2、飢饉と言えばじゃが芋がありますしね
(もしかして、とは思いましたけど……本当に、ちゃんと思い出せる)
頭の中に浮かぶ知識を私はゆっくりと確認した。
こんにゃく。蒟蒻。
食に対して、どっからどうみてもクレイジージャパン代表選手、の面をしているが由来は中国だと言われている。
私の前世の日本人からすれば「海の外の国」にあたる場所から伝来したそうだ。
その国の昔の書物には『害虫に備えるには虫を捕らえる他ない』と示されながら、結局イナゴに地上を食い散らかされてはどうしようもない。けれど地面の下の芋は無事だから、それを灰汁で煮て凝固させて、酢や蜜をかけて食べると良いとあるらしい。
十六世紀にはその製法『切って灰汁で煮て、洗って、灰水を換えて更に煮る。固まるので薄切りにして酢で和えて食べる』というものも記録されている。
日本には“薬用”として伝来して、整腸作用のある薬、冷え性、糖尿病が改善するなど考えられた。お寺の精進料理に取り入れられ、京のどこぞのお寺の○○殿の作るそれは味が良いと評判を得たそうだ。
……と、ここまでは普通だ。
ここまでなら「へぇー、変わった食べ物もあるんだなー」程度で終わった。
江戸時代になると「こんにゃくは他所で買うより自家製のものの方がしっかり硬く、味が良い」と言われるほど庶民の間でも広がって行った。
はい、ここです。
ここがポイントです。
流行ったんですよ、庶民の間で、手間暇かけて本来食べられない、害虫被害でそれしか残らなかった危機的状況でも、食事療法が必要なわけでもない、平時の庶民の間で……カロリーゼロの、ただつるっとしただけの、ブツが……流行ったんです。
江戸時代というのは、簡単に言ってしまえば戦国乱世の終わった「次」の時代。
けして手放しに「平和だった」と言うわけではないが、乱世は「終わった」時代だ。
食文化が大きく進む江戸時代。
蒟蒻芋の主な生産地は常陸国は水戸藩。腐りやすい蒟蒻の生玉は長距離運送や長期保存は無理だった。ここで「まぁ、蒟蒻は水戸とか江戸の外の名物だなぁ」と諦めれば歴史は変わっただろう……具体的には、桜田門外の変で井伊大老は襲われなかったに違いない。
何故って?
襲撃犯は水戸藩士。
水戸藩はその頃には立派な蒟蒻の名産地。出荷元。明治時代に水戸藩の専売品から解禁されるまで、蒟蒻商売は水戸藩の独壇場。
蒟蒻で儲けた豪商たちが、資金提供をしたと言われている。
何故水戸藩がって?
元々日持ちしなかった蒟蒻(こんにゃく粉)を、日持ちするような製法を発明した方がいらっしゃいました。水戸藩の方。その方のおかげで、水戸藩から各地にこんにゃく粉が出荷され……江戸で大いに流行りました。
『蒟蒻百珍』なんて料理本ができるくらい。
実際百種類あったわけではありません。当時『卵百珍』とか『豆腐百珍』とか、そういうタイトルが流行ったくらいの認識で。
まぁ、とにかく。水戸藩の何某殿のおかげで蒟蒻が『一般的』になり、もっとおいしく、もっと色んな食べ方をと発展していったのです。
元々は薬用、精進料理、普通の食品、ではなかった蒟蒻を……ここまで一般化した、日本という国の食に対しての、妥協のなさ……。
江戸時代も色々あるけれど、その後の明治大正時代の洋食もまた……いや、この話はいまはいいとして。
(……うーん、やっぱり、思い出せるんですよねぇ)
私は首を傾げた。
普段、前世の記憶は霞がかったようにおぼろげだ。指で触ると明るくなる道具やら、思い出そうとしても直ぐには思い出せない。
だというのに、こと、料理に関係して思い出そう、とすると途端に鮮明になる。
スィヤヴシュさんにこんにゃく芋を見せて貰って浮かんできた前世の知識。試しに一緒に作って貰ったら出来ました、蒟蒻。
……私って何なんだ?
*
「……この毒物を食べろと?」
私の持つお皿の上の蒟蒻を眺めて、イブラヒムさんは顔を顰めた。
自分の知識で「有害」認定している物を「大丈夫食べて!」とぐいぐい押し付ける外道さは私にはないです。
それに調理してませんしね!
