにした。割り切ることで復唱する手間を省かせた。でもこれは僕の性分なのか僕はいつの間にかテーブルに置いたはずの本を手に取ってスピンを摘んでいる。いくらつまらない、ネタバレをしたとしても最後まで読もうと思ってしまう。時間の無駄でも本を読むことはどんなことでも無駄ではなく知識として、記憶として読者の頭に蓄積されるのだから。

「あれ?今のこう考える僕少しカッコよくない?」

「いや、別に普通じゃないかな?」

「いをぉ!」

子夏!?いつの間に戻ってきてたんだろ。てか、声掛けてくれよ、めっちゃ恥ずかしいじゃん……

ハハハと扉の前で立ったまま子夏は動こうとはせずに微笑んでいる。手には自分の財布だけが握られている。

子夏は売店に行くと言って出て行ったのに何も買っていないのではないか…

浴衣には物を入れる場所はない。

そんな子夏の姿に疑問をいだく。

「売店に行ったんじゃないの?」

「あぁー、うん…ちょっとね」

どうしたのか僕にはさっぱりだ。

どうしていつも元気一杯の子夏がこんなに言葉を濁すんだ?

「ちょっと一緒に外で涼まない?」



@@@@@@@@@@@@@



「単刀直入に聞くけどさ」

お互い外に出るまで無言で旅館の通路を歩き、外に出たら開口一番に何か急くように聞いてくる。

「見たよね?」

何を?主語が無いせいで子夏が何を言っているのか理解できない。それからも子夏は「あれ」やら「あの時の事」だのと言う。どうやら子夏はそれ自体言葉にするのをはばかるっているみたいだ。

ここは僕が察して言うべきだろうが、さっきからそれがさっぱりわからん。

「ごめん、子夏が何言ってるの分からないんだけど……」

「……」

アホみたいに口を開けて鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。

「それって本気で言ってたりする?」

「うん、マジだよ」

「ホントのホント?」

「ホントのホントだよ」

このやり取りを後10回程やって、何度も繰り返しの確認が終わった。

それでもスッキリしたとも、煮え切らない何処かハッキリとしない曖昧な表情を見せる子夏。

何も理解できてない僕にそんな表情を見せられても困ってるのは僕の方なんだけどね……

「う~ん、じゃあ、いっか!」

「え?」

「だから、もういいや。なんでもないよ。何もなかったことにして!」

「は?」

「じゃ、私先に戻ってるね!」

そう言うと子夏は玄関の自動ドアを潜って中に入っていった。

そして僕はと言うと、何も理解も出来ず何もかも有耶無耶にされた挙句、話にもこの場所にも置いてきぼりにされた。

「ん?お~い、悠殿!」

「え?」

旅館の敷地の外から誰からか声をかけられる。その人と数十m離れているので顔が分からない。それに外はもう真っ暗で遠い人はただのシルエットにしか見えない。その人はどんどんこちらに近づいてくる。

「悠殿、どうしちまったんだ?お~い」

黒いシルエットが上に伸び左右に揺れる。あれはたぶん手を振ってるんだろう…

「もしかして無視!?ひどいぜ悠殿ぉ~」

それが近づくにつれ形が少しずつ見えてきた。

身長は高めで、肩幅も大きく、腕も大きい。良い筋肉の持ち主と分かる。

だが、片方の肩が異様にデカイ。肩に大きな円形の物を付けてるみたいに。

「悠殿はもしかして俺のことがアウト・オブ・眼中なのかぁ~」

……ん?今の単語最近何処かで聞いたような…

それにこの声も何処かで…

そして距離が数mの所でやっと顔が見えた。

「あ、柊さんのお父さん」

「ひどいぜぇ~悠殿」

酷いと言ってるのにニッコリしている。些細な悪事は笑って水に流す大人な対応を見せてる。それともただ単に子どもなだけなのかもしれない。彼の目はいつもときめいており、知らない事を学ぶ少年のようだ。

