8、必死に必死にひしひしと
カラメルさえ作ってしまえばあとは材料を混ぜるだけ!
小鍋に牛乳と生クリーム、それにお砂糖を入れてよく溶かす。沸騰はさせず、直前で火を止める。卵黄多め、卵白少し減らした卵液を泡立たないように丁寧に解きほぐして、先ほどの温めた牛乳MIXを少しずつ加えていく。
「あとはこれをこして、カップにいれて、湯煎すればOKです」
「私は料理のことは詳しくないが……随分と簡単に出来るのだな」
この一品で命を拾おうとしている私に対して、騎士さんは「大丈夫なのか」と案じてくれる。
……まぁ、実際のところプリンで命乞いが出来るのかと言われれば私も疑問だ。しかし、私が出来る事と言えばこのくらい。エレンディラに長く生きて幸せになって頂きたい気持ちに嘘はないが、これで駄目だったら潔く首を斬られようとも思っている。
「間違いなくおいしいものなので、その辺でごこうりょ頂ければ……」
思い出すのは前世でお世話になった親戚の食堂。
毎週水曜日にやってくる常連さんが好きだったプリン。
寂れた商店街から少し離れた食堂は地元の常連さんだけで持っているような所。(家賃がかからないので半分趣味でやっているようなところがあったが)
そこに珍しく「外」からのお客様が来ることがあって、プリン好きな常連さんはその珍しい一人だった。
毎週水曜日に近くで打ち合わせだか仕事だが、きちんと社会経験を積んでいない私には「スーツを着て働く人がどんなことをするのか」よくわからないけれど、そういう「なんか忙しいことをしている」人のようだった。水曜日の、大体午後三時から四時くらいの間に来ては、日替わりランチを食べて、その後、珈琲とプリンをゆっくり召し上がる。
『一週間、この為に頑張ってるようなものです』
がっつり硬めのカラメルプリン。銀色のお皿に載せて、特に生クリームやフルーツはついていない素朴なものであるけれど、その常連さんは大変喜んでいつも嬉しそうに口に運んでいた。
そういうプリンを、まさか異世界でも作るとは、人生(二度目だが)わからないものである。
あの時の常連さんの笑顔は、私に『私の作ったプリンは美味しいもの』という自信を与えてくれて、恐ろしい皇帝陛下の前で咄嗟にプリンが出たのも、あの常連さんのおかげだった。
湯煎し、調理道具を片付けている間、私はふと騎士さんに質問してみる。
「あの、王族は皆処刑、はわかってるんですが……他の人……ここで、兵士としてじゃなくて、働いていた人とか……国の、人たちは、どうなるんでしょう」
レンツェの王族が皇帝陛下に何か失礼なことをした結果でこの血だまりチャレンジは理解している。制圧された王宮、あちこちで戦い負けた死体の数々。けれど、お城の外は、今どうなっているのだろう。
窓から見える夜空は、特に炎の気配も略奪の様子もない。静かないつもの夜。
「陛下の御心を忖度するなど恐れ多いことではあるが、これまで陛下に逆らった国の民は、悉く奴隷に落とされている」
「……」
普通子供に話す内容ではない、が、騎士さんは私を王族、王女として扱い、私の質問を「王族としての問い」とそのように判断してくれた。
……私にそういう自覚はなく、ただなんとなく聞いただけだが……そうか、そうなるか。
「……」
この城の人間で、エレンディラに親切にしてくれた人はいなかった。いつも何か汚物でも見るような目を向けてきて、どうしてこんなものが息をしているのか、動いているのかと、そういう顔ばかり。
幼いエレンディラは最初から自分の立場を理解していたわけではない。他人に好かれよう、良く思われようと、笑いかけたり、何か手伝いをしたり、相手がどんなことを考えているのか必死に考えて望み通りに振る舞おうとしたり、そういう事をしていた。
結果、何一つ上手くいかず、ただ周囲に殴られないよう、物を投げつけられないよう、言葉で傷つけられないように俯き、耳を塞ぎ、自分の影が他人に触れることすら報復の対象となると恐れて物陰に隠れるような子になったのだが。
……それを思い返す私は、この城の人間、国民がどうなろうと「別に……」という気持ちしかない。
ハズ、だったのだが。
*
湯煎が終わり、しっかり雪で冷やして暫く。スポン、とカップから抜いて良い感じのお皿に盛った私を「……あの聖杯はただの調理道具としてだったのか?」と驚いている騎士さんを尻目に、献上品としてのプリンを完成させた。
そうして再び連れて行かれたのは、長い机があるお部屋。多分、エレンディラは入った事がないけれど、王族用の食堂とかそういうのなのだろう。そこには軍服女性、皇帝陛下お一人が着席され、壁側には騎士たちが並んでいる。
陛下の前に進み出てプリンを献上するのは騎士さん。
陛下が一口くちを付ける前に、私は、いや。私の体が勝手に床に身を投げて、額をゴンッ、と床に押し付けた。
なんで?
