計画進行中/聖女in魔法学院
昨日まで額に汗が滲む程暑かったのに、日が昇った今日は思わず身震いする程に肌寒い。天気が悪い所為もあるだろう。学院中の窓をどこから覗いても、空は灰色に濁った雲で一面覆われていて、少しの破れ目も綻びもない。
「今日は何だか寒いね」
「此処は季節の変わり目は意外と極端なんだな……ん、クロエさん、それは僕が持とう」
「え、ま、」
クロエ(訳あって現在は魔法学院の非常勤職員をしている異世界元聖女)肩を並べて歩いていた魔法学院の生徒のジョナサンは、彼女の手から少しの荷物も取り上げてしまう。荷物を手に取る時にクロエの手に彼の指がほんの少しだけ触れて体温を感じる。いわゆる末端冷え性とでも言うのだろうか、指先が酷く冷たく、体温が鈍く低。魔法カイロを持っていないジョナサンは、自分の手袋を貸してやろうと思う。
しかし残念ながら、今日に限ってジョナサンの手にはそれがない。常に身につけている手袋は、先日自称天才発明家の先輩が起こした騒動で汚れてしまい、クリーニングに出していたのだ。よくよく考えれば手袋をしている状態では、クロエの低い体温に気がつかなかったかもしれない。クロエはといえば、突然の優しさにとても申し訳なさそうな顔で、少しばかりもたついた。
「えっと……ありがとう、ネイサン君」
ジョナサンが手の中に資料の束を収めている光景は、クロエをとても優しい気持ちにさせてくれた。
「気にするな」
照れ臭そうに言うジョナサンがおかしくて、クロエは口元を押さえてクスクス笑う。小さな紳士は緩みそうな顔を無理やり引き締めて、クロエを促しまた歩き出す。二人して歩く回廊は、石で作られている所為なのか本当に寒かった。特に装飾もない素っ気ない造り。目的地までは、それなりと距離がある。視覚から余計に寒さを感じさせた。呼気を吐き出すと白く見えそうな気がして、クロエは口の形を丸く作り、息を吐く。流石に白く見える事はなかったが、隣で歩いているジョナサンも釣られたのか真似をしているのか、同じく息を吐き出していた。
「まだ、そんなに寒くないはないな」
「でもきっとすぐに吐く息が白くなるほど寒くなるんだろうね」
冬の本番にこの侘しい回廊を朝晩行き来する事を思うと、少しばかり憂鬱になってクロエは小さく溜め息を吐いた。
「くすん!」
直後、何か声という程でもない小さな音が回廊に木霊する。
「ネイサン君?」
「す、すまない……くすん!」
謝りながらジョナサンはもう一度、小さく音を立てる。やはりあの可愛らしい音はくしゃみだったのだと気がついてクロエは微笑ましい気持ちになる。
「大丈夫?」
「平気だ。気にする程の事じゃない」
ジョナサンの返事は、照れ隠しのつもりなのか素っ気無い。クロエは首元に巻いていたストールを抜き取り彼の肩にかけようとした。
「え、クロエさんいいって」
「ダメ、風邪を引くよ」
そんな事を言うクロエこそが、痩身で青白い。まだジョナサンの方が十分に頑丈と言える。風邪をひきそうなのは彼女の方なのだと慌てたジョナサンは、咄嗟に言い訳を唱える。
「……しかもそれは女物じゃないか! ……恥ずかしい」
言いながらちらりとクロエを見やると、不思議そうな顔の後にクロエはけろりと言ってみせる。
「大丈夫だよ。ネイサン君だったらきっと似合う」
「え、」
思わずというべきか。流石にショックを受けたジョナサンに構わず、クロエは白兎が刺繍されたストールをマフラー代わりにジョナサンの首に巻いてしまった。
「ほら、できた」
「……あ、りがとう」
いつも優しい少年に優しくできた事が嬉しいクロエの笑顔を見ていると、とてもじゃないが突っ撥ねる事なんて出来やしない。ジョナサンは複雑な気持ちで、薄ら寒い回廊を前に進んだ。
