4、嫁姑関係は良好だけど子育ては別
「統治する者にとって必要なものはなんだかわかるか?」
湯船の中でゆっくりと両足を伸ばし、クシャナ陛下はシーランに髪を洗わせた。私はその隣に座り、陛下と同じように天井を見上げる。
大浴場の天井には絵が描かれていた。ヤシュバルさまの生まれたギン族が暮らす場所から見える山岳風景だと教えてもらう。
「……人材と、お金?」
「うむ、そうだ。王とは自身が何もかもに秀でている必要はなく、有能な人材を確保しその者たちに相応しい報酬や待遇を保証する者であることが、最低条件である」
「最低条件……」
「今のそなたは、ただヤシュバルに庇護されるだけの存在。まぁ、それでも良いがな。あれはそなたの後見人だか未来の夫だかを名乗り出たのだ。最後まで責任を持って面倒を見させても良い」
アグドニグルの王族であるヤシュバルさまの「お金」は個人的な資産や収入もあるだろうけれど国民は「自分たちの税金が使われた」とどうしても思うだろう。
ヤシュバルさまお立場は?評判は?
……私はあの方に助けて貰うのが当り前になってないか?
「……」
「あれももちろん、それらは織り込み済みであろう。私も別に構わない。別に望まない。どちらでも構わぬゆえに、そなたに問うておるのだ」
自分で、このアグドニグルで、レンツェの王族としての価値を示せるか。
「……できます」
「そうか」
長い沈黙の後に、私ははっきりと答えた。こちらを見ないまま、陛下が頷かれる。髪を洗い、吸水性のよさそうな布で拭かれ、陛下は目を伏せた。
「ならば良い」
私は陛下の少し嬉しそうなご様子を眺めながら頭の中でやるべきことを再確認する。
1、二週間後の戦勝記念パーティーに出す料理を考える。
→立食式のパーティーで、長時間放置されても傷まない。誰が食べても美味しいと思う料理。
2、収入源の確保。
→千夜千食分の食材費と人件費の確保。
(1つ目……これはそう、難しくないんですよね。いくつか候補もあるし……ただ、問題は食材が手に入るか……)
問題は二つ目だ。
私一人で調理できる、範囲で千夜続けられるかと言えば、どうしたって無理がある。幼女だからね!なので最低一人は調理補助がいて欲しい所。
同郷のよしみでレイヴン卿を指名できないか、とも思うけれど騎士のレイヴン卿が果たして料理人の手伝いをしてくれるか……難しいだろう。
「……」
湯から上がり、私はシーランにされるがままに服を着替える。その少し離れたところでは手早く着替えた皇帝陛下が筋骨隆々な女性騎士? らしい人に髪を乾かして貰っていて、私はちらちらと陛下の方を見た。
「うん?なんだ、レンツェの姫」
「……アグドニグルの事を、出来れば王宮内ではなくて、一般市民?平民?の人たちの暮らしを見て知りたいのですが……」
「社会見学か。私も若い頃はよく脱そ……抜けだ……いやいや、野外活動に勤しんだものだ」
隠せてないです陛下。思いっきりお転婆エピソードが垣間見えてしまいましたが。
私が微笑むと、陛下も口の端を吊り上げた。
「私がついて行ってや、」
「まぁ、駄目ですよ、お義母様。皇帝陛下の御帰還はまだ公表されていないのですから、もしまた市場でゴロツキども相手に大立ち回りをして……ゴシップ記事にスッパぬかれたらどうなさるのです?」
何やら悪戯を思いついたような様子の陛下をぴしゃり、と窘める声。
誰だろう、と思って私が声の方。鈴を転がすような静かで綺麗な声の方に顔を向け、驚いた。
「あら、そちらの貴方……獣人族を見るのは初めて?」
「え、あ、えっと、ハイ。ふわっふわで……ふわっふわですね!?ふわっふわって言ってすいません!」
「ふふ、まぁ。ありがとう」
現れたのはふわっふわの白い毛の、垂れ下がった長い耳を持つ穏和そうな女性。春の花の刺繍が沢山された打掛姿。露わになった額には朱で何か模様が描かれている。
ロ、ロップイヤーだ。絶対ロップイヤーの獣人だ。
というかこの異世界、獣人族がいたのか……。ファンタジーの挿絵やアニメなどで見た事はあるが、大体狼とか猫とかそういうのが多かった。
聞けばアグドニグルはクシャナ陛下の代より、侵略したり属国になったり同盟になったりで(陛下凄いな!)種族関係なしに入り交じっているのだと言う。神聖ルドヴィカは人間種のみの宗教なのか神殿内では見かけなかった。
「春桃か、なぜ紫陽花宮におる?」
「第四皇子殿下の御赦しは頂いております。陛下がこちらにいらっしゃっていると伺ったものですから」
「なんだ、態々私の顔を見に来たか?出来た嫁だな」
「と、いうのは社交辞令でございまして。息子がまた、食事を嫌がり逃げ込んだのでございます」
にっこりと虫も殺さないような笑顔で、おっしゃる春桃?さん?