そして口からつらつらと流れ出る言葉。
「これを召し上がり、もし『美味しい』と感じられたのでしたら、どうか王族以外のレンツェの民に……どうか、お慈悲を賜りとう存じます」
「……ほう?」
今まさにプリンにスプーンをさそうとしていた陛下は、楽しみを邪魔された子どものように声のトーンがあからさまに下がった。
「これなるは美しく、またこの国やその他で見たことのない稀有なもの。そなたの命を救うに値するものと、口にする前より私は判じ、後はただただ純粋に食を楽しもうというところ……その無粋な嘆願、それは如何なるものか?」
……陛下は、これまで冷遇された王女までは殺すおつもりはなかった。そう今の言葉から察せられる。私が最初の「提案」通り誰も知らない“プリン”を作ればそれで私の命は助けてくれた。
だが今、私、いや、エレンディラは「レンツェの王族」として、大国アグドニグルの皇帝陛下に直訴している。
いやいやいやいや、エレンディラ?!いったい、どうして、死んだ、のではなかったか。いや、私がエレンディラ、なのだけれど。と、いうことは、これは、私が言っている、ことにもなる。
……エレンディラとしての自分が、つらつらと、国民の命を助けてほしいと、そう、懇願している。
もう一度思い出すが、この国に良い思い出などない。滅んでも別に「運が悪かったな」程度ではないのか。エレンディラ。娼婦の子に、国を救うなんてことができるわけもない。ただの食堂のアルバイトにだって、できるわけもない。
自分の命だけ、今は精一杯護れればいいじゃないか。そう思うのだが、思うの、だが。
エレンディラ。私は、冬の池でおぼれて凍えて、それでも自分を「王女」だと騎士さんに言った私は、どうにもこうにも、止まらない。
何しろ、私は『私のプリンは美味しい』という自信がある。
エレンディラ。何も持たない娼婦の子が、自信を持って他人に『良い物を提供できる』と、得てしまった。
王家の恥でもなんでも、自分は王女である。ので、民を守る事ができるのなら、そうすべきだと、そう。
七歳の子供の、幼い考え。
全くもって呆れる。が、幼い子供が、エレンディラがそう望んでいるのだ。前世ジャパニーズの義理人情の心がどうにもこうにも、止まらない。
私は内心で溜息を一つ吐き、土下座していた態勢から顔を上げ、真っ直ぐに皇帝陛下を見つめた。
「わたくしは当初より『提案』を致しましたが、その内容につきまして。提案の結果、報奨につきまして言及し、またされてはおりません。――これなる一品は、わたくしの命を救うものではなく、国民の命を救うために、わたくしが陛下に献上するものと、そのように、お願い申し上げます」
エレンディラはレンツェのお姫様だ。たとえ鼠以下の暮らし。誰からも愛されず望まれず、顔を見れば馬鹿にされ侮られ、虐げられてきたけれど、その七歳の女の子。
それでも自分を「王女」だとそう思っている。
思っていて、そして、これがおそらく、唯一、最初にして最後の、エレンディラが「王族」として振る舞える機会なのだろう。
そうしたい。そうしてやっと、報われるとそのような幼い心。
殴られ続けた子供が最後の最後で、親に撫でられるのを期待するような、あまりにも愚かで健気な心。
自分の命ではなくて、国民を助けてください。
そう願うレンツェの姫君の言葉に、赤い髪に青い瞳の皇帝陛下は沈黙した。
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