そしてそんな柊父の肩には酒樽が抱えられていた。シルエットで見えた異様なデカさの物は樽のようだった。歩む度に酒樽に入っている酒が波立ち木材に打ち付けられている。

「早く入ろーぜ悠殿」

「ていうか何でここにいるんです?」

「何でって…だって旅行だろ?行くに決まってんだろ!」

「いやでも柊さんに『沙希、『友達』と行ってこい。何、お父さんは心配いらねぇ~ぞ?』って言ってたじゃないですか」

「あぁー、そのなんだ。あれだよ、あれ……俺が来ちゃまずいってのかぁ!?あぁ?どうなんだ?」

「どうして急に絡み口調!?」

「はっ、まさか沙希とイケナイ関係を築こうと…」

「はぁ!?」

「アッチッチなのか…」

何か変な言い回ししてきたし。

「そうかそうか。ちなみにABCで言うところのもうBはいっちまったのか?」

「ちょ、そんな事はないです!!しかも死語です、それ」

「ん?怪しいなぁ。ま、まさか、もうZまでいっちまったんじゃ!」

「Z!?AtoZだったの!?」

「変身!!」

「エター○ル!!」

「さぁ、地獄を楽しみな…!」

「「流石、お父さん(悠殿)!!」」

熱い握手をし合いながら見つめ合う。この人色々語れそうな予感がした。

「お、お父さん?」

旅館の出入り口から柊さんが出てきた。父の姿を見るなりビックリしたような表情を浮かべる。それもそうだろう。心配いらないって言って見送ったくせに旅行先に現れるのだから……

「何でここにいるの?」

さっきと同じ質問を柊さんが問うとニッコリと満面の笑みで

「作り置きのごはん昼間に全部食っちまってよぉ~。夕方になってスッゲー腹減ってどうしようか考えてたら、ここに来れば晩飯食えるって思ったんだよ。どうだ?沙希!お父さん頭良いだろ!!」

「はい、とっても頭の中が幸せなようで良かったよ」

「ハッハッハ!嬉しいぜ、娘に褒められるってモンは」

いや……それ褒められてないし、褒められてないことにも気付いてないし。

それにしても相変わらずこの親子は仲が良いな。

僕の両親と比べると……あぁ、悲しいことに大差ないや

「沙希、晩飯はおでんにしよーぜ。酒もあるしな!」

ため息を一つ溢し呆れ顔で応答する。

「お父さん…今夏だよ。おでんは季節外れだよ」

「季節外れだから食いたくなるんだろーが。わかんねーかなぁ~」

「それはわかるけど……そもそもお父さん、ここに来ても部屋の予約とか無いと泊まれないんだよ?」

「なん……だと……」

頭の血の気が引き顔を白くさせる。この世の終わりみたいな表情をする柊父に柊さんはまた溜め息を溢し父に背を向ける。

「天崎さん、お父さんなんかほっといて行こう」

「え、でも…」

心ここに在らず

放心状態の柊父を置いていって大丈夫なのだろうか…?

「大丈夫ですよ。どうせ何とかしてみせるんだろうし」

「は、はぁ」

納得できないが旅館に戻ることにした。一応柊父に一礼してその場を後にした。入口の自動ドアを潜ってもう一度後ろを確認したとき、柊父は携帯電話を耳に押し当て誰かと会話していた。放心状態のまま……



部屋に戻ると全員同じ部屋にいた。

各々トランプを持ってた。

二つのトランプの山、それを囲んで皆でカードを順に出し合ってる所を見るとこのゲームは大富豪だろうか。

「あ、はるくんおかえり~。一緒に大富豪やらない?」

「いいの?じゃあそのゲームが終わったら参加するよ。柊さんも一緒にやろうね」

「私は…」

「おう、さっさと混ざってこいよ沙希」

大声を出して沙希と呼ぶ大男が部屋に入ってきた。酒樽を抱えて。

「……お父さん」

「柊さんのお父さんなんでここに?」

マリアでさえビックリしてるという事は当然他の周りの人は皆ビックリしている。

僕なんてさっきこの人と会っていてここに入れないっていうことも知っているから開いた口が塞がらない。でも、一人例外がいた。

「さーちゃんのおとーさんだー、こんばんは~」

「お、礼儀正しい娘さんじゃあ~ねーか。こんばんは、どうだい?酒でも」

「未成年ですから遠慮しますよ~」

「そうかい、残念だ!ハッハッハ」

七瀬はこの状況に速攻で馴染んでいた!いつも何処か抜けていると思っているが、こういう順応性が高いのは凄いと思う…

「さっきこの旅館に電話したんだよ。そんで俺もここで泊まることにしたんだ」

わかってくれたか?満足そうに言われてもここに来たのが『晩飯が無い』って理由を言わずにいる。やっぱり恥ずかしいのだろうか……

「そんなことはどうでもいい!」

そう大声で答えたのは、誠だった。

「細けーことはいいんだよ!ここに来たかった。ただそれだけなんだからなぁ!」

「おぉ!若いくせに解ってんじゃねぇーか!!」

「はい!お父さん!!」

力強くお互いに握手をし合い大声で笑い合う男二人。

熱いやり取りを見せられそこに参加できない自分が憎い。熱い展開…大好物です!!