皇帝陛下の顔がひくり、と引きつった。
……嫁やらお義母様やら聞く感じ……皇子のどなたかのお妃様なんだろうとは思う。ヤシュバルさまは独身の筈だし、別のご兄弟の奥さんが独身のヤシュバルさまの宮に来るのはいいんだろうか、とも思うが……まぁ、アグドニグルの王族……マイペースっぽいからな……。
「春桃、これなるはレンツェの姫、ヤシュバルの嫁にしようと思うておる娘だ」
「まぁ。第四皇子殿下の……はじめまして、わたくしは春兎族の春桃と申します」
「春桃は第一皇子ジャフ・ジャハンの正妃だ。会ったことは?ないか。そのうちに会うだろう」
私は慌てて挨拶をしようとするが、クシャナ陛下が遮られた。
名乗らなくていい、ということだろうか?
春桃妃様は微笑んでいる。
「レンツェの姫君、どうぞ仲良くしてくださいね。姫君はお幾つかしら?」
「えっと、次の春に八つになります」
「そう。わたくしの息子のカイ・ラシュと同じね」
春桃妃様はお子さんがお一人いて、第一皇子殿下と同じ獅子の獣人らしいのだけれどお肉が嫌いなのだそうだ。しかし第一皇子の一族である金獅子族は肉を食べて強くなるので、食べないわけにはいかず、食卓には出される。それが嫌で逃げ回っていて、春桃妃様があちこち探し回るのは日常茶飯事だと言う。
「きっと、わたくしの血が混じった所為ね……」
兎は草食なので、カイ・ラシュ殿下が肉を嫌いなのは母親の所為だという陰口があるのだろう。ため息をつく春桃妃に、クシャナ陛下が肩を竦めた。
「そなたの所為ではなかろう。子供の偏食というものはどうしようもない。野菜や豆は口にするのだし、そう思い詰めずとも良かろう」
「陛下は、いつもそのように仰せですのね」
にっこりと微笑んでいるが、これはまずい。
私は……こういう会話に覚えがある。前世の……なんとか掲示板?のような場所で……お子さんの食事について真剣に悩んでいるお母さまのデリケートさ……。
クシャナ陛下の回答は決して悪くはない。
一番アカンのは「メニューが悪いんじゃないか」とか「母親の手作りが一番!」とか「食べさせ方はこうして~」など知った顔で言ってしまうことだ……!
確か、男性の相談は解決策を欲して、女性の相談は共感を欲してとか、そういう話を聞いた事もある。
しかし……おそらく……どっちかというと男性的思考をされているクシャナ陛下、そういう悩める母の微妙な感情の機微はきっとご理解されない。
「キャン、キャワワン!キャン!」
「え?」
ど、どうしよう。どう仲裁すべきかと、私が幼女ながらに狼狽えていると、わたあめの悲鳴が聞こえた。鳴き声、ではなく、あれは……。
「母上!母上ー!ご覧ください!魔獣を仕留めてまいりました!母上ー!肉など食わずとも!魔獣を仕留めることができるのですよー!!」
元気な、真っ白い耳をピンとさせた……獣耳の少年。勇ましく掲げる手には、縄。
その先には、前脚後ろ足を縛られ、ずるずると引き摺られる私の魔獣、わたあめの姿があった。
「なぁああぁあにしやがりくさってるんだこのクソガキーーーーーー!!!!!!!!!」
動物虐待反対ッ、と私は机の上に飛び乗って、そのまま現れたクソガキに向かってドロップキックをかました。




