9、目を背けないで、拷問の様子を直視せよ
「ッ、止めろ……!止め、止めさせてくれ!もうたくさんだ!!」
映像水晶によって投影される惨状に、レイヴンは堪らず声を上げた。いや、既に何度も制止の叫びを発した喉はヒリついて掠れるような上ずった音になる。
しかし叫んでも、懇願しても、この場にいるのはレンツェを憎むアグドニグルの人間しかいなかった。取り乱すレイヴンを冷酷に、冷徹に、見つめる周囲は黙って、別室で行われている拷問を観続けることをレイヴンに強制した。
*
離宮の抜け道から、レイヴンは本殿の一室に連行された。魔力封じの手枷に心臓には魔法の杭。これを刺された者は、その時は痛みも出血もないけれど刺した魔法使いが抜かなければ心臓が破裂し命を落とす。
「なんだ、拷問でもするのか」
何もない殺風景な部屋だった。
そこには椅子がいくつかとテーブル。そのテーブルの上には大きな水晶が置かれていた。
一体何をする気か知らないが、レイヴンは冷静だった。
自分は殺されるのだろう。
マルリカ王女をこの手で殺せないというのなら、諦めて生きろなど、冗談ではない。
あの女をこの手で殺すためだけにこれまで生きていた。そして、あの女を殺してやっと、レイヴンは自分の人生が始められるのだと信じていた。それが叶わないのなら、死ぬしかない。
皇帝クシャナやその懐刀の氷の皇子が憎くて仕方ないが、もはや吠えてどうにかなるものではないと力と立場の差をレイヴンは受け入れた。凍らせられて頭が冷えた、のかもしれない。
(……拷問して、俺に忠誠を誓わせる気なのだろうな)
無価値だなんだのと言いながらも、炎の祝福者は欲しいと見える。
利用価値があることがレイヴンに余裕を取り戻させて、そして、自分の復讐を邪魔したアグドニグルの王族たちに死んでも従わないことでレイヴンは自身の人生にケリをつけようとしていた。
マルリカをこの手で殺せないなら、せめてその邪魔をした皇帝達に、嫌がらせをしよう。
拷問などで自分の心は屈しないと、そうレイヴンが口元を釣り上げると、それを見ていた氷の皇子がテーブルの上の水晶に手を伸ばした。紫色に輝く、頭ほどの大きさ。
「この水晶を通じ、壁に映し出されるのはレンツェの姫の今の状況だ」
「……」
第十三王女を拷問している様子を見せるつもりか?
「……この外道どもめ」
レイヴンは目を細めた。
自分があの姫に「甘い」態度を取ったから、自分にとってあの姫は「特別」だと思い違いをしたようだ。元々はマルリカを殺した後の亡命先に、既にアグドニグルの人間に保護されているらしかったあの姫の口添えで行けないものかとそういう打算だったが……。
(見当違いも甚だしいな)
王宮で他の王族たちが第十三王女を害するのを黙って見ていた。直接の暴力を振るわずにいたのは、ただ単に、あんなものでも王族の血を引く以上、害して何の天罰も受けずにいれば血の契約が結ばれていないことが発覚してしまうため。それだけだ。
(あの王女を拷問するのならすればいい)
東大陸の守護者を気取るアグドニグルの王族も、所詮下劣な征服者だったということだ。自分たちの思い通りにするために、他人を支配する為に、暴力を使う。その犠牲になるのは力なき者。子供に暴力を振るう連中であると、レイヴンは最期に突きつけてやろうと思った。
『あーあー、映ってる?え、映ってる?ハーイ、こちら実況解説のスィヤヴシュ・ル=フェ特級心療師でーす。陛下~、殿下~見てる~??』
「……は?」
『いやぁ~、これ一分流すだけで掌サイズの魔晶石一個消費するんだけど、まぁいいか!レンツェの宝物庫のだし!』
しかし、氷の皇子が魔力を込めて暫く、響き渡るのはこの状況に似合わないヘラヘラとした軽薄な声。壁に映し出されるのは色素の薄い髪の青年。
……あの鳥の一羽も絞められなさそうな軽い感じの男が、姫君の拷問をするのか?