「さぁ~、お前も飲め飲め!」

柊父は拳を握って酒樽の蓋を殴って無理矢理開ける。乱暴な開け方だが最高にカッコイイ。

甚平の懐から尺を出して杯に酒を汲む。

そして飲む。豪快に一気飲みだ。

「あぁ~、ウメェえ!!」

「お、俺の酒は?」

誠は本当に飲む気だったのか柊父に杯を要求したが、柊父は真顔になって至極当たり前な言葉を誠に言い放った。

「この国の未成年は酒飲んじゃダメなんだろ?お前さん何言ってんだ?」

「……」

「ハッハッハ!!」

真顔からさっきまでの満面の笑みに戻す柊父。テンション最高潮。

笑顔から無表情、真っ白になった椎葉誠。テンションガタ落ち。

何がそこまで下げたのかは憶測だが、この人なら勢いに任せて酒をよこし、さらに盛り上がると思っていたとかではなく、きっと、校門前で自分を殺しかけたこの人に真っ当な事を言われてしまった事に対してのショックなのだろう……

まあ、そんな誠のことは全員触れずにゲームが進行していく。


大富豪の他にもババ抜きをやった。小一時間程連続でトランプのみをやってたせいか皆飽きが来てしまい、他に何か無いのかと部屋の中を探していると布団が収納されている押入れに人生ゲームが入っていた。なぜに……?

「せっかくだしこれやる?」

「そうだね」

結局持ち主が誰のか分からないまま勝手に人生ゲームの箱を開けゲームボードを組み立てていく。

駒の車に人替わりの棒をさしスタート地点にセット、初めは皆、ボードに備え付けられたルーレットを回し2つあるルートの内どちらの人生を送るのかを決めた。

そして、全員の人生が決まった所でゲームスタートした。


~10分後~

ルーレットを回し、コマを動かす。そしてまた他の人がルーレットを回す。その繰り返し。

やり始めは楽しかった。子どもの頃に帰ったみたいだ。両親と彼方と僕で何回かやったことを思い出しながら今のゲームをプレイする。

公務員という職業

コーディネーターという職業

大統領という職業

その職業に就く度に、その職業カードを手にして親に「これはなにをするおしごとなの?」とよく聞いたものだ。忘れていた思い出が色付いていく感じだ。いい気分だった。ホント…いい気分だった。

ボードゲームでこんな気持ちになった事あっただろうか…

ゲームを始めてから何週目だったか、初めはそこそこ順調に問題も無く進められていたが、この『人生ゲーム』が本当の『人生』を語りだし始めた頃にはさっきまでの気分なんてものは台無しだった。

「1、2、3、っと、えーっと、『勤め先が経営不振になって、このマスでストップしたプレイヤーはNEETになる』って待て待てぇ!」

誠までが無職に…

こう言えばお解りになるだろう。

無職になったのは誠だけでは無いと。

「これで無職になった人、何人目?」

僕が手を上げながら皆に聞くと、僕含めて全員(柊父は酒を飲んでおり不参加)が無職と化している。

僕なんて『実は私、この仕事向いてないんじゃない?職業をNEETに変更する』で無職になったからなぁ……

因みにこのゲームでの無職は毎ターン親から仕送り2万円が貰える。なんとも良心が痛む設定だ。

「7、8、っと、『そろそろ一人部屋が欲しい!マイホームを購入。2000万円払う事で購入可能』やった!念願の一軒家!さらに追加オプションでソーラーパネル100枚600万円を購入するね!」

マリア……スタートからずっと日給バイト(無職のまま)ばかりのマスに止まり続けた君が良くマイホーム買えるね……

そして今はその笑顔が怖い…

「2、3、4、っとなになに?『結婚式をあげる。相手は大手企業の御曹司。玉の輿やぁ~、玉の輿やぁ~!プレイヤーの車に男性と子どもの棒を挿す。また、毎ターンごとに子どもが増えていき、一人につき生活費1万円払う』……ん?結婚式の御祝儀は?あんまり得しないような…ていうか損してない?」

確かに損しかしてない!!

