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鎮魂の絵師   作者: 霞花怜(Ray)
第二章 ぬらりひょんと座敷童

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2.

 落ちた影を辿り、顔を上げる。歌麿が、喜乃の手の中の本を、覗き込んでいた。


「生霊に死霊ねぇ。そういった絵を師匠は、よく女で描くが。男だって、死霊や生霊になるだろうにねぇ」


 突然に現れた知らない男に、喜乃が顔を強張らせた。

 びくりと肩を上げて飛び上がり、本を投げ捨てる。長喜の背に隠れ、歌麿を上目遣いに睨んだ。


「おや、あたしが幽霊にでも見えたかぃ? 石燕師匠の本なら、幽霊や妖怪が飛び出しても不思議はねぇが。残念ながら、あたしは只の人だよ」


 にやりとする歌麿に、長喜は冷めた声を投げた。


「兄ぃの神出鬼没は、まるで幽霊か、妖みてぇだぜ。喜乃が警戒すんのも、無理はねぇ」


 喜乃を背に庇う。歌麿が楽しそうに、袖で口元を隠して笑う。


「重三郎が、面白い下働きを雇った、ってぇから見に来たが。話に違わぬ、器量良しだ。今度、あたしに、あんたの絵を描かせておくれよ、喜乃」


 歌麿が、長喜の後ろを覗き込む。身を引いた喜乃が睨む目に力を込めて、べぇっと舌を出した。

 一瞬、呆けた歌麿だったが、また楽しそうに笑った。


「これまた話通り、手懐けるにゃぁ時が掛かりそうだ。長喜には、随分と懐いているようだけれどねぇ。まさか、その娘、幽霊じゃぁないだろうね」


 長喜の着物を、ぎゅっと握って離さない喜乃を、面白尽の狐目が眺める。


「んな訳が、あるかよ。それよか、何か用事で来たんじゃぁねぇのかぃ、兄ぃ。面白い娘を見るためだけに寄るほど、歌麿先生は暇じゃぁねぇだろ」

「重三郎と、仕事の相談に来たのさ。折角だし、可愛い弟弟子の顔でも、見ておこうと思ってねぇ。ま、そのついでに、面白い娘を拝みに寄ったって訳さ」 

「どれがついでか、わからねぇなぁ」


 歌麿のにやけ顔に、長喜は、ぼやいた。

 近頃の歌麿は、流行の狂歌に花鳥画を合わせた狂歌絵本を手掛けている。蔦重の安出した仕組だ。狂歌に沿った歌麿の花や鳥が綿密で精妙かつ美しいと評判になり、『百千鳥』は飛ぶように売れた。

 次の計画として、虫を材料にした狂歌絵本『画本虫撰』を作成中だ。植物や虫も、歌麿の得意な画題だ。

 歌麿と重三郎は、幼馴染だ。三十歳の歌麿より、重三郎が三つ年上になる。二人の仲は時に兄弟にも友人にも見え、血の繋がりを超えた親密さを感じさせる。

 歌麿の性格や絵の巧さの総てを心得ている重三郎だ。だからこそ、歌麿の絵を活かした本や錦絵を造り出せるのだろう。


(鉄蔵の言う通り、何でも描けるし、何でもできる人だよなぁ、兄ぃは。蔦重さんの伎倆も見事だが、それだけじゃぁねぇや)


 今更ながら、鉄蔵の気持ちに深く同ずる気になった。

 ふいと見やると、歌麿が、喜乃の放り出した絵本を眺めていた。

 死霊と生霊の絵が載る見開きを眺める。その目は、憂いを帯びている。先ほどまでの面白尽は、すっかり抜け落ちていた。


(こういう目をした兄ぃが考えているのは、きっと、いつもと同じだろうな)


 今の歌麿の目に、本の絵は映っていない。恐らく、腹に宿った赤子と共に死んだ妻を想っている。

 幽霊も妖怪も見えない怖がりの歌麿が毎度、長喜の後を尾けてくる訳は、何となく気が付いていた。


(いつか、お理世さんと自分の子の死霊に会えるのを、願っているのかな)


