3話
あっという間に数年が経った。
ついに三年生の担任になって、大変なのは覚悟してたけど、感染症が追い打ちをかけた。
ただでさえ忙しいのに、やることが多すぎる。休んだ先生のフォローに消毒、リモート授業だって初めてなのに、年配の先生たちは「若いからわかるでしょ」と頼ってくる。
本当なら、恋人が心の支えになってくれるはずだった。それなのに。
彼とはつい先日別れた。
職場の後輩と浮気していたのだ。
ビデオ通話した時にブランド物の赤いバッグが写りこんでいた。私との結婚資金を彼女に貢いでいたらしい。
けっこうな修羅場になって、心に傷を負った。
友達に愚痴りたくても皆家庭持ちで気を使わせてしまう。職場からは人が多い商業施設に行くことすら禁じられていて、買い物で憂さ晴らしもできない。
心の支えになったのは、推しとTwitteだった。
ライブ配信とDVD、SNSは毎日のように目を通した。
お気に入りはジアン君がセンターの曲。彼が吐息とともに「사랑해요(愛してる)」と言う度に、私は凝りもせず毎回ハートを撃ち抜かれている。
何度も脳内再生しながら眠りにつき、起きて仕事に行く、その繰り返し。
それまで元カレに送っていた日々の感情はTwitteにつぶやくようになった。
「上司、全然消毒手伝ってくれない。
私の手荒れがうつればいいのに」
「理想の朝食食べたい。トーストと目玉焼きとサラダ、コーンスープ、カフェオレにヨーグルト」
「てか人の作ったごはん食べたい」
「スーパーの惣菜飽きたー!
でも20時以降の割引シールはお財布に優しいんだよなぁ」
「ジアン君マジ性格も良い。元カレと段違い。比べるのが申し訳ない」
「彼女できたらきっと大事にしてくれるよね」「水族館デートしたい」
推しを想って生きるのは楽しい。
そのくせふと、「このまま1人なのかな」と思うと寂しさもよぎる。長年の恋人をなくした喪失感は大きかった。
だけど、運命の出会いが訪れた。
しとしとと雨が降る夜。私は帰り道で「ジアン君と相合傘したら目線はこのくらいかな」なんて妄想をしていた。
そして人にぶつかった。
よろけた私は、倒れそうになるのを引っ張られ、助けられた。
「あ、ありがとうございます」
「すみません、大丈夫ですか?」
私は相手の顔を見て固まった。
夢でも見ているんじゃないかと思った。
「……ジアン君?」
「やだなぁ先生、僕ですよ僕、覚えてません?
千早薫です」
「千早……君?」
そう言われても信じられないくらいに。
目の前の彼はジアン君そっくりだった。
長い黒髪は茶髪になり、アシンメトリーの洒落た髪型に。コンタクトにしたのか眼鏡もない。
何より昔の彼は、こんなに堂々としてなかった。
そういえば私、彼のこと振ったんだっけ……。
「先生、どうしました?」
千早君は手を放し、私の顔をのぞきこむ。
「えと、ごめんね……好きなアイドルに似てて」
私は傘を持ち直し「先生の顔」に戻る。
「え、もしかして先生も?」
「もって、何」
「僕、ジアン君のファンなんです!」
それは雨降る夜でもまぶしい笑顔だった。
そうなんだ、と答えながら顔が赤くなるのがわかる。
何考えてるの、私。
彼は元教え子なのに。
「えと……じゃあ、私はこれで」
「そうですか。暗いので気をつけてくださいね。じゃ」
彼は会釈して、あっさり去っていった。
あの告白から何年経っただろう。背も伸びていたし、何よりあの顔。危うく妄想が広がりそうで。
「いや……ないない」
声に出してつぶやき、ようやく帰路につく。
偶然の再会。
彼とはそれきりのはずだった。