彼方は少し戸惑っていた。何せ結婚式っていう一大イベントで絶対プラス効果の筈なのにマイナス効果しかないからだ。ていうか、こんな人生嫌だ……

「次はわたくしですね」

マップの中央に備えてあるルーレットを指先で摘み回転を加える音羽。ここで安定した公務員とかを狙って安定した生活を狙うつもりだろう。なんせ音羽が今止まっているマスの一つ先には公務員になれるマスがあるのだから。

「ここで一気に畳み掛けます!ここで公務員になれば晴れてNEET脱却、そして公僕となって『皆様とは違うのだよ!皆様とは!グフ、グフフ』と豪語します!喰らって下さい!!メイド秘技、『瞬間よ止まれ、汝は』」

「はい、音羽ストップねー」

「…はい、分かりました」

ムスっと音羽の表情が変わる。残念ですと言わなくとも顔で表現してくる。流石にこれはツッコミたくなった。

仕方ないですねとルーレットを回す。サラッと運命の引き《デスティニー・ドロー》と言って……

まぁ、別にツッコミ入れなくていいかぁ…

結果は2であった。

音羽は溜め息を吐き、自分の車を手に取る。

「…2ですか。まぁ、これも運命、仕方ありませんね。1、2、『パチンコで全財産剃られたぁ!!家に帰ろう…。所持金を0円にして振り出しに戻る』…サレンダーしていいですか、悠様?」

音羽の心が折れた!しかも、若干涙目だ!!何てゲーム、いや、何てクソゲーだ。

ていうかさっきから各々止まるマスがクソすぎる!気付いたら皆が皆無職だし、親の仕送り頼りで家買うし、玉の輿やぁ~って何かウゼェ!!

皆の表情は大概やるせない表情だったり、怒りだったりと様々だが、子夏は笑顔だった。

「どうしたの?子夏笑って」

「ん?だって、楽しいじゃん。こうやって皆とゲーム夜遅くまでゲームで来てさ。いくらクソゲーでも面白いじゃん」

それを聞いていた僕や他の皆も確かにと思っているだろう。

ただ、それに気付かなかっただけ。気付けば納得して、それが周囲の事実となる。僕も皆も『思いもしない事』が『新しい概念』となった。

そして皆で笑いあった。

「次、子夏の番だよ」

「おう、任せな!」

ルーレットを回し、ルーレットの最大値である10を出す。ゲームが子夏の勢いに乗ってきている気がする。

「9、10っと『m9(^Д^)プギャーwwwwww。所持金を0円にして振り出しに戻る』って………」

言葉が出なくなった子夏は肩を震わせる。この流れなら笑って乗り切るだろう。「やらかした~」みたいなこと言うだろう。この場でゲームしてる者全員そう思っていた。しかし、現実は違った…

「ふざけるなああぁぁぁ!!」

えぇ~!?

全員驚愕。

なぜなら、前後の会話で言ってることが違うからだ。

子夏は目尻に若干濡れ気味で腕を振り回して反論する。

「クソゲーにも程があるだろ!何がプギャーだ!そんな事で何で所持金0で振り出しに戻るんだよ!無知とパチンコで剃られることは同意義なのか?」

完全にぶちぎれてるよ…

「じゃあ、次私だね!頑張るよー」

七瀬はこの場でもブレずにマイペースにルーレットを回す。

「…、5っと『私は30を超えていてね…この前また新しい魔法が使えるようになったんだよ。同僚は皆私のことを魔法使いって呼ぶんだよ。10マス進む』さらに加速だよ!すごいねー」

