9、ここが勝負所です
レンツェ国に思い入れも何もないけれど、エレンディラはこの国の王女として死にたいとそういう願い。幼い子供がキラキラと大切にしていたものを「無駄だから」と無遠慮に取り上げるのはよろしくないし、何より、そう思うエレンディラのその心が、私にはよく理解できてしまった。
……私の前世の日本人も、いや、もう、そんな過去のことはいいとして。
「なるほど、王族として?この国の民のために死ねると、かように申すか」
すぅっと、青い瞳を細めるのはプリンを前に喜々とし顔を輝かせていた皇帝陛下ではない。君臨し蹂躙する。他人に服従か死かと選択させてきた支配者の顔。
びくり、と、エレンディラの幼い心が怯えた。ぎゅっと、掌を握り、視線を逸らしそうになるのを何とか耐えて、私は青い瞳を見つめ返す。
ここが、多分、私の踏ん張りどころ。
エレンディラが「国民のために死にたい」という思いを、きっとこの皇帝陛下は不快に思われる。けれど、そう「願うなら」王族として「死ね」と、そうなる。エレンディラの嘆願は悪手だ。
だけれど幼いエレンディラにはそれしかない。泥を啜って生ごみを漁り、腹を下して糞尿に塗れながら、他人に誹られ「お前は屑だ」「豚だ」「奴隷の子」「娼婦の子」と決められそう扱われた幼い子供が、「王女」というただの肩書だけを大切に抱えて生きて来た。から、望んでいる。
……エレンディラの願いを叶えつつ、皇帝陛下を納得させる。
大変難しいが、しかし、やってやれないことは、ないはず。
「千夜」
「うん?」
「とある古い王国で、王に命を捧げねばならない女性がおりました。けれど彼女は、毎晩、王の褥に侍り、世の不思議な物語、美しく時には残酷、愉快、痛快な物語を語ったそうにございます。その夜は千夜を越え、奉げた千の物語に免じ、王は女性を許されたそうにございます」
顔を伏せ、私は必死に言葉を探る。
他人から得るべきは「関心」だ。関わろうとする心。興味、好奇心、何でもいい。他人にとって、相手がただの喋る肉の塊ではなくて、自分の知らない事を知る、生きている存在であると認識させれば、人は相手を軽く扱えなくなる。
……皇帝陛下は、先ほどまでは「プリン」を作る私に興味を示してくださった。けれど、王女として、この国の王族として振る舞おうとするエレンディラに対しては「無価値」「無様」「無駄」とそのような判断を下された。
「兵が……死ぬ必要のない多くの国民が、王家の愚かさで亡くなりました。どうか、王家に、国民に償いをする機会をお与えください」
そこからどう、エレンディラを、王女として。アグドニグルの皇帝が「対話」を許可する存在になれるか。
「陛下は問われました。有益か、無益か、と。私は、わたくしは……この国にとって「有益」でありとうございます。千夜、陛下にプリンのような、他の誰も知らない珍しく、面白く、美味しい料理を捧げます。――わたくしが千夜千品奉げ、陛下がそれを満足された暁には、どうかこの国を」
許してください?
助けてください?
願いの言葉に、私は一瞬迷った。
違う。それらは、エレンディラが「王女として死ぬため」の儀式であり、彼女の望む結果だ。
(私は違う)
ぐいっと、私は顔を上げた。
皇帝陛下の表情は読めない、ただじぃっと、私を見つめていらっしゃる。
「……どうかこの国を、わたくしにくださいませ」
「ふっ、ふふふ、ふ、ふははははっ!!」
これだな。
ここだ。こういう言葉がしっくりくると、私が心底納得したのに、返ってきたのは爆笑だった。
「ふふふっ、ふはははっは!!あっははははっはっはっは!!」
皇帝陛下は笑い続ける。笑うとえくぼが出来る。深い青の瞳に涙さえ浮かべて、陛下はひとしきり笑い終えると、ぐしゃり、と自分の赤い髪をかき上げて、椅子に深く座り直した。
それっきり陛下が何も言わないので、側に控えている……イブラヒムさん?とかいう人が顔を赤くし声を上げた。
「全く……全く!何を言うかと思えば、それは全く我が国に利がない!」
「第一、そちらが先に仕掛けてきた事。最初から、どうなるかもわからずに相手を殴りつけて来た者が、殴られ返されて被害者面をしたあげく……何もかも返せなどあまりに無礼極まりない」
イブラヒムさんの言葉に、そうだ、そうだ、と私の発言を咎める声が上がった。
一体この国の王族は何をしたのだろう。
こんなに怒っているなんて……。
「と、うちの家臣どもはこのように申しておるが」
家臣たちの言葉をどう思っているのか、やはりわからない皇帝陛下は私に柔らかく微笑んだ。
「なるほど、千夜物語。千夜奉げられる稀有な料理の数々に心躍らぬわけではない、が。この国全ての民の命は千より多いぞ?なぁ、イブラヒム」
「そもそも料理ごときでレンツェの罪を贖おうなどとはありえぬことでございます」
……駄目か。
興味は引けた。意外性。面白そうな言葉。ただ、それより勝る、アグドニグルのレンツェへの憎悪。
皇帝陛下は私にそれを向けないが、騎士や家臣の方々はひしひしとレンツェ憎しの感情を私にぶつけてきている。
「幼い身で、まともに帝王学も知らぬ身で、かように小さな者がよくぞ懸命に、この私に意見した。が、レンツェは許せぬ。命は奪わぬ。奴隷の身で生き永らえられるだけ慈悲と思うが良い」
これが最終決定である、とそのように下されるその直前。
「陛下」
すっと、進み出た騎士。騎士さん。ヤシュバル様。
部屋中の目が騎士さんに集まる。
「発言をお許しください」
「許す、申してみよ」
親子と聞いたけれど、そこにあるのは皇帝と騎士の礼儀正しい作法。騎士さんは膝をつき頭を垂れてから、口を開く。
「陛下はこの戦いで手柄を上げた褒美に、何か望みを考えておけと仰いました」
「あぁ、申したな。なんだ?レンツェの民を許せと申すか?」
茶番はせぬぞ、とそう釘をさす皇帝陛下の声音は冷たい。
びくり、とイブラヒムさんが震え、他の騎士達が怯えて顔を伏せた中、真っ直ぐに騎士さんは皇帝陛下を見返す。
「レンツェのこの姫を私の妻に望みます」
「え、えぇええええええええええええええええ!!!?」
はっきりと言う言葉。
つま?
妻……ワイフ……ウェディング?
「あははっは!!あっはははは!!!!!!良い!!そうか、その手があったか!!」
思わず叫ぶ私と、ほぼ同時に皇帝陛下の笑い声が食堂に響き渡った。