アンノウンノウンズ
「菊。ごめんね。」
私を育ててくれた人にそう言われると、頭に激痛が走った。視界が赤色に染まると、段々と意識が遠のいて、膝から崩れ落ちる。
それから気が付くと、暗い箱の中にいた。朦朧とする意識の中で、箱を叩いた。しかし、箱はびくともしない。箱は揺れている。どうやら誰かに運ばれているようだ。それが分かると、助けてと声を上げながら、箱を強く叩いた。
「おい、ちゃんと殺しておかなかったのか。ちゃんと殺しておかないと、可哀そうだろう。人柱なんだから。」
私は声を出すことも、叩くこともできなくなった。もう助からないと悟ったからだ。
前から私たちの村を町とつなぐ橋があったが、その橋は、大雨が降るたびにすぐに壊れてしまうと言われていた。そして、人柱は、そんな災害が起こらないように、神様に生贄を捧げることだ。
私はその生贄に選ばれたのだ。
しばらくすると、私の入る箱は投げ捨てられたようだった。箱の中に冷たい水が入ってくる。しばらくすると、箱の中は、水で満たされ、私は息をすることができなくなった。息苦しくて、口を開いてしまうと、水が口の中に流れ込んでくる。それで、余計に息苦しくなって、段々視界がぼやけてくる。
私、死ぬんだ。
お父さんがいなくなって、お母さんが死んで、楽しいことなんて、何もなくて、まだ16歳になったばかりなのに、これから楽しいことがあるんだって、思ってたのに、
……死んじゃうんだ。
だけど、なぜか村の川の近くで目を覚ました。その川の辺りで変わったことは、立派な橋ができていたことだ。
私はおそらく死んだはずだけど、なぜか生きているような感覚がある。
そんな時、ちょうど誰かが橋を渡って来た。私はその誰かに声をかけた。しかし、その誰かには、私の声は聞こえていないようだった。何度も声を出すが、やはり聞こえていない。
その誰かは、橋を渡り終え、私のそばを通り過ぎようとしていた。私は咄嗟にその人の服を掴んだ。どうやら、触れることはできるようだった。
私に掴まれた人は、突然のことに驚いたようで、悲鳴を上げて、村の方に逃げていった。私はそれを追いかけようとしたが、ある場所で足が動かなくなった。
そのまま、追いつけないまま、その場に立ち尽くしてしまった。
その後、橋に通る人たちで試して分かったことなのだが、私は誰からも見えていなくて、私の声も誰にも聞こえない。しかし、誰かに触ることはできるし、何かを掴むことができることが分かった。
そんな検証をしていると、村の人たちは、橋を渡ることを怖がるようになった。なので、私は誰かに触ることはやめた。
村の人々は、私が何もしないでいると、普通に橋を渡るようになっていた。
それから長い月日が経った。
私はお腹も減らないし、年も取らないようだった。なぜこんなことになったのかなんてはるか昔に考えることを辞めるくらいに、孤独に過ごしていた。
そんな時、ある男の子に出会った。
その男の子は、橋を渡っていた。私にとって、橋を誰かが渡るのは、いつもの光景だった。
しかし、その男の子はいつも通りではなかった。橋を渡り終えると、突然、橋の横にいる私の近くに来て、立ち止まった。
「みいつけた!」
その男の子は、背伸びをしながら、手を伸ばして、私の肩に手を当てた。私はしばらくぶりの人の感触に驚いて、思わず、腰を抜かしてしまった。
「僕には見えないけど、そこにいるよね?」
その男の子は、腰を抜かした私に目を合わすように、話しかけてきた。私は思わず声を出して、答えようとするが、声が聞こえないことを忘れていた。あたふたしながら、周りを見渡すと、地面は砂だったので、指で丸を書いた。
「やっぱりそうなんだ。いつもこの橋を渡る時、いつも変だなあと思っていたのは、君だったんだね。僕は漢字でこう書くんだけど、和樹っていうんだ。君の名前は?」
その和樹と言う男の子は、指で砂に和樹と書いた。私は漢字は分からなかったので、その形がかずきと読むことを覚えた。
私は質問に答えるように、砂の上に私の名前である菊と言う漢字書いた。たった一つ知っている漢字だ。
「何て読むの?その漢字の中の米しか読めないや。」
私は付け足すように、きくと書いた。
「へえ、きくっていうんだ。確か花の名前だよね。可愛いね。」
私はその言葉を聞いて、今まで止まっていた時が、今、突然動き出したような気がした。
「僕がこの橋を通るときは、また遊ぼうね。菊。」
私は見えるはずもないのに、和樹に向かって、手を振っていた。
それから私と和樹はたびたび遊ぶようになった。和樹が鬼で、かくれんぼをしたり、和樹が学校で習った内容や漢字を教えてもらったり、砂で書いた文字で会話したりした。
ある時、音楽の時間で習ったからと言って、いろんな曲を聞かせてくれたこともあった。ロンドン橋落ちたはなんだか好きになれない曲だったけど、きらきら星は好きな曲だった。私と違ってみんなに見られている星だけど、皆の願いを背負っているという歌詞が私の存在を肯定してくれているような気がした。
私は和樹と過ごす日々が好きだった。和樹と出会った頃はまだ八歳になったばかりで、小さくて、私の子供のようだった。
私もあの時、死んでいなければ、誰か男の人と結婚して、和樹みたいな元気な子供を産んで、育てていたのかな。
私は少しずつ大きくなる和樹にそんな思いを重ねていた。