そんな中、子夏も喚き、それに僕が応答していた。七瀬の喜びも皆総スルーで。

「やだぁ!せっかくお金貯めてたのに!!バイトもしないで親の仕送りで脛を噛じりまくって2000万円も貯めたのに!!」

「そんなもらってたの!?」

どうやら、起こった原因はお金の事だった。

「お小遣い前借りマスに止まりまくってたから!かれこれもう10回は止まったよ!」

「え、でもそれじゃあ計算合わないんじゃ…」

「あ、忘れてた。闇金マスも10回以上通ったんだ」

「!?」

「しかも、このマス通過するだけで強制的にお金貸してくるんだよ」

「本当に闇金だね!?」

僕達は『本当にクソゲーだな』と思っている中、七瀬は10マス進めていた。だが、七瀬の手は駒の車を離さずずっと無言でマス目を覗いていた。

「七瀬どうしたの?」

「え!?いや、なんにも無……無くはないよ?」

やっと顔を上げた七瀬はとても複雑そうな顔をしていた。そんなそんな表情になってからの開口一番が

「やっぱりクソゲーだね……」

七瀬は持っていた所持金を僕に渡し、自分の車を子夏と同じスタート地点に並べた。何故そんなことをする?七瀬の最後に止まったマス目を見てみる。そして、僕は後悔した。そこに書かれていたマス目の効果は…

『m9(^Д^)プギャーwwwwww。所持金を0円にして振り出しに戻る』

子夏が止まったマスと同じ効果。

そして、同じ文面。

さらに、同じ位置に飛ぶ…

悲劇とは……繰り返されるものなのか…

僕は額に手を当て視界を閉ざす。受け止め難い事実である。

皆も黙ってしまった。

さっきまで喚き散らしていた、あの子夏でさえ可哀想な子を見るような目で七瀬を見つめている。

そしてさっきから忘れられている柊父は酔った勢いで一人で何に対してか分からないがずっと笑っている。うん…少し黙っててもらいたいな…

笑い声意外聞こえないこのちょっとした沈黙の中で柊さんがそれを壊した。

「ねえ」

「な!なんだい?沙希ちゃん!」

「……え~と、確か椎葉さんでしたっけ?とりあえず名前で気安く呼ばないで下さい」

「……」

「私の言いたいことはこんなどうでも良い事ではなくて」

「  」

誠ー~~!!

車の中での件で学習したはずだったのに…

また速攻でケリがついたな。

「私の言いたかったことは、次私の番だからルーレット回しても良いですよねって聞きたかったんですが」

…………

皆ここで感じ取ったのかもしれない。この柊沙希は七瀬と負けず劣らずのマイペースなのかもしれないと。

指先でルーレットを回し、出た目の数だけ車を進めていくと、そのマス目の効果を静かに読み上げた。

「『サークル入場券をゲット!一般ざまぁwwww。コミックマーケットの一つ前のマスに行く』」

コミックマーケット?そんなマスはゲーム始めてから一度も見てない。自然と自分と柊さんの通ったマスを見通すが、やはりそんなマスはなかった。前のマスを確認してしまったのは過去意味不明な理由で振り出しに戻ったプレイヤーがいたからだ。

「コミックマーケットあったよ…」

柊さんが見つけてそれを指差した。

差したマス目は、コミックマーケットとゴールという文字がデカデカと書かれていた。

『………』

そして、ゴール前のマスには特別な効果は無く、ただの空白なマスだった。



*************



ゲームを終えると時間は午後の11時を回っていた。

ゲームボードを乱暴に仕舞うと各自布団を引いて消灯し、布団に潜ってしまった。よっぽど疲れたんだと思うよ。時間をかなり使ったのにクリアーの仕方がバグ紛いのものだったし、時間を無駄にしたと言ってもいいだろう。