 長喜の眼に気が付いた歌麿が、自嘲気味に笑む。


「死んじまった相手に未練を残しても、仕方がないと。わかっているけれど、ねぇ」


 静かに本を閉じて、歌麿が目を細める。こういう時、長喜は掛ける言葉が見付けられない。

 長喜の背に隠れていた喜乃が、すぃと前に出て、歌麿の手から本を取った。


「あぁ、悪かったね。お前さんが読んでいる途中だった……」

「私の母上は、私が四つの時に死んだ。けど、私は忘れない。大好きな母上を、死んでも忘れない。忘れないでいたら、黄泉で会えるかもしれないから」


 いつもの笑みで語り掛ける歌麿の言葉に被せて、喜乃が毅然と言い切った。

 驚いた顔の歌麿が、目を見開いた。喜乃が目を逸らさずに、歌麿を見詰める。

 歌麿と長喜の間に立つ喜乃は、こちらに背を向けていて、顔が見えない。歌麿が優しく微笑んだのを見て、長喜の胸に安堵が降りた。


「何だぃ、獣みてぇな娘だと聞いていたが、賢い子だよ。それに、優しいねぇ」

 歌麿の華奢な指が伸び、喜乃の黒髪を撫でる。喜乃はその手を振り払わず、静かに撫でられていた。


「本に優しい、可愛い子だね、喜乃。世の中にゃぁ、嫌な奴ばかりじゃぁない。少なくとも、ここにゃぁ、そんな輩は、いやしねぇ。安心して、働きなぁよ」


 いつになく柔らかな声音で囁くと、歌麿は直ぐに手を引いた。

 肩を強張らせる喜乃に、気が付いたからだろう。喜乃が、すっと長喜に寄る。


(そうか。喜乃が人を睨むのは、怖ぇから、かもしれねぇな)


 ここに来る前の喜乃が、どんな目に遭ったのか、長喜は知らない。だが、喜乃の小さく震える肩を見て、ぼんやりと、そう思った。

 喜乃は聡明なだけでなく、人の気持ちにも敏いようだ。だとすれば、五歳の童の目に映る人の悪意は、相当に恐ろしいだろう。

 長喜は強張る肩に、そっと手を置いた。優しく撫でてやると、震えは直ぐに治まった。

 二人の姿を見ていた歌麿が、小さな笑みを零した。


「まるで父親だねぇ、長喜。 いや、その様は、どっちかってぇと、母親かね。いつの間に童の扱いを覚えたんだぃ?」


 揶揄を飛ばす歌麿を、長喜はじっとりと眺めた。


「父親でも母親でも、ねぇや。兄ぃこそ、よっぽど喜乃を、わかっていらぁな」


 会って直ぐに、あんな言葉を掛けてやれる歌麿に尊慕と、ほんの少しだけ嫉妬が湧いた。

 長喜の表情に、歌麿がいつもの狐目を細める。


「そういやぁ、言付があったんだ。石燕師匠が、お前さんに相談してぇ頼事があるから、気が向いたら来てほしいとさ。そのうちに行っておやりよ、喜乃を連れてさ」


 歌麿が、ちらりと喜乃に目を向ける。喜乃はもう、震えていなかった。


「やっぱり用事が、あったんじゃぁねぇか。兄ぃの悪ぃ癖だぜ。大事な用件は、先に伝えてくれよな」


 長喜は、わざとむくれた声を出した。歌麿が、くっくと笑う。


「お前さんを揶揄えるのは、あたしくらいのもんだろう? 誰の話も巧くはぐらかすのがお得意の長喜、なんだからさ。そねぇな顔をされても、これだけは、やめられないよ」


 楽しそうに笑いながら、歌麿は手を振って帰っていった。

 背中を見送り、小さく息を吐く。膝に寄る喜乃を見下ろす。喜乃は、長喜の膝を机にして、絵本を読み耽っていた。


(確かに、たったの五月で、随分と馴染んだよなぁ)


 今の歌麿のように、喜乃に対して特に何かをしてやった覚えはない。


(父親でも母親でも、何でも、いいか)


 喜乃の姿を見ていたら、そんな些細な考えは、どうでもよくなった。

 本に見入る喜乃の気を削がないよう気を配りながら、文机に向かう。長喜はまた筆を執り、絵を描き始めた。


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