「興味を持っていただけたなら、この後美味しく調理しますよ!」
「……あなたの言う、その製法で毒性に関しての問題が解決できるとして、これを私に見せてどうしろと?」
「先日、鞭で打たれる時に周りにいたのは貴族とか偉い人、お金持ちの豊かな方々ですよね?」
質問に質問で返すのはよくないが、私は確認した。イブラヒムさんは頷く。
「この食品の利点は栄養価が低い事と、整腸作用、便秘解消の効果があります。そして」
この先は、私の「そうであってくれ~」という期待もあるのだが……思い出せ!あの鞭打ちの時に連れていかれた先の……集まった人たちの……ふくよかだったり血色がよかったり……皆しっかり、栄養の行き届いた体であったことを……!
「この食品、こんにゃくはお肉やお魚とは違います。もちろん、美味しく頂けるものであると確信していますが、体を健康的に整えるための健康食品として、富裕層の方々に売りつけられます!」
裕福ってことは肥満症とかあれこれ悩みない?あるよね?あるって言って!
いや、別に自分の目的のために他人の不幸を願っているわけじゃありませんよ!
ただ栄養失調の私の悩みとは逆に、豊かなひとにも悩みってあるよね!そうだよね!
正直、私は説明が上手くない。
こんにゃくの魅力を頭で理解はしているが、口で説明ができない。
なので、イブラヒムさんに話しているのだ。
イブラヒムさんは頭が良い。頭が良いと自分でもご理解されている。そういう人は、他人が話している言葉の意味や理由、深みを自分の知識と結びつけて、勝手にあれこれ考えて「利用できるか」判断してくれる。
がんばってイブラヒムさん!なんかそれっぽい感じの理由を!見つけてお願い!!
*
(確かに、有効な食品ではある、か)
沈黙し思案しながら、イブラヒムは頷いた。
イブラヒムは常にアグドニグルの抱える問題について、改善策を探している。皇帝クシャナの望む世界の実現のために、必要ならば幼女の背を鞭打つ事とて躊躇いはない。
そのイブラヒムの頭の中に、アグドニグルの貴族がかかる所謂「贅沢病」というものがあった。貧しい者はかからない。裕福な商人や貴族、あまり運動をしない文官などに見られる。
不眠、言語障害、突然の心臓麻痺、脂肪の溜まりやすい体は疲労しやすく、病にかかりやすかった。
整腸作用とシュヘラザードが話した時に、興味が湧いて来た。
便秘というものは侮れない。そこから不眠や心の不調様々な体調不良の原因となる。
それを解消できる食品。
製法を聞くに、確かに栄養価は限りなく無に等しいだろう。多くは水分、食物繊維を多く含み、またあの弾力のありそうな見た目から、飲み込むには何度も顎を動かし、噛み締める。
となれば、満腹感を得られやすいだろう。製法から芋としての味はほぼなく、その分他の味と混ざりやすい、食べやすくなる、ということだ。
あの毒芋は、日陰でも育つ。
飢饉にも強く、貧しい土地でも良く育つ。
だから、鄙びた村で栽培させて数を確保することは、そう難しくない。
問題は味だが、どうせこの姫のことだから、また妙な料理にするのだろう。そしてそれは、美味しいのだろうとイブラヒムは諦めている。
見た限り、ぷるん、とした弾力のある食品。
プリンのなめらかさとはまた違う。どんな味がするのかと、イブラヒムは興味が出てきてしまった。
まったく、これがあの姫のやり口なのだとわかっているのに。
内心舌打ちしたくなる。
この姫。
頭の悪そうな、実際悪いのだろう、損得勘定の中に自分を入れない馬鹿者。
そのシュヘラザード様。
他人が善悪の判断の他に動く、心を動かすのは「興味」「関心」だとわかっている。
最初に出されたのは毒芋だ。
それが食べられる、その上、医療食としてもすぐれているのだと言う。
なぜ教育を受けていなかっただろうレンツェの姫が、賢者のイブラヒムが知らないことを知っているのか。その謎がもう、だめだ。そこからして興味を持ってしまう。
その姫が、口から出まかせではなくて、実際あれこれ作って見て、その結果をイブラヒムは知っている。
(貧しい村の、飢饉対策に育てさせる、のではない。飢えをしのぐための「食料」としてではなく、富裕層に需要のある「特産品」として、出荷することができれば……国の支援を受けねば生きられなかった村が、変わることができるようになる)
イブラヒムはそのためにどんな準備が必要か、どんな支援をどれだけ続けて、自立を促せるか、考える事が出来る。
大きな金の瞳をきらきらと輝かせて、こちらを見る異国の少女。
少し上がった口の端は、イブラヒムが興味を持って、そして差し出した品をどう扱うかを確信しているような、楽しんでいるようなそんな笑みの形になっていた。
感想欄でこんにゃく実際に作っている方がいらして、「家の庭に……あるの???すげぇ!」ってなりました。いいなぁ!