11時を過ぎ皆が寝たことを確認し、僕は浴場に向かった。

着衣を脱ぎ、コインロッカーにそれらを押し込み施錠。鍵に着いていたストラップを手首に巻き、タオルを持って浴場の戸を開けた。

流石と言ったところか、目の前に広がる浴場はとても広い。おまけに湯船も大きい。

壁はヒノキで良い香りがする。ヒノキという事もあって、あまり湯気が立ち籠っていなく周りが見易い。

浴槽に浸かる前にシャワーを浴びる。

シャワーするとき、風呂に入るときは少なからず考え事をする。

『今日はなにしたっけ?』『あの時アイツどういう意味でアレを使ったんだ?』みたいな、正直どうでも良いことを考える。

能動的にこれらの題名を挙げる訳ではない。気付くと考えているのだ。つまり受動的にだ。

話しが横道に反れ違う話しをしてしまうようにその題を挙げてしまう前に何かしらを考え、今の題がある。

そもそも何故考えるのか?それは、

人間は考える生き物、考えないということは死んでいるも同然。

つまる所、そういうことなのだろう。

シャワーを止め湯船に浸かるため足を動かす。

湯船に張っている湯に手を付ける。丁度良い湯加減であると肌で感じたところで湯船に浸かる。

あぁ…とてもいい湯だ。

昼間泳いだせいか、いつもより襲ってくる疲れが酷く感じられる。

ヒノキは良い香りと吸湿力に優れる他、リラックス効果がある。どうにもα波が自律神経を安定、鎮静させるようである。

香りにも効果があり、嗅いだり、触れると怒りを和らげたり緊張をほぐすらしい。他にも血圧の安定に疲労軽減にも効果がある。

……そう目の前の看板に書かれているからそうなのだろう。

湯船の端に頭を置き天井を見上げる。別に天井が見たいわけではない。この格好が落ち着くからだ。

湯で湿ったタオルを軽く絞り、額と目を覆う。温かい湯気が目に染みてくる。

疲れが徐々に消えていくが分かる。この感覚が気持いい。

あまりの気持ちよさに寝てしまいそうになる。

そして『気持ちいい』『寝そうになる』と思っているなか、僕は今日の海で泳いだ事を思い出していた。

折角の旅行なのに泳いだことなんか思い出さなくてもいいのに何故だか自然に浮かんできた。

ビーチで走って海に入って、海水を掻き分け前へ前へと進んでコーンを触って折り返した。そのままビーチに向かってその途中で溺れ……

両手で湯をすくい上げ顔に当てて洗う。

こんな事ばかり考えてちゃいけない。楽しいことを考えよう。折角気持ちいい湯に浸かっているのだから。

もう一度湯で顔を洗う。今度はさっきよりも強く湯を当て、顔を手で強く擦る。それでも溺れ意識が遠のく瞬間の事が頭から離れられない。そして、あの言葉…『あのまま、溺れていれば、、良かったのに』

溺れた事よりもこの言葉の方が離れない。

一度で駄目だったので何度も顔を洗う。何度も何度も何度でも…

それが消えるまで…

だが、消えるどころかそれを意識し過ぎてさらに大きな題へと変わっていく。

強く当て過ぎた湯が目に、鼻に、口に侵入してくる。

当然噎せ返るし、目が痛い。それでも止めない。

答えが見つかりそうだから。この感覚が何処かあの時と似ていて、もう一度それに酷似する行動をとればあの言葉の意味が分かる気がするから。

10、20度程繰り返したあたりで非効率だと思った。僕は、思ったとき、いや、思うより早く湯に潜った。

こうすればあの時のことを思い出せる。

息が出来ない、苦しい、目が痛い、噎せ返りそうになる。あの時とは状況も考え方も違う。

あの時はどうしようとしか考えていなかったが、今はそのどうしようという状況をどうやって再現するかを考えてる。

苦しいのを我慢して溺れた時の再現をしているとき、漠然とだが何かが足りないと思えるようになった。

ただ苦しいのではなく、苦しみの先にある何かが足りない……と


湯船の底に手を這わせ指先に力を込める。水の浮力に負けずに潜り続ける。

どれくらい潜ったのだろうか…

体感では10分程潜ったと思う。もしかしたら1分も潜ってないのかもしれない。時計などで時間計ってないから実際は解らない。それでもそろそろ自分の限界が来たというのは解った。

