10、突然始まるリアルタイムバトル
「お願いです、どうか、どうか……シェラを、助けてください、お願いします……!!」
「黒化した祝福者を救う手はない」
膝をつき床に額を擦りつけ、懇願する甥を前にヤシュバルはただただ事実を伝えた。
人の身には過ぎたる力。使い過ぎれば毒になるのは、例えば多くの人の命を救い繁栄を齎した炎や薬とて同じこと。
それであるからアグドニグルの祝福者は「もう頃合いだろう」と、勘付けば同じ祝福者に自身を殺すよう約束をさせている。
レンツェから連れて来た炎の祝福者であるレイヴンは、未だその執行者を探し出せずにいるのと、当人にその覚悟がないゆえに地下に封じられたままだった。
「何か……何か、あるのではありませんか……!叔父上や……お婆様、アグドニグルの、この世で最もお強い、多くを知るお婆様なら……!黒化した者を、救う手段を御存知ではありませんか……!」
「ない。故に、陛下や私とて黒化の予兆を感じれば須らく速やかに自死する用意がある」
「……女神が……!そうだ、シェラの知り合いの女神が、いるんだ……!一緒に来ています!だから、彼女に頼めば」
「む、無理よぅ!」
ヤシュバルの説明に、カイ・ラシュは一瞬絶望した顔をする。が、すぐに自身の知る少ない情報をかき集め、何とか諦めないでいられる道を探そうとする。
その間にもヤシュバルの腕の中のシュヘラザードは冷たく硬くなっていく。
カイ・ラシュとこれ以上対話する必要はなかった。
ヤシュバルのすべきことは一つだけ。だが、それを実行することがどうしても、鈍る。
カイ・ラシュの言葉に被る様に聞こえた女の悲鳴は、大神殿レグラディカの主人たる女神のものだった。
「あたしは……あたしはね、救えなかった神なのよ!それがどういうことか……!!わかってて、クシャナは、あんたたちの皇帝は、あたしをレグラディカの神に受け入れたのよ……ッ!」
「救えない神……?」
「その駄女神の特性だな。正確には後天的な権能ともいえるが」
ひょいっと、皇帝クシャナがヤシュバルの腕からシュヘラザードを奪い取った。この場の誰もが礼服や宝飾品で着飾る中、唯一実用的な、戦闘に向いた軍服姿の女は軽々と少女を持ちあげて、スタスタと階段を上がる。
ヤシュバルたちは自然、その後を追った。
「信仰によって生まれた女神メリッサ。が、そやつは信者たちを救えなかった。故意ではない。悪意あってのことではもちろんない。だから、そうなる。神を生み出す程敬虔で善良で純粋な者たちを救えなかった女神は、救えなかったから、彼らを救わなかった神になるしかない」
例えば人が死んだ。
剣で切られていたなら「剣で切られたから」「死んだ」と結び付けられる。
ひよこが産まれたのなら、産んだニワトリが存在する。
敬虔な信者が死んだのなら、神は救わなかったのだと、能力を縛られる。
「人間に生み出された神は、容易く人間に縛られる。本来万物万能の存在である神が、人に関わればあっけなく無能になる。故に多くの神々は、力ある神ほどに、人の世に関わらず、誰も救わない。と、まぁ、そんなことは、どうでもいいんだが」
「どうでもよくなんかないわよ……!クシャナ!あんたは……あたしが無能だから、何もできないから、この国に受け入れたんでしょ……!人を救えない神なんて、誰も信奉しないもの……!」
「その話を今する必要はあるか?」
喚く女神を冷たく一瞥し、スタスタと歩き続けたクシャナは大広間で立ち止まった。
少し前までは多くの人間が踊り、歓談し、アグドニグルに栄光をと称えていたその場所が、誰もいなくなれば随分とわびしいもの。
「黒化した者を屋外に晒していれば飛び散った泥が城の外から世界を犯すゆえ。屋内で始末するに限るもの。が、そろそろ、第一段階を終えるぞ。さて、どうしたものかな」
クシャナは大広間の中央に黒く固まった少女を置いた。その瞬間、ピシリ、と軋む音。
「……終わったな。第二段階だ」
素早くクシャナは大きく後ろに飛びのいた。
剣を抜き、同時にクシャナの方に向かってきた泥の塊を弾き落とす。
「お婆様!?」
「春桃の子なら結界くらい張れるだろう。カイ・ラシュ。離れておれよ。これも社会勉強と、見学は許してやるが、これより先はBOSS戦……マルチで推奨レベルに達してないプレイヤーは下がれ本当、邪魔だし死なれると本当に迷惑だ」
「は!?」
アグドニグルの皇帝クシャナは時たま人にわからない言葉を使う。養子であるヤシュバルや、孫であるカイ・ラシュにも理解できない。それでも人に理解されることを皇帝クシャナは欲しておらず、唖然とする顔をちらりと見ることもなくタンッタン、と、軽やかに移動して、矢よりも早く飛んで来る泥を打ち返す。
大広間は灯りが消え、シュヘラザードの黒い体から紫の電撃のようなものがバヂバヂと辺りに広がり、明るくした。
大理石の床からボコボコと湧き上がる、人の頭ほどの泥の塊がその電撃を受けて強い魔力の膜を張る。
泥の山は隣り合った泥同士と魔力を結び合い結界を作る。中心の黒化した者の体が魔神の依代となる変化を全て終えるまで外部からの干渉を阻むものだ。
そして泥山の結界が盾として現れる第二段階の次は、こちらの妨害に対して攻撃を繰り出してくる“守護者”の出現である。
「……陛下」
「ヤシュバル。そなたの判断が遅くてこうなったんだぞ、と、責めて欲しそうだから責めないし、こうなるとわかっていて私は手を出さなかった。第三段階くらいまでなら、まぁ、始末できるからな。ちょっと面倒だが」
通常であればもう少し時間の猶予があるものだが、ヤシュバルやクシャナが揃っているこの場では、守護者の出現も早かった。
流動する水のような、黒いもの。泥の山を破壊しようとするクシャナを攻撃し、近づけさせない。
切り傷一つでも付けられれば、そこから泥が浸食して自身を蝕む。それであるから通常はこうなる前に祝福者を殺す。が、そうできなかった者の方が実際のところは多かった。
クシャナはあえてこの場にヤシュバルだけを戦力として他の者を皆下げた。残りたがった者はいたが、幸いにして今日の場にいた者は皆クシャナが「そうせよ」と命じれば従う者たちだった。
(まぁ、厄介そうなのは来れないようにしておいたわけだが……)
本来であれば、今日この場で黒化するのはバルシャの筈だった。
あの小娘。
他人が妬ましくて仕方のない娘。
既に多くを手にしていて足りないと吠える。他人が手にしている物を自分が持っていないことに嫉妬するだけならまだ可愛いものだが、他人が何かを得ると「自分が損をさせられた」気持ちになる性根の持ち主だった。
聖女としての力も平均的。神事を満足に行えるだけの神気もなく、また信仰心も持ち合わせていない小娘を、それでも癒しの祝福を授かったものであるからとルドヴィカが持て余していた。
ルドヴィカの最高責任者ウラド・ストラ・スフォルツァに貸しを作ってやろうと引き取ったが、思ったより事故物件だった。
(今日この場で黒化させるよう追い込んでおいて、黒化したらヤシュバルに討たせて箔付けさせようと思ってたんだけどなぁー)
レンツェは小国だが、国は国である。
それも本国からは離れた土地。そこへいかにレンツェの王族の「王配」という立場であろうと、元は人質だった部族の長の子を宛てがうのだ。
いらぬ詮索や疑惑、問題は多くそういった輩を黙らせるのに丁度いい茶番劇だと思ったが、どうもうまくいかなかった。
(私も反省してるので、直々に対処しても良いのだが……)
守護者の繰り出す攻撃を躱しながら、クシャナは中心、禍々しく、おどろおどろしくなる塊を眺めた。
「……未練だな」
惜しいことをしたな、とその程度には思う。
レンツェの姫を使ってやろうとしていたことは多くあった。
しかし黒化はどうしようもない。
どうにか出来るものなら、どうにかしたかった者がクシャナの長い人生の中には多くいた。
どうにか出来ないから、せめてその絶望や悲しみを多少でも僅かでも欠片でも「まだマシ」にしようと、自死するのが祝福者の潔さだとさえ、言われることがあった。
経験則で知っている。
どうやったか知らないが、バルシャの分の淀みを押し付けられたシュヘラザードはもうどうしようもない。
メリッサが鞭打ちの重傷から救えたのは、瀕死で死にそうだけれど「ギリギリ死なない」「手当すれば死なない」レベルだったからですね。人間の治療で時間がかかるのと、女神の奇跡で治療するの、結果は一緒。