晴れていれば夕暮れが拝めただろう時間帯に、自室で書物を読んでいたクロエは、肌寒さに苛まれて両手を合わせた。そろそろ暖房器具が必要になってくる時期なのだろう、時間の流れは本当に長いと感じる。相変わらず冴えない色の空を窓ガラス越しに見ながら、学院の誰に聞けばストーブを見つけられるだろうかとぼんやり考えていた。とりあえず当座の暖は衣類を重ねてやり過ごそうと室内を漁るが、クロエは小首を傾げる。
「……あれ?」
今朝の寒さに引っ張り出した、あのストールが見当たらない。きょろきょろと部屋を見回して、少し頭を捻って、ようやく思い当たった。思わず苦笑が漏れる。
「そういえばネイサン君に貸したままだった……」
クロエはついうっかりそのまま忘れてしまっていたが、あのストールは昨日ジョナサンの首に巻きつけたままだったのだ。お気に入りのものだったので少しだけがっかりしてしまったが、まあそれなら仕方がないと一人頷く。それに責任感が強いジョナサンなら、きっと間違いなく返してくれるだろう。頭の中で納得したクロエはとりあえず何か代わりになるものを探そうと、クローゼットに手をかける。その時、コンコンとノックが聞こえてきたのでクロエは条件反射で「はい」と答えた。
「クロエさん、ジョナサンだ。今、大丈夫だろうか?」
早速届けに来てくれたのだろうと思うと、申し訳ない気分になってしまう。男性寮と女性寮は離れているので、長い距離を歩かなくてはいけないのだ。クロエは急いでドアノブを引いて、ジョナサンを迎え入れた。
「あぁ、ちょうどよかった」
微笑むジョナサンを見て、クロエは目を丸くした。
「どうしたの? それ」
「ビクターさんに相談したらこうなった」
クロエは目の前の少年を改めて見つめた。前髪をすっかり後ろに撫で付けた様子は、グレードの高い服に着替えればそのまま夜会に出ても構わないように見える程だ。髪で隠れていた顔の輪郭や、額の形が判った。思ったよりしっかりした男らしい造形なのだと考えを改める。
「……似合わない、か?」
「いいえまさか。すごく印象が変わるものなんだね、驚いたよ」
事実、昼間見たジョナサンに感じるあどけなさが薄らいでいるように見える。
「とても似合ってるよ、パーティーに出る紳士みたい」
「良かった」
照れながら、ジョナサンは手に持っていたストールをクロエに差し出す。
「これ、返すのを忘れていて済まない。礼を言う」
「……あ」
手渡された兎模様のストールが、一目でジョナサンには不釣合いな物だと思った。ストールを受け取ったクロエに、ジョナサンは更に持ってきたそれを持ち上げた。
「これ教頭先生から使っていいストーブと魔石炭……ちょっと中に入れさせてもらうぞ。運ぶから」
「ありがとう、手伝うよ」
クロエが手を差し出そうとする。
「いやいい。これ、かなり重いからクロエには無理だ」
そう言うジョナサンの両手が、石炭の袋を乗せたストーブを持ち上げる。黒く光るストーブは、大きくはないがかなり重そうに見える。しかしジョナサンは意に介する様子もなく、クロエの部屋にそれを運び入れる。魔石炭の入った麻袋だって、一抱え程ある大きさに膨れていてそれなりの重量がありそうなのに。クロエは数回、手の中のストールと、魔石炭の袋を脇に寄せているジョナサンを代わる代わる見た。彼の得意魔法は重力操作ではなかったはずだ。
「……オトコノコってすごいね」
小さく呟くクロエの声が耳に入ったジョナサンは、彼女に気付かれないようにそうっと勝利の笑顔を浮かべたのだった。