意識が遠のきそうになったとき何かに底へ引きずり込まされそうになる。

しかし、今回は抵抗はしない。

何かを思い出すためにも、確かめないと気が済まない。でも、もしかしたら確かめる前に僕は……


呼吸の出来ない水中で目が自然と薄く開いていく。

湯船の深さはそこまで深くない。それでも溺れた時と同じくらいの深さがあると思えた。いや、それでも僕はまだまだ底知れなく沈んでいく。

天井の照明は何物にも平等に照らし続ける優しい太陽。

天井の照明は何事にも動じず傍観し続ける無慈悲な太陽。

そんな太陽に助けて欲しく両手を伸ばす。

口、鼻から排出される空気は気泡となって、それが光を浴び輝きながら浮上していく。

今見てるこれはまるで絵の中のようだ。

もう届きもしないのに伸ばし続ける手、そして自然に閉じる目。そして、聞こえてくる「あのまま、溺れていれば、、良かったのに」と…


目の前には子ども、女の子が一人いる。その子は泣いている。

目は閉じて周りは何も見えないはずだが、何故かその子を認識でき、表情すらもハッキリと見える。

「ねえ、おねがい、あそんで」

「ひとりに」

「ひとりにしないで」

「わたしを、ひとりに、しないで」

女の子は嘆き悲しみながら泣いている。

『ねえ、君』そう口を動かす。口や身体は問題なくが、今肝心の声が出ない。なので、その子の傍に行くため直立している姿勢の僕は走った。

いつの間にか、足が地に付いている事なんてどうでも良いし、気にしない。あの子の元に行けるなら…

真っ暗な空間であの子を目指す。目を開けているのか閉じているのかすら自分でも解らない状況で姿だけが見えるあの子に近づけるのだろうか…

そう思ったとき、走るのを止め歩いて行くことにした。

足の爪先に何かが当たる。

真っ暗で何が当たっているかは分からない。もしかしたらこれで僕が転ぶかも知れないし、転んで頭を打つかも知れない。あの子が見えても、僕の足元が、周りが見えなければ危険すぎる。急ぎ足であの子の元へ行く。

足に当たる感覚はまちまちで複数の何かが散乱している。

今はそんな事気にしていられない。

一刻も早く行かないと…

目に見える一点だけを見ていた僕には気がつかなかった。足の感覚にだ。さっきまでは爪先に当たっていたが、脛にまで当たり、それから進んでいった今では太股にまで何かが当たる。

まるで海を歩いている気分だった。

浅瀬から深淵の方に歩いて行ってるようだった。

そう考えると、体に当たるこの何かは海の海水なのだろうか…

触れてる感覚は個体の物質だと思うんだけど。


胸までの深さまで来た進んできた。女の子との距離はあと20m弱と言ったところか、正直果て無く遠く感じる。何かを掻き分けて進むのに力の限界がきた。体がうまく動かない。泥にはまったような感じだ。


あまり前に進んでる気がしないのに鎖骨まで埋まるようになっていた。あの子との距離も先ほどと変わっていない。一度そのまま止まってみると異変に気付く。

僕は掻き分け進んで奥へ奥へ行こうとするから足場がどんどん深くなっていくと思っていたが、止まってみると、見る見るうちに体が沈んでいってるのが分かる。

急いでここから上がらないといけない、そう思い急いで引き返そうとする。それはもう遅すぎた。体は既にビクともせずにゆっくりと飲まれるのを待つしかないようだ。

視線を正面の女の子に向ける。相も変わらず泣き続けている。何かよっぽど悲しいことがあったに違いない。

どうにか…どうにかならないのか。この状況は。

あの子を救ってあげたい。

笑顔にさせてあげたい。

そして僕は顎、頬、額、旋毛と体の全てが飲まれた。

そして完全に飲まれる直前あの子から「悠……助けてよ……」と聞こえ、またしても意識を落とす。



!”#$%&’()



目が覚める。

そこは懐かしい場所にいた。

教室、2年2組の教室であった。教室には僕一人だけで自分の席に着席していた。

「ここは…」

疑問を声に出していう。なぜ僕はこんな場所にいるのか、どうしてなのか?

席を立って教室の空気を換気するため締め切った窓に手を掛けるが、どの窓も鍵が硬すぎてビクともしない。両手で力一杯鍵を開けようとしても結果は同じだった。窓に関しては諦めて出入り口の扉を開けることにしたが窓同様にこれも開けられなかった。そして僕は何故だかこの風景、この状況を僕は既知としていたのだ。

既知というのはそれを経験して『これはやったことがある』と感じ初めてそれを既知として認識する。

つまり、この空間に来ることで僕はあの夢を思い出すことができたのだ。いや、思い出すというよりも感じたの方が正しい。

後ろを振り向くと、誰も居ないはずだった教室という密室に一人の生徒がいた。

その人は星稜学園の女生徒用の制服を身に纏い、姿勢を正して一番後ろの僕の席に着席していた。

特徴的な栗色の髪を後ろで一本に結ってあり、小型の馬の尻尾のように垂れた髪型。

そして、見覚えのある凛とした横顔。

「……子夏」

「こんなところで…また逢ったね。悠」

席に座っていた小夏はゆっくりとこちらを向き、そして、ゆっくりと微笑んだ。

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