……いや、人は見かけによらない。
あのヘラヘラとした顔で、残忍に残酷に、子供を切り刻むのかもしれない。
『それでは始まります、レンツェ第十三王女の王宮くっきんぐー!くっきんぐって何?え、料理する事?へぇ~』
映し出されたのは、白い前掛けをして髪を後ろにまとめた小さな少女。
砂色の肌の、異国の血の混じる幼い子供。金色の瞳に強い決意を込めたような、気負った顔で向かったのは食糧庫らしい場所だった。
「……一体何を……?」
『さぁ、まずは薄力粉です!倉庫には十キロずつ袋詰めされたものがありますが……』
画面は、相手方の映像位置が固定されていないのか、広々とした廊下をテクテクと歩く姫君の後を追う。
解説の通り、倉庫。食糧庫のようだった。
『おぉっと、お姫様、一番手前のものを掴んだ!びくりともしない!全く持ち上がらない!!あっ、つんのめって後ろに大きくひっくり返る!お姫様尻もちをついたーー!!!』
「ッ!」
「……姫、」
ガタッ、と思わずレイヴンは立ち上がった。
条件反射だ。
仕方ないことだ!
目の前で小さな子供が転んだら、誰だって驚くだろう。
(うん?)
だが、ガタッと立ち上がる音は一つではなかった。
その上、画面の姫を呼ぶ声は、レイヴンが発したものではない。
レイヴンは音が聞こえた方向、自分の少し後ろを振り返る。
「……」
「……」
自分の後ろに、やはり座って映像を見ていたアグドニグルの氷の皇子が、同じようにハッとした表情で停止している。こほん、と咳ばらいをし、皇子が着席したのでレイヴンも再び座った。
『おっと、お姫様、十キロは持てないと諦めるのか……!正直、その場で必要な分だけ計量して持って行けばいいと思うけど、お姫様気付かない~~!あっ、袋を縦にして、倒して下に布を敷こうとしている!賢い~!これなら布を引っ張れば持って……行けない~~!!重さはそんなに変わらない!!今度は前から派手に転んだ!あっ、鼻血が出たので一端中継を止めます!あっ、ちょ、お姫様、こすったら顔面血塗れになるよ!やめよう!?』
「……っ、」
早く手当を!と、レイヴンは叫びそうになった。
一体、何をさせているんだ!?
あんな小さな子供に……あんな、小さな手に、あんなに重いものを運ばせようと、なぜしている!?
「おのれ……アグドニグルの外道共……ッ!!」
ギリッと、レイヴンは周囲の兵や皇子を睨み付けた。だがなぜか皇子の方は片手で顔を覆い、画面から目を逸らしている。
ややあって、再び映像が流れた。
『はい、小麦粉はその場で計量しました!気付けるなんてお姫様賢いね!まぁヒント出したの俺だけど!殿下!ボーナスください!』
「前向きに検討して考慮する」
『さて、事前に教えて貰ったレシピによると……材料は単純だね。薄力粉に卵にバター、それに膨らし粉……おぉっと』
「な、なんだ」
『レモンの皮のすりおろしがいるぞー!これは、難関だ!』
「な、なんだと……!?」
「まさか……ッ、スィヤヴシュ、貴様……まさか……!止せスィヤヴシュ!なんてことをさせるんだ!!」
いつのまにか、レイヴンと氷の皇子。男2人が映像の流れる壁に張りついていた。
こちらから叫んで声が届く仕様ではないのだが、アグドニグルの皇子はダンダンッ、と壁を叩いて実況の男に叫んだ。
『きっと会場の殿下も気付いたかな!そう、レモンの皮のすりおろしを用意するために……すりおろし器を使う必要があるッ!うっかりお姫様の小さい手もすり下ろさないように気を付けようね~!』
「な、なんて……非道をッ、アグドニグルの屑ども!!正気か!!?」
『レモン一個は、当然だけどお姫様の手には大きい!なので、お姫様がゆっくり取り出したのは……包丁だーーーーー!!これでレモンを切るぞ~~~~!』
この映像が流れた瞬間、レイヴンの隣のアグドニグルの皇子がくらり、と眩暈を覚えたように膝から崩れた。
しかしレイヴンはこの非道な精神攻撃になんとか耐え、ぐっと、膝に力を入れる。
『あっ』
だが次の瞬間、聞こえてきたのは小さな子供の、小さな声。
『痛っ……切っちゃいました』
壁一面に映し出されるのは、レモンを切ろうとしてうっかり指を切った小さな少女の、辛そうな顔。
『でも、大丈夫です!続けられます!美味しい、お菓子を作って陛下に献上したら……レイヴン卿を、許してくださるんですよね?』
痛みで目じりに浮かんだ涙を拭いつつ、健気に微笑む少女の言葉にレイヴンは堪えきれず、床に崩れ